とても久しぶりに茂木先生のお話を聴きにに行く。
前職で6時半の開始に間に合うように帰れなくなって足が遠のいていた間に、新宿の住友ビルは工事でいつもの通路が通れなくなっていたり、朝カルのフロアが模様替えされていたりと様変わりしているが、先生はお変わりないように見える。
あれだけメディアでの露出が増えているのに、それほどの混雑でもないのはふしぎだ。
英語の論文を読むと謳って参加者のハードルを上げているからだろうか。ほんとはたいして読まないのだけど(笑)
今日は、どんな人に、どんな時に知性を感じるかというお題。
きっと先生のお話はどこかで読めるだろうから、聞きながら思ったこと。
高い専門性を持っていながら、そこへの階段をのぼっていこうとする非専門家とつながる手段を持っているひとにintelligenceを感じる。
専門性というのは、必ずしも何かの領域ということでもなくて、先生がコメントされていたinner logicとかdepth、または美しさ、 みたいなことでもいい。手段とは、言葉である場合が多いけど、非言語的な、そのひとが持っている空気感というか、非専門家に寄り添う気持ちの問題もあったりするのかもしれない。
先生にはたくさんのヒーローがいて(今日のお話しではマーラー、ゲーテとかジョブズとか)その人たちのことを熱く語ってくださるわけだけれど、わたしたちは、先生というフィルターを通じてそういった遠い知性を近くに感じることができる。
講義開始までの待ち時間にひさしぶりに論文を読んで、講義の間に字幕なしではさっぱり分からないBritish comedyを見て、ああ、そうだった、こんな文章をすらすら読めるようになりたくて、BBCで笑えるようになりたくて、英語を使う機会が多い業界に入ったんだったっけ。最近あまり仕事で使わないせいで、すっかりなまけていたけれど、別に仕事のために英語をやろうと思ったわけじゃなかったのを思い出した。
2018/08/14
2018/08/12
お茶漬け
6月に入院して病院食に教育された。びっくりしたのはごはんの量。ほとんどふつうの人と変わらない。
頭では別に点数表どおりに食べてもいいと分かっていたけれど、それでもやっぱり炭水化物は減らしたほうがいいと思っていた。
糖質制限ダイエットというけれども、炭水化物を減らした分おかずの皿数を増やしてしまうと、逆に体重が増える(自分の場合)。
入院してまず1.5kgほど減った。これは塩分制限食で水分が落ちたせいだそうだが、案の定退院後すぐに戻った。そこからまた4kgほど減った。
先週、入院後はじめて主治医の先生とお話ししにいって(いや、正確には診察を受けにいって)ごはんを増やしたら痩せましたと言ったら、それブログに書いといてください、ぼくたち糖質制限はおすすめしてないんですよとおっしゃったので、言われたとおりに書いておく。ちなみに自分の場合、効能としてではないが結果的にやせる薬が投入されているのも体重減少の原因の一つ。
入院時の処方は先生ではなくて、入院患者担当の先生たちのお見立てである。
その薬をみて、あぐれっしぶだなあ、と先生。選択された形容詞が患者としては微妙におもしろい。
まだ若いからねえ、とおっしゃる。
え、若いですか、先生もいっしょぐらいですよね。
49です。
たいして変わりませんね。。先生もお若いですね(笑)
病人にしては若いってこと。
基本的に人見知りな自分が、ほのぼのした会話ができるいい先生である。
話がそれたがそういったわけで、最近おかずを減らしてごはんを食べることにしている。
炭水化物だいすき。
とはいえ、ごはんを炊く気力もないので、自宅の時は、もっぱらおにぎり使用のお茶漬け。
深めのスープ皿に松茸風味のお吸い物のもととこぶ茶を少量のお湯で溶いた後、中央におにぎりを配置。上から水150㏄程度を加え、梅ぼしと、お好みでなめたけ、チューブ入りしそ、しょうが等々を少量投入。おにぎりにビニールで包んだ乾燥のりが巻いてある場合は、はがして、ちぎって上から散らす。
あればキュウリの千切り、ゆでたオクラの薄切り(酢、いりごま少量加えたり)、崩した絹ごし豆腐等をまぜたりする。
コンビニの塩サバ薄切りやスーパーのお値下げ品刺身等を加えると、りっぱなごちそう。
ただの生命維持、栄養補給としてでなく、毎日の食事を楽しみにできるようになって、すこししあわせになった。
そうそう、最近熱中症予防で、ただの麦茶ではダメでポカリとかって言われますけど、われわれ患者はスポーツ飲料厳禁ですがどうなんですか、レッスン4本ぐらい出る週末とか、、とお尋ねしてみたところ、冷房きいてる部屋でその程度なら水でじゅうぶんとのクールなお返事でした。スポーツ飲料も好きなんだけど、ざんねん。
頭では別に点数表どおりに食べてもいいと分かっていたけれど、それでもやっぱり炭水化物は減らしたほうがいいと思っていた。
糖質制限ダイエットというけれども、炭水化物を減らした分おかずの皿数を増やしてしまうと、逆に体重が増える(自分の場合)。
入院してまず1.5kgほど減った。これは塩分制限食で水分が落ちたせいだそうだが、案の定退院後すぐに戻った。そこからまた4kgほど減った。
先週、入院後はじめて主治医の先生とお話ししにいって(いや、正確には診察を受けにいって)ごはんを増やしたら痩せましたと言ったら、それブログに書いといてください、ぼくたち糖質制限はおすすめしてないんですよとおっしゃったので、言われたとおりに書いておく。ちなみに自分の場合、効能としてではないが結果的にやせる薬が投入されているのも体重減少の原因の一つ。
入院時の処方は先生ではなくて、入院患者担当の先生たちのお見立てである。
その薬をみて、あぐれっしぶだなあ、と先生。選択された形容詞が患者としては微妙におもしろい。
まだ若いからねえ、とおっしゃる。
え、若いですか、先生もいっしょぐらいですよね。
49です。
たいして変わりませんね。。先生もお若いですね(笑)
病人にしては若いってこと。
基本的に人見知りな自分が、ほのぼのした会話ができるいい先生である。
話がそれたがそういったわけで、最近おかずを減らしてごはんを食べることにしている。
炭水化物だいすき。
とはいえ、ごはんを炊く気力もないので、自宅の時は、もっぱらおにぎり使用のお茶漬け。
深めのスープ皿に松茸風味のお吸い物のもととこぶ茶を少量のお湯で溶いた後、中央におにぎりを配置。上から水150㏄程度を加え、梅ぼしと、お好みでなめたけ、チューブ入りしそ、しょうが等々を少量投入。おにぎりにビニールで包んだ乾燥のりが巻いてある場合は、はがして、ちぎって上から散らす。
あればキュウリの千切り、ゆでたオクラの薄切り(酢、いりごま少量加えたり)、崩した絹ごし豆腐等をまぜたりする。
コンビニの塩サバ薄切りやスーパーのお値下げ品刺身等を加えると、りっぱなごちそう。
ただの生命維持、栄養補給としてでなく、毎日の食事を楽しみにできるようになって、すこししあわせになった。
そうそう、最近熱中症予防で、ただの麦茶ではダメでポカリとかって言われますけど、われわれ患者はスポーツ飲料厳禁ですがどうなんですか、レッスン4本ぐらい出る週末とか、、とお尋ねしてみたところ、冷房きいてる部屋でその程度なら水でじゅうぶんとのクールなお返事でした。スポーツ飲料も好きなんだけど、ざんねん。
2018/08/11
バランス
奇跡のレッスンシリーズの録画を2本見る。
1本目は小学生の弦楽部、2本目は少し昔の録画で、もう何回か見ている中学生のストリートダンス。
いずれも感情表現の話。
子供たちが感情を音楽で、またはダンスで表現できるようになると、1週間という短期間でパフォーマンスが素人目にも変わったのが分かる。
詳細は省くけれども、ここで、プロのパフォーマーを目指しているわけでもないふつうの会社員の自分にとってのポイントは、「伝わる」表現のためには練習が必要ということだ。なにごとも。その手の本はくさるほどあるからもう続けないけれども、いまさら、改めての気づきなので備忘のために。
しかし感情だけで自分の世界に入りすぎても美しくない。子供たちは美しかったけど、若さの特権だろうか。客観性とのバランスがないと、きっと受け入れられない。
日曜はなにかといそがしいので、土曜はせめて午前中はぼんやりしている。脳のアイドリング。
選択、決断とフォーカスという。欲張りすぎてもいけないが、いまはどれも外せない。いずれ選ばなければならない時がくるまでは、アンテナの向く方角に進む。
2018/08/04
ストーリーを語りたい
金曜日になると疲れはててしまって、おとなしく帰って早めにねてしまう。
いつも昼までごろごろしてるわけだけれども、今朝は早く起きた。
ピアノリサイタルの録画をみていたら、たまたまプロコフィエフが始まったので、手を止めて見る。というか、聴く。
プロコフィエフというと、子供の頃に父に与えられたカセットにサンサーンスの「動物の謝肉祭」とペアで入っていた「ピーターと狼」のイメージが強すぎて、長いことノーマークだった。たぶんピーターのテーマがいま一つピンとこなかったのだろう。
当時はたぶんその近くに置いてあったラフマニノフの交響曲2番とホルストの惑星ばかり聞いていた。今の自分にはラフマニノフはかえってちょっと重い。ホルストは、どうだろう。よくわからない。
今かかっているのはプロコフィエフのピアノ協奏曲3番の3楽章、ピアノ連弾版。少し前に見たピアノコンクールのドキュメンタリーで、同じ曲を弾いた人が優勝していたが、あれはオーケストラだった。どちらもいい。
サンサーンスも同様で、動物の謝肉祭はやっぱりピンとこなかったわけだけど、交響曲3番のオルガン付きを聞いて、あ、長いこと誤解しててすいません、というような気持ちになった。
子供だからといって子供向けのものを与えれば喜ぶだろうという発想はやめたほうがいいよお父さん。まあ今さら言っても仕方ないけど。
あ、それで、そのプロコフィエフを弾いているピアニストがインタビューに答えて話していた。
自分は演奏そのものに興味はない。(演奏を通じて)その曲にこめられたストーリーを聴衆に語りたい。
それほどピアノに詳しいわけではないので初めて見るピアニストで、けっこうなお年の方だった。
確かに、ピアノに限らず、パフォーマンスそのものよりも、そこから立ちあがってくるストーリー、または思索の形跡とか志向性みたいなものに、より惹かれる傾向にある。
ある意味、パフォーマンスはそこに表現されたものがすべてであって言い訳はいらないわけだけれど、でもやはり、それはそうでなければならない理由がある、そういう類の作品が、アーティストが好きだ。
いつも昼までごろごろしてるわけだけれども、今朝は早く起きた。
ピアノリサイタルの録画をみていたら、たまたまプロコフィエフが始まったので、手を止めて見る。というか、聴く。
プロコフィエフというと、子供の頃に父に与えられたカセットにサンサーンスの「動物の謝肉祭」とペアで入っていた「ピーターと狼」のイメージが強すぎて、長いことノーマークだった。たぶんピーターのテーマがいま一つピンとこなかったのだろう。
当時はたぶんその近くに置いてあったラフマニノフの交響曲2番とホルストの惑星ばかり聞いていた。今の自分にはラフマニノフはかえってちょっと重い。ホルストは、どうだろう。よくわからない。
今かかっているのはプロコフィエフのピアノ協奏曲3番の3楽章、ピアノ連弾版。少し前に見たピアノコンクールのドキュメンタリーで、同じ曲を弾いた人が優勝していたが、あれはオーケストラだった。どちらもいい。
サンサーンスも同様で、動物の謝肉祭はやっぱりピンとこなかったわけだけど、交響曲3番のオルガン付きを聞いて、あ、長いこと誤解しててすいません、というような気持ちになった。
子供だからといって子供向けのものを与えれば喜ぶだろうという発想はやめたほうがいいよお父さん。まあ今さら言っても仕方ないけど。
あ、それで、そのプロコフィエフを弾いているピアニストがインタビューに答えて話していた。
自分は演奏そのものに興味はない。(演奏を通じて)その曲にこめられたストーリーを聴衆に語りたい。
それほどピアノに詳しいわけではないので初めて見るピアニストで、けっこうなお年の方だった。
確かに、ピアノに限らず、パフォーマンスそのものよりも、そこから立ちあがってくるストーリー、または思索の形跡とか志向性みたいなものに、より惹かれる傾向にある。
ある意味、パフォーマンスはそこに表現されたものがすべてであって言い訳はいらないわけだけれど、でもやはり、それはそうでなければならない理由がある、そういう類の作品が、アーティストが好きだ。
2018/08/01
いきなり
去年の8月まで勤めていた会社と、11月から働き始めて現在に至る会社が徒歩5分のところにある(もうすぐ引越しだけど)。
そういったわけで前の会社の同僚さんとときどきランチに行く。
先々週から先週にかけて、酷暑と評された日が続いたときは、連日午後3時を過ぎると体力が限界にきてしまって、コーヒー飲んでも目薬さしても、体操してもガムかんでも、頭はもうろう、目はしょぼしょぼで、日本の会社もそろそろ昼休みを長くとってシエスタできるようにしたらいいんじゃ、と本気で考えていた。
そんな中、もと同僚さんがランチに誘ってくれたので、お手頃価格のステーキ200gをいただいてきたわけだけれども、予想外にもステーキの効果ばつぐんで、その日以来、終業までしゃっきり過ごせるようになった。
そうか、肉が足りなかったんだわたし。
というわけで、週1のステーキを課すことに(食べ過ぎ?)。
今日は一人で、立ち食い(だからお手頃なのだ)。
早めに行ったのが正解で、お店を出る頃には炎天下に長蛇の列が。
みんな肉が足りないのね。
そういったわけで前の会社の同僚さんとときどきランチに行く。
先々週から先週にかけて、酷暑と評された日が続いたときは、連日午後3時を過ぎると体力が限界にきてしまって、コーヒー飲んでも目薬さしても、体操してもガムかんでも、頭はもうろう、目はしょぼしょぼで、日本の会社もそろそろ昼休みを長くとってシエスタできるようにしたらいいんじゃ、と本気で考えていた。
そんな中、もと同僚さんがランチに誘ってくれたので、お手頃価格のステーキ200gをいただいてきたわけだけれども、予想外にもステーキの効果ばつぐんで、その日以来、終業までしゃっきり過ごせるようになった。
そうか、肉が足りなかったんだわたし。
というわけで、週1のステーキを課すことに(食べ過ぎ?)。
今日は一人で、立ち食い(だからお手頃なのだ)。
早めに行ったのが正解で、お店を出る頃には炎天下に長蛇の列が。
みんな肉が足りないのね。
2018/07/31
たぶんにやにやしている
ダンスを始めたのはたぶん2年半前ぐらいだと思う。
ジムに通い始めた当初はマシンで走っていただけだったけれど、根気がなくて15分もすると飽きてしまうから、スタジオに入ったら45分は強制的に動き続けられる「レッスン」なるものに出てみようと思った。
たまたまその時に目にしたのがマーシャルで、インストラクターさんや生徒さんたちのすてきな姿に刺激されて、その後4年ぐらいはマーシャル一筋だった。移り気なものの凝り性でもあるので、形の良いキックやパンチを打てるように筋トレや柔軟性を養うためのレッスンにも出た。マーシャルは背中も使うので、おかげで猫背もかなり解消された。
そろそろ何かほかのレッスンに出たいなあとレッスンの待ち時間に物色していたときに、たまたまダンスのレッスンに入ってみる気になった。
ダンスなんてしたことがあるはずもなく、見るのも特に好んでいたわけでもない。
コンテンポラリーのバレエぐらいは見たことがあったけれど、誰のだったか記憶になかったぐらいだ(最近になって、ぺジャール振付のボレロだったことをグーグル様が教えてくれた)。
たまたま入ったそのレッスンは、3ヵ月続く振付けの3ヵ月目だったので、結果見るも無残なことになったのだけれど、ふしぎと、もう一度、と思った。
振付を覚えるのが難しくて、最初はメモ帳に人型を書いて動きを記帳していたが、往々にして記憶が途中で脱落していたり間違っていたりする。そのうちDVDが出ているのを知って、お手軽な手段に乗り換えた。そのうち、DVDがなくても覚えられるようになった。
週に1回やっていただけではさっぱり上達しないので、いろんな先生のレッスンに出ることにした。ジムの利点は、いろんな先生のレッスンに出られるところだ。先生によって振付にも傾向があるので、基礎は同じだがいろいろな動きを覚えられる。そして今に至る。
あと何年踊れるだろう、とときどき思う。
10年はないな。せいぜい5年かしら。
練習したら少しはましになると思えなくなったら、きっと太極拳とかに移行するだろうな(それも太極拳に失礼か...)。
だから今はできる限り、踊っておこうと思う。
朝ドラで、秋風塾の同期3人組が良いことを言っている(録画を見ている)。
「人生で、あのときああしておけばよかったって後悔することがあるっていうでしょ。
でもわたしもすずめもそういうのないんだよね。ちゃんと挑戦して、漫画の神様におまえじゃだめだって言われた。プライドずたずた、傷つく、へこむ。でもそれが生きるってことじゃない。
傷つくのこわいけど、お前じゃだめだっていわれるのこわいけど、ほしいものに手をのばすってことが生きるってことじゃない。だめだって分かるのに9年かかっちゃった。でもそれでよかったんだよね。何もしないよりぜんぜんよかった。それがあって今がある。生きれば生きるほどタフになる。(大意)」
レッスンで、先生が踊ってくれることがある。
仏頂面に定評があるわたしだけれど、先生たちが本気で踊っているのを見ていると、次第に口角がゆるんでくるのが自分でもわかる。
たとえば、シルヴィ・ギエムの動画を見ていたとして、そりゃあすばらしいと思うんだけど、画面を見ながらにやにやしたりしない。
なぜかわからないけれども、目の前で、生身の先生が踊ってるのを見ると、笑顔になる。なんでだろうね。
ひとつには、たぶん、それまで教師の顔だった人が踊り手の顔に変わったことに心が動くんだろうな。振付覚えるのはわたしにはけっこうたいへんなんだけど、先生の美しい動線からその本気度の波動みたいなものが伝わってくると、それまでの苦労がひととき報われる。
先生たち、いつもすてきな振付作ってくれてありがとう。
なかなか上達しない生徒を見守ってくれてありがとう。
そんなことを思いつつ、今は踊っている。
ジムに通い始めた当初はマシンで走っていただけだったけれど、根気がなくて15分もすると飽きてしまうから、スタジオに入ったら45分は強制的に動き続けられる「レッスン」なるものに出てみようと思った。
たまたまその時に目にしたのがマーシャルで、インストラクターさんや生徒さんたちのすてきな姿に刺激されて、その後4年ぐらいはマーシャル一筋だった。移り気なものの凝り性でもあるので、形の良いキックやパンチを打てるように筋トレや柔軟性を養うためのレッスンにも出た。マーシャルは背中も使うので、おかげで猫背もかなり解消された。
そろそろ何かほかのレッスンに出たいなあとレッスンの待ち時間に物色していたときに、たまたまダンスのレッスンに入ってみる気になった。
ダンスなんてしたことがあるはずもなく、見るのも特に好んでいたわけでもない。
コンテンポラリーのバレエぐらいは見たことがあったけれど、誰のだったか記憶になかったぐらいだ(最近になって、ぺジャール振付のボレロだったことをグーグル様が教えてくれた)。
たまたま入ったそのレッスンは、3ヵ月続く振付けの3ヵ月目だったので、結果見るも無残なことになったのだけれど、ふしぎと、もう一度、と思った。
振付を覚えるのが難しくて、最初はメモ帳に人型を書いて動きを記帳していたが、往々にして記憶が途中で脱落していたり間違っていたりする。そのうちDVDが出ているのを知って、お手軽な手段に乗り換えた。そのうち、DVDがなくても覚えられるようになった。
週に1回やっていただけではさっぱり上達しないので、いろんな先生のレッスンに出ることにした。ジムの利点は、いろんな先生のレッスンに出られるところだ。先生によって振付にも傾向があるので、基礎は同じだがいろいろな動きを覚えられる。そして今に至る。
あと何年踊れるだろう、とときどき思う。
10年はないな。せいぜい5年かしら。
練習したら少しはましになると思えなくなったら、きっと太極拳とかに移行するだろうな(それも太極拳に失礼か...)。
だから今はできる限り、踊っておこうと思う。
朝ドラで、秋風塾の同期3人組が良いことを言っている(録画を見ている)。
「人生で、あのときああしておけばよかったって後悔することがあるっていうでしょ。
でもわたしもすずめもそういうのないんだよね。ちゃんと挑戦して、漫画の神様におまえじゃだめだって言われた。プライドずたずた、傷つく、へこむ。でもそれが生きるってことじゃない。
傷つくのこわいけど、お前じゃだめだっていわれるのこわいけど、ほしいものに手をのばすってことが生きるってことじゃない。だめだって分かるのに9年かかっちゃった。でもそれでよかったんだよね。何もしないよりぜんぜんよかった。それがあって今がある。生きれば生きるほどタフになる。(大意)」
レッスンで、先生が踊ってくれることがある。
仏頂面に定評があるわたしだけれど、先生たちが本気で踊っているのを見ていると、次第に口角がゆるんでくるのが自分でもわかる。
たとえば、シルヴィ・ギエムの動画を見ていたとして、そりゃあすばらしいと思うんだけど、画面を見ながらにやにやしたりしない。
なぜかわからないけれども、目の前で、生身の先生が踊ってるのを見ると、笑顔になる。なんでだろうね。
ひとつには、たぶん、それまで教師の顔だった人が踊り手の顔に変わったことに心が動くんだろうな。振付覚えるのはわたしにはけっこうたいへんなんだけど、先生の美しい動線からその本気度の波動みたいなものが伝わってくると、それまでの苦労がひととき報われる。
先生たち、いつもすてきな振付作ってくれてありがとう。
なかなか上達しない生徒を見守ってくれてありがとう。
そんなことを思いつつ、今は踊っている。
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