アルヴォ・ペルトをはじめて聞いたのは、池澤夏樹の「スティル・ライフ」をドラマ化した作品の中でのことだ。「Arbos」が使われていて、その響きに衝撃を受けた。
百万回引用されている文章だが、備忘のため「スティル・ライフ」の冒頭を記しておこう。
「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。
二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過すのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれど。」
主人公は三浦半島の雨崎という岬に行く。やがて雪になる。そこが作品の主題、世界観の転換ともいえる重要なシーンだ。たしか、ドラマではここでペルトがかかったんだったと思う。
「音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。(中略)ただ、ゆっくりと、ひたひたと、世界は昇っていった。海は少しでも余計に昇れればそれだけ多くの雪片を溶かし込めると信じて、上へ上へ背伸びしていた。ぼくはじっと動かず、ずいぶん長い間それを見ていた。」
(池澤夏樹「スティル・ライフ」より引用)
そんなこんなを思い出しながら、よき記憶の断片や、そのなかにふと混じる妄想じみたものたちが、季節外れの雪のように降り積もっては溶けてゆく。
きっと大事なのは、こんなに広い世界の、または宇宙の片隅で、ひとときの間、そこに並んで一緒にいられたことだったかもしれない。
それは例えば、グラスの中にチェレンコフ光を見たような邂逅だったかもしれないね、などと言えば大げさに過ぎるだろう。
でも、そんなふうに思いたい夜もある。