2010/03/06

Sweet voice

牛が食べものを反芻するように、頭の中でくるくると廻ることどもの連環をいちど断ち切りたいと思うとき、自分にとって最も効果的なのは走ることである。仕事まみれの平日思考から休日へモード転換するにベストな方法は、金曜の夜、できたら10kmぐらい走るのに限る。へろへろになってゴールする頃には、仕事のことなんか宇宙の彼方へ飛散している。この感覚が好きで走っているのかもしれない、と、時に思う。ただ問題は、やはり雨と、時季特有の花粉であって、やはり、マスクして走るのも、カッパ着て走るのもツライ。ツライのはいけない。そういった事象に備えて、フィットネスクラブの会員にでもなろうかと考えつつある。

町田康がいいという話をどこかで聞いて、かつて手に取ったときにはどうも文体が濃すぎて読み続けられなかったのだが、いま『東京飄然』を読みかけている。「おじさんの日帰り旅」という小市民に無理のない現実的企画と、飄然、というスタイルが、今の自分にどこかカチリとはまったらしい。情景描写が多いせいか、古文風文体も濃すぎず、かえって好もしい。

よく知っている人も知らないひとも含め、いままで出会った人の中で4人ほど、その声を聞くと特に理由もなく落ちつく、という人がいて、そんなときには、ああこのひとと長くお話していたい、いや正確には、内容はどうでもいいから、何かしゃべって、と思ったりするのだが、用事もないのに長々と話すのも苦手なので、なかなかそういうわけにもいかない。オペラ歌手ばりの朗々たる美声であればいいというわけでもないが、基本的には低い声がいい。そういえばこの前、外国人から営業の電話がかかってきて、いつものように、お得意のJanglishをもって最短で会話を終えられる受け答えをして切ろうとしたら、切り際に「きみってSweetVoiceね」と言われたことがある。ほう、さすがお世辞が上手な、と思ったものだが、確かに、ある特定の人の声には味があって、そう、それは、Sweet、とでもしか表現しようのない不思議な効能効果がある。

2010/02/28

兆し

近所の美容室に縮毛矯正をかけにいく。4年近く担当してくれていた美容師さんが産休に入ってしまって、前回から眼鏡をかけた30歳ぐらいの男の子になった。縮毛は1回につき3時間半はかかるし、その後まる1日は頭を洗ってはいけないので、その日のジョギングは終えてから来る時間設定にしてある。5km走った後でもあり、心地よい頭への刺激とアイロンの熱とで、抗いがたい睡魔に襲われ、うとうとする。前回も10km走った後で来て、やはり、半分寝ていたから、眼鏡くんも慣れたもので、「ゆっくりしてください」なぞとのたまう。基本的に良い子だが、ときどき軽くジャブが入る。「タレ目ですね」。はい、そうなんです、タレ目なんです、とお答えする。カットの前にしてくれる肩マッサージもお上手である。聞けば福島出身の3人兄弟の次男で、母上から「いざ婿に行ったときに困らないように」と掃除洗濯炊事を仕込まれたそうである。ぜひ婿にお迎えしたいと一瞬考える。

美容室を出て新宿に行く。紀伊国屋で何冊か本を仕入れる。前に立読みした時にはそのまま棚に戻した記憶のある「もしもし、運命の人ですか。」を手にとって、今回は、つい買ってしまう。こういうのが読みたくなるというのが、やはり春の兆しなのかもしれない。免許の更新も済んで、もう3月。そろそろ派遣も丸2年を経過したから本気で転職を考えなくてはいけないし。もろもろ惑いの尽きない不惑マイナス2歳まであと4日。

2010/02/26

もうすぐ春ですね

午前。ほとんど内勤なので、たまの外出は嬉しい。国会議事堂前で降りて、地図を見ながら歩く。まるで修学旅行の小学生みたいに。この年にして、東京生まれにもかかわらず。我ながら可笑しい。
待ち合わせの時間より少し早めに着いた。すでに生暖かい春風で、コートも要らない。お茶でも飲もうかと辺りを見回すけれど、ビルが目に入るばかりで、コンビニさえ見当たらない。
同行の人は2年ほど前に妙なご縁でお世話になった方である。この業界はほんとうに狭くて、目的地でも、前にいた会社で隣のセクションにいた人を見かけた。人と人との縁というのは面白いものである。

ブログというのはなかなか厄介なもので、以前の職場で少し「もめた」ことがあるから、現職に関わる人には当然ながら意図的に教えたりすることはないのだが、まあローマ字とはいえ実名でやっているから、もしかしたら思いもかけない人が見ていたりすることもあるのかもしれない。それはそれで、まあいいや、とある意味開き直っている。
昔は匿名だったのだが、ニックネームをやめて実名にしたのは、無知は無知なりに、自分の吐いた言葉に責任を持とうと思ったからである。後から恥しくなることも、ままあるけれども。
言葉が自分をつくる。
キツイこともあるけれども、言うべきところは言って、その結果として他者からのもろもろの反応をひきうけていくことは、きっと自分の糧になるはずだと信じている。

2010/02/22

いずれ鍵を

1ヶ月ほど前だったか、昼ごはんを食べたカフェに置いてあったR25の表紙に「倉本聰」という名前を見つけて手に取った。「北の国から」が好きで好きで、再放送を録画して何回も見た。真似してシナリオも書いたりした。名前を見るだけでどこか、懐かしい。
たとえ本意でない状況にあるときでも、いつも「鍵を開けるべき箱」が胸の中にあることを忘れたくないね、というような内容のインタビュー。ふと思い出した。Webにも載っていたので。
いずれ鍵を開ける箱が」

2010/02/21

須賀敦子の特集を寝転がってみていたら、同級生、として出てきたのがシスター西川だった。もうかなりお年を召されたはずだが張りのあるはっきりした声。須賀さんのことを「シンプルアンドストレートね」と評したその口調が、いかにもだった。お変わりない。そうか、そういう縁があって、彼女は一時うちの学校で教えていたんだ、たしか。
声とは不思議なものだ。もう20年も前のことで、すっかり忘れていたのに、声という見えない糸をたよりにいくつかの記憶が浮かんでは消えた。

身軽なのがいい

横浜美術館に束芋「断面の世代」を観に行く。それなりの気力があるときでないと、現代美術に向き合えないような気がして、のばしのばしにしていたのだが、束芋さんの作品はどこか、癒しとまではいかないが共感できる部分があった、という意味で後味は悪くなかった。団断は4回見た。BLOWは、内面にあるもの(物質的に、体内の器官もあり、または感情も含め)が外に現れたときに変質する、というテーマが気に入った。所蔵品コーナーで、まっすぐに目に飛び込んできた森村泰昌作品に思わず笑う。原節子。奈良作品にも久しぶりにお目にかかる。

千夜千冊で連続的に語られているリスク論は、ことの発端は金融であったに違いないが、このところますます身に迫った問題に思えてきた。有無同然と言ってしまえばそれまでだが、モノが無ければ無いで満足できずに有る状態を目指し、有る状態に至れば今度はそれを脅かす存在に対して怯えるわけである。リスクリスクと言われ始めたのは、結局のところ、一応モノの無いステージがある特定の地域においては終了したということなのだろう。
システムは成長することによってしか存在し続けることができないとすれば、その各プロセスにおいてリスクを伴うことになる。リスク分散のためにグローバル化しているつもりが、そのために逆にかかえきれない大きなリスクを背負っていた、というようなことも書かれていた。次回に注目。

なんの論拠もないけれども、これからは自分の目のしっかり届く範囲で、マインドとか仕事ぶりをよく知った人と仕事をし、得た有形無形の財産は適切な形で求める人に贈与していく、そういう心地よいサイズの仕事ができたら、と思いはじめている。もともと、大企業向きの性格でもないし。 とりあえず、修行中、というところ。
リスクとコンティンジェンシーは表裏をなすのだろうが、偶有性を楽しめるのは、システムがごく小さい場合か、あくまで個人レベルの話のような気がしている。やはり身軽なのがいい。

2010/02/20

invictus

あまり雑誌は買って読まないけれど、病院の待ち時間に見た「日経アソシエ」も映画の待ち時間に読んだThe21もノート術の話だった。読んでもやはり自分なりの使い方しかできないけれど。予想外の収穫は、齋藤孝さんの「交渉前に1分、3点考えましょう」という記事。紙に、交渉の1、利益(複数ある場合は優先順位をつける)、2、オプション(1の利益を守るためにできる提案)、3、 Best alternative negotiated agreement(バトナと略すそうな)、もし交渉決裂したらどうするかという逃げ道、だそうである。これを実際面談に入る前に考えておくと実のある話になりますよと。なるほどだった。社外だけでなく社内向けにも使えるかも。

インビクタス、モーガン・フリーマンのためにあるような映画だと思いつつ見ていたら、エンドロールを見ると彼もプロデュースに携わっているようだった。感情的にぐぐっと惹きつけられたというよりは、マンデラ氏の姿から、どれほど人を赦せるか、とか魂のありよう、みたいなことをふと考えてしまう。スポーツつながりということで、ちょうど今の時期、オリンピックをちらちら見ることもあって、(そうそう、今日のカーリングのイギリス戦は、すこぶる面白くて、珍しくじっくり見てしまった。)Fundamental principle of Olympismというのをはじめて読んだのだが、人間の尊厳保持、平和な社会、スポーツをすることは人権の一つ、などと書いてあったのを思い出した。スポーツに限らず、何にしろ、たとえば仕事も趣味でも、打ち込めば尊厳であり人権であり平和にも繋がるかもしれないが。南アのラグビーチームの主将役で出たマット・デイモンはずいぶん鍛えあげたように見えて、「グッドウィルハンティング」の昔とは印象がずいぶん変わったものだと思う。ラグビーが好きな人には嬉しい映画かもしれない。

TVでトヨタ問題を特集している。やはりメーカーのはしくれに勤めている者としては、危機対応のモデルケースとして勉強になることが多い。
リスクには想定内の(あらかじめ予測し製品に組み込める)ものと想定外のものがある。想定外の使われ方をした場合の不具合に、どう対応するか。会社やブランドへの期待値を上回る対応ができればそれが信頼回復の契機ともなる。
グローバル企業において、本当の「危機」が起こってしまった場合、本社にしか意思決定権が与えられていないと対応が後手後手になる場合が多い。地方分権化を進めるべき。
有事において、とりあえず火を消す、法的責任を取る、ところまではできても、顧客はもちろんのこと、政府やその他関係者へのコミュニケーションが不足すると事が必要以上に大きくなる。
などなど。

おまけ。映画のテーマともいえる詩(Invictus)。
ネタバレかな。一応、これから映画観る人は読まないほうがいいかも。

Out of the night that covers me,
Black as the pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.
In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.
Beyond this place of wrath and tears
Looms but the Horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds and shall find me unafraid.It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul