2019/08/31

そろそろ

疲れているはずなのに何をしても眠れないので、しかたなく起き上がってぺちぺち打っている。
夕方に会議が入る。相変わらず腰が痛い。ハードな週末に備えて、今週2回目のマッサージに行く。指名できないお店の面白いところは、いろんな人にいろんなことを言ってもらえる(場合もある)ことで、背面の不調は実は前面にある場合もありますからねという話になる。前面に力が入りすぎていて背面ががんばっている感じです、もう少し腸腰筋まわりのストレッチが必要なんじゃないですかね。それでもう少し背面もゆるむと思いますとコメントをいただく。知識として知っていることと、実際施術してもらった人からのコメントでは受け止め方がちょっと違う。でも初めての人のおっしゃることなので、とりあえず判断保留して有難く記憶しておく。
時間は少し前後する。
最近先生が糸井さん糸井さんとおっしゃるので、少し前から今日のダーリンを読むことにしている。どうやら昨日の「ダーリン」までしか読めないようだから、気に入ったものは写真に撮っておくことにした。
通勤の車内であらためて練習の録画を見ていて、ああほんとに出来が悪い、言われたこともちっともできてないし。誰のことおっしゃってるんだろかと思って聞いてたけど、なんのことはない自分のことじゃないか、等々。溜め息をつきながら、ちょっと指を動かしたら糸井さんの文章が出てきて読むともなく読む。不覚にも再びはらはらと落涙しそうになり、あわてて目をぱちぱちさせる。
そうか、希望に根拠はいらないんだ。
ちょっと元気になる。
奇しくも茂木先生のブログも、やらかしちまう人のお話である。
自分で自分を蹴飛ばしたり、いろんな方に励まされてちょっと許したりしながら、たとえば、きっと明日はくる、と思うのと同じように、白々と明けゆく空のようにぼんやりとした希望の中に漂っている。
さて、そろそろ眠れないだろうか。

2019/08/29

記念

火曜。コアタイム終了時で切り上げて練習しようと試みている(当日は結果的に終わらなかったが)ため、自分史上最も継続的に早起きし超速超マジメに仕事している。そのためか、別の理由か分からないけれども、えらく疲れる。
最近はたいてい水曜のコンディショニングのクラスでその後1週間耐えられる程度に回復することになっていた腰が持たず、久しぶりにマッサージに行く。
腰は想定内として、肩甲骨回りと脇の下が激痛。
昔からへんなところで笑ってしまう。痛くてえへへと笑う客は珍しいようで、くすぐったいんですかと聞かれ、いえ、痛いんですとお答えする。
終わってみるとずいぶんすっきり。たまには人の手を借りるのもいいなあ。
本日。もろもろ上手くいかず冷汗たらたらである。振付が最終回のせいか録画していただく。相変わらず後ろから飛び蹴りでも喰らわせたいくらいへたくそである。でも大好きな振付だから記念にとっておく。


2019/08/25

おやすみ

背中が痛い。時々背中の筋トレはするけれど、それとはなにやら違う筋肉痛である。
どう違うかというと、深い呼吸をすると痛む。はじめての症状である。眠れない。
眠れないから、なんだろうこれは、と考えていて、首じゃないかと思いあたる。
首が回らない、というのは昔からの課題の一つであって、ああもちろん借金で、とかそういう比喩表現じゃなくて、物理的に首が回転する可動範囲が狭いという話。
美しく首が回るひとを見て、いいなあ、自分もくるりんときれいに回りたいなあと思う。
レッスンの待ち時間などにひまがあると首をごりごり回そうと試みていたのを哀れに思われたのか、先週先生がいきなり首を持ってぐるりんと回してくださったのにびっくりし(ああこんなに回そうとしないといけないのねと)今週、頭に一角獣のごとく斜めに角が生えてるとしてそれを持って回そうとイメージすべきであることを何か棒状のものを頭に当てて教えていただいて、おお、なるほど!と嬉しくなって、今週後半はしょっちゅう首を回していた。しかし、なにしろ背中が鉄板のように固かった過去があるので、首だけでなく、背中のまんなかあたりまでインパクトがある。
決め手は昨日のレッスンで、ある程度中腰の体勢から両手とともに頭を回すという振付で、これがほとんど無理です、首、上に回りませんという感じだったんだけれども、何回かやってるうちにかすかに動くようになり、その結果として筋肉痛になったんだろうと思う。
自分の身体だというのに、使えていなかったところがたくさんあることに気づくのは楽しい。筋肉痛という症状が出ないと気付けないわけで、痛みも幸いである。

いつも日曜に行くお店が休館なので、レッスンがないのは残念だけど、自分の意思で休めない心理状態に入っているせいか、ああどうもありがとうお休みをいただけて、というような気分で悠々と昼まで寝ている。気付くと母より留守電が入っていて、用事がないから今日は来ずともよいとおっしゃっている。洗濯だけして、冷凍庫にあるものを食べて、ああみなさんお休みをくださってどうもありがとうとふたたび寝に入る。

2019/08/18

ハイハット

自分の写真を自分はあまり持っていないけれど、親という生きものは子供の写真を大事に持っているものである。
今日、母が何を思ったか知らないが昔の写真をぞろぞろ出してきて(あの頃は)かわいかったわねえとおっしゃるので、どれどれと見てみる。親という生きものは何歳になっても親馬鹿である。
先日ふと思い出した赤い車の音楽の先生が指揮棒を持って写っている小学校の音楽会の写真があった。この音楽会が忘れられないのには理由がある。
わたしはスネアドラムを志望したのだけれど、選抜テストで次点となり(志望者は二人だった)やむなくハイハット担当になった。それだけでも十分不機嫌だったわけだけれども、機嫌を直して練習した(と思う、たぶん)。
当日、曲が始まってハイハットを叩きはじめたら妙な具合である。ハイハットという楽器は、ごく簡単にいえば2枚のシンバルを向かい合わせに重ねたような構造になっていて、2枚の間に隙間があるから、ペダルで操作して開閉しながらスティックで叩く。ところがその隙間ができない。そうか、音楽会の準備の時に音楽室から講堂まで運んだ時に、開いたままだとじゃらんじゃらんと鳴るし揺れるし運びにくいから、普段触らないネジの部分を操作して隙間を閉じてしまった。そのあと元に戻すのを忘れたのである。
曲が始まって手を動かしながらここまで考えが及ぶ間に曲の半分ぐらいまで終わっているわけで、今更ネジをいじって調整するわけにもいかない。たぶん指揮棒を振る先生に目で訴えただろうと思うけれども、その時先生がどんな顔をしたかは覚えていない。結局最後まで開かないハイハットを泣きそうな顔で叩き続けた。いや、もしかしたら泣いていたかもしれない。
そういう写真である。
今から思えば、運んだ後になぜ一回ぐらい叩いてみなかったんだろう馬鹿なやつ、と思うわけだけれども、みなさんがおっしゃるように、失敗というのは概してそういう(計画できない)ものなんだろう。
30年以上経った今、写真を眺めただけで、あの時の悔しさがフラッシュバックするぐらいだから相当悔しかったらしい。
大人になって妙に冷めたような、遠慮がちな顔なんかしていないで、思い切り悔しがって、それとひきかえに、何か大切なものを手に入れようと願ったっていいのかもしれない。たとえそれが叶わなかったとしても。
写真を眺めながらそんなことを考えた。


1年

ジャズダンスというものをやってみようか、さてどの先生のクラスに行こうとスケジュールを検索していて、たまたま都合のつきそうな時間のクラスを持っていらしたのが先生だった。ブログを読んで、はじめてレッスンにお邪魔したのが去年の8月31日なので、もうすぐ1年。ジャズは殆ど未経験だったので、やや近場の75分のクラスは敷居が高い、と埼玉のストレッチとダンスの各45分のクラスに行ってみることにした。
記録によると、未経験のストレッチが面白いけれども、半月に1度整体通いしている身としては、はたしてほんとに効果あるんだろうか、半信半疑と失礼なことが書いてある。
最近では、どこか痛いとレッスンに出れば良くなるし、いや痛くなくても、先生のお顔を見ると、ああ筋トレしないとなどと殊勝な気持ちになるから、時間ができれば遠くても行く。整体のチケットを見てみたら、最後に行ったのは5月だった。
ダンスの公演などというものを自分の意思で見に行ったことのなかった自分だったけれども、先生がこれで舞台で踊るのは最後ですとおっしゃるので、それなら見ないときっと後悔するだろうと重い腰を上げて出かけたのが昨年11月。舞台の上で先生を見るのは最初で最後の思い出となった。今月は部分的に同じ振付の同じ曲を教えていただけて、たいそうしあわせである。
1年経って、まだ身体はかたいけれど、昔よりはだいぶ楽になった。ダンスのほうも、1年前より少しはましになっているといいんだけれども。
「はじめての」発表会まであと1ヵ月。フォーメーションなるものもはじめての経験なので、なるほどこういうことになるんだなあと他人事のように今は面白がっているけれども、なにしろ小心者なので、きっと当日になったらド緊張するに違いない。しっかり練習します。

2019/08/12

小学校6年の夏に引越しをした。
バスで20分程度のところだったから卒業まで通うことにしたのだが、休日に家の近くを歩いていたら、当時にしては目立つ赤いオープンカーが向こうから近付いてきて、珍しいのでしげしげと見ていたら、ハンドルを握っていたのは音楽の先生だった。
確かに、どちらかといえばおしゃれな風貌の先生だった。長髪だったし。でも小学校の音楽の先生だから、普段はふつうに地味な格好だったと思う。赤い車を見て、ああ、先生、本当はこういうご趣味だったのね、と子供心に思ったものである。

池袋で乗り換えて久喜に行こうとしていて、時間を気にしながら最寄り駅からぼんやり電車に乗った。
腕から背中まで筋肉痛である。何をしたんだっけと考えてみて、ああ、昨日満腹感去りやらぬままマーシャルに励んで、elbow三連発の振りを思い切り振ったからそれが効いたんだろうとふと窓のほうを見ると、三連発の振りを作ってくださった当の先生がすこし先の窓際に立って外を眺めていらっしゃる。
ときどき忘れてしまうけれども、先生も勤め人だから当然通勤もなさるのである。お声掛けしようか迷ったものの、朝だし、そっとしておこう、と池袋で先生いってらっしゃいと背中をお見送りする。
べつにこちらの先生は職場の顔と通勤の横顔にそれほどのギャップは感じなかったけれども、なんとなく小学校の頃のことを思い出した。

たまに食傷気味にはなるのは自分とご縁のない外国の公演とかレッスンの告知写真とかが連続して流れてきたときであって、それ以外は別に文句を言う筋合いではなく好きでフォローしているのだから自己責任である。当然ながら振付動画はもれなく見る。
この週末好きだった動画。今回は、どこが好きかははっきりしている。手がいい。いやもちろんほかもいいんだけれども。



2019/08/11

背中

そのために徒歩15分の場所に引越したわけで、実家には週1回日曜の朝に行くことになっている。昔は夜に行って夕飯をいただいていたのだけれども、レッスンの都合で最近は朝。それが約1ヵ月ぶりになってしまったのは風邪をひいたせいで、風邪菌を我が家に持ち込むなと厳命されている。
栄養補給には実家に帰るのがいちばんで、別にそれを狙って行ったわけではないけれど、いやこれから運動するのだからと気持ちは10回ほど言っているのだけれども結果的に腹いっぱい早めの昼ごはんをいただくことになる。
昨夜半にしばし願ったとおり、わたしのためにごはんを作ってくださる御仁はいらっしゃったのである。ありがたい。

少しさかのぼって昨夜。自分が歩いている後姿を録画で見た。フツーに歩いている。おまえ、写ってるんだから、そこで素になるな!と騒ぎたくなるお粗末な背中である。一夜明けてみてふと思う。やはり、一事が万事であって、先生が小噴火を起こすのもいたしかたない。大噴火を起こさずに教え続けてくださるためでしたら、気持ちは一度死んで生き返ってきます。

夕方。レッスンの終りに先生がめずらしくコメントされる。今日はみなさん気持ちよく踊れたんじゃないかと思います、いつもじゃないとは思うけど。いつもじゃないと思うけど、に笑う。こちらの先生も、なぜか生徒の気持ちが分かってしまう、そして正直なお方である。今日は3週目で振付の最終回だったし、おっしゃるとおり気持ちよく踊って満足したので、復習もせず別の空きスタジオに行って練習に入る。時期が重なってしまってご遠慮したほうの発表会の練習をしている先輩方がいらっしゃるので見学。そちらもすてきです。
と思いつつ、別の角っこに行って練習。つい好きな曲に時間を費やし発表会の練習をあまりしなかったことに終わってから気付く。先生の最後の舞台と同じ曲を練習できるなんてしあわせであります。

先生たちは生徒に背中を向けて教えてくださるわけだけど、それぞれすてきな背中だなあとあらためて。

2019/08/10

タンパク質欠乏症

研究に参加することになり体重計測を課せられることになって判明した事実。
月又は火曜朝にその週の最低体重を記録し、平日に若干増えて(オフィスでのストレスでつい食べてしまうおやつとか、ほぼ唯一、一旦早く帰宅する火曜の夜に松の家のとんかつ弁当又はやよい軒の冷汁鶏カラ定食が常習化してるせいだろう)土日月で1-2キロほど減る、というサイクルである。
自炊から遠ざかって久しい。おいしそうな手料理を見て垂涎する。
ああ誰かわたしにお料理してください、とコンビニのフィッシュアンドチップスを食しながら思ったりする。でもコンビニ食もカロリーがはっきりしてて、記録しやすくて便利よね。
日々の栄養チャートを見ると、タンパク質が常習的に欠乏している。
筋肉増やしたいし、タンパク質、摂取しないと。
タンパク質が多いコンビニ食品おすすめ16選!筋トレやダイエットに

くだらない作文はしても仕方がないので、一晩おいて、推敲してから投稿しよう、と、殊勝なことを思うこともあるが、そんなことをしていると永遠に一つも投稿しなくなるかもしれず、とりあえず、ま、いっか、日々の記録だし、と開き直る日もある。そんな日のほうが多い。今日は後者。

Instagramというものを見るようになったのは割合最近だけど、フォローしている人がほとんどダンサーさんばかりなので、職業柄なのかみなさん更新頻度が高い。たまに食傷気味になって、ダンスではない、または写真ではないものをみるとほっとしたりする。
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関係ないけど、今週好きだった動画。相変わらず、この方のことは何も存じ上げませんし、自分の嗜好の共通項が全く見えない今日このごろ。だれかに、あんたはこういう傾向のものが好きなんだよと教えてもらいたいぐらい。ほんとに、千鳥足、酔歩である。


2019/08/06

多産多死方式

自己啓発系で唯一年来愛読しているメルマガの平成進化論(読者の感想紹介コーナーが長い(笑)ので、いつも最後の作者ご本人の言葉のところしか読んでないけど)で、最近、ああそう、そうね!と手を打ったのが表題の「多産多死方式」という言葉。

大量の思いつき→大量の行動
からの
結果観察&継続か廃棄かの意思決定

多産多死方式と名付け、それを旨として生きてきました
とある。

ほんと、いいこと言うなあ、と思う。
と、このあと昨夜だらだらと作文をしたんだけれども、いま読んでみたら、大したことはひとつも書いてなかったから全部削除。多死なり。

基本的に自分を信じていない。
多死はもとより織り込み済み。多産あるのみ。


2019/08/04

ルール

目覚めてみると筋肉痛である。
ダンスしかしなかった日の翌日に筋肉痛が発生するのははじめて。
筋トレらしきものをしてはいるけれども、筋肉痛レベルのものではないので、少しはダンスしている間に腹筋が入るようになったのかしらと気をよくする。まあ、たまたまかもしれない。
前から聞いて知っていたことではあるけれども、身体に厳しい、もしくは苦しい体勢であるということと、見て美しい(もしくは、まあ少しはマシというべきかもだけど)体勢ということはイコールである場合が多い。
先生という人種は、いちいちここがベストの角度だというところで極めて楽そうにきっちり決まるのである。同じ人間ですというのが申し訳ないぐらいである。
こちらは何度やっても決まらないわけで、鏡を見ながら悪戦苦闘するのだけれども、向きの関係で、いつも鏡を見られるわけでもない。そういう場合の判断基準として、つまり苦しくなければ美しくない、と思うことにした。まあ最初から最後まで苦しかったら死んじまうわけで、とりあえず、ここぞというところで。

以前からなんとなく好きだなあと思っていた(自分としては数少ない)女性ダンサーさんが振付している動画をはじめて発見。相変わらず、ほかにも上手な人はたくさんいるのに、どこが好きなのか、と考えてもよく分からない。はっきり言って何も存じあげませんが、なんとなく、がんばってほしいなあ。