牛が食べものを反芻するように、頭の中でくるくると廻ることどもの連環をいちど断ち切りたいと思うとき、自分にとって最も効果的なのは走ることである。仕事まみれの平日思考から休日へモード転換するにベストな方法は、金曜の夜、できたら10kmぐらい走るのに限る。へろへろになってゴールする頃には、仕事のことなんか宇宙の彼方へ飛散している。この感覚が好きで走っているのかもしれない、と、時に思う。ただ問題は、やはり雨と、時季特有の花粉であって、やはり、マスクして走るのも、カッパ着て走るのもツライ。ツライのはいけない。そういった事象に備えて、フィットネスクラブの会員にでもなろうかと考えつつある。
町田康がいいという話をどこかで聞いて、かつて手に取ったときにはどうも文体が濃すぎて読み続けられなかったのだが、いま『東京飄然』を読みかけている。「おじさんの日帰り旅」という小市民に無理のない現実的企画と、飄然、というスタイルが、今の自分にどこかカチリとはまったらしい。情景描写が多いせいか、古文風文体も濃すぎず、かえって好もしい。
よく知っている人も知らないひとも含め、いままで出会った人の中で4人ほど、その声を聞くと特に理由もなく落ちつく、という人がいて、そんなときには、ああこのひとと長くお話していたい、いや正確には、内容はどうでもいいから、何かしゃべって、と思ったりするのだが、用事もないのに長々と話すのも苦手なので、なかなかそういうわけにもいかない。オペラ歌手ばりの朗々たる美声であればいいというわけでもないが、基本的には低い声がいい。そういえばこの前、外国人から営業の電話がかかってきて、いつものように、お得意のJanglishをもって最短で会話を終えられる受け答えをして切ろうとしたら、切り際に「きみってSweetVoiceね」と言われたことがある。ほう、さすがお世辞が上手な、と思ったものだが、確かに、ある特定の人の声には味があって、そう、それは、Sweet、とでもしか表現しようのない不思議な効能効果がある。