久しぶりに茂木さんの話を聞きに朝カルに行く。
パーソナリティーとロールモデルの話。
脳科学は、いわゆる経験値で言われている「いい話」をいかに科学的に実証するかという方向にあって、先生はいつもそういういい話を論文の紹介とともに聞かせてくれるのだ。まあ今回はほとんど先生の解説つきで、字幕なしの洋画を見ていたわけだけど。
たまたま前の席が空いていたので、お近くでエネルギーをいただく。
さて、ビビアン・リーとオードリー・ヘップバーンの2択で、どちらが好きかと言われたら迷わず後者を選ぶけれども、ローマの休日を見て「自分もオードリーになりたい」と思えるほど我が身知らずではない。
対象と自分の間にあまりにも距離がありすぎると、素敵な人、とは思えても、自分のロールモデルにはなりえない。映画ならストーリー自体への共感はあっても、女優本人への共感が生まれないからだろう。
昨日ダンスのレッスンの時に、振りの復習に見てみてね、と言われていたのを思い出して、Janet JacksonのPVを見ていた。
何回か見てしみじみ思うわけだけど、やっぱり、いきなりあれを見たところで、鑑賞又は批評の対象にこそなっても、「自分もこんなふうに踊りたい」とは思わない。(もちろん、そう思う人もいるだろうけれど。)
あまりにもできそうになさすぎて、真似しようとも思わないわけで。
夜空の星みたいに遠くにいる人と、地上で這いつくばっている自分との間に先生が入って教えてくれて、いわば「翻訳」してくれているからこそ、あれを見て、「おお、上達すると(50年ぐらい練習すれば)自分もあんなふうにできるかもなあ」と共感とともに哀れな錯覚に陥ることができる。
ひるがえって、自分はあまりロールモデルとする人を多数持っている人間ではないんだけれども、そういう共感という「翻訳機」を、自分の中に持つことができれば、うまくいろんな人の優れたところをつまみ食いしつつ、自分のものにできるんだろうな、と思う。
とはいえ、具体的にどうしたらいいのかは、まだよくわからないけど。