2018/10/27

単純

IT用語でendless loop(infinite loop)というのがあるのを知った。
文字通り、無限ループ、プログラムが同じ処理を繰り返して終了できない状態になることだそうだ。
メンタルでもこういう状態になることがある。答えの出ない問いが無限に脳内をめぐり思考停止、ひどくなると行動停止に至っちゃうわけだけど、その解消の方法は、自分の場合はっきりしている。兆候があらわれたら即、身体を動かすこと。それ以外ない。昔はマーシャルにずいぶん助けてもらったし、今はダンス。好きな先生のレッスンに出ていると自動的にしあわせになれる。覚えた振付を記憶するために音楽を聴く。考えている時間を物理的になくす。それで解消する。どんどん単純な人間になっていく。しあわせである。
しあわせといえば、よく見る動画ー最近、寝る前に「あとで見る」に登録してあるダンスの動画10件ぐらいを流してみることにしている。なにごともイメージって大事だとおもうわけで、それが自分にできるとかできないとかでなく、ああこんなふうに踊れるといいなあ、というイメージ強化のため。その中の一つに、cooler than meという曲があって、ちょっとぽっちゃりした女性なのだけれど、絶妙にしあわせそうな表情で軽やかに踊っている姿がとてもいい。どこのどなたか存じ上げないけど。こんなふうにしあわせそうに踊りたい、そう思いながら飽きずに見ている。
ところで、踊りながら首から上を動かすのは結構むずかしい。首を動かすとか頭を動かすとか目線を動かすとか。表情を作るというのもこれまたむずかしい。そういうことを考えていると、無限ループなんてことはどうでもよくなる。やっぱり単純なのだ。今日も昼から3軒はしごして、疲れ果ててあとはねるだけ。おやすみなさい。

2018/10/20

最強

あの朝、結局、シャインマスカットのデザートは食べなかった。
昼過ぎになって、あ、忘れた、と思いながら、微妙な空き時間に久しぶりにジュンク堂をぶらぶらする。本の装丁が呼んでいるのを感じられるから、リアル店舗もたまには行きたい。「翻訳できない世界のことば」と、小説1冊お買い上げ。












お腹の中で蝶が舞っているのにはそこはかとない違和感があるけど、もしかしたら蝶好きの人にはヒットするのかしら。バナナのほうは、何分とでも取れるこのアバウトさが好き。いちおう、だいたい2分、て書いてある。

月曜、朝起きてから妙な音がするとは思っていたけれど、会社に出かけようと靴を履こうとしたら、玄関天井の蛍光灯カバーからぽたりぽたり雨漏りしているのを発見。上階の給湯器の配管から少量漏れていたらしい。会社を休んで業者さんが来るのを待つあいだ、映画2本観る。「The Cotton club」大人の色気的なものをこれで研究しなさい、というようなことをジャズの先生がもっと上等な表現でおっしゃっていたので参考まで。イメージは理解する。理解したのと実践できるのとはまた別で(笑)。2本目は以前から気になっていたアキ・カウリスマキ作品1本。地味なストーリー展開ながら興味を逸らさない不思議な魅力。見終わったあとにじんわりあたたかい心持ちが残るすてきな作品。

金曜、朝カル。最寄りの丸亀製麺に寄るのが習慣になってきた。腹ごしらえをして待ち時間に論文を読む。今回のは読みやすい。
端的には好奇心にドライブされたActive learningの効用、というキーワードが残るのだが、そのテーマが形を表してくるまでの2時間の軌跡が名講義のゆえんである。
講義の終わりに、Bruno MarsのふつうのUPTOWN FUNK のofficial videoを少し見た後のこれ- UpTown Spot、ひとりくすくす笑いが止まらない。楽しいっていうのは最強ですよね、と誰かが言っていたのをふと思い出す。そうそう、ほんとに。最強です。

2018/10/13

かんちがい

早く帰りたくて最近は7時半出勤を励行しているせいか、週末になると猛烈に睡魔におそわれる。久しぶりの11時間睡眠。
自室のやや距離を置いたはす向かいにデニーズがあって、モーニングを食べにいく。そんなにしょっちゅうではなくて、引っ越してきてから数回目である。
会社で背中合わせのこれまたはす向かいに座っていらっしゃるグルメなおじさまが、「いやあシャインマスカットって美味しいねえ」とニコニコ顔でおっしゃるので、いつか食べてみようと思っていたら、デザートメニューにその名を見つける。写真で見ると、3粒ぐらいしかのってないのがさみしいけど、モーニングを食べ終わったらオーダーしようと固く心に決めつつ、スクランブルエッグとパンケーキを食す。
カフェオレとカフェラテの違いが分かっていない。いや字面の説明は分かるが、味の違いがよく分からない。ドリンクバーにカフェオレとカフェラテが上下に並んでいるのを見つけて、2回ずつ飲み比べてみる。ちょっと濃さが違うようだがほぼ同じ味がする。やっぱり、自分て違いがわからない女なのかもしれない、と思う。
ダンスの振りで使われている曲をイヤホンから流している。先生の個性あるチョイスの曲たちで、どれもそれぞれに好き。数えてみると、1週間で7人の先生に教えてもらっていて、レッスンは週末から週初に集中している。物理的にこれ以上増やせないし、でも減らしたくもない。
録画してあったネコ歩きを見る。生後2ヵ月の犬と生後4ヵ月の2匹の猫が3匹で犬猫ダンゴを作っている。犬は、自分をネコだと勘違いしてるのかもしれません、と岩合さんのナレーションが入る。
そうだね、きっと犬はいつか自分は犬であって猫にはなれないと悟るのだろうけれど、かんちがいしている間の、そのはかなく、でもあたたかく、とろけるようなしあわせも、きっとそれはうそではない、と思う。

2018/10/07

希望

ケーブルテレビのチューナーが壊れていて、コールセンターに電話しなければと思いながらユーチューブばかり見ている、または聞いている。朝から茂木先生の講演を聴いていて、そのまま流れで次の動画も聞くともなく聞いていた。
自分で言うのもなんだけれど、わたしは自分が見聞したことを、ああこれはわたしへのメッセージだ、と都合よく解釈する達人である。たとえ話し手の想定した正客や目的は別の人や物事であったとしても、そんなことはどうでもいい、というと乱暴かもしれないが。とりあえず、いただけるものはありがたくいただいちゃうのである。
希望の技術、というキーワードが残った。希望を持つということはひとつの技術である。知っていることと知らないこととの絶妙なるmixture、無知の知は希望の技術だと思う、自分が何者か分かったと思うことほど脳にとって成長の妨げになることはない。何者か分からないのは不安だけれど、不安と希望は表裏一体である。明日何をしているか分からないという感覚をどれだけ持つか、まったく違う自分でもありえたという想像、偶有性のパス回しをどれだけやっているか。先生ご自身も、自分は何者であるか分からない、というようなことを語っていらした。
茂木健一郎 本当に賢い人は「知らない」

そうだ、自分は何者であるかなんて、限界なんて早々に決めなくたっていいや。
午後からダンス。相変わらず振付を覚えるのに時間がかかる。たぶん集中力に向上の余地はある。先生が踊っているのを見ていると、人間てこんなに自由なんだと思える。至福のひとときである。
そう、希望だ、希望。要は納得いくまで練習しなさいというメッセージをいただく。

2018/10/04

眠れない

地震で携帯2個に起こされて、眠れないのでPCに向かっている。
なにごとにも自分に利する側面と他人を利する側面とがあると思うけれども、表現という行為になったときは、やはり利他的な側面を全く考えないわけにはいかないんだろうなと思う。
ダンスをはじめたのは、待ち時間にレッスンに入ってみたら意外と楽しかったから、以外のなにものでもなかった自分の場合、当初、人の踊っているのを見ること、とか、人に見られること、はあまり考慮に入っていなかった。
今も、人に見られたいという気持ちは自覚的にはほとんどない。鏡の中に見える自分の格好が、もう少し、もう少しましにならないかと思うだけである。
しかし。
踊っている自分の姿というのは、録画でもしない限り、自分ではその全体像は正確に認識できない。誰にも見られていないか、自分以外の誰かに見られているかのどちらかである。そういう本来的に他からしか見られない行為なのに、他人の目線を意識しない、できないというのは片手落ちなんだろうなと、遅まきながら思うに至ったわけである。
最近見た動画にAnthony Leeという人のがあって、Cry me a river なんかを見ながら、人間というふつう動線が曲線になる生きものが作る、人工的直線的な動きも美しいんだなあ、と思う。もちろんほかのタイプの振付も好きで、もっぱら視聴回数に貢献している(笑)ものもいくつかあるんだけれども。
で、前述のは美しいのは美しいのだが、見るだけでも息を止めて見るようになってしまう代物で(自分だけかもしれない)、たとえばこれを踊りなさいといわれたら(言われてもできないけど)さぞ苦しいだろう。呼吸できそうにない。つまり、こういうのは、自分が楽しむためというよりは、人に見られる目的でないとできないんだろうなと。
眠くなってきた。
引っ越して1年少し経った。転職して時間の余裕ができてから、出られるレッスンが増えたのはよかったけれど、さて、今の自分は、1年前より少しはましになっただろうか。とりあえず、好きな先生が増えて、昔より踊るのが好きになっちゃったことだけは確かである。