2016/07/31

おひっこし

今まで飲んだことのなかったBCAAの入った疲労回復系サプリを試しに1日2本飲んでみたら、ずいぶん元気になってしまった。家事をさくさくと。夕方、買いものに出る。電車の中で向かいに座った父母娘の3人連れ、お母さんが一番お疲れと見えて、首が折れそうなほど舟を漕いでいる。そう、家事って疲れるよね。
新宿で目的のものが見当たらず、珍しく銀座まで足をのばす。銀座の人出は、感覚で新宿の三分の一以下。遠出のごほうびに1600円のケーキセットを食した上で近所でカレー&サラダセット。あと1日休みなのをいいことに、ちょっと食べ過ぎ。明日がんばって落とそうっと。
帰り道、センセイのお店の看板がいつものところにないので、早上がりなんだなあと思いつつふと見ると、向かいのビルの空室に明かりが灯っている。そういえば、今月から移転するって言ってたっけ。
いずこもお引っ越し。



2016/07/24

ロールモデル

久しぶりに茂木さんの話を聞きに朝カルに行く。
パーソナリティーとロールモデルの話。
脳科学は、いわゆる経験値で言われている「いい話」をいかに科学的に実証するかという方向にあって、先生はいつもそういういい話を論文の紹介とともに聞かせてくれるのだ。まあ今回はほとんど先生の解説つきで、字幕なしの洋画を見ていたわけだけど。
たまたま前の席が空いていたので、お近くでエネルギーをいただく。
さて、ビビアン・リーとオードリー・ヘップバーンの2択で、どちらが好きかと言われたら迷わず後者を選ぶけれども、ローマの休日を見て「自分もオードリーになりたい」と思えるほど我が身知らずではない。
対象と自分の間にあまりにも距離がありすぎると、素敵な人、とは思えても、自分のロールモデルにはなりえない。映画ならストーリー自体への共感はあっても、女優本人への共感が生まれないからだろう。
昨日ダンスのレッスンの時に、振りの復習に見てみてね、と言われていたのを思い出して、Janet JacksonのPVを見ていた。
何回か見てしみじみ思うわけだけど、やっぱり、いきなりあれを見たところで、鑑賞又は批評の対象にこそなっても、「自分もこんなふうに踊りたい」とは思わない。(もちろん、そう思う人もいるだろうけれど。)
あまりにもできそうになさすぎて、真似しようとも思わないわけで。
夜空の星みたいに遠くにいる人と、地上で這いつくばっている自分との間に先生が入って教えてくれて、いわば「翻訳」してくれているからこそ、あれを見て、「おお、上達すると(50年ぐらい練習すれば)自分もあんなふうにできるかもなあ」と共感とともに哀れな錯覚に陥ることができる。
ひるがえって、自分はあまりロールモデルとする人を多数持っている人間ではないんだけれども、そういう共感という「翻訳機」を、自分の中に持つことができれば、うまくいろんな人の優れたところをつまみ食いしつつ、自分のものにできるんだろうな、と思う。
とはいえ、具体的にどうしたらいいのかは、まだよくわからないけど。

2016/07/18

inspiration

Miracle Bodyの録画、結局3回も見てしまった。
柔道選手の特集。
格闘技系は総じて、技が速すぎて何が起こっているのかよくわからなかったのだけれど、決定的な内股という技がかかるまでに、何度も巧みなフェイントを繰り返し、相手の重心を崩していく様子が赤外線カメラで捉えられていて、そういうことだったのかとはじめて納得。
もちろん、技をかけるときの身体の動きが美しいのは言うまでもない。こういうのを見ていると時間を忘れてしまう。
もともと運痴だったし、スポーツやら踊りやらを見るのもそれほど好きではなかった。
自分とかけはなれた能力を持った人物が自分には到底できそうもない華麗なパフォーマンスをしていても、素晴らしいとは思っても、そこに憧れとか、自分もそうなりたいというような共感みたいなものは生まれなかった。
ジムでレッスンに出るようになって、理屈では同じ動きをしているはずのIRさんの動きが明らかに自分のとは異なるということに気づいてから、身体の動かしかたであったり、そういった動きを可能にする筋力とか柔軟性というようなものにはじめて意識が向かうようになった。
身近でそんな美しい動きを見せてくれていることが、自分みたいな人間を地道にインスパイアしてくれているんだということを、感謝とともにふと記録しておきたくなった。

2016/07/17

隣は何をとる人ぞ

鰻の次はケーキ。
隣でシャッター切る音がする。
えらいねぇ。ちゃんと食べる前に撮ってるよ。ちらりテーブルを見ると、ただのアイスコーヒーだ。自撮りかな。

この夏はじめての鰻にありつきました。
いつも食べ終わった後で、写真でも撮ればよかったと思うんだよね。
まあ、ただのウナギだけど。

2016/07/16

ボディランゲージ

上手く語る言葉を持ち合わせていないから、余計、身体表現に心惹かれるのかもしれない。

ルール17

ある意味言葉が気持ちをつくるのだし、思うこと全てを言葉にするのは愚の骨頂だが、あまのじゃくでもないのに、思いと逆のことばかり言い始めたら、それは危機の兆候であって、何かしら方策を検討したほうがいい。
ルールその17。

2016/07/10

ちいさいおうち

「ネコ歩き」の録画を見ていた。訪れた土地で見つけた風情のある素敵な家を見て、岩合さんが、「すぐに絵本の『ちいさいおうち』を思い出しました」と語っていた。
ちいさいおうちは、もとは田舎の美しい街に建っていて、その頃はとても幸せだったんだけれど、街の近代化とともに周りにはビルが建ち、おうちには住む人もなくさびれてしまって、さみしい思いをしていた。あるとき救いの手がさしのべられて、レッカー車か何かで田舎に戻してもらえることになって、また住む人もでき面倒を見てもらえるようになって幸せになったという、スジとしてはそういう話で。しかしスジ自体はさして重要ではない。美しい絵本だった。
その本は、ちょうどしばらく前に長田弘さんが勧めていたから通販で買ってみたのだが、既視感がある。小さい頃に読んだことがあるのだろう。
ひとはいろんなことを忘れていく生きものだ。
美しいことと楽しいこと、嬉しいことだけ覚えておけるといいね。
それがきっと、賢い生き方にちがいない。たぶん。

2016/07/03

ホテル

1週間運動できなかったせいか、筋トレしたわけでもないのに腿とお尻がはげしく筋肉痛。
階段を下りるのに倍時間がかかる。
ぼんやり本棚を見ている。
ずいぶん前から、そこにチャールズ・シミックの「コーネルの箱」という本がある。訳者は柴田元幸。
川村記念美術館に初めて行ったのはもうずいぶん前のことだけれど、それはコーネルを見に行くためだったことだけは覚えている。
きっとこの本が先だったんだろう。
ジョセフ・コーネルの作品は何点か川村記念に収蔵されていて、全部とはいかないまでも、たぶんそのうちのいくつかはコレクションとして見ることができる。
たぶん箱モノが好きなんだろうと思う。
そこにより明確に作家の小宇宙があるような気がして。
またコーネルの「ホテル」を見に行こうかと思う。
「コーネルの一連のホテルは、南フランスか、北アフリカのフランス植民地のどこかにある。どれもいまはさびれている。かつては白い円柱があり、身動きひとつしない召使いがいて、大理石の彫像があったがいまはその台座しか残っていない。
それらはあなたに、自分のホテルを思い描くよう誘っている。ペンキが剥げかけ、白いポーチに洗濯物がほしてあるニューオリンズの古いホテル。あるいはネヴァダ砂漠にある、一室の外にピックアップ・トラックが一台駐めてあるだけの、周囲何マイルも人っ子一人見当たらないピンク色のモーテル。」(「コーネルの箱」空想のホテル)

また

錦織3回戦。
また夜更かし。

2016/07/02

おかしな日

おかしな一日だった。
2つ目のジムに向かって地下鉄を降り改札を抜けたところで先輩に会った。
10年前ぐらいからスキンヘッドで、頭の形はいいから似合うのだけれど、周囲の景色からそこだけ切り抜いたように、目に飛び込んでくる。
ぱらぱらと手を振ると、話していた携帯を切って、目を細めてにこりと笑った。
なんでこんなところにいるんですか、と思わず詰問調になる。
こちらはタメ語だけれど、先輩はですますと話す。
そのあたりをしばらく歩く。
相変わらず歩くのが早くて、こちらは小走りになる。
学生時代の関係性というのは特殊で、経過した時間をとび越えてその頃に戻ってしまうような気がする。自分だけかもしれないが。
しばらくして先輩は仕事に、わたしはジムに行った。
帰りがけ、スーパーに寄ると、子供づれのお父さんが2L入りの牛乳を6本買っている。
いかに子供のいる家族とはいえ、相当牛乳好きの家族なのだろうか、ヨーグルトでも大量に作るのだろうか、賞味期限が長いから1週間買いだめするのだろうか、などと、気がつくとつらつらと考え続けている。
片桐はいりさんと古武術の甲野善紀さんの対談を甘めのワインを飲みながら見ている。
人間が甘いせいか、甘いものばかり選んでしまう。
怖い、と思うときは横隔膜が縮むという。
逆に横隔膜が縮まない態勢をとれば怖いという感情を止められるとおっしゃっている。
おもしろい。いまからでも録画しよう。

まだ

錦織2回戦がはじまっちゃって、まだ起きている。
テニスが好きになったのはわりと最近。
ねむれない。。。

センターコート

早く寝ようと思ってたのに、バブりンカvs デルポトロ戦を見てしまっている。
いい試合。