最近、眠るためにはなんでもするようになっている。可能な場合は早く床につくのだが、夜中の2時頃になるとお目目ぱっちりとなる。眠れる音楽も次第に効果が薄くなってきたので、最近は、かわりに、眠れる朗読を枕元で流すことにしていた。
何本か聞いたというか、聞きながら眠ることに成功して、意を得たりと徒然に流しているうちに、いつの間にか向田邦子が流れていた。朝起きてみたら途中まで流れていたので、止めたのである。眠る盃。好きな本だ。岸田今日子さん、好きな声だ。さて今日はこれを聞きながら眠れるかな、と思いながらかけてみたところ、意に反して、つい真剣に聴いてしまって今に至る。
後半、ライオンの話が出てくるのだが、当時の向田さんは、遡ること20年ほど前、電車の車窓から外を眺めていて、中野あたりの家の部屋の中に男性とライオンが一緒にいるのを見た。夢幻を見たのではないかと思いつつも、一方では、やはり事実で、実はライオンを飼っていましたという連絡をくれる人がいないかと待つともなく待っていた、そういう話を雑誌に書いたところ、飼っていましたという連絡を本当にもらった。そしてご縁があって飼い主さんとお酒を飲みながら当時を語る機会を得たという、そんな話である。
向田さんの話はまだ続いていて、中野と思ったその場所は実際は御苑のあたりで、雌ライオンだったはずなのに記憶の中でライオンはたてがみを生やしていた、その他記憶は微妙に事実とは異なっていて、変質していたと。だから、いつか年老いて記憶もおぼろげになったら、誇らしげに誰かに語るに違いない、私はライオンとお酒を飲んだのよと。
いや最近、なんだか元気が出なかったのだけれども、この話を聞いて、というか、昔読んだはずなのに全然記憶になかったこの話を再度聞いて、少し元気が出たのである。世の中には中野でライオンに会える人がいるんだから、じぶんもまだ、何かとんでもないものに会えるかもしれない。いや実はもうすでに会っていて、夢幻かと思いきや、そうでもなかったりするかもしれない。そしていつか、いいように記憶を書き換えて、話している本人だけはとてつもなく幸せな法螺話のできるおばあちゃんになれるかもしれない。酔っ払いながら、そんなことを考えてました。向田さんは我が永遠の憧れのひとであります。