2010/11/28

初参加

土曜am。会社主催の無料ランニング教室にて元ソウル五輪女子代表ランナーさんのお役立ち指導を受ける&5kmラン。実にほぼ4週間ぶりの5kmランで、アミノ酸飲料を大量に飲んだものの日曜朝時点ですでに筋肉痛。

日曜。5時起きして某マラソン大会に初参加。ハーフに申し込んだものの、13km1時間45分の関門を1-2分差で超えられず、13kmで脱落。スタート時、最後尾につくために5分ほど待っていたのが命取り。
はじめてのコース、景色も良し、車道中央部を堂々走れるのも気分良かったので、時間のことなんてすっかり忘れていたのである。
沿道の声援なるものを浴びるのも初めての経験である。最後尾を走っているので、子供も含めてみなさんがきわめて慈悲深くお声がけくださる。ビリの役得である。
完全にマイペースを守り切ったので、何人か抜いて(!)、13km時点では後から30位程度にまでは格上げとなっている。めでたしめでたし。
帰路、実家に寄り、無沙汰を土産とマラソン話でごまかす。

年初の目標であるマラソン大会に初エントリーして走る、はこれにて達成。
来年はハーフを完走する、あたりを目標にしましょうかねえ、と思案中。
ああ疲れた。足も痛いし。お風呂に入ってもう寝ます。 おやすみ。

2010/11/15

ドラッカー再読

ここしばらくの間、なにかと不安要素が多かったせいか書けることもなかったんだけれども、まあひとまず短~中期的生活の安定が得られそうな運びとなって、この土日はぼんやりしていた。
呆けすぎるとそれにも飽きてきて、さてそろそろ何か学ばないとというような、まっとうな気持ちにもなる。
日曜の夕方にやっとそういう気になって、先週買って丈つめをしたスーツのパンツを取りに新宿に出向いたついでに紀伊国屋に寄って立ち読み。3階に行くのは久しぶり。

ビジネス書というか自己啓発本というか、そういった類の本からはしばらく遠ざかっていた。

よく覚えていないけれど、たぶん少なくともここ2,3年は。
どれを読んでも大して変ったことが書いてないように思えたからかもしれないし、あまり組織的な縛りの強い会社にいなかったから、悩みもなく余裕しゃくしゃくで趣味に重きを置いていたせいなのかもしれない。

それでも、10年前ぐらいから一応手元に置いていたのはドラッカーと、トムピーターズ、あとはふつうに松下さんとか鍵山さんとかで、ここらへんは思いだしたときにふと手に取ったりしていて、先週も、『凡事徹底』をめくって付箋をぺたぺた貼っては「そうだ、掃除だ!」とか意気込んでいたりした。

今回久しぶりに読んだドラッカー本は、上田惇生監修・佐藤等編著の『実践するドラッカー』といって、思考編と行動編の2冊からなっていた。思考編を昨日アマゾンで取り寄せ、なかなかよかったのでもう1冊の行動編を今日紀伊国屋で仕入れて、風呂につかりながら読んでいた。

いろいろと思うところはあったのだけれど、長風呂のせいでもう2時を回ってしまったから一つだけ。

成果は組織の外(顧客)からもたらされる、というくだり。

「知識労働者を管理できるのは、自分自身以外にいません。その際、貢献の焦点を自分だけに合わせていると、成果を上げることはできません。自らの貢献が、外の世界につながってはじめて、成果に結びつきます。そのときようやく、給料を吸い上げる人、コストとしてのヒトから、成果をあげる人になるのです。」(『実践するドラッカー 思考編』より引用)

ドラッカーの言葉としては、『経営者の条件』から以下引用されています。
「組織が成長するほど、特に成功するほど、組織に働く者の関心、努力、能力は組織の中のことで占領され、外の世界における本来の任務と成果を忘れていく」
「貢献に焦点を合わせることによって、自らの狭い専門やスキルや部門ではなく、組織全体の成果に注意を向けるようになる。成果が存在する唯一の場所である外の世界に注意を向ける。」
(『実践するドラッカー 思考編』より孫引き)



これってさー、考えはじめるとなかなか深いですよねー、と生産性皆無なコメントしかできずに睡魔に負けるわたし。

あ、そうそう、アマゾンレビューの星5つにつられて買った中で、もう一つの収穫は『QC数学のはなし 品質管理を支える統計の初歩』。文系にもやさしい語り口。QC検定とやらを受けてみようか思案中。

2010/10/12

朝型シフト

朝、5時に目覚めたので、イタイよう、と言いながらストレッチして、
日の出を待ってから、家を出た。
雲が厚いな、と思ったら、小雨が降っていた。
こんな日にかぎって、ぼうしをかぶってこなかった。
ちぇっ。
とか思いつつ、
糸井さんと池谷さんのほぼ日の対談を読んだ後だったので、
ときどき、おはしを横にくわえたみたいな顔をつくって、
にやにや笑いながら、
走った。

脈絡はないけれど、ときどき瀬古さんが思い浮かぶ。
いかんいかんと思いつつ、猫背ぎみなのだ。
瀬古さんイメージが浮かんだその瞬間だけ、しゃきんと背筋が伸びる。
しゃきん、にやにや。しゃきん、にやにや。
ああ、へんなひとっ。

朝型シフト、いっぽいっぽ。

2010/10/10

Marie

ほぼ週1で行く倉庫は大黒埠頭にあるのだが、無料送迎バスが横浜に着く。
帰路バスに揺られながら、ああそうだ、ドガがかかっているんだったと思い出して
金曜は閉館時間が遅くなる横浜美術館に行く。
ダンサーを描くなんて、いやつまり、もとから美しいものを美しく描くのなんて
短絡的じゃないかという思いが、現物を見るまで捨てきれなかったのだけれど、
やっぱりエトワールの光と空気感は良かったし、
病で視力を失いつつあったのを契機に使い始めたというパステル画が
どれも良かったのが個人的には意外な収穫。

14歳の小さな踊り子(彫刻)、とてもいいと思ったけれど、当時は相当非難されたらしい。
最近見つかったというスケッチには、同じポーズの少女が大きな丸い目で遠くをぼんやりと眺めているのだが、作品は目を閉じかげんにしている。
このほうが確かに、ずっといい。
没後に見つかった大量の彫刻。未発表だったということは、作家自身は、それは自分の本来の表現ではないと自覚していたということなのだろうか、それとも、自分のために作った、より愛着の深いものだったのだろうか。

最近どこかで読んだけれど、ドラッカーは「何によって人に記憶されたいか」を機会あるごとに自らに問うていたのだそうな。
大学受験のとき、小論文の、確か模試の問題に、同じような提題があった。
今ならなんと答えるだろう。

ドガは彫刻では人に記憶されたいと思わなかったんだろうね。
ただ、人に記憶されるための、ということではなく、
自分のための表現というのも、あっていいとは思うけど。

土曜、歯科。走るはずだったのだけれど、雨のせいにして家でだらだら。
日曜。ひきつづき、のらりくらり。夜、10km走る。
今申し込んでいる川越の大会は、時間制限がある。現時点では、かなりきびしい。
時間制限のない、茨城の大会を発見。1週間早い。同じコースを3周するらしい。
同じコースを、2回ならともかく3周するのは精神的に厳しい。
思いこみが激しい上に疲弊しているだろうから、2周目終了時点にして、3周したと勘違いすることさえ有り得ないともいえない。
時間制限を取るか、3周を取るか。微妙。
こうしてよたよたと走ることは、完全に、他人に記憶されたくない自分の一側面であるけれども、
ここにこうして記しているのは自己矛盾。

もともとこれが、日々生じては流れ、消えていく自分の記憶に対するひそかな抵抗であり、
他人にというよりは自分に向けた覚書だからだろう。
ただ、他人の目に断片的にとらえられる自分が、あの14歳の少女のように
夢想的にも意志的にも見えるふしぎな面差しであればいいなと、ふと思ったりもする。
あ、そうそう、モデルになったあの子の名前はMarieっていうんだって。

2010/10/03

56日

土曜夜、Jog5km,日曜、ブランク後はじめての10km完走。ウォームアップしている時に近所のおばさまが庭いじりをしていて、ずいぶん涼しくなりましたねえなどと話していたのだが、走り始めると日差しが夏並み。落合方面コースは走り慣れてはいるものの、アップダウンが激しくて、なかなかきつい。時計を見るのを忘れたが、1時間15分ぐらい。関門ぎりぎり。やばい。あと56日。豊島園方面は信号が多くて、長距離コースとしては、いまいち好きになれない。人どおりも多く道も狭いので、平日夜の短距離むき。
はじめてAmazonプライムを無料お試し。朝カルの話題にのぼったMilton FriedmanのFree to choose、あとこないだ丸善でpopを見たけど買わなかった小説2冊。If you follow me, The last child。昼前に頼んで夜7時ごろ届いた。その日に届くなら使ってもいいかなと思う。

どうでもいいけど、昨夜から部屋の中に蚊がいて、夜中にすきなだけ刺された。Jogから帰宅してやっと仕留める。ささやかな復讐心の発露。蚊の死骸を眺めつつ、久しぶりに憎しみに似た感情に出会う。のどかな時には忘れているが、縁があれば何でも出てくるブラックボックスが人間の内面である。
好ましい縁、自分を成長させる縁を選びたい。
またFriedmanによれば、それが経済の発展に繋がるのだそうだから、世のため人のため。
さて、ゴッホ展はいつ行こうかなあ。。

2010/09/26

新しいものよ、早く目覚めよ

落合方面walk and jog 6km.
今頃気がついたのだけれど、マラソンというのは朝走るなり。
いつも夜走ってるのは、朝はだるくて走れないからなり。
どうしよう。。。
あと62日で朝型にならないと。

電車に掲示してあった塾の吊皮広告の幾何の問題が解けた(中学入試問題なんだから当たり前だが)のに気を良くして、「幾何学入門」を買ってみる。
生涯何十回目かの数学トライ。今度は長続きするといいね。(苦笑)
ウィルソン「バイオフィリア」「生命の多様性」、ベルグソン「創造的進化」をぱらぱら。

多田富雄「寡黙な巨人」、これはすごい。多田さんは、ある意味脳梗塞で倒れた後の自分を別人と見ている。その視点が白眉であり、静かな中に決然としていて、鮮烈である。


「私の手足の麻痺が、脳の神経細胞の死によるもので決して元に戻ることがないくらいのことは良く理解していた。麻痺とともに何かが消え去るのだ。普通の意味で回復なんてあり得ない。神経細胞の再生医学は今進んでいる先端医療の一つであるが、まだ臨床医学に応用されるまでは進んでいない。神経細胞が死んだら再生することなんかあり得ない。
もし機能が回復するとしたら、元通りに神経が再生したからではない。それは新たに創り出されるものだ。
もし私が声を取り戻して、私の声帯を使って言葉を発したとして、それは私の声だろうか。そうではあるまい。私が一歩を踏み出すとしたら、それは失われた私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ。もし万が一、私の右手が動いて何かを掴んだとしたら、それは私ではない何者かが掴むのだ。

私はかすかに動いた右足の親指を眺めながら、これを動かしている人間はどんなやつだろうとひそかに思った。得体のしれない何かが生まれている。もしそうだとすれば、そいつに会ってやろう。私は新しく生まれるものに期待と希望を持った。
新しいものよ、早く目覚めよ。今は弱弱しく鈍重だが、彼は無限の可能性を秘めて私の中に胎動しているように感じた。私には、彼が縛られたまま沈黙している巨人のように思われた」
(多田富雄『寡黙なる巨人』より引用)

2010/09/24

プラシボ

会社が品川になったせいで、6:30に新宿の朝カルに到着するのは若干厳しくなった。
でもいいのだ。論文の話は後半だし。
今日はScientific Americanのプラシボの話でしたよ。
ホメオパシーの話なんかもちょうど気になってたところだったし、面白かった。
Placebo Effect: A Cure in the Mind

単にその薬を信じているから偽薬が効く、っていうだけでなく、
白衣のドクターに治療してもらったら回復したというような過去の経験などから、
無意識が作用するところがプラシボの深いところなんだなあ。
(素人が書くとろくなことがないので、このへんでやめておきますが。)

先生が話せば論文も面白い、ってのも、たぶんプラシボ効果ですねえ。