2021/12/31

歳末

狭い自室の大掃除といっても普段の掃除にさしたるプラスαもないし、帰省といっても徒歩片道15分で済むわけで、取り立ててのせわしなさもない。静かな連休、といったテイである。

振り返ってみると、今年後半は特に、初めましての先生にお世話になった。もちろん初めて限りのご縁であった場合も多いのだけれども、それだけ冒険に出た、試みたという意味では、ナマケモノで引っ込み思案のじぶん的に評価できる。ちなみにじぶんの文章において「先生」というのは、特定である場合は多いけれども多数を指す一般名詞である。

都合上、最近のことから思い出す。今月初旬、右肩から背中、更に珍しく腕から肘にかけての痛みで辛抱できなくなっていた時に、たまたまそこにいらしたという理由でしばらくお世話になることになったトレーナーの先生よりお題をいただき、ルーチン日課に約20分。喫緊に自覚ある痛み以外の箇所で、ここ痛いでしょうとおっしゃるところが全部かなり痛いというドンピシャなご指摘だったので、基本人間不信のじぶんが、ちょっと信じてみようかしらという気になったのである。

前腿裏腿の硬さをご指摘いただき、椅子に座ってできるもろもろを教えていただいたので、テレビを見ながら麺棒状のローラーやらボールやらを用いてほぼ無意識状態で延々ゴリゴリ。いつもふわふわにしておきなさいと言われていたのに、「ふわ」の兆しもなく、今のところまだいわゆる「ガチガチ」である。どこまでやればいいんでしょうかと伺うと、「ああ楽になった」と思うまでとのこと。そういえば最近、電動ローラーにふくらはぎを乗せっぱなしにして20分ほど経過した頃にそういう瞬間があったっけと思い出す。あれだ。道のりは長い。

hiphopと名のつくクラスは山ほどあって、振付も素敵ですがじぶんには難しそうですねというわけで、正直なところ飛び込む時は玉砕を覚悟して臨むわけだけれども、振付少なく基礎練多いという方向性でここしばらくお世話になっている80分のクラスでは、アイソレーション、ステップに伴う重心移動等も含め延々と基礎練が続く。早めに歪みやクセの発見と矯正をして身体に無理のないシルエットを作っておきたいと思っているので、もうしばらくお世話になろうかというところ。肩甲骨や首が動かないせいで上半身アイソレに課題多し。足首硬いせいか踵を細かく動かすステップにも難あり。スタジオでは苦笑してごまかすも思い出してはテレビを横目で見ながら復習したりする。ああ、早くも昼過ぎだ。

長年(といってもまだ長くて数年だけれども)お世話になっている先生方にも、ぼんやりしていると、いい加減になさいとの眼差しで置いていかれるので、のんびりしてもいられない。なにしろ課題が多すぎる。上述のトレーナー先生によると「やりすぎ」とのことなので、まあそうなんでしょうけど、ダンスできるのもあと何年かわからないので、できるところまでは少し負荷をかけてやりたいのです、と心の中で言い訳をする。課題をいただいたことに感謝であり、おそらく来年も、何事もなければ、その方向性は継続する予定であります。

最近(あらためて)好きだったもろもろ。











2021/12/24

泳げるんだ

昨日の「今日のダーリン」の「お前は泳げるんだ!』という話、うんうんと頷きながら読んでました。
溺れている人に、お前は泳げるんだと声をかけてくれる人がいて、あ、そうか、じぶんは泳げるんだ、と、なぜか疑いもせず信じられたから沈まずに泳げた、ということがきっとあると思う。

「「見ていてくれる人がいるということ」、「人を信じるこころがじぶんにあること」。この2つのことが人をよく泳がせてくれるんでしょうね。じぶんのことは、ある意味じぶんが一番わからない。「泳げるんだっけ?」ぐらいまで疑っちゃうことさえある。泳げるんですよね、ぼくも、あなたもね。」と糸井さんは書かれていて、読みながら、最近のもろもろのことや、いただいた言葉を思い出した。

沈みそうな時に限って、タイムリーに言葉をかけてくださったり、こうやって泳ぐんだとお手本を見せてくださったり、下手くそだなあと言いながら見てくださっている方がいるので、以前に比べて沈んで浪費する時間は減ったと思う。
しあわせだなあ、と先生の踊りを見ながら、そう思う。