2010/05/30

Find a voice

新PCに買い換えたとき、何か操作を誤ったとみえて旧PC使用時ipod に入れてあったデータが全部聞けなくなってしまった。旧PCはディスプレイがいかれてしまっているせいで、データを新PCに移すのも面倒。。と思いつつ、放置していた。今ipodに入っているのはシベリウスとハチャトリアンのヴァイオリン協奏曲、Kazuo Ishiguroのオーディオブック2冊。いいかげん飽きてきたので、itunesからpodcastの登録をしなおしていた。
卒業式祝辞というのはよく聞かれるものらしく、中に名前を知っている人がいたので聞いてみた。ジョン・グリシャム。卒業生の中に奥さんがいるらしく、その縁で祝辞を述べているのかもしれない。
John Grisham Commencement Address
前半はテレビを見ながら流していて、中盤でも、週に1度は家に電話しなさいね、月に1冊は本を読みなさいねと割に月並みなことを言うものだと思っていたのだけれど、14分を過ぎたあたりから、興味をひくことを言いはじめた。というか、以前に作家/翻訳家の柴田さんがvoiceということについて、どこかで言っていたか書いていたかしたことを思い出したのもある。

グリシャムさんの祝辞(きわめて大意、まちがってたらごめんなさい、カッコ内は当方コメント)
作家がもっとも苦心するのは小説の筋でもキャラクターの作り方でも、他のもろもろでもなく、「Voice」を見つけることである。これさえ見つかってしまえば、言葉は流れはじめ作品はできあがり、その結果として、読者からの評価もついてくる。
(Voiceというのは実際に話される言葉そのもの、ノイズ、sound,音そのものでもなく、通奏低音みたいなものを言いたいのだろうと思う)
Voiceに必要な3つの要素があると思うが、1つには明確であること、スタインベックの小説は、筋は悲劇的であったりキャラクターは複雑であったりするけれど、Voiceは明瞭であって(わたしは読んだことないのでよく分からないが、、)グリシャム氏は今もそれをうらやましく思っているそうである。2つにはディテールに信憑性があること、経験に裏付けられていること、3つにはそれが真実であること。たとえ詳細に描写されていたとしても、そこにvoiceのないものは読まれない。
人生で言えば、voiceを見つけるとは、真実をもって語り、書くこと、といえるだろう。一人ひとりがそれぞれオリジナルな、独特のvoiceを持っている。
それを見つければ、物語は語られ、聴衆の多寡にかかわらず、聴かれるに違いない。