2016/12/12

等価

このところ映画館でアニメばかり見ている。
気がする。
といっても2作目だけれども。
前に見たのが「君の名は。」で、次が「この世界の片隅で」。
メインテーマはもちろん第二次大戦中の広島近郊の生活だし、そのあたりは書きつくされていると思うから控えておく。
ストーリーと重なることもあるし、そこからひとりふと思ったことでもあるけれども。
夢と現実、または人生の上で実際に起きたことと起きなかったこと、選んだ道と選ばなかった道、それは繋がっているのではないか、もしくはそれは等価ではないのかということ。
起きたことのほうが重要だと言うのは簡単で、それが現実的だとは思う。
でも起きなかったこと、選ばなかったこと、思いの中で失われたもの、それらは起きたこと、今現実に存在しているものごとと等価だと考えてみたら。
この世界の片隅で、わたしを見つけてくれて、ありがとう。
そんな感謝をこめて。
そうすれば、もっと、強く生きられるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながらfestive season色の漂う雑踏を歩く。

2016/11/27

ただいま

怒涛の海外出張ラッシュ(というほどでもないけど、月2回も行ったのはじめてで...)を終えて帰ってきました。
香港は2度目。オランダは(というかヨーロッパは)はじめて。
十数時間飛行機に乗り、そこから2時間半ほど車で移動。
これが最後の仕事なんだと言いながら暗闇の中時速140kmで飛ばす運ちゃんの目がちゃんと開いているか心配で、ときどき顔をチラ見しながら、ドキドキで助手席に乗り。
ホテルは田舎の別荘的トラディショナルな造り。
クリスマス装飾とライトアップが素敵で。
欧州系デザインへの憧れというのは常にあって、ごくフツーのビル、ごくフツーの家からトラムまで、牧場とか馬とか牛とかそういった自然物も含めて、目にするものはほぼすべて新鮮で美しかったわけだけれども。
いざ帰ってきてみると。
味噌汁とかおせんべいがたいそうおいしかったりして。
いままで大切に思っていたものがより愛おしく思われる帰国2日目。

2016/10/02

よりみち

たまには自転車もいいもんだ。
いつも三角形の短い2辺に沿ってバスと電車で行く目的地に、ちょっとだけ長い斜辺を通って自転車で行く。
途中で園芸店に寄る。観葉を1鉢、鉢を2個お買い上げ。
今年の冬に新宿駅で300円で買ったグリーン2鉢のうちの1つが、デスクの上で生き延びて夏を越し、オフィス移転を機に部屋に持って帰ったのだけれど奇跡的にまだ生きている。
わたしに買われたにしてはずいぶん長命である。
がんばれ。
ということで、感謝とともに鉢を新調し、お仲間を増やした。
実家でおでんを食べて、帰り道に、前から寄りたかったカフェに入ってデザート。
ちょっと食べ過ぎたかなあ。

2016/09/28

システム

ほんとうのところ、筋トレはそんなに好きじゃないので、忙しくなると、ついさぼりがちになる。
1ヶ月強ぐらい何もしなかったせいで、久しぶりに出たレッスンで、へろへろふらふらとなり、今ドリンク缶を持つ腕がふるふるする始末。
こんなことではいけないなあ。
ということに、久しぶりに行ってみて気づく。
行かない間は、気づけない。
矛盾している。
別に筋トレだけの話じゃなくて。
モチベーション曲線、みたいなものが底辺を這っているときには、ああ自分やる気ないなあ、と本当のところは気づけない。
何かのきっかけで、ちょっと底辺から浮上しはじめたところで漸く、あのとき底辺だったな自分、と気づく。
底辺をさまよっているときに、早めに上昇曲線に転換できる個人的システムがひつようだ。
システムというか、まあそれが縁というものなのかもしれない。
見えない網の目のようなご縁というものが、ふと自分をからめとって浮上させてくれているのかもしれない。
ありがたい。

2016/09/10

まいにち

金曜の夜、朝カルでインスパイアされて元気になって新宿を後にする。
その足でジムに寄る。
1週間ぶりにマーシャルしたら、肩甲骨まわりとか背中とか、微妙に上腕とか脇腹とか、マイナーなところばかり筋肉痛。効いてるなあ。
土曜夜のダンスは振り付けができてきて、楽しくなってきた。
細かい動きの仕上げを考えられるのがいちばん面白い。
運動量もかなりのものだけれど、マーシャルでキツイのに慣れてるせいか、まだ余裕。
昼のは振り付け習得中。曲が楽しい。
まいにち土日だといいのになあ。あ、金曜の夜からでいいや。

2016/09/04

6年

明日から新しいオフィスに行く。
転職したのではなくて、オフィスが移転したのだ。
考えてみると、うちの会社の移転は2回目で、1回目の移転のすぐあとに入社したから、かれこれ6年通ったことになる。
自覚的には感傷に浸っていたつもりなどなかったのだけれど、6年過ごした場所と離れることに、それなりには何か感じていたとみえて、金曜の夜、帰宅して少し休もうと思ったら、そのままぐったりしてしまった。
元気がないとき、何をすれば浮上できるかを知っていることは生きていくうえでずいぶん役に立つ。
わたしの場合、それは身体を動かすことで。
ぐったりしているときほど、鞭打って動かなければいけない。
動けば、無理しても出てきてよかったと必ず思えると経験的に知っている。
幸い、今月は振りを覚えた踊りこみが2曲ある。踊るしかない。
先日、休憩時間に声をかけてくれた方があった。
「エナジーを感じる」
エナジー、いい言葉だなと思った。
この6年の収穫は、そういうものと出会えたことだったかもしれない。
いろんな方のおかげで、自分は、6年前よりも少しだけ、強くなった。

2016/08/27

moonlighting

洋モノの刑事ドラマがわりと好きで、今にして思えば、懐かしの「こちらブルームーン探偵社(Moonlighting)」に端を発している。ブルース・ウィリスが演じた中でもかなり軽い役どころだと思うけれど、あれは当たり役だった。今放送してる中で好きなのはメンタリスト。
好きな割にはあまり追ってなくて、ファイナルシーズンでジェーンとリズボンと結婚しちまったというから、え、せめて出来上がっちゃった決定的場面が見たいと思っているのだが、なかなかお目にかかれない。まあ探して見ればいいんだろうけれども、流れにまかせている。
刑事モノで男女ペアが出てくると、だいたい最後は結婚して、ジエンドとなる。刑事夫婦の共働きをストーリー上無理のない形で成立させるのは何かとたいへんなんだろう、クローザーもメンタリストも、くっついたところで終わりになった。BONESは博士が出産した後も続いている。研究職と刑事ならまだなんとかなるんだろうか。あ、キャッスルもまだファイナルじゃないのかな。
ブルームーン探偵社はどうだっただろう。最初からいちゃいちゃしてたから、どうも思い出せない。





2016/08/21

いくつかの

週末、ふだんと同じことしかしてないのに腹筋筋肉痛。
しばらく考えてみて、振り付けが進んで胸のアイソレーションの練習回数が多くなったせいかもと思い当たる。胸だけ動かそうとすると、腹筋もけっこう使う。ほんの少しの動きの変化が身体を変えるのを実感する。何が面白いって、自分の身体を使って実験することほど面白いものはない。
さて、過日会社の飲み会の席で、同僚さんに「仕事してるときとダンスしてるときと、どっちの自分が好きですか」と尋ねられて、そりゃあ踊ってるときですと間髪いれずに答えた。
ただ、好き嫌いにかかわらず、どちらの自分も持ちつ持たれつで、双方捨てられない。
どこかの作家さんが、自分の人格が一つだと思わないほうがいいというようなことを書いていた。
どれが本当の自分だろう、とか悩む必要はなくて、複数人格を持ち合わせているのがフツーの人間というもので、場面場面によって使い分け(自分なりに)最適化してるのだと。
もっといろんな顔した自分に遭遇してみたい気もする。

2016/08/18

すてきすぎる

帰宅して女子卓球の録画を見る。
3人とも、とてもすてき。
愛ちゃんの涙にぐっとくる。
男子卓球も楽しみ。
とと姉ちゃん、ホシノさんと再会したツネコさんがいい顔してる。
みんなしあわせになるといいなあ。

2016/08/14

週末

うちの近所は各駅停車しか止まらない私鉄駅にしては飲食店が豊富である。最近賑わうサブカルの街とやらからもほど近く、少し名の知れたラーメン屋が知る限りで2軒あるせいもあって、志を抱いた飲食店オーナーさんたちが集まってくるのだろう。
ただ現実は厳しいらしく、1年持つのは数えるほどで、結果的に出店しては店を閉めと入れ替わりが激しい。
このところ近所で外食どころか買い物すらしていなかったせいで、久しぶりにぶらぶら歩いてみると、数店新たに開店している。
そのなかの一つ、餃子屋さんで夕食。美味しい。だいたいはなんでも美味しい包容力のある味覚なのである。まあ別段、それが悪いこととも思わない。
週末はちょっとダンスに行った以外は寝転がって卓球ばかり見ていた。女子も男子もステキ。
自分が小心者なのは自覚しているけれど、デュースが何回も続くと、ドキドキして見るのがつらくなってくる。ああいう極端な状況に追い込まれても折れない心を培ってきた選手たちを見ていると、とてもまぶしい。団体戦ダブルスで伊東美誠選手が相手のゲームポイントで見せたレシーブに解説者が思わず、すごいですねえ、このひらめき、とつぶやき、アナウンサーが、そして勇気、と続けた。見守る人たちが選手を称えるその表現力のひらめきにも心ときめく。

2016/08/07

茄子

昨日の夕方、地下鉄に乗ったら浴衣を着ている人が7人がけの椅子に4人もいて、見回すと車内の和装人口が異常に多い。
乗りかえ駅で、自分は埼玉方面にひと駅向かったのだけれど、そこで浴衣の群れは都心に向かうグループと反対に向かう人とに分かれた。花火は一か所ではないらしかった。
ダンスのレッスンに出る。いつも最後に2組に分かれて、ほかの人が踊っているのを見て勉強させてもらうんだけど、そのスタジオは4面のうち1.5面が窓になっている。見るともなしに目線が窓に向かったところで、花火が目に飛び込んできた。
きれい。
と思った瞬間、覚えた振り付けを三分の一ぐらい忘れた。
禅僧が長年の修行を続けてひどく空腹の中、おかゆを一口食べて美味しいと思った瞬間さとりが崩れたという話を聞いたことがあるけれど、今更ながら、あれは集中力の話なんだろう。
美しいとか美味しいとか好きとかいう感情は波みたいにいきなり襲ってきていろんなものをかっさらっていってしまうから手に負えない。
茄子が好きで、珍しく早く戻った今日の夕飯はとても珍しく自炊。豚バラ野菜炒めと蒸し茄子にして5本も食す。美味しい。これで今日覚えた振り付けもすっかり忘れてしまった。
まったく、ざまはない。でも、そんなことを感じながら細々と生息している自分がいまここに在ることを誰かに知っていてほしくて、拙文をネットの海に漂わせている。





2016/07/31

おひっこし

今まで飲んだことのなかったBCAAの入った疲労回復系サプリを試しに1日2本飲んでみたら、ずいぶん元気になってしまった。家事をさくさくと。夕方、買いものに出る。電車の中で向かいに座った父母娘の3人連れ、お母さんが一番お疲れと見えて、首が折れそうなほど舟を漕いでいる。そう、家事って疲れるよね。
新宿で目的のものが見当たらず、珍しく銀座まで足をのばす。銀座の人出は、感覚で新宿の三分の一以下。遠出のごほうびに1600円のケーキセットを食した上で近所でカレー&サラダセット。あと1日休みなのをいいことに、ちょっと食べ過ぎ。明日がんばって落とそうっと。
帰り道、センセイのお店の看板がいつものところにないので、早上がりなんだなあと思いつつふと見ると、向かいのビルの空室に明かりが灯っている。そういえば、今月から移転するって言ってたっけ。
いずこもお引っ越し。



2016/07/24

ロールモデル

久しぶりに茂木さんの話を聞きに朝カルに行く。
パーソナリティーとロールモデルの話。
脳科学は、いわゆる経験値で言われている「いい話」をいかに科学的に実証するかという方向にあって、先生はいつもそういういい話を論文の紹介とともに聞かせてくれるのだ。まあ今回はほとんど先生の解説つきで、字幕なしの洋画を見ていたわけだけど。
たまたま前の席が空いていたので、お近くでエネルギーをいただく。
さて、ビビアン・リーとオードリー・ヘップバーンの2択で、どちらが好きかと言われたら迷わず後者を選ぶけれども、ローマの休日を見て「自分もオードリーになりたい」と思えるほど我が身知らずではない。
対象と自分の間にあまりにも距離がありすぎると、素敵な人、とは思えても、自分のロールモデルにはなりえない。映画ならストーリー自体への共感はあっても、女優本人への共感が生まれないからだろう。
昨日ダンスのレッスンの時に、振りの復習に見てみてね、と言われていたのを思い出して、Janet JacksonのPVを見ていた。
何回か見てしみじみ思うわけだけど、やっぱり、いきなりあれを見たところで、鑑賞又は批評の対象にこそなっても、「自分もこんなふうに踊りたい」とは思わない。(もちろん、そう思う人もいるだろうけれど。)
あまりにもできそうになさすぎて、真似しようとも思わないわけで。
夜空の星みたいに遠くにいる人と、地上で這いつくばっている自分との間に先生が入って教えてくれて、いわば「翻訳」してくれているからこそ、あれを見て、「おお、上達すると(50年ぐらい練習すれば)自分もあんなふうにできるかもなあ」と共感とともに哀れな錯覚に陥ることができる。
ひるがえって、自分はあまりロールモデルとする人を多数持っている人間ではないんだけれども、そういう共感という「翻訳機」を、自分の中に持つことができれば、うまくいろんな人の優れたところをつまみ食いしつつ、自分のものにできるんだろうな、と思う。
とはいえ、具体的にどうしたらいいのかは、まだよくわからないけど。

2016/07/18

inspiration

Miracle Bodyの録画、結局3回も見てしまった。
柔道選手の特集。
格闘技系は総じて、技が速すぎて何が起こっているのかよくわからなかったのだけれど、決定的な内股という技がかかるまでに、何度も巧みなフェイントを繰り返し、相手の重心を崩していく様子が赤外線カメラで捉えられていて、そういうことだったのかとはじめて納得。
もちろん、技をかけるときの身体の動きが美しいのは言うまでもない。こういうのを見ていると時間を忘れてしまう。
もともと運痴だったし、スポーツやら踊りやらを見るのもそれほど好きではなかった。
自分とかけはなれた能力を持った人物が自分には到底できそうもない華麗なパフォーマンスをしていても、素晴らしいとは思っても、そこに憧れとか、自分もそうなりたいというような共感みたいなものは生まれなかった。
ジムでレッスンに出るようになって、理屈では同じ動きをしているはずのIRさんの動きが明らかに自分のとは異なるということに気づいてから、身体の動かしかたであったり、そういった動きを可能にする筋力とか柔軟性というようなものにはじめて意識が向かうようになった。
身近でそんな美しい動きを見せてくれていることが、自分みたいな人間を地道にインスパイアしてくれているんだということを、感謝とともにふと記録しておきたくなった。

2016/07/17

隣は何をとる人ぞ

鰻の次はケーキ。
隣でシャッター切る音がする。
えらいねぇ。ちゃんと食べる前に撮ってるよ。ちらりテーブルを見ると、ただのアイスコーヒーだ。自撮りかな。

この夏はじめての鰻にありつきました。
いつも食べ終わった後で、写真でも撮ればよかったと思うんだよね。
まあ、ただのウナギだけど。

2016/07/16

ボディランゲージ

上手く語る言葉を持ち合わせていないから、余計、身体表現に心惹かれるのかもしれない。

ルール17

ある意味言葉が気持ちをつくるのだし、思うこと全てを言葉にするのは愚の骨頂だが、あまのじゃくでもないのに、思いと逆のことばかり言い始めたら、それは危機の兆候であって、何かしら方策を検討したほうがいい。
ルールその17。

2016/07/10

ちいさいおうち

「ネコ歩き」の録画を見ていた。訪れた土地で見つけた風情のある素敵な家を見て、岩合さんが、「すぐに絵本の『ちいさいおうち』を思い出しました」と語っていた。
ちいさいおうちは、もとは田舎の美しい街に建っていて、その頃はとても幸せだったんだけれど、街の近代化とともに周りにはビルが建ち、おうちには住む人もなくさびれてしまって、さみしい思いをしていた。あるとき救いの手がさしのべられて、レッカー車か何かで田舎に戻してもらえることになって、また住む人もでき面倒を見てもらえるようになって幸せになったという、スジとしてはそういう話で。しかしスジ自体はさして重要ではない。美しい絵本だった。
その本は、ちょうどしばらく前に長田弘さんが勧めていたから通販で買ってみたのだが、既視感がある。小さい頃に読んだことがあるのだろう。
ひとはいろんなことを忘れていく生きものだ。
美しいことと楽しいこと、嬉しいことだけ覚えておけるといいね。
それがきっと、賢い生き方にちがいない。たぶん。

2016/07/03

ホテル

1週間運動できなかったせいか、筋トレしたわけでもないのに腿とお尻がはげしく筋肉痛。
階段を下りるのに倍時間がかかる。
ぼんやり本棚を見ている。
ずいぶん前から、そこにチャールズ・シミックの「コーネルの箱」という本がある。訳者は柴田元幸。
川村記念美術館に初めて行ったのはもうずいぶん前のことだけれど、それはコーネルを見に行くためだったことだけは覚えている。
きっとこの本が先だったんだろう。
ジョセフ・コーネルの作品は何点か川村記念に収蔵されていて、全部とはいかないまでも、たぶんそのうちのいくつかはコレクションとして見ることができる。
たぶん箱モノが好きなんだろうと思う。
そこにより明確に作家の小宇宙があるような気がして。
またコーネルの「ホテル」を見に行こうかと思う。
「コーネルの一連のホテルは、南フランスか、北アフリカのフランス植民地のどこかにある。どれもいまはさびれている。かつては白い円柱があり、身動きひとつしない召使いがいて、大理石の彫像があったがいまはその台座しか残っていない。
それらはあなたに、自分のホテルを思い描くよう誘っている。ペンキが剥げかけ、白いポーチに洗濯物がほしてあるニューオリンズの古いホテル。あるいはネヴァダ砂漠にある、一室の外にピックアップ・トラックが一台駐めてあるだけの、周囲何マイルも人っ子一人見当たらないピンク色のモーテル。」(「コーネルの箱」空想のホテル)

また

錦織3回戦。
また夜更かし。

2016/07/02

おかしな日

おかしな一日だった。
2つ目のジムに向かって地下鉄を降り改札を抜けたところで先輩に会った。
10年前ぐらいからスキンヘッドで、頭の形はいいから似合うのだけれど、周囲の景色からそこだけ切り抜いたように、目に飛び込んでくる。
ぱらぱらと手を振ると、話していた携帯を切って、目を細めてにこりと笑った。
なんでこんなところにいるんですか、と思わず詰問調になる。
こちらはタメ語だけれど、先輩はですますと話す。
そのあたりをしばらく歩く。
相変わらず歩くのが早くて、こちらは小走りになる。
学生時代の関係性というのは特殊で、経過した時間をとび越えてその頃に戻ってしまうような気がする。自分だけかもしれないが。
しばらくして先輩は仕事に、わたしはジムに行った。
帰りがけ、スーパーに寄ると、子供づれのお父さんが2L入りの牛乳を6本買っている。
いかに子供のいる家族とはいえ、相当牛乳好きの家族なのだろうか、ヨーグルトでも大量に作るのだろうか、賞味期限が長いから1週間買いだめするのだろうか、などと、気がつくとつらつらと考え続けている。
片桐はいりさんと古武術の甲野善紀さんの対談を甘めのワインを飲みながら見ている。
人間が甘いせいか、甘いものばかり選んでしまう。
怖い、と思うときは横隔膜が縮むという。
逆に横隔膜が縮まない態勢をとれば怖いという感情を止められるとおっしゃっている。
おもしろい。いまからでも録画しよう。

まだ

錦織2回戦がはじまっちゃって、まだ起きている。
テニスが好きになったのはわりと最近。
ねむれない。。。

センターコート

早く寝ようと思ってたのに、バブりンカvs デルポトロ戦を見てしまっている。
いい試合。

2016/06/27

お気に入りの人生

チクセントミハイの2004年のTEDトークを偶然目にした。ユングとの出会いを引き寄せたのが「空飛ぶ円盤」の講演だった、というところが面白い。
人が幸せを感じている「フロー状態」を表す語としてecstasyという言葉が使われ、日本語では忘我の境地などと訳されるけれども、そもそものギリシャ語では横に立つという意味だそうだ。 今ここにいる自分から抜け出して横にいるかのような、忘我の境地。
フロー状態に入るには、いくつかの条件がある。チクセントミハイの名前と図などと入れてちょっと調べるとその図が出てくるが、いずれも、やや高いスキルと難度の課題に取り組んでいるときにフローに入りやすいらしい。
まあ、もちろんそんなクリエイティブな人たちが味わうような高尚な状態ではないが、確かに自分でさえも、誰もいないオフィスで仕事をしているときなどに、時間の感覚がなくなる程度に集中できる短い似非フローが訪れたりすることがある。
もちろんそれは、機械のアラーム音なんかで無残に中断されてしまったりするわけだけれども。
まして、平日、電話がりんりん鳴るオフィスなんぞでは、そんな美しい精神状態が続くことなど、望むべくもない。
長田弘の「最後の詩集」のそのまた最後に、「お気に入りの人生」と題した詩がある。
食べることはふしぎな楽しみ、と始まって、だが食べた後に、ちょっとぼんやりしたい、ほんの少し、無の時間がほしい、と続く。
あるとき、小料理屋さんで、ひとつまみのお焦げの入った小鉢を出されて、とびきりおいしいそれをひとりで食べながら、15分ぐらいの時間がとても長く感じた。以来、何も考えないその時間と、その仕掛けとしての贈りものーそれは、チーズだったり、塩ひとつまみだったりするのだがーを自分に用意することが楽しみになった、という。
フローまでは望めなくとも、プチご褒美をお伴に、ひととき何も考えない時間を過ごす。
そんなお気に入りの時間を自分に贈ることができたらいいな、と思う。
長田弘は最後にこう結ぶ。
「とりとめもない、ささやかな、お気に入りのリスト。しかし、よき人生なんて、もともととりとめもない、ささやかな、お気に入りの人生にすぎないのではないだろうか。」
(長田弘「お気に入りの人生」より)





2016/06/26

土曜

昨日出勤だったせいか、今日が土曜日のような感じ。
たっぷり寝坊。
このところさっぱり自炊していない、と思いつつ、7-11のアイスカフェオレを飲む。
暑くなってくると、ただでさえ低い炊事頻度は格段に落ちる。
また録画のネコ歩きを見ている。
ネコって、おならするんだね。

2016/06/21

だんだん

頼んであった「空の絵本」が、郵便受けに届いていた。
表紙から、とてもいい。
見せたくなる。


風邪をひくと、どうしてかアイスが食べたくなる。
ソフトクリーム。
冷たくて、おいし。
コーンをぱりぱり。


もういちど絵本を開く。
だんだん ねむくなってきて。

2016/06/19

記憶


NHKでストレスの話をやっていた。
Mind wonderingといって、脳が目の前のこと以外のことを考えている時間は約47%だという。
コーピングといって、質より量のストレス軽減法を100個ほど書きとめておき、こまめに実行することや、マインドフルネスといって呼吸に意識を集中して瞑想することなどが効果があるそうだ。
ちょうど宅急便で届いた長田弘を読んでいたけれど、そのものずばりという感じで驚く。
「記憶というのは、「覚えている」ということではなく、「自ら見つけだす」ということです。というのも、すべてを覚えていることはできないために、人の記憶は本質的に不完全であり、そのために記憶と言うのは、断片、かけらを集める、そしてまとめることだからです。記憶は心に結ばれる像の、イメージの倉庫でした。(中略)
記憶は、言いかえれば、自分の心の中に自分で書き込むという行為です。驚きを書き込む。悲しみを書き込む。喜びを書き込む。そうやって、自分でつくりあげるのが、記憶です。(中略)
記憶は、過去のものではない。それは、すでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの土壌となってきたものは、記憶だ。(中略)
じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の底にそだってゆくものが、人生とよばれるものなのだと思う。」長田弘「なつかしい時間」収載、「記憶を育てる」より

おやすみ、おやすみ

ストレッチポールで背中をごろごろ、テニスボールで腰をごろごろしながら、何を聴いたら導入剤を飲まなくても眠れるか考えていた。
Goldberg variations、高橋悠治はむろん眠れない。グールドなら。
いや、そもそも、この曲はそのエピソードに反して、眠るには元気すぎる。
キース・ジャレットのThe melody at night with youに白羽の矢が立つ。
長田弘訳で「おやすみ、おやすみ」というタイトルの絵本があると知る。
絵本読みながら眠れるだろうか。
と思いつつ、別の絵本たちを何冊か仕入れることにする。
お買いものばかりしている。
追記:キースも、美しすぎて眠れない。
追追記:2周目中盤から記憶がないから、そのあたりから眠れたとみえる。





2016/06/18

回復

ある種の人間は、限界に近いところまで身体を動かすことで自己回復できる、と思う。
中途半端なところだとかえってダメで、消耗しきるぐらいのところまでいかないと、精神が浮上してこない。
別に皆がそうだとは思わないから同意を求めるつもりはないが、少なくとも私はそういう種類の人間だった。
最近浮気してる、とセンセイには言われるけど、好きになると割と一途になっちゃうだけで、浮気と言われるにはあたらない。いわば、いつも本気。いや、食堂の話だ。つまりまた大戸屋でスイーツ食べて休憩中。
下手なカフェなんかよりおいしいし、なにより、ごはん時以外は空いているところがいい。
一服したら、もう少し動きに行く。

2016/06/16

なんでも

朝から最悪にしんどくて昼ごろには泣きそうになる。
今週はまだ1度もジムに行けていないから、今日こそと思って早めに会社を出たのに、気がついたら家に着いている。
そんなことこんなこと、なんでもホルモンバランスのせいにしてしまおう。







2016/06/14

冷汁

帰りがけにふらりと食堂に入ったら、冷汁がメニューに加わっている。
一度食べたら好きになってしまって、以来、ひと夏に2,3回は、それを目当てにそこに行く。
冷やした味噌汁をごはんにかければ同じと思いきや、ネコまんまとはやはり違う。
冷汁の方は出汁がきいていて、ほぼかならず、キュウリと魚が入っていたりする。
調べてみたら、焼いた味噌を使ったりするらしい。
さばさばとおいしくいただく。
例年になくストレスフルな冬だったけれど、いつの間にか春も過ぎて、もう、冷汁の季節になった。

2016/06/13

ビーチでバカンス

スカイプ終了。
2年ぶりです、何してたの、とのこと。
ぼく木曜から奥さんとビーチでバカンスなの、とのろけられる。
いいね、ハッピーで。
フィリピンの人だとケラケラ笑いながらしゃべれるのが不思議だ。
いやあ、どうでもいいけど、今夜宅急便で届いたチリ―のCD、やっぱりいいよ。
大切なものを無下に却下されるぐらいなら、誰にも教えずに自分だけで悦に入っていたいと思うから、いつまでたっても一向におともだちとやらが増えない。



チリー

来週外人さんが来ると言う。
最近さっぱり英語を話さないから、とっさに単語が出てこない。
ずっと会費を捨てていたのだが、かなり久しぶりにスカイプでフィリピンの人と話すことにする。
もう1年前ぐらいになるんだろうか。
タワレコをうろうろしながらポップの惹き文句と試聴で買った数枚の中で、いまもipodの中に生き残っているのがチリ―・ゴンザレス。
思い立って昨日amazonでまた3枚仕入れた。
基本的にピアノが好き。
昨日もBSか何かで聞くともなく聞いてはいたが、オペラなどは、やっぱり高尚すぎて、よくわからない。



2016/06/12

山椒

なんだかふわふわした週末だった。
単に導入剤を飲み忘れて、よく眠れなかっただけかもしれない。
レッスンに出ているときだけ覚醒していて、あとはなんだかぼんやりしていた。
いつものように夕方実家に寄って、十六穀米のおにぎりを2つもらって帰る。
いただきもののちりめん山椒は、ごはんがないとなかなか進まない。
ラップで巻いただけの緩いおにぎりを箸でくずしながら山椒と梅干しといっしょにいただく。
ぴりりとして、おいし。
また長田弘「すべてきみに宛てた手紙」をぱらぱらとめくっていた。
こんなときにこんな言葉に出会うなんて。
心のどこかで探していた言葉を目の前に差し出してくれるのだから不思議だ。
「痛み」への手紙という最終章にエミリ・ディキンソンの詩が引用してある。
「一つの心が壊れるのをとめられるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう
一つのいのちの痛みを癒せるなら
一つの苦しみを静められるなら
一羽の弱ったコマツグミを
もう一ど巣に戻してやれるなら
わたしの人生だって無駄ではないだろう」
すてきな詩だ。
そんな何かが自分にできるだろうか。
続く後記にはこうある。
「書くというのは、二人称をつくりだす試みです。書くことは、そこにいない人にむかって書くという行為です。文字を使って書くことは、目の前にいない人を自分にとって無くてはならぬ存在に変えてゆくことです(中略)これらの言葉の宛て先である「きみ」が、あなたであればうれしいと思うのです」
たぶん、それとは関係のない話だけれども、
仮に、架空の宛先であった存在が目の前にあらわれて、二人称で自分を呼ぶというような事態が発生したら、どうなんだろう。
けっこう、どきどきしてしまったりするかもしれない。

2016/06/09

呼吸ふたたび

眠れないので、ずいぶん前に買った呼吸法の本を開いてみた。
3つ以上あてはまった人は、呼吸法を習得すると楽になると思います、という12の質問に7つ当てはまる。
巻末にCDがついていた形跡があるのだが、もうどこかいってしまっている。
思いついて呼吸の本と検索してみたら、著者トークイベントの模様が動画でアップされている。
いま丹田呼吸法を聞きながら打っている。
冒頭に谷川俊太郎さんの詩「息」が掲載されている。
「(中略)
星が息をしている どこか遠くで 限りなく渦巻いて
声もなくまたたいて 星は息をしている
人が息をしている ひとりぼっちで 苦しみを吐き出して
哀しみを吸い込んで 人は息をしている」
(詩集「手紙」1984年より引用)
導入剤を飲んだせいか、だいぶ時間差はあったものの、眠くなる。

2016/06/07

サバイバル

タイ料理店でお食事。
みんなお元気そうで、安心した。
次は半年後かな、それまでサバイバルだよ、と、もと上司さんは爽やかに去りゆくのだった。
酔っぱらっていても、去り際がかっこいい。

2016/06/06

深呼吸の必要

どうも呼吸がしづらいことがよくあるんだけれども、今日ストレッチのクラスに出ていて、肋間筋のストレッチをすると呼吸がずいぶん楽になることに気づく。
前から聞いていたんだけれども、その時はストレッチの仕方が今一つだったのか、おのれの肋間筋が硬すぎて開かなかったのか分からないが、なにしろはじめての実感。
簡単に言えば、要は脇腹を伸ばして収縮した肋間筋を広げればいいわけだけど、調べればいろいろと方法が出てくる。
女子はただでさえ胸があるから背中が曲がりがちだし、デスクワークするひとや心配ごとを抱えているひとも肋間筋が収縮しがち。
うーんと脇腹を伸ばして深呼吸するだけで、けっこう楽になる。
長田弘に「深呼吸の必要」という詩集があった。
たしか持っていたはずだと書棚を探すけれど見当たらず、同じ作者の「すべてきみに宛てた手紙」を開いてみる。
1ページ目に「すぐに呼吸がくるしくなって、どうしても全力で走れずに、走るのをやめ、」というくだりを見つけて、あなたもだったんですね、と友を得たような気持ちになる。
そして最後にこう結ぶ。
「ひとの人生は、やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことでできています。わたしはついでに、やめたこと、わすれたことを後悔するということも、やめてしまいました。
煙草は、二十五年喫みつづけて、やめた。結局、やめなかったことが、わたしの人生の仕事になりました。―読むこと、聴くこと、そして、書くこと。
物事のはじまりは、いつでも瓦礫のなかにあります。やめたこと、やめざるをえなかったこと、やめなければならなかったこと、わすれてしまったことの、そのあとに、それでもそこに、なおのこるもののなかに。」(長田弘「すべてきみに宛てた手紙」)
瓦礫のなかにあることを喜ばなければいけないんだろう。
そこに、なおのこるものがきっとあるから。

2016/06/05

おかたづけ

ジムから実家に寄り、焼いたニンニクやら生姜シロップやら、やたら健康志向の食品を頂戴して帰る。
押し入れから出してきたCDをかけながら衣替え。いい曲が案外たくさんお蔵入りになっている。
2年以上着なかった服を捨てる。
努力に対する成果が明らかだから、掃除はいいと誰かが言った。
一つ片付ければ、一つだけきれいになる。
掃除は散乱した気持ちを整えるのにも効果がある。
まだベッドの上に冬服が散らかっているから、片付くまでは眠れない。
幸い明日はお休みだから、気が済むまでやってしまおう。

2016/06/04

スティル・ライフ

アルヴォ・ペルトをはじめて聞いたのは、池澤夏樹の「スティル・ライフ」をドラマ化した作品の中でのことだ。「Arbos」が使われていて、その響きに衝撃を受けた。
百万回引用されている文章だが、備忘のため「スティル・ライフ」の冒頭を記しておこう。
「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星を見るとかして。
二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過すのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれど。」


主人公は三浦半島の雨崎という岬に行く。やがて雪になる。そこが作品の主題、世界観の転換ともいえる重要なシーンだ。たしか、ドラマではここでペルトがかかったんだったと思う。
「音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。ぼくはその世界の真中に置かれた岩に坐っていた。(中略)ただ、ゆっくりと、ひたひたと、世界は昇っていった。海は少しでも余計に昇れればそれだけ多くの雪片を溶かし込めると信じて、上へ上へ背伸びしていた。ぼくはじっと動かず、ずいぶん長い間それを見ていた。」
(池澤夏樹「スティル・ライフ」より引用)


そんなこんなを思い出しながら、よき記憶の断片や、そのなかにふと混じる妄想じみたものたちが、季節外れの雪のように降り積もっては溶けてゆく。
きっと大事なのは、こんなに広い世界の、または宇宙の片隅で、ひとときの間、そこに並んで一緒にいられたことだったかもしれない。
それは例えば、グラスの中にチェレンコフ光を見たような邂逅だったかもしれないね、などと言えば大げさに過ぎるだろう。
でも、そんなふうに思いたい夜もある。

2016/05/31

鸚鵡

ジュリアン・バーンズを最初に読んだのは「フロベールの鸚鵡」だったことだけは覚えていたけれど、内容はまるで忘れてしまった。洋書を少し読めるようになってから、喜んでバーンズを買ったけれど、シニカルで緻密な表現が多いせいか、いつも、ああ理解できてないな、という読後感が残った。
それでも新作が出れば読んできた程度に好きなわけで、それは自分で、たとえば書店でたまたま手にとって出会ったような出会い方をした本だと思っていた。
最近、実家から持ち帰った北村薫の「秋の花」を読み返していたら、その題名が出てきて、少し驚いたような、ああやっぱりというような、不思議な気持ちになった。
自分の力で手にしたと思っているものの殆どは、実は遠巻きな周囲からのいわばお手回し、みたいなものだと、ときに気づく。
外からの力にあえて抗わずに巻き込まれていくことで、得るものもきっとある。自ら求めたものではない緩いつながりの中に思わぬ拾いものとの出会いがあったりもする。そんな見えざる力に感謝して生きられるひとは素敵だ。生来人見知りの自分は、ずいぶん損をしているに違いない。
さて。いま、「鸚鵡」をたのんでみたところ。このところ、昔読んだ本ばかり読んでいる。

こわいこわい

最近のコインランドリーは便利で、ブラシ付きの洗濯槽にシューズをごろんと入れておくと勝手に洗剤を投入して洗ってくれる。
ランドリーに寄って整体に行き、帰りがけにまた寄ると、もう洗い終わってはいるんだけど、ここでもうひと手間かけて20分乾燥機にかけておくと乾くのが早い。幸い読みかけの文庫本もある。
営業時間10時半まで、と入口のガラス戸に書いてあったのは覚えていたが、もう一人乾燥機を回している人がいるし、本も終わりまであと10ページだったから、誰かが閉めにくるまで読んでいよう、と腰かけて読み続けていた。
10分ほど経っただろうか。
突如室内の電気が消えて、ういーんと回っていた乾燥機も止まった。
びっくり、どころの話ではない。
自分のどこにこんな敏捷性があったのかと思うぐらいの勢いで手提げと本を掴んで店を飛び出すと、若めの男女二人連れがそこに立っていて、すみません、と頭を下げた。
かろうじて乾燥機の中のお気に入りシューズを取り出し、いえいえ、もごもご、、とつぶやいて去る。
しばらく歩いたところで、一昨日買ったばかりの折りたたみ傘を机の上に忘れてきたことに気が付いた。
あの二人連れがまだいるかしら、と思って戻ってみたが、明かりは消えたままでガラス戸も開かなかった。
見ると「10時半を過ぎると、中からは出られますが、もう一度入ることはできません」と書いてある。
その言葉も、やっぱり、こわい。



2016/05/28

踊る踊る

金曜、珍しく夜のレッスンに出ず早く帰宅。
忘れないようにカレンダーに書いてあったのに、ネコ歩きの録画を忘れたことに気づく。
いまオンデマンドで見ているが、やはりPCだと画質も悪いしタダで何度も見られない。あーあ。
さて、フィットネスクラブに入って、もう5年3ヵ月経つそうだ。
レッスンに出始めたのはしばらく経ってからだから、マーシャル系はたぶん4年半ほど、ダンスはまだ1年経った程度。
スタジオのレッスンに出てみてはじめて、自分という人間がかなり自意識過剰で、鏡に映る自分の姿ばかり見ていることに気がついた。
うっとりできればいいけど、修正したいところばかり目に付く。
それでも、ダンスも昔に比べればずいぶんマシになった。
まあ、そんな微々たる成長に気付いてくれる人が自分以外にもしいるとすれば、昔の自分を知っているIRさんぐらいだろうけれど。
ダンスなどは特に、振り付けを覚えた後の、いわゆる「踊りこみ」で自分らしい動きのテイストみたいなものが出てくる。そこが面白い。
だから、それぞれ個性的なこだわりを持って教えてくれるインストラクターさんたちが好きで、そういう先生の教えてくれるレッスンに行く。
仕事などはこだわりすぎると周囲に迷惑をかけるけど、趣味はどれだけ細部にこだわろうと自分の勝手。3ヵ月で曲と振りつけがアップデートされるから、その期間でどこまでやるかは当然自己裁量に任されている。
自分を知る誰かにお見せする機会はない。
ただ自分のためだけに踊る。
マーシャルとダンスを続けられる間は、自分の精神衛生はそれなりに保たれるだろうなと思う。
ジムをはしごする合間にお茶しながら、ふと思いついてfacebookを検索していて、自分を含め、女子がプロフィール写真にネコをアップする確率って高いな、と思う。

2016/05/22

満月

母親とは偉大な生きもので、いくつになっても子供が家に帰ると何か食べさせねばならぬと思っている。
めずらしく、今日は夕飯要らない、などと言うと悲しい顔をする。
じゃあ野菜ジュース作るから飲みなさいと、なにがなんでも何か与えないと気が済まない。
ありがたく頂戴する。
ほとんど夕飯を食べたのと同じ満腹感。
最近クロスワードの成績が好調で、2週連続空欄がない。
すごいじゃん、というと、調べることにしたのとおっしゃる。
分からなかったらお父さんに聞く、という長年の習慣が、娘に聞く、に変わり、自分で調べる、に進化した。えらいぞ母上。
長袖のスーツにネクタイをした遺影はなんだか暑そうに見える。
ジムからの帰り、交差点の信号待ちで見上げた先にまんまるの満月。

きっかけ

たまに行くジムに置いてあるマッサージチェアは使用時間15分限定。
めずらしく空いていたので極疲労回復全身コースを選んで腰かける。
いつも踏まれ慣れてしまっている背中には、やわらかすぎる刺激。
先週あたりから、なんだかずいぶんひどい日々だった気がしていたけど、たまたまテレビをつけたら流れていた海街diaryを見ていたら、少し人間的な気持ちが復活してきたのか、こんな自分にもやさしくしてもらったことをいろいろ思い出して、ちょっと泣いた。
こういうことをきちんと覚えておかないといけないのだけれど、きっかけがないと思い出せない。
監督の新作、見に行こうかなあ。

2016/05/17

なぜか

センセイは、なかなか予約の取れない焼肉屋に毎月お友だちと通っていて、お店の壁掛けカレンダーに29と書いてあるから、その日が分かる。
昨日背中を踏まれながら、月に1回の焼肉がいかに楽しみか力説するのを聞いていたせいか、今夜のごはんはカルビ焼肉定食となった。
2日連続19時台の夕飯。
おなかが空いてるときに食べるごはんはおいしい。
昨日の話に戻るけど、背中のあたりは気持ちいい程度で、ふと眠くなるのだが、腰のぐりぐりのあたりにくると、なにしろ痛くて「落ちる」どころではない。
なぜか、いつも行くまでそのことを忘れている。

2016/05/16

まだ遠い

平日の夜7時台に定食とチーズケーキ食べただけでほんのりしあわせを感じる自分は人生に望むものが少なすぎるのかもしれない。
会社で話す人の笑顔はみな清々しく、自分だけご機嫌ななめ。
週末はまだ遠い。
整体の間に眠ってしまわないように喫茶店でアイスコーヒーをちびちび飲む。
でも、やっぱり落ちてしまいそうな気もする。

2016/05/15

おもいでの

歌うおじいさんのことは記録しておかなければいけない。
大崎駅から出て川べりを少し歩いたところに小さな公園がある。突っ切って会社に向かうわけだけど、晴れの日にはほぼ毎朝見かけるおじいさんがいる。公園の縁石に腰掛け、楽譜を顔の前に構えて、歌っている。
側を通るときにしか聞こえないくらいの声なのだが確かに音程はあって、朗読ではなく、なにかさだかではないが、とにかくなにかを歌っている。
おじいさんは歌っていた。平日は朝だけど、休日は昼歌うのか、朝からずっと歌ってるのか。
通りすがったとき、おもいでの、おもいでの、と聞こえた。

2016/05/14

姿勢

今月からスケジュールが変わって出られるようになったレッスンの先生は、バレエの基礎練みたいなことをされるんだけど、立ち姿がお美しいなあ、と思っていたら、
立ってるだけでキレイって言われたいじゃない?とおっしゃった。
やっぱり、普段から意識が違うんだなあ。
品川から帰り道、ホームで思い出しながら、ちょっといい姿勢になってみる。
気持ちも少し、しゃんとする。

降りられるかな

池袋駅でかき揚げそばを食べて湘南新宿ラインで小田原行きに乗る。
ボックス席に腰かけてバッハを聞き始めたら根っこが生えたみたいになる。天気もいいし、このまま終点まで行きたいなり。
さて、はたして大崎で降りられるだろうか。

あこがれの

ストレスフルな一日の終わりに、レッスンで思う存分サイドキック蹴れると、それだけで一日の満足度が上がってしまう単純なわたしでした。
他人と戦いたいとは全然思わないんだけど、飛び蹴り、とか、回し蹴り、とかしたいなあ。
きっとケガするので、しないけど。
空手の人の足の動線ってほんとにきれい。
しばし蹴り系動画を見ながら憧れの瞳。
なぜかその横で、ネコ歩きの録画から岩合さんの声が聞こえている。

2016/05/12

BOT

ツイッターは今のところ家のPCでしか見ないし、やたらフォローしてしまったせいで、あたりまえだけど全部見きれない。
たまたま見た大前研一BOTがいいことを言っていて、そうだよねえと思って一度画面を閉じた。
こんなかんじのことを言っていた、と書こうと思ったんだけど、
すでに頭の中で自分なりのアレンジが加わっていてオリジナルが思いだせない。
たぶん、こんなことだったはずだ。
人生いろいろはずかしいこともあるけど、しまったと気づいた時点でもう一度再起動してやりなおせばいいんだよね。
大事なのは、そのときどき自分が楽しんでるか、とか、自分がやってることに納得してるかってことで。
他人から見てどうかは置いておいて、そういう生き方をしていれば、本人的には、自分らしく生きてる、という満足度が高い結果になる。
とはいえ、現実的に、毎日毎日、満足してる状態をキープするのは難しいかもしれない。
けど、満足度低下してきた段階で、なるべく早めに、というか、こまめに自分自身の満足度をレビューして、必要に応じて方向転換したりリセットしたりして、比較的満足度高い状態にもってく努力が必要だよね。
そういうような言葉だった。
今日は見事に全身筋肉痛。
思い起こせばここ2週間ぐらい筋トレしていなかった。いかんいかん。
恐怖やストレスで簡単にできてしまう血栓を溶かす特効薬は、1本うん十万するそうだけど、その薬に似たる効果は運動の習慣で得られるんだって。
きのうガッテンでやっていた。
録画で、とと姉ちゃんを見ている。
つねこちゃん、けなげでほんとにかわいいねえ。

2016/05/11

パンナコッタ

スタバでフラペチーノにパンナコッタ追加してスタッフさん二人に珍しがられる。
飲みものと思わなければいいなり。

とけるといいな

夕方、オフィスビルの端っこの人目につかないところで一服しながら、
人間って、放置しておけば腐るだけだし、焼いても灰やら骨やら残るのが面倒だと思う。
理想は雪だなあ。
せめて砂糖とか塩とか、水をかければ溶けてなくなるのがいい。

2016/05/08

美しい人たち、泣くな

母の日にかこつけて、少し駅から遠いけれど一度入ってみたかったケーキ屋さんに寄ってフランボワーズとチーズケーキ、ミルフィーユを買う。一つはお隣への土産。
「母の日」と書かれたハート型のチョコレートをサービスしてくれる。
実家の本棚に残してあった北村薫の文庫本を3冊持ち帰る。
帰宅して、文庫の『空飛ぶ馬』を読み始めた。
円紫さんという落語家と主人公が、落語の話をする。
落語家は、「樟脳玉」に出てくる捻兵衛さんという愛妻家と、「夢の酒」で旦那が夢の中でいい女に会ったと聞いて可愛く焼き餅を焼く新妻は、たしかに同じ類の人間ですね、と言う。
その後、主人公は、天守物語の言葉を引いて、
「泣くな泣くな、美しい人たち、泣くな」
そんな気持ちで、あなたはこの落語をやってらっしゃるんでしょう、と言う。
作中に出てくる落語を聞いたことはなかった。
「夢の酒」と「樟脳玉」は探してみるとすぐみつかって、文楽と円生で聞く。
天主物語は読んだことはないが、やはり自分は、泣いてる人の部類には属していなくて、そんな美しい人たちを見ながら、泣くな、と言う役回りだろうと思う。
そのうち読んでみよう。

2016/05/07

足の遅いランナー

北村薫『詩歌の待ち伏せ』を読み返している。
ハリネズミの子供がサボテンを母と感違いする外国のジョークを読んで、また、「猫の子に嗅れているや蝸牛」という句を読んで、クスリと微笑ましく可愛いと思ったというくだり。
可愛いという言葉の定義から、なぜ可愛いのかと考察していく。
最後に、理屈はいくらでもつけられるが、という文章にこう続く。
「この場合、思考は足の遅いランナーです。《はりねずみクン》や《猫クン》を見た瞬間にやってくる微笑みに、追いつくことは出来ません。」
最近、そんなことがあったような気がした。
そのとき自分を襲った感情の波のようなものは、あとからいくら理由づけしようとしても、上手くいかない。
ほんとうに大切なことは記録できない。
だから、「今、ここ」の感覚を大切に。そして、ときどき上手に思いだすこと、という茂木先生の今朝のツイートがふと浮かんだ。

2016/05/05

冒険

ラフォルジュルネ・オジャポンに行く。
なにしろ一回が短くて安いので、ハズレ覚悟で聞いたこと(記憶)がない曲ばかり冒険してみた。
プーランクの七つの歌と 
Francis Poulenc - Sept Chansons - Eric Ericson Chamber Choir  
シェーンベルクの浄められた夜(ピアノ三重奏版)
Arnold Schoenberg - Transfigured Night for String Sextet, Op. 4
が個人的には「当たり」だった。
そしてもちろん、ピエール先生トーク付きのメシアン「鳥のカタログ」を堪能。
譜めくり、すごく難しいんだろうなあ。
待ち時間にロフトに寄る。
オフィスのデスクで盆栽かコケでも育ててみようかという衝動とたたかう。
自室で育てるのは、つい水やりを忘れてすぐに枯らしてしまうので、もとよりあきらめている。
文房具等々、ピエール先生のバッハ平均律クラヴィーア曲集をお買い上げ。

文化的休日のために

普段よくお見かけするひとにblogやってます、とか言うのをやめてかなり久しいので、とりあえずそういうかたたちがこれ読んでるはずないという想定でいる。
つまり、どなたか存じ上げないけど、えらく奇特なかたたちとか、誰に向けるともなく、ほぼ日記として投稿しているわけですが。
今日コンサートに行くのだと話したら、自分も今日は文化的に過ごしたいとおっしゃっていたひとがいた。自分が行くコンサートが文化的かは置いておいて、願わくば、働きすぎのひとの文化的な休日のために。
今日はメシアンを聞きにいくわけだけれども、はて自分はどうしてメシアンを聞くに至ったのか、どうもよく分からない。10年前ぐらいに書いていたものを読めばわかるかもしれないけど、そんな気にもならない。
なんとなく、オルガンっていいよね、って話から、サンサーンスになり
Saint Saëns Symphony No 3 in C minor, Op 78 Järvi  
メシアンといえばオルガンだよね。っていうようなお話を伺って、
Messiaen - L'Ascension, for solo organ
その他いろいろ聞きはじめたのかもしれない。
Olivier Messiaen ‒ Preludes pour Piano


サンサーンスを振っていたひとを最近どこかで見たような気がしていたんだけど、N響のひとだった。レクイエムはモーツァルトもいいけど、フォーレも好き。
GABRIEL FAURE Requiem PAAVO JARVI Orchestre de Paris,Chen Reiss,Matthias Coerne  
マーラーは、ついつい4楽章しか聞かなくなってしまうけど、たまには全部きいてもいいかも。
Mahler: Symphony No. 5 / Gergiev · World Orchestra for Peace · BBC Proms 2010  
グールド
Glenn Gould plays Bach - The Goldberg Variations, BMV 998 (Zenph re-performance)  
Glenn Gould-J.S. Bach-The Art of Fugue (HD)  
ラフマニノフ。今朝目ざめたときにかかってた。若い頃は1番とか2番が好きだったけど、3番もいいかも。
Rachmaninoff Piano Concerto No. 3, Argerich HQ COMPLETE
ラ・カンパネルラ。鐘の音からこんな音楽が生まれたのなら、それはほんとに素敵だ。
Nobuyuki Tsujii - La Campanella - BBC Proms 2013  辻井伸行さん プロムス2013 アンコール
冒頭はキーシンのほうが好き。
Evgeny Kissin - La Campanella (Liszt)  
さて、そろそろ準備しないと。

2016/05/03

しつこいけど

まだTim Harfordの動画を見ている。
29分頃からのpeer pressure(同調圧力っていうのね、、)に関する実験映像とそれに続くトークがおもしろい。


Ideas at the House: Tim Harford - Make More Mistakes (Festival of Dangerous Ideas 2012)



ごく個人的TED選 

ジムから帰り道、和菓子屋に寄る。かしわ餅はみそあんだねえ。
はからずも今日はTED鑑賞の日になってしまった。
引き続きTim Harford。
ティム・ハルフォード:試行、錯誤、そして全能感ゆえの固定観念
ぜひ最後の一言まで聞いてほしい。
ダニエル・ピンク 「やる気に関する驚きの科学」
報酬がかならずしもパフォーマンスを上げることにつながらない実証のいくつか。
ベンジャミン・ザンダーの「音楽と情熱」
トークの後で演奏を聞くと、ショパンが分かったような気持ちになれる。でもそこでやめてはいけない。これも最後の一言まで聞いてほしい。
Itay Talgam: Lead like the great conductors
指揮振りから学ぶマネジメント。というか、カルロス・クライバーとバーンスタインが最高。

play the unplayable piano

困ったことに遭遇するとご相談にあがる某先生は、最近わたしが何を言っても、だいじょうぶだいじょうぶ、としかお答えにならない。
いやあ、だいじょうぶじゃないからご相談にあがっているのですが…と心中つぶやいていたりした。
ツイッターのフォローしすぎでオーバーフロー気味なので、少し整理するか思ったところが、結局のところ深みにはまる。
@TED Talksとか、見始めると止まらないわけだけど、たまたま見たのがこの話だったのは僥倖としかいいようがない。


Tim Harford: How frustration can make us more creative
冒頭のツカミがキース・ジャレットの話でなければ聞き続けなかったかもしれない。
あのケルン・コンサートが、そんな形で生まれたなんて、とても素敵だ。
ぜひ聞いてみてほしい。
もしかしたら、2分34秒のあたりだけでも見た甲斐があるかもしれない。
もしくはキースのピアノだけでも。
Keith Jarrett - THE KÖLN CONCERT - complete


transcriptから引用:
You add randomness, early on in the process, you make crazy moves, you try stupid things that shouldn't work, and that will tend to make the problem-solving work better. And the reason for that is the trouble with the step-by-step process, the marginal gains, is they can walk you gradually down a dead end. And if you start with the randomness, that becomes less likely, and your problem-solving becomes more robust.


3人の友人と1人のstrangerで作業した場合と4人の友人で作業した場合では、前者の方がパフォーマンスが良いにも関わらず、作業後の感想は「やりにくかった」「出来も悪かった」、であり、後者は比較してパフォーマンスが悪いにも関わらず「楽しかった」「いい仕事をした」であったという逸話も興味深かった。
異質なものを受け入れることでパフォーマンスが上がることがあるということ。
にもかかわらず本人はその異物をありがたく思えないものだったりすること。
だからこそ、こんなの弾けるかい、って思えるようなピアノでも弾いてみることも必要だよねという話。


ふしぎだ。いつも、なにか漠然と解を求めて定まらないときには、思いもよらないところからそれが転がってきたりする。僥倖である。
探し続けること。

2016/05/02

おやつ

ジムの裏手に大戸屋があって、そこのチーズケーキが気に入ってしまった。
「魅惑のクリーム」に加えて、少量であるところがよい。
XXコーナーなぞで買ってしまうと、胃袋は満足するがカロリーが気になる。
(と言いつつ、しょっちゅう買う)
その1階上にカラオケがあるので、ついでに寄ってしまう。
カラオケをはじめたのは、その頃、声が小さすぎるとご指摘をいただいたせいである。このままどんどん声が細くなるとマズイかな、と。
したがって熱唱しないと意味がない。1曲あたりの消費カロリー10kcal超。
朝ドラの主題歌を毎日聞いていたらなんだか好きになってきて、ウタダを練習してみたりするけど、やっぱり難しい。
ウーロン茶を頼んだのにぜんぜん来る気配がなくて、1時間水も飲まずに歌い続けた。はぁ。

2016/05/01

情熱ね

ダンスのレッスンから帰ってきて、バッハでも聞こうかという気になった。
youtubeで適当にあたっていたら、Bach, Matthäus-Passionと書いてある。
一瞬、日本語訳はなんだっけ、と詰まる。
えーと。
マタイ、マタイと言えば…そうだよ、受難曲だよ。
へえ、passionて、情熱だけでなく、受難の意味もあるんだっけ。
そういうものだと以前に聞いたような、そうでもないような。
と思いながら検索していたら、同じことをもっときちんと調べた人たちがずいぶんいらっしゃる。
みんな、えらいね。
『英文解釈教室』の講義を終えて英文法ゼミ、というサイトの「意味がいっぱい(その4)」という投稿あたりが詳しくて面白かった。
まあ語源などというのには諸説あるものらしいから、複数の意味がありますで終わらせてももちろんよい。
が、自分なりのpassionの解釈は、よくも悪しくも何らかの事態が発生し、それを受け止めた(主に悪いことが多いことから、ここで受「難」の意味も出てくる)ときに発生した感情が情熱、と理解した。
passionの有力な語源はpathosだそうだが、接頭語 pas-, pat- はpassive, patient, pathos, patheticなどの単語に共有されており、外部からの作用を受けるところは共通しているから関連語と考えられる。
なにが言いたいか、だよね。
情熱なんてものは、ほうっておいて自発的に湧いてくるものではなくて、外部からの作用によるものなんだよな、という、ずいぶんあたりまえのことを、改めてこんなところで思ったりした日曜の夕方。

2016/04/30

温泉

休日は可能な限り頭を真っ白にしたいと思っているせいか、めったに本を読もうという気にならないんだけど、最近えらく忙しくなってしまった仕事の合間に珍しく飲み会に出て酔っぱらっていたら思いだしたことがあった。
隣で温泉温泉、といっているのをぼんやり聞いていた。
去年の今頃、父はしきりに温泉に行きたいと言っていた。
もう導尿バッグをつけていたから浴場には入れない。露天つき客室という、個人的にはえらく高いな、というお値段の箱根の温泉を探してきて予約したのだが、噴火がきっかけで、心配性の両親はこわいこわいと言いだし、結局行かずじまいになった。
やっぱり連れていけばよかったのかもしれなかった。
吉村昭の話だった。
ほんとうは、学生の頃父の書棚から借りて読んだ「海も暮れきる」を再読しようかと思って書店に入ったのだけれど、その書店にはその著者の本は一冊しかなかった。
これもご縁かもしれない、と思って手に取る。文体があっさりしていて読みやすい。
飲み会は楽しかったが、考えてみると、自分は2次会と名のつくものに人生で一度も出たことがない。まあ、以前は1次会でさえ1時間ぐらいで切り上げて食い逃げと言われていたんだから、これでも成長したほうだろう。
マーシャルとダンスのレッスンに出る。
束の間、真っ白になれる貴重な時間。
ダンスのクラスまでの待ち時間、いつもおみかけする初老のおじさまが、鏡の前でどう見てもそれはバレエのポーズだろうというポーズを練習している。
そうか、バレエもなさるんですね。
幸いなことに、ひとは何でも、何歳からでもはじめる自由を持っている。
批評家は嫌い。
何事かに向かっていって、たまに小石でつまづいたり派手に転んだりして。
そういうのが人一倍悔しくて悔しくてしかたなくて。
で、いずれ立ちあがって、また向かっていくひとが好きだ。

2016/04/26

迷路

少し前から決断ということについて考えていた。
といっても、考えるというほどでもなく、単に気になっていたというべきなのかもしれない。
ある人から「それはbusiness decisionですか」と尋ねられたのがきっかけだった。
そのときその文脈で意図されていたことはたぶん分かったつもりだった。
以来、ふと考えるともなく、時にその言葉が浮かんだりした。
整体から帰ってきてテレビをつけたら、井山棋士の特番をやっていた。
もう番組も終わり近かった。
一手一手に魂を込める。
どんな未知の局面に入っても自分を信じる。それに尽きる。
その手を打ったときの心はどうだったか、迷いはなかったか。
そんな言葉が心に残って、ぼろぼろ泣く。
自分が下した決断が適切だったかを振り返るということは、そのときの自分の心を振り返ることなんだ、と、至極当然のことに気づく。
録画していたので、最初から見る。
人間の決断に100%正しいということはないだろうと思っている。
時や場所、立場なりを変えれば、同じ決断であっても正しくもあり間違いでもあり、あるいはその境界にあるかもしれないし。
ただ、そこに魂がこもっているか、ということだけは、振り返れば自分でも判断がつく。
魂なんていうと漠然としているけれど、要は、そのとき与えられた環境において最善を選んだことに自信を持てるかどうか、たとえ短期的に思うような結果が出なかったとしても、いずれ巻き返す覚悟があるか、というようなことなんじゃないか、と。
それなら簡単だ。
出口のない迷路に入りこんでしまったようなときは、ここに戻ってこよう、と思う。

2016/04/24

消費

噂の母上テレビ出演は本日だった。
17時から、ということなので、10分前からテレビの前に陣取って、シュークリームを食べながら二人で見る。
ほぼ単なる住宅街である沼袋なんて町をお散歩するなんて、ずいぶん変わった番組だ。
母上はその日、某卓球場で試合に向けて猛練習していたところに突然来店した某俳優さん、にインタビューされちゃったのである。
この日はへんなウエア着て行っちゃったわ、とか、きれいに映してくれるっていったのにシワだらけ、とかぶつぶつ言いながら、目を皿のようにしてごらんになっている。
わが母ながら、かわいいおばあちゃんである。
こういう、わかりやすい、かわいいひとに生まれたかったと思う。
ひさしぶりに新宿に出て洋服を買う。
このところ、なんだか元気が出なくて、日曜はあまり運動していない。
ジムで消費するエネルギーが少なくなると、その分別のところで消費しないと気持ちのバランスが保てないんだろうか。
不惑も過ぎたというのに、ずいぶんゆらゆらして、たよりない。
テレビには若冲の絵がかかっている。
都美にも行かないといけないな。







2016/04/23

ループ

同僚さんと原美術館に行く。
会社から5分もかからないところにあるのに、今まで会社の人でそこに行ったことがある人にお目にかかったことがない。
縁というのは、そういうものなんだろう。
ハラビはもと原さんの個人宅だったところを美術館にしただけあって、こじんまりしたかわいらしい造りの現代美術作品の美術館で、以前にも来たことがあった。
今の会社に入ってからも、たまに一人で昼休みに行ったり、退職した方と2回ほどランチしたことがある。
お気に入りの常設をご案内して、昼ごはんを食べると、けっこういい時間になってしまう。
企画展が面白そうだったけれど、動画作品だったこともあって、あまりゆっくり見られなかった。
公園のブランコが延々と揺れている作品を見ていたら催眠術にかかりそうになる。
いっそのこと、かかってしまえばよかったのに。
8日までというけど、もう一度行ってこようかな、と思ってWebサイトでイベント欄を見ていて、ライヒとペルトのコンサートが告知されている。
自分にライヒを教えてくださったのはたしか小沼先生で、最近はテレビでもご活躍である。
思い起こせば、30代の頃はずいぶん大学というものに通っていた(下手すると授業料を払っていた頃よりも)。
Steve Reich Drumming - Portland Percussion Group
後半、ドラムのスティックが扇状に見えてくる。
無限のループのように思えた時に、いきなりの終息。
文字どおり、そこで息がとまるような。
ペルトのパーカッション作品とは何ぞや、と探していて辿りつく。
Arvo Pärt/Kuniko Kato:Cantus In Memoriam Benjamin Britten(1977/2012)
行こう。
池澤夏樹原作のドラマ音楽で聞いたのがペルトとの出会いだった。もうずいぶん前になる。絶え間ない高音と昇華ともいうべき最後部にただ衝撃を受けた。
Arvo Pärt - Tabula Rasa, I
自分の一部がこんな作品たちによって醸成されてきたことは、まあなんというか、一抹の救いともいえるのかもしれなかった。

2016/04/11

ひつじ

昨日は背中が張って眠れなかった。それぐらいで眠れないもんなんだろうか、人間は。
とか思いつつ、薬を飲んでも3時ごろまで意識はあった。
これがあるから眠れない、と分かっているひとはまだいい。
特になにも原因を思いつかないのに、眠れない、というのは困る。本気で寝るには薬をのむしかない。
確か、みんな眠れるといいねえみたいなコンセプトのテレビ番組がついていた。暗い部屋にふとんを敷いて何人かの人間がごろ寝していて、(ごろ寝する前に何で眠れないかカードに書いたものを託しておいて、それを何人かの有名人がピックアップして読み、こいつとしゃべりたいなあと思ったら寝てるところを起こしてきて電話機の前に立たせてなんかしゃべらせる。本人はねむいだろうにね。途中でわたしの知らない有名人が突然歌を歌う。子守唄みたいなのとは正反対のシャウトがかったやつ。寝てた人が幾人か起きてきて、ふとんから顔をだして聞いている。)
薬飲んでも、そんなのを見ているから必然的に朝起きられないのである。6時の目覚ましも6時半のテレビも全部止めて朝ドラをうつらうつらしながら聞きつつ、次に気づくのは9時過ぎなのである。頭がもうろうとしているのはあたりまえだが、おまけに背中と腰が痛くて起きられない。
昼から出ようとがんばって12時に家を出たんだけど、高田馬場で降りたら気持ち悪くなって、一休み。これはもうだめだと思って午後も休みますと連絡入れる。入れてしまうと意外と気分が良くなって洋服2枚買って、そのまま病院に行く。薬が切れちゃったのもいけないのだ。4月から指導料が高くなりましてねえと言われる。会計と薬に時間がかかるから、近所のパスタやさんでアスパラのパスタと抹茶すいーつを食して薬が出来るのを待つ。
センセイは最近お忙しいので、今日連絡して今日予約できることなってこのごろなくなってしまったのだが、今日は奇跡的に空き時間があって、背中と腰とわきの下のあたりぐりぐりしてもらう。
わたしの弱点は、S字カーブのない首と腰と、腰方形筋と骨盤の付け根である。左右とも、腰方形筋のちょうど真ん中あたりにたんこぶのようなものがある。これが一撃必殺の急所である。
あんまり痛いから笑ってしまう。
「痛くて笑う人なんて、いないでしょ」
「いますよ、ごく少数だけど」
センセイの腕はいつも温かい。
「今日は眠れるかなあ」
「だいじょぶですよ」
「なにその根拠のないだいじょぶは」
「背中ほぐれるから眠れます」
「そうかなあ」
「眠れます」
「はーい。薬ももらったしね。」
おふろにはいって薬飲んで、明日の6時半起きには万全の態勢なれど。
心配だからだれか起してください。
さすがに明日は起きて会社にいかないと、春宵一刻値千金会に行けないよ。。
さて、うちのひつじ。おとなしくて、いい子たちです。


2016/04/10

ふれっしゅ

今週は母上の誕生日なので、このまえ地元紹介のテレビ番組に出ていてちょっと美味しそうだった野菜で作ったケーキなるものを買って実家に行く。
母は母で、なんか作る気がしなくてと寿司といちごを買って待っている。
軍艦に生しらすが乗っている。
母上がおっしゃる。
「これは魚かしら」
「そりゃあ、お寿司だもん。魚でしょ」
「でも目がないよ」
「目?」
「魚なら目があるでしょ」
「・・・」
「目がない」
「あるある。ほらここにちっちゃいのが」
「あらほんと」
ご納得される。
リモコンを直し、クロスワードの残りにおつきあいして、ちょっと役に立ったような気になる。
帰り際、「ところで、今年でおいくつになるんでしたっけ」と尋ねるとXX歳とお答えになる。
「お元気ですね」
「みなさんそうおっしゃいます」
いつまでもお元気で。
ちなみに、クロスワードが全部埋まるとできあがるキーワードは「フレッシュマン」でした。
先週は満開だった氷川台の駅を出たところの川べりの桜も、近所の桜もみな葉桜となった。
フレッシュな春も、やや過ぎゆきて。

2016/04/05

いいところ

山手線のいいところ。
乗り過ごしてもしばらくがまんしてれば必ず目的地に着くところ。

2016/04/04

タカラモノ

桜の季節は、お別れと、そして出会いの季節。
いつか来る別れの日を思うから、いま一緒にいられることがタカラモノなんだ。素直にそう認めよう。
今期のダンスは、春めいてポップな振り付けが楽しい。難しそうだけど、きっとできる。
と、思えるようになったのが1年続けてきた成果なのかもしれない。
踊れるようになったら、笑顔にのせて、きっとそう伝えよう。

2016/03/30

ハート続き

ランチでこんなの出てきました。
向かいにいたひとが、
「こういうの、みんな写真とってfacebookとかにアップするんだろうなあ」
とおっしゃるので(?)
じゃあ、せっかくだし撮っとこうかな、ってことで。
最初はお腹いっぱいで残そうと思ってたんだけど、
ちょっと気が変わって、やっぱり食べよかな、と手に取りかけたら
「あ、それ、ハートブレイクになっちゃうから」とのことで。
なんとなく縁起が悪い気もして、食べずにおいた。



2016/03/28

ハートに火をつけて

午後から、ようやく横浜美術館に行ってきた。
村上隆のスーパーフラットコレクション。
写真撮影OKの気前のいい展示で、みなさんパシパシ写してました。
奈良さんの「ハートに火をつけて」をおすそわけ。
おしりがキュートね。

2016/03/27

リモコン

何の間違いか気の迷いかというのが正確な表現だと思うのだけれども、怖いもの知らずともののはずみでダンスのレッスンに足を踏み入れたのが1年ぐらい前で、以来スタジオの端っこでモタモタしながら週1回レッスンに出ているのだが、先生が今期でそのレッスンはおやめになるとのことで今日が最後だった。
最後のトークを聞いて握手したら、涙腺うるうるしてくる。
お別れに弱い。
実家に寄って雑用もろもろと引き換えに夕飯を食べる。あまおうもらったんだけど、あんたに食べさせようと思っておいといたらちょっと古くなっちゃったわなどとおっしゃりながら、イチゴを出してくる母上である。確かにちょっと古くなってるが、あまおうなだけに甘い。
おかずを持たされて帰る。ありがたきかな母上。
ちなみに母上がリモコン故障にこだわっていたのはこのまえ某俳優さんと一緒に映っちゃったテレビが近々放映されるとかで、その録画撮りのためである。こちらはすっかり忘れていたのだが、そのあたり意外としっかりしている。
久しぶりに模様替え。ストレッチするスペースが少し広くなった。

ふわふわ

5年前ぐらいに買った背もたれつきの事務用みたいなチェアから最初のボルトとナットがペアで落下したのが1年前ぐらいだったと思うんだけど、落ちても特に支障なく座れたし、ひっくり返してどこから落下したか探すのも面倒だから放っておいた。半年前ぐらいに2つ目が落ちたんだけど同様で放っておいたら先週3つ目が落ちた。さすがに持ちこたえられなくなったのか背もたれがかしいでしまった。直さないとね、と思ったときには、当然1つ目と2つ目のボルトたちはどこかにいってしまっている。
なにかと気づきが遅いわが人生なり。。。
先週同僚さんと食べにいった鉄板焼きがおいしかったんだけど、珍しくカウンター席で食べていたから、自分が食べないものでも目の前で調理されるので、見ているだけで、なんだか食べたような気になって、目からおなかがいっぱいになる。
そういうわけで、気になったんだけど食べなかったのが、マッシュポテトを焼いたの、というもので、ふわふわマッシュポテトがこんがり焼かれてえらく美味しそうだった。あれ、やっぱり注文しとくべきだったなあと今ごろふと思ったりする。
明日はひさしぶりに代休。早起きできるかな。

2016/03/21

あたり

30代前半までわたしはもっと文科系の人間だった。
休日には美術館やクラシックのコンサートに通うたぐいの。
いつどこで道を間違ったのか。
いやもともとが間違っていたのか。
すべてはなりゆきであって、別に間違ってなんていないのか。
とにかく、たまにはコンサートにでも行くかということで、連休の1日をラフォルジュルネに浸ることにしてチケット予約三昧。
1回が1時間弱からと比較的短いとはいえ、1日に連続何回もコンサートを聞けるなんて贅沢な話で、小ホールではわりとめずらしい曲をやってくれる稀有なイベントなり。
とりあえず、ピエール=ロラン・エマールおじさまのメシアン「鳥のカタログ」が聞けるというのが当日のメインイベントだが、他の4本もかなり楽しみ。きっと腰とお尻がいたくなると思うけど。
明大前から池袋に回って、先週でおやめになった同僚さんと楽しくレッスンに出る。
いまの会社でよかったなと思うことってあんまりないけど、よき方々と出会えたことだけは、「当たり」だな、と思う。

2016/03/19

あれ

横浜美術館の村上隆コレクション、4月3日までらしい。
そろそろ行かないと。
本人トーク、今日なんだ。。

だいぶへろへろ

ホワイトデーだからってことで、今週はお菓子をたくさんいただいた。
センセイはなぜかバームクーヘン2個。
チョコがけクーヘンをレンジに入れて温めて、とろとろふかふかになったところを食すのが1個目。
2個目はイチゴ味。そこまではいいんだけど、賞味期限が明日だから、今日食べて、とおっしゃる。
ついでに、これから出かけるから、悪いけどお店のポストに入れとくから取ってってねとのこと。
人んちのポストをのぞく怪しいひとになる。
今週でおやめになる同僚さんからも、ガナッシュショコラとおいしいラスク。
ちょっとはなれたオフィスの同僚さんからも、チョコパイ。
もうちょっと離れた倉庫のおじさまからは、野菜かりんと5袋。
こんなんで体重減るかい。
でもありがたくいただく。
みなさんの健康と幸せを蔭ながら祈念申し上げます。
完熟桃のファジーネーブル1本、ヨーグルト味のお酒1本いただきつつ。
だいぶ回ってきた。よく見なかったけど、けっこう強いお酒だったのかもしれない。
目が回る。あ、間違えて導入剤2個飲んじゃったからだ。きっと。
もう寝るー。





















2016/03/17

2秒

英語でプレゼンしてビデオを撮られ、みんなに指摘されるという教室に行く。
さっさと終わらせたいので、ハイと手をあげて2番目に終わらせてしまう。
こういうのは、最後になるほどハードルが上がる。
先にやってしまえば、お粗末でも笑って許してもらえる。
eye contactが少なすぎる、いや、Mariのそれはアイコンタクトではないと先生にご指摘を受ける。
一応観衆の方を向いて120度ぐらいの角度で視線を水平移動してたんだけど、バレてしまった。
目を見てから2秒止まりなさいとおっしゃる。
えー、日常会話だってそんなことできないのにさ。
無理なことを言う。
4回シリーズの来週が最後で、他人のを聞くだけだから行かなくてもいいか、と思ってたけど、みなさん結構凝ったプレゼンをするので意外と勉強になる。
記念日だからシャンパン飲みたい気分ですとか言ってるひとがいたのをふと思い出して、帰りにコンビニでリンゴのスパークリングワイン買ってきた。
しゅわしゅわ発泡してるところだけ、ちょっと似ている。







2016/03/13

八宝菜

なにかと反省して、昨日から自炊しているのである。
といっても、水を加えた鍋のもとの中にパック野菜と肉を投入して加熱するだけだけども。
冬には「鍋用の野菜」というパックが確かに並んでいたはずだけど、昨日久しぶりに野菜コーナーに行くと、焼きそばの野菜、八宝菜の野菜、ラーメンの野菜とかしかない。
焼きそばとラーメンはまあいいとして、八宝菜用の野菜って需要あるんだろうか。
どうでもいいけど。
過ぎ去りし鍋の季節。
もう春なんだね。
異動の季節。
最近お別れが多くてさみしいから、もうあんまりいじめないでほしいなあ。

今日も

体重減らそうプロジェクト。
実家の用事でこのところご無沙汰していた日曜朝のレッスンに行く。
視覚と運動神経の連動が遅いわたしは、未経験の振りがあると、どこがどう動くとああなるのか理解するのに時間がかかる。
混乱して頭が真っ白になってたとき、技術的にまたは精神的に救ってくれ、救われたからこそ続けられ、そしてご本人にそんな意図はなかったとしても、結果的に少しはマシになるまで育ててくれた先生のご恩、みたいなものは、それなりにできるようになった後も忘れられない。
こういう気持ちはきっと、もとから「できる」ひとには分からないだろうけど。
できないことができるようになることのよろこびは、クセになる。
昼食後、金曜夜から通算2.2kg減。
やっぱり、今日も体重減ることしよう。



2016/03/12

カスタード風味

カスタード風味豆腐を食す。
ほとんどプリン。
キャラメルコーンはやめられない。
どこか遠くへ行きたいなー。

ぱたぱた

夕方、オフィスの外の廊下を歩いていたら、背中のほうで「見ちゃったよ」と言う声がする。
ほとんど無意識に、歩きながら鳥のはばたきみたいに手をパタパタさせていた。
ほんとうに、どこか飛んでいきたかったのかもしれない。
さて、仕事は切り上げてジムに行く。
やばい。
先週より0.5kg増えてる。
いつもは駅でお茶漬け食べるだけなのに、今日はコロッケも食べちゃったからかな。
夕方会社でこっそりチョコなんか食べたからだろか。
言い訳するわけじゃないけど、パッケージをよく読んだら、レーズンがコニャックに浸かってただけだったから、ほぼコニャック味はしなかったんです。
でもえらく大きいチョコで。
そういえば昨日の夜、寝る前にキャラメルコーンの抹茶ミルク味も一袋たいらげたし。
お菓子懺悔室。
レッスンで1kg減。
土日もがんばろ。
左足の拇指球のあたりの皮がひりひりする。

2016/03/09

チョコレート

ロイズの板チョコ「コニャックレーズン」をいただいた。
おいしそう。
おやつに。
と思って、会社に持っていったんだけど、会社でコニャック入りお菓子を食べるのもどうかなあ、と思ったまま、レターケースの上に置きっぱなしになっている。
明日こっそり食べよっと。
これじゃ体重減らないなあ。

2016/03/06

ケーキ

このところ、日曜は早く切り上げて実家に帰っている。
行ってみると、いろいろ家庭内事務処理がたまっているのも事実だが、実は夕飯目当てという説もある。
意外と体重が減ったので、ケーキを手土産にして母とはんぶんこして食べる。
我が家の体重計の電池が無くなっているのを思い出して、モノ持ちの父の部屋で単三電池を探す。
あったあった。どうもどうも。
写真の前に花が飾ってある。
あたりまえだけれど、写真の中の父の顔はいつも一緒で、普段は無愛想だったのにその写真だけは、なかなかにこやかで、いい顔しているのである。
「なんかのんきな顔してるわねえ」
「ほんとほんと。こっちはいろいろあるのにさあ」
と母と話す。
明日のおやつにといちご大福をもらって帰る。
夕飯とケーキ食べた後で金曜の夜から通算1キロ減。
ま、いいか。

2016/03/05

ぼんやり

最近仕事がさっぱり片付かないし、各種悩みもてんこ盛りなので、珍しくおじさんたちのランチにお伴して(いろいろ人生指南を受けつつ)ちらし寿司定食やら牛タンシチューやら美味しいものばかり食べていたからちょっと太った。
いや、おじさんたちのせいではなくて、ストレスのせいか仕事中にお菓子バリバリ食べてたりするせいもある。(最近反省して野菜スティックにしたりしてたんだけども。)
まあ仕事から帰ってごはん食べてすぐ寝たりするし、こうなるのは自然の道理。
あら増えてると久しぶりにジムの体重計に乗って気づいたのは昨日(いちおう?歳の誕生日)。
ケーキでも買って食べよと思ってたんだけど、急きょとりやめ。
一人で黙々とトレーニング、とか、もともとできない性質なので、たくさんレッスンに出て楽しくしぼるべし、ということで。
金曜は就寝前時点で1.3kg減。
本日は現時点で通算2.7kg減。
それなりにやりきった感ある。。。
(やりきりすぎたせいか、朝はレッスン帰りにひと駅乗りすごし。夕方はお風呂とサウナのあとストレッチして気持ちよくなってたせいか、間違えて急行か何かに乗ってしまって、気がついたら和光市で、1本レッスン出そこねたりしたんだけど)
トータルで見て、まあなんというか、わりとしあわせな週末です。
明日もしあわせな一日でありますように。

2016/02/27

お元気でシャワー

白熱教室シリーズの録画を見る。
今回は音楽。ロイヤルアカデミーのバッハ講義が聞けるなんて、いい時代になったものだ。
録画が溜まりすぎで、少しずつ遡って、ひとつ前の脳科学系シリーズにとりかかったところ。
ここ2週間ほど、土曜は2か所ジムをはしごしていて、2つ目に行く前にモスバーガーに寄って腹ごしらえをするのだが、たぶんはじめてライスバーガー(焼肉)というものを食べてみた(もしかすると遅すぎるのかもしれない)。要は焼きおにぎりの間に具が挟まってるわけだけど、ライスバーガーというと別物に聞こえる。言葉って不思議だ。
朝の連ドラも毎日録画している。見るのはほぼ毎日みているのだが、削除しないからたまっていく。1-2週間に1回程度まとめて録画消去するのだけれど、消去ボタンを操作する間、連ドラの前の7時-8時のニュースの最後の場面がしばらく映る。
だいたい景色が映って、アナウンサーさんが、今日も一日お元気で、と最後のシメの言葉を言うわけだけど、連続削除すると、しばらくの間、「お元気で!」「お元気で!」…とお元気でシャワーをいただくことになる。これがけっこう気持ちいい。いい声なのもあるかもしれない。

2016/02/22

早回し

仕事帰りに中野に縮毛矯正をかけにいく。
この縮毛矯正というものが開発されたおかげで、小学校高学年以来くせ毛のわたしの髪の毛にまつわる人生はかなり楽になった(とくに朝)。ありがたい。
さて、ここ何年かずっとお世話になってる美容師さんはサーフィンと筋トレがご趣味で、今はマシン専用の24時間ジムに行っているそうだが昔は同じところに通っていた(らしい。会ったことないから)。
そんなわけで、2時間半ばかり、雑誌を読みながら、そんな話をしている。
別の話だけど、インフルにかかった間のキャッチアップのために、はじめてダンスのDVDを買って見ている。
最初のうちは、早回しみたいに早くて、こんなの自分ができるわけないや、と思っているんだけど、しばらく繰り返し見ていると、ふと動きがゆっくりに思えてくるときがくる。
そうするとしめたもので、そのうち動けるようになる。
よく野球の打者がボールが止まって見えるとかいう。
自分は見えたことがないけど、そんな感じなのかもしれない。
この、いずれゆっくりに見えるときが到来する、と知っていることが重要なのだ。
たぶん、この感覚は、ダンスだけではない。たとえば仕事とか。
しばらくはえらく忙しいけど、いつかそうなるといいなと思う。

2016/02/20

2台目

今日も大型タクシーに当たった。
会社で何台大型あるんですか、と聞いてみたら2台だそうな。
オリンピック対策で増やすように言われてるんだって。
それにしても、週2回タクシー乗って、連続2台大型だなんて、なんか、ついてる(憑いてる?)んだろか。
ともあれ。
今日の運ちゃんは、寡黙な運ちゃんでした。

2016/02/16

饒舌な運ちゃん

気がついたらバスがなくなってしまっていて、タクシーで帰ることにした。
その前にスーパーに寄って買い物したんだけど、店から出たら大型タクシーが止まっている。
運ちゃんがえらく立て板に水なセールストークをする人で、流しの大型タクシーに「当たる」なんて結構なラッキーですね、みたいな話から始まって、ヒントをあげますから自分の前職が何か当ててくださいなどとおっしゃる。老若男女日本人が一生に一回は行くところです、と言うので、うーん、ディズニーランドですかねと言ったら当たりです、と嬉しそうにかぱっと振り向いて、20年前のぼくです、と写真まで見せてくれる。車にミッキーマウスのぬいぐるみと当時つけていたという名札が飾ってある。おもろいおじさんである。ちょっとびっくりしたけど、一日の終わりに、なんだか楽しいひとときでした。

2016/02/14

テレビ出演

バレンタインデーって、おいしげなチョコがたくさん売られてていいよね。
去年のバレンタインデーに同僚さん(女子)に箱でいただいて、布施の精神の足りなすぎる自分の人生観を反省した。
今年こそは、と思って、いくつか買ってみたんだけど、やっぱり他人様にさしあげるのに味見してみないといけないでしょ、と思ったりしてるうちに、まだ一つもあげてないのに既に半分なくなっている。やばい。
ともあれ、このあいだマルイで売っていた「賛否両論ペカンナッツショコラ(しょうゆ)」、その名のとおり醤油味チョコでナッツをコーティングしてるんだけど、これがなかなかいけていて、これもひと箱平らげてしまった。
さて別の話だが、どうやら母上がテレビ出演するらしい。
シブい俳優さんがお好きな場所を散策する番組らしいが、その俳優さんは、その昔卓球をなさっていたらしく、ふと見つけた卓球場にふとお立ち寄りになって、そこで3月の大会に向けてはり切って練習していた母上がお目にとまっちゃったらしい。
卓球大会超シニアの部で優勝したことのある母上なので、まあそれなりの話題性があったらしく、俳優さんからちゃっかりインタビューまで受けちゃったんだそうである。一度は拒否したらしいけど、「だいじょうぶ、きれいに映りますから」と言われたとかで、いい気分になっちゃったらしく、最後にはどうぞと言ったんだそうな。
あいかわらず、かわいい母上である。
きっとだいぶカットされるに違いないけど、10秒ぐらいは出るんじゃないかな。記念に録画しとこ。
庶民だから、こんなことでもちょっと浮かれちゃうのである。

2016/02/11

ましかも

真田丸の録画を見ている。
毎回、3回ぐらいは繰り返し見ているかもしれない。
というのも、前も書いたが三谷さんも堺さんも大好きだから、ではあるけれど、それに加えて妙な癒し効果みたいなものがあるからなんじゃないかと思う。
真田昌幸(真田幸村の父)は8人の主君に仕えている。
まあ比べるのも野暮な話だけれども、今にしてみれば会社の吸収合併規模以上のことをそれだけの回数繰り返しているともいえるかもしれない。
草刈さんの演技の妙でもあるけれども、武田勝頼が死んで織田につくか、上杉か北条かと決断を迫られた時も、信長が死んで次にどこにつくか決めるときも、そのショックの受け方と悩み方を見ていると、自分の置かれている状況は、まあそれなりにショッキングなものではあるけれども、真田昌幸に比すればマシなものだと思え、ずいぶん気が楽になるのである。
ちなみに今回の家康さん役はその几帳面な小心者ぶりがかなり面白い。
今日は朝から久しぶりにヨガとエアロして楽しかったなり。

2016/02/10

たまごボーロ

やよい軒で、しょうが焼き定食を食べる。だいぶ食欲が戻ってきた。
スーパーに寄る。ついこの間まで豆まきの豆が置いてあったところに、雛あられが置いてある。早いね。
雛あられ風の雛ボーロ、というのもある。薄紅色。
手を伸ばしかけて、別にピンクじゃなくてもいいや、と思って、普通のボーロを買った。
なんか最近いろいろありすぎて、結構なことが起こっても驚かなくなった。
図太くなったんだろう。
これが大人になるってことだろか。
でも、お別れにはやっぱり慣れない。

2016/02/05

つまるところ

おかゆに梅干しを二粒。ああおいし。
先週末ごろからの筋肉痛、あれは初期症状だったのかもだなあ。
いつもと変わらない筋トレしてるのにおかしいな、とは思ったんだけど、しょっちゅう筋肉痛しすぎてて気付かなかった…。
咳のしすぎで、みぞおち辺りの腹筋と背筋筋肉痛。
1回の消費カロリー2kcalなんだって。すごい。
つまるところ結局、いつも筋肉痛。

2016/02/03

撃沈

9度までくると、OS-1がめっちゃおいしい。
しばらく治らないわ、こりゃ。

2016/02/02

かかととさみしさ

失敗。風邪ひいた。
感動したこと。見知らぬ海外の人に初めてメールしたら、超速攻でジャストミートなお返事がきたこと。もと上司にメールしたら、わたしのレベルに合わせて絵文字付きでお返事くださったこと。
明日の目標。朝までに風邪治して、会社に行けるといいけど。
真田丸の録画を見ている。
堺さん大好きだけど、草刈さんもいいなあ。
女子トーク。さみしさがつのると、かかとがカサカサになるんだってさ。
三谷さんが書いてると思うと、ほんとかも、と思ったりする。
おやすみー。

2016/02/01

早春

感動したことー(もう一度読みなおしてみたら、「良かったこと」じゃなくて感動したこと、なんだそうでした)。
はいっ、てんやの天丼、おいしかったことっっ。
あなごとわかさぎが特に。早春天丼っていうネーミングも好きでした。
失敗したことー。
テレカンが15分間繋がらなかったこと。
ただ、自分の失敗なのか、いまいち良く分からない。
悪かったことは色々思いつくけど、どれも悪くて甲乙つけがたい。
失敗したことは意外とじっくり考えないと思いつかない。
自分の失敗って、さっさと棚にあげちゃうもんだよね。
別の話だけど、人間て高い対価を払って得たものを高く評価しがちだそうな。
たとえば味も見た目も全く同じ料理があったとして、お値段張るほうが安い食事より美味しく感じるってこととか、そういう話。
ならば、小さな幸せをいつも新鮮に感じ続けることができるひとがいたら、それがいちばん幸せじゃないかな、と思ってしまうのは、やっぱり根が庶民だからかな。

2016/01/31

眠りぐすり

CDは効いたらしく、昨日はよく眠れた。
『自分では気づかない、ココロの盲点』池谷裕二著。
認知バイアスについて具体事例が列挙されてクイズみたいでおもしろい。
半分ぐらい挿絵だから読みやすいし。
良かったこと。
背中が楽になると、生活ずいぶん楽になること。
今日はヨガしたらずいぶん眠くなったのでCDは要らないかもしれない。
洗濯物干す前に落ちちゃいけないね…。

2016/01/30

自律神経をあなどってはいけない

PCは直った。
というか、Windows10アップグレードが推奨されてないPCだったのと、プロバイダへの接続方法が知らないうちに変更されていて、アップグレードに伴って接続できなくなってしまっただけだった。
もとに戻したら使えるようになった。
1億人アップグレードしてる(って毎日ポップアップが出るんだけど)からって油断したらいけません。
まあ、おかげでスマホ買う気になったわけですが。
今朝は奇跡的に早起きして(といっても9時だけど。でも休みの土曜にしては奇跡的といってもいい)病院に行き、帰りに本屋に寄って何冊か買ってきた。
そのうちの一冊が『聞くだけで自律神経が整うCDブック』という本で、今聞いている。
その本によると、わたしは現代人に多い、いわゆる交感神経が高くて副交感神経が低いタイプであるんだそうな。
5年前に突発性難聴とやらで、いきなり左耳が聞こえなくなった(で、薬で治った)んだけど、先週の土曜にこんどは右が聞こえなくなったので、これはまずいと思った。
んだけど、月曜に病院に行った頃には聴力自体は元に戻ってて、「まあ、ストレスのないように生活してください」とのことだった。
一応大人なので、「それはつまり、仕事やめろってこと?」とは言わずに、ははは、とにこやかに笑って聞き流した。
内耳の調子もどこか悪かったんでしょう(今日耳の本を何冊か立ち読みしたけど、えらく耳というのは複雑な器官らしいから)。
あとは、まあ、おそらく、自律神経も乱れてるんでしょう。
そういうわけで、CD本をお買い上げ、となった。
著者は3行日記というのも推奨されていて、今日一番失敗したこと、良かったこと、明日の目標を各1行書くのが自律神経を整えるのによいとおっしゃっている。
たぶん前に読んだことがあるに違いないけど、当然実践してない。
ちょっと反省した。自律神経をあなどってはいけない。
毎日できるか分からないけど、かしこい人のおっしゃることは、なるべく聞いておくにこしたことはない。
「失敗したこと」は、さすがにこんなところに出せるものと出せないものがあるので、基本的に良かったことだけ書いておこうと思うけど。
さすがに休日なので、大した失敗はしないので、今日の失敗。
はい、えーと。氷川台まで出かけてダンスしてきたんだけど、初見でもないのに先週進んだところの振り付け、すっかり忘れて、おたおたしてました。
次、良かったことね。
はい、えーと。先生、いつもかっこいいですが今日も超かっこよくて、ついつい目ぱっちりでじーっと見つめる人になってしまいました(にらんでるみたいに見えたらごめんなさい)。
明日の目標。
はーい。明日も腹筋入れて踊りまーす。振り付け間違えないようにがんばりまーっす。
さて、ちょうどCDも終わったし、薬飲まなくても眠れるかなあ。
あれ、テレビのミュート解除したら、ポップな音楽かかっちゃった。
いかんいかん。

2016/01/28

どうせ分かっちゃないけどさ

夜、いろいろ用事していて気付いたこと。
分かっちゃいない人間が、分からないことを分かろうと思って分かってるひとに尋ねることによって、分かってるはずのひとが分かってるつもりで実はクリアじゃなかったことに気づかせてあげることができることもある、ってこと。

2016/01/25

君の名は

昨日、会社の近所で見かけた美人さんたち。






びっくり

有休だというのに病院に来ている。検査して薬もらうだけだけど。
9時から診察で7時から受付ってのもすごいけど、6時45分についたのに36番というみなさんの気合いの入りようにびっくり。

2016/01/21

遅かりし

スマホ買っちゃった。さらばガラケー。(*´_`)ノ~~

2016/01/20

ひきわり

納豆って、ふと突然食べたくなって、食べ始めると1パックだけじゃ止まらなくなって3パック食べ切らないと気が済まないのはなぜだろうね。<(;´^`)>…

2016/01/17

用件のみにて

携帯だと長文をダラダラ打つ気にならないんだなぁ。
おまけに無駄に絵文字を使いたくなるし。
背中すっきり。
お風呂にも入ってラクになりました(((o(*゚▽゚*)o)))


2016/01/16

よく考えたら

背中から肋骨周り二の腕まで激しく筋肉痛。
先週もだったけど、よく考えたら金曜の振り付けでした。
肩甲骨動け動け。

故障

家のPCが壊れたので、直るまでたぶんしばらくお休みします( ´ ▽ ` )ノ

2016/01/11

カンタービレ

年末にたまたま「のだめカンタービレ」の映画を見て、クラシック曲(いいとこ取り短縮バージョン)がいくつか聞けて、つい曲に飽きてきた頃にドラマ的要素で目がさめるのって悪くないと思った。
ストーリーに出てくる「曲」が聞けない漫画のどこがいいんだ、と思ってたけど、今kindleで原作読んでみたら、意外とおもしろい。
映画でかかってたマーラー 交響曲5番アダージェットは、昨日ふと見たらN響の録画が放送されていた。
日本人って、5番好きね。
のだめの最終楽章は、のだめが、どんなにそれが苦しくても、常に自分のbest performanceを超えていかなければならない、いやいけるんだと決意するところがメインのメッセージで、やっぱりそこはいかに幼児っぽくても、何回見ても涙してしまうのだ。
カンタービレ【(イタリア)cantabileって、歌うようにって意味だそうな。小学生の頃はピアノやってたのに、今となっては辞書ひかないと思いだせない。父上母上、無駄遣いさせて申し訳なかったね。
のだめカンタービレすなわち、のだめ歌うように。
偉大なり横文字。
関係ないけど背中全面筋肉痛。なんかしたっけかな。

2016/01/10

君は微笑む

日野原重明さんと現代美術家の篠田桃紅さんの対談をテレビで見て、というところで少し反省。
最近、本を読むよりテレビの録画を見ているほうが多い。うーん。
気を取り直して。
さすが双方100歳超の方々の存在感は、もうただものでないとしか言いようがないんだけど、篠田さんが話すのをじっと見たのは今回が初めて。
気風がいいというか、きりりとしていて、かっこいい103歳。すてき。
語録が何冊か出ているから、全部読めば正確なものがあるかもしれないけれども、記憶に残ったのはだいたいこんな内容だった。
「わたしは自分を買いかぶっている。できあがった自分の作品を見て、自分はこんなもんじゃない、もっとできるはずだと思ってしまう。謙虚さがないのね」
買いかぶりで謙虚さがない、という表現が気に入ってしまった。
たぶん自分もそうだから。
実家に寄った帰りに、もうじき閉店するという近所の本屋に入ってみたら、ちょうど目につくところに置いてあったので、たぶんこれで最後の売上貢献。
アンテナに触れた言葉を少しだけ。
『一〇三歳になってわかったこと』篠田桃紅著 より、以下引用
「人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えてもわかることではありません。現に私になにか考えがあって生まれたわけではありませんし、私の好みでこの世に出てきたわけでもありません。自然のはからいによるもので、人の知能の外、人の領域ではないと思うからです。(中略)それなら私は一切を考えず、毎日を自然体で生きるように心がけるだけです」
「(中略)名筆を写さなかったので、根がない、と嘲笑されました。手厳しい批評を受けて、私は、根とはなにかを考え、日記に次のように記述しました。
「私の根は、私が今まで触れたすべてでできている。家にある軸、額、書、紀元前の甲骨文字、古今集などあらゆる古典。また文字でないものでも、あらゆる影響、感動、拒絶すら、なんでもが私の根になっている」(中略)養分をいかに吸収し、形成するかはその人次第です。(中略)根は、他者にあるのではなく、その人自身の一切だと思っています」
「歌人の会津八一さん(明治十四~昭和三十一年)の歌に、法隆寺夢殿の救世観音を読んだ歌があります。
天地(あめつち)にわれ一人いて立つごとき この寂しさを君は微笑む
私は一人で天と地の間に立っている。この寂しさを観音様は微笑む、と詠んでいます。(中略)孤高の人でしたが、観音様をお連れにしていたのだと知りました。観音様もまた一人で立っている」
(ここまで引用)
篠田先生、今日からファンになりました。どうか、お元気でいらしてくださいませ。




カラフル

テレビを見ていたら、「太っている人の食事は茶色です」と言ってるダイエット指導者がいた。
なるほど。
油モノは茶色ですもんね。
料理好きだけれど撮影当時85kgぐらいだった女性に、「だから、食事をカラフルにしましょう」と指導して写真撮影を推奨していた。
カラフルにするには、野菜を使わなければならない。
端的でイメージしやすく、記憶にも残りやすい。
同じくダイエットの必要性があるオシャレ好きの若い女性にはマニキュアを勧めたという。
食に偏っていた意識を他に散らすことを含めて、ハードルの低いいくつかのアクションの相乗効果で、体重曲線はわずかに下がる程度だけど長続きしてリバウンド知らずのダイエット法を提唱しているらしい。
ダイエットに限らず、何か導きたい(他人だけでなく、自分自身もだけど)方向性があるときの導き方のアイデアとして、インパクト強かった。
肝心のその人の名前は、忘れてしまった。

2016/01/09

七草

金曜の夕方、私用で都庁に書類を出しに行った帰り、新宿の普段歩かない界隈を歩いていたら、おかゆ屋さんなるものを発見。ちょうど軽いものを食べようと思っていたし、七草がゆ最終日とのことだったので、それをいただくことに。デザートに杏仁豆腐。
おいしかった。。。
サーブしてくれたウエイターさんの「健康祈願」がついていたのには、びっくりぽんでした。
ほかにもおいしそうなの、いろいろ。


謝朋殿 粥餐庁 京王モール店 (シャホウデン カユサンチン)

2016/01/03

どうか笑って

のだめカンタービレ名曲集をBGMに、音を消して箱根を見ていた。
というのも、昨日のだめの録画を見ていたせいだ。
このトシになって、のだめに感情移入できてしまう幼児性がわれながらこころもとない。
のだめの「落ち込みシーン」にかかるのはマーラー5番のアダージョ。
そりゃああの曲好きな人は多いだろうけど、どんなに画面上で雨が降ろうと、のだめが亡霊みたいな恰好をしようとも、やはりあの音楽は自動的にヴェニスに死すのラストシーンの夕陽を思い出させてしまう。のだめではない。
個人的に、箱根のベストシーンは往路最後の青山学院だった。
というか、中継していたアナウンサーさんだったともいえるけれども。
最後の給水を受けるとき、ランナーは、とてもいい笑顔を見せた。
その背景はこの記事のとおりだけれど、
【箱根駅伝】青学大・神野を奮い立たせた寮長の給水と祖母の涙
その話の最後を結んでアナウンサーさんは確かこんなふうに言った。
4年生の寮長さんは同期のランナーにこう声をかけたという。
「一つお願いがある、僕から水を受け取るときは、どうか、笑ってくれ」
そのリクエストに応えてあんな笑顔を見せられるなんて、とても素敵だ。


今日も夕方5km。筋肉痛で、昨日よりずいぶんペースが遅くなった。
明日からおしごと。
もう一日休みたかったな。

2016/01/02

走り初め

久しぶりに地面を走る。
近所の5kmコース。
昔走ったときよりも、坂道で減速しなくなった。
箱根の坂道を走るひとたちの顔が思い浮かんだからかもしれない。

2016/01/01

ないしょ

例年のごとく昨日はちゃんと紅白を見た。
母上に人格を疑われるといけないので、格闘技の方は録画しておいた。
いま自転車で帰ってきて、自室で見ている。
初心者的には、軽量の人のほうが面白い。
パンチしながら笑ってるひとがいる。楽しそうで、すてき。
駅伝が好きなのは父だけど、おつきあいしているうちに、母も私も正月の午前中は駅伝を見るのが習慣になってしまった。
この人の走り方が好きだな、という人が何人かいる。
箱根から社会人になってがんばっているひとたちの顔を見るのも懐かしい。
いい走りを見ると、走りたくなる。
天気もいいから、明日は走れるかな。