ふと思ったのだけれど、ダンスを始めてしばらく経った頃は、せめてあと十年早く始めていたらなあ、と思うことがよくあった。
頻回に、しょっちゅうあった、と思う。
今でも、友達とそういう話になったら、冗談交じりにそう言うことはある。
けれど、本気で思っているかというと、そうでもない。最近は正直、あまりそういうことを思わなくなった。
ということに最近気付いた。
他人とじぶんを比べなくなったんだろうか。
いや、全く比べないかというと、そんなことは人間たるもの、ないし、美しいものを美しいと素直に愛でる気持ちはむしろ昔より純粋になっているのではないかと思う。
目標とするものとじぶんとの、その差分を客観的に検証する作業は以前より緻密にしていると思うけれども、そこで比べて、落ち込んだりするような方向にはじぶんの意識を持っていかない、方向転換する習慣を若干身につけた、ということかもしれない。
以前も今も、ジムで開放されている空きスタジオやクラスの待ち時間にちょこまか練習をするのは特に変わらないのだけれど、以前はけっこう他人の視線が気になったもので、ああすいません下手くそで。どうか見ないでください、と真剣に思っていたし、普通に外の通路を通っていく人たちから見える空きスタジオで、フルアウトで練習なぞできなかったものだけれども、最近はそういうことが気にならなくなった。無料で使える練習空間、ありがとうございます、見たければ勝手に見て、下手くそめと勝手に笑っといてください、としか思わなくなった。
図太くなったんでしょう、と思います。あと、もう1ヶ月で大台に乗ることになるんですが、やはり、今しかない、時間がないと痛切に思っているせいでしょうか。
なにしろ、十年前から踊っていたらよかったに、とたとえ思ったにせよ、遡ること十年前にはこれっぽっちもダンスというものに興味がなかったじぶんを一番知っているのはじぶんなので、そういうあり得ないこと、考えても仕方のないことは考えない。
遅まきながら、あの時はじめたから、あの時この時に出会えた先生がたがいらっしゃるわけで、特にお世話になっている先生というのは勿論いらっしゃるのだけれども、そのほかのどなたが欠けても今のじぶんはないだろうな、としみじみ思っているせいもある。
コントロールできないものは過去、他人や他人の気持ち。今年は特に、バレンタインデーとか全く関心が湧かなくて、いつもは一つ二つ買うじぶんにご褒美すら買わなかった。
コントロールできるのはじぶんのこと。コントロールできることにだけ集中したい。
でも感謝の気持ちは、思いたった時に、くどいくらい伝えておきたいと思います。いつ死んじゃうか、お互いわからないですもんね。
追伸:
今回のオリンピックは、スノーボードとカーリングを特に楽しみました。が、USの人と話した時に、オリンピックの話題になるかと思いきや、スーパーボウル!と聞いて、なるほどそういう感じなのねーと思っていた矢先、レッスンで、スーパーボウルのハーフタイムショーを見てないとか信じられん、今年のは当然だがBruno Marsも検索して見ておくべし、というよなことを聞いた。先生がちらっとかけてくれた曲は、たしかによく聞く耳なじみのある曲だったっけと思い出して、今しげしげと眺めているところであります。
どこで聞いたのかも、ちゃんと思い出しました(笑)