ジュリアン・バーンズを最初に読んだのは「フロベールの鸚鵡」だったことだけは覚えていたけれど、内容はまるで忘れてしまった。洋書を少し読めるようになってから、喜んでバーンズを買ったけれど、シニカルで緻密な表現が多いせいか、いつも、ああ理解できてないな、という読後感が残った。
それでも新作が出れば読んできた程度に好きなわけで、それは自分で、たとえば書店でたまたま手にとって出会ったような出会い方をした本だと思っていた。
最近、実家から持ち帰った北村薫の「秋の花」を読み返していたら、その題名が出てきて、少し驚いたような、ああやっぱりというような、不思議な気持ちになった。
自分の力で手にしたと思っているものの殆どは、実は遠巻きな周囲からのいわばお手回し、みたいなものだと、ときに気づく。
外からの力にあえて抗わずに巻き込まれていくことで、得るものもきっとある。自ら求めたものではない緩いつながりの中に思わぬ拾いものとの出会いがあったりもする。そんな見えざる力に感謝して生きられるひとは素敵だ。生来人見知りの自分は、ずいぶん損をしているに違いない。
さて。いま、「鸚鵡」をたのんでみたところ。このところ、昔読んだ本ばかり読んでいる。