2019/01/31

伸びしろ

以前に録画したNHKBSの番組で「Play 」のあとに続けて放映されたのが同じくパリオペラ座の「マノン」という作品で、いつも「play」だけ見てその先は見ないのだけれども、「マノン」がオーレリ・デュポンというダンサーさんの引退公演だということだけは知っていた。お美しい方である。
何歳で引退したんだろう、と気になったのは、今朝吉田都さんが引退されるというニュースを見たからで。お名前の後の(53)にびっくりした。こちらもいわずもがな、お美しい。前述のオーレリ・デュポンさんは自分より若い。42歳で引退されたそうである。
トップダンサーの事例ではあまり自分の参考にならない。もう少し身近な例のほうがいいのかもしれない。
某クラスで少しお話ししたおねえさまは、わたし50過ぎてからはじめたのよとおっしゃった。最近ご近所の大ねえさまは自分と同年代の人の若めのお母さんぐらいのお年で元気に踊っていらっしゃる。
ともあれ自分が何歳まで伸びしろがあるのかな、と考えるにあたって、53歳というのはなかなか、いい年齢設定だと思った。
あと2年、とかだと、2年じゃ上手くもならないよなあ、と思ってしまうけど、あと6年強、と思えば。

2019/01/30

スクワット

病院2軒はしご。
本来の目的のついでに、整形外科に寄ってみる。
整形にかかるのは人生で2度目。1回目はお風呂から立ちあがった瞬間に立ちくらみで気を失い後ろ向きに倒れ、背中をしたたかトイレの便器のとんがったところににぶつけた時。死ぬほど痛かった。以来お風呂からあがる時はきわめて静かに前傾で立ちあがるようにしている。レントゲンの結果、背中は問題なく今に至る。
2度目の本日はよくわからないひざ上部の痛みについて相談してみる。今回もレントゲンで異常なしとのこと。
筋肉の炎症です。休みたくないわけですね、そうね、何をすればいいですか、というと、まああえて言うなら、スクワットをしてください。ダンスしているという割には大腿四頭筋が足りませんね、湿布も出しておきます、とのこと。
何かを「しないでください」とは言われなかったので、喜んで帰宅。
昔ボディメイクのレッスンに出たときに、前ももをぺちぺち叩かれて、ここはもうこれ以上筋肉いらないわね、と言われたのに安心して、以後何もしていなかった。
育て、わが大腿四頭筋。


2019/01/29

批評家にはなれない

人間、やる気を起こすと、それを阻害する外的要因もともに発生するのが世の常である。どうも今ひとつなので、引き続き本日もお休みの予定。ごめんなさい。
A SWAN LAKE2回目。
少々のリサーチの後、サプライズや余計な気がかりがなくなった分、いくぶんおだやかな心持ちで動きそのものに集中して見ることができるようになった。
形態模写が好きなのかもしれない。ACT1の後半あたりから、ああ水鳥ってこういう動きするよなあ、と、いつかどこかで見たような動きを見ていると、もう楽しくなってきてしまう。顔も小さいし名前も分からないけれども一人の女性ダンサーさんの動きがもうすばらしく白鳥らしい。胸から首のあたりのカーブが鳥にしか見えない。男性ダンサーさんの足首の動きが、もはや人間に見えない(笑)。水があるから、水面の動きも相俟って、よりリアルになる。より美しく感じられる。ACT2に入ると、もうここが好きとか言えないぐらい全部気に入ってしまう。姫たちの衣装もよかったが、小道具も愛らしい。降り注ぐお風呂のアヒルならぬ白鳥、ボート、ししおどしみたいな何か、などなど。30歳であんな世界が作れるなんて、きっと天才に違いない。
ああ言葉が尽きてしまった。自分は批評家にはなれないな。

追記:これ見てたら、最初にオペラハウスで水を使いたい、との思いありき、で、そのあとにnew version of swan lakeが思い浮かんだみたいです。
Alexander Ekman - Thoughts at the Bolshoi.

灯台もと暗し。
こちらにいろいろありました。
Cover story on Dansportalen.se 2014-04-20 (English)

2019/01/28

Thursday

左膝がどうも妙な感じなので、ボルタレンべたべた塗ってお休みしてます。
(今日もきっとサポーターしてがんばってる先生には悪いなぁと思いつつ。ごめんなさい)
「A SWAN LAKE」が届いたので早速観る。ふまじめなのでラーメン食べながら。
トレーラーであの水しぶきを見た瞬間DVD買おうと思ったわけだけど、舞台にあれだけの水を持ち込むなんて、とか、ダンサーさんたちのお御足はご無事だったのかしら、水の近くで楽器は大丈夫かな、など余計なところについつい気が行く。そうそう、playもそうだったけど、衣装、とてもいい。それだけでアート。makingみたいなのはないのかしら、と思って探してみたけれど、あまりない。辛うじてちょっとしたまとめみたいなのがあった。
A-Swan-Lake-by-Alexander-Ekman-Linda-Marveng.pdf

異界のアトラクションに入った感じ、とでもいうのか、随所にサプライズがあって飽きる暇がない。水しぶきがこんなに美しいなんて知らなかった。ドライヤーを落とされた日には「なに?それってあり!?」呵々大笑しながら画面に向かってひとり騒いでしまう。思わず白鳥の湖あらすじを復習する。同じ話だと思うからいけないのだ。
シリアスな場面もどこかおかしみがある。基底に遊び心が流れている。このひと好きだなあ、と思う。(註:しばらく忘れてたのは確かだけど、最初に見た時から好きでしたから。去年もいつか見て何か書いたし)
自分の場合、ダンスしているときは基本楽しい。たとえ切なそうな、悲しそうな形を作っても、その形を作ることまたはそのプロセスが面白いのであって、気持ちは正直なところ全然悲しくない。むしろ楽しい。自分がそうだからなのか、パフォーマンスを見てもついそう感じてしまう。悲しい曲でも、切ないお話でも、終わったら、ついにこにこしてしまう。感性が摩耗してるのかもしれない。摩耗どころか、そもそもあるのか、という話だけど。

この人のお勧め本は80%ぐらいヒットする、という人が何人かいるのですが、最近はお勧め音楽ヒット率上昇中でして、ありがたく拝聴している今日このごろ。
わたしの場合、木曜じゃなくて水曜だわ、と思いつつThursdayがお気に入りの本日、ワインをいただきまして、いい気分になりましたので、もうねます。あしたは治ってるといいなあ。

2019/01/27

birthday 

いろいろ教えていただいて、以前録画したAlexander Ekman「Play」をまた観たくなり、残り1枚だった「A SWAN LAKE」を速攻お買い上げの後、流されるままもろもろ観賞会と相成った。意識の持ちようで、ネットには教材がごろごろころがっている。自分はまだまだ深掘り力が足りないな。

今日は叔母の誕生日、というのは全く関係ないけど、気に入ったので、Mozart好きの方にお知らせしたくなり。
Mozart: Birthday - Nederlands Dans Theater celebrates Jiri Kylian

ペルトの曲、はじめてみた。とてもすてき。
Nederlands Dans Theater II

森村泰昌ぽい感じがとても好きだったので、おまけ。
Elvis, Posh & Me

2019/01/26

ねばねば

会社でもご本人や家族がインフルでお休みされる方もいらっしゃるし、子供さんの学校が学級閉鎖になった、とか学年閉鎖になった、とかも聞くようになった。
予防接種は結局しなかった。試みたのだけれども、当日運動しないでください、というのがなかなか難しくて予定が立たなかった。あと1ヵ月、なんとかマスクだけで乗り切りたい。
ここ数日、乳酸菌とかねばねばとか、免疫力が高くなりそうなものを選んで食べることにしている。会社でかじるおやつも乳酸菌タブレット、乳酸菌入りゼリーとか、ヨーグルトとかヨーグルト飲料とか、効果のほどは定かでないが、とりあえず予防のためならなんでもするぞという気になっている。
ふと最近納豆を食べていなかったのを思い出して、いつもの大戸屋でねばねば小鉢、とろろごはんと味噌汁で夜に向けて腹ごしらえ。
帰り道にスーパーでキムチと納豆、おくらめかぶ(めかぶの中にスライスおくらがはいっっているというすぐれもの)などなど山盛りに買いこみ。
会社を休むのはやぶさかでないが(疾休もあるし家でも仕事できるし)、レッスンは休みたくないんですよね、と言ったら、会社の先輩(某スポーツがご趣味)とレッスンでご一緒するおともだちに激しく同意された。
一回一回が貴重で、逃したくない。

2019/01/25

plenty of room

朝カルに行く。12月ご縁がなかったのでひさしぶり。
英語動画の合間に先生がお話しになるわけだけれども、(今回は仏語の仏語字幕付きも1本あった、、)半分以下しか分からない科学モノを分からないところは流し分かるところだけ聴きとり、かつ要点を理解するという能力の鍛錬。こういうのは強制的に機会を与えられないとなかなかできないので、1ヵ月に1回ぐらいインスパイアされに行かないとだめなのである。
話の流れで、There's plenty of room at the bottomというリチャード・ファインマンの言葉を引用された。ナノスケール領域にはまだたくさんの興味深いことがある、という意味だそうだけれども、その言葉を聞きながら全然別のことが思いうかんだ。
まじめにダンスの振付を覚えるようになってはじめて、人間というのはこんなに短い時間の間にこんなに多くの所作ができるものなんだというのを知った。そして、一瞬で消えてしまうその動線の軌道を美しくするためには、えらく手のかかる下ごしらえも必要で。
まさに、まだたくさんの興味深いことがあって、教えてくださる先生もいらして、自分はしあわせだなあ、とおもう。







2019/01/22

決めた

夕方、自主練後にレッスンに出ずっぱりだったせいか、そうやすやすと眠れない。
アイスをかじりながら「いだてん」の録画を見ている。
今のところ毎回楽しみだけど、志ん生がたけしというのだけは、どうもいただけない。実在の人物をモデルした作品は難しいな、と思う。
前職の最終出社日からきっかり2ヶ月は有休消化していたが、その間絶対に転職活動はしない、と決めていた。周囲からは次を決めずに辞めるなんてともれなく言われたけれども、とにかく疲れていたので、休むことにした。
2ヵ月の間の収穫はいろいろあったけど、以前から行きたかった直島のアートサイトに行けたことと、生で小三治師匠を聴いたこと。また行きたいなあ。
心惹かれるものとの出会いを大切にすること、そのときめきを、時に思い出すこと、途切れないように、つながっていること、と思う。
ちょっとした雑談の際に、熱しやすく冷めやすいんですよね、という話になった。10年以上続いてる趣味ないんだよね。そうね、わたしも。今年はお互い、細く長くを目指しましょうか、とその時は、そう結んだ。
しかしダンスはそういうわけにいかない。どう考えても年齢制限がある。それも、そう長くない。今しかできないからやるしかない、冷めたら冷めたときだ。そう決めてしまった。

追伸:ピラティスしたら連日の背面の張り感がようやくすっきりしました。インナーマッスルの意識大切だなあ。

2019/01/20

keep me connected

長年猫背だったせいと、たぶん仕事中座っている間の姿勢が今も悪いせいで、いつも水曜ぐらいになると背面の張りがすごいわけだけれども、今週は特に何をしても(整体に行っても、少々運動とかストレッチとかしても)そのうち背骨がぽきっと折れるんじゃないかと思うぐらい硬い。
こちらはいつもとさして変わらない生活をしているのに、身体のコンディションは変動するわけで、人間の身体というのはわからないものだなあと思う。わからないからおもしろいともいえる。
教わったいろいろなことを総動員して、とりあえずいろいろやってみる。

動物は外敵から身を守るために差異を知覚する機能を持っているとどこかで聞いたけれども、人間も動物である以上そういうスペックを持っている。
自分もそうなんだろうなと思うけれども、人間としての経験年数が増えてくるにつれて、差異よりも共通点にフォーカスするようになってきたように思う。
対象とのある特定の共通点が深いと感じられれば、その他の差異が知覚されても、受容できる場合は学びになるし、受容できなければスル―される。
今、共有できるなにかで繋がっていられればそれでいい、と思う。

レッスンの終わりに、がんばった自分をほめてあげてくださいと先生がおっしゃるので、いやあありがとうございます、と駅のシュクリムシュクリでピスタチオと苺を買って帰って、おいしくいただく。ご褒美あげすぎかもしれない。つくづく都合のいいところだけ我が事ととらえる達人である。

2019/01/16

Like nobody is watching

部屋に置いてある壁掛けの一応インテリアらしきものには誰のものとも知れない言葉が書いてある。
Dance like nobody is watching
Love like you've never been hurt
Sing like nobody is listening
Live like it's heaven on earth
そうしょっちゅうは無理だけれども、夜のレッスンが始まる前のスタジオ開放時間に行って一人で練習するのが好き。
正確には一人ではなく大抵二人で、太極拳をされているシニアの方とご一緒なのだけれども、お互い完璧に自分の世界に入っているので、全く妨げにならない。
火曜だけは広い方を使わせてもらえるので、かなり広いスタジオの半分ぐらい占有して動き放題。まことに気分爽快である。
レッスンで振付が終わってしまった後に復習する利点はいろいろあるけれど、最大のいいところは、たとえちょっと忘れちゃって少々勝手に創作してもだれにも咎めだてされないし、次回もないのでさしたる罪悪感も湧かないところ。それに、もしかしたら、ちゃんとあってるかもしれないし。
ひとりで練習しているときは、あまり休まないせいか、短時間でも相当汗だくになる。たまにはマイペースで練習する時間もいいなと思う。

2019/01/14

advantage

少し前に、ヨガとジャズでご近所になることが多いシニアの方とお話しをしていて、その方は、ヨガすると汗かくのよねとおっしゃるので、わたしはかかないんですよねー、もう少し激しく動くのじゃないと、とお返事した。冬になってから、ダンスをしていても息が上がることはあるけれども大して発汗しない。汗かくと後で冷えるから、夏は頻繁に着替えをしていた。ウエアの洗濯物を減らしたいから、むしろ歓迎である。
土曜にいつもより少し早めに着いて、30分のマーシャルに間に合ったので、半年以上ぶりぐらいに出てみた。次があるから抜こうと思っていたのに、ジョルトアッパーとか二段蹴りとか楽しくなってしまって、つい全力モードに入ってしまう。それでもあまり汗はかかなかったが翌日お尻と肩甲骨周りが筋肉痛になる。ダンスとは使う筋肉が違うらしい。
比較の対象にもよるけど、自分は意外と体力があるほうなのかもしれない、とふと思う。
つまりあまり疲れないから、たくさんレッスンに出られる、または練習ができるということで、これはアドバンテージである。明日は早く帰って練習しよう、と思う。すてきな振付がすんなり1回で頭または身体に入るようになりたいと思う、けど現状、無理なので、牛が反芻するみたいに曲を聴いて幾度も思い出す。1回で終わってしまうのが名残り惜しい。

2019/01/13

背理法

日記は下書きにして置いておく、というのを数日続けていたのだけれど、まかり間違ってぽちっと公開などしてしまうと大変なことになるので、単にワードにベタ入力することにした。はていつまで続くやら。

ヘウレーカの録画を見ていて、昔聞いたことのあるような背理法の説明がおもしろかった。背理法とはある主張Aを証明するのに、Aでないという前提では矛盾が生じることでをAを証明する証明法。
例として「僕はカレーが好き」という証明を背理法を用いて、つまり、カレーが好きでないという前提の矛盾を証明するわけだけれども、「カレーが好きではないのに、なぜ昨日の晩カレーを食べたのか」から始まる好きではないことを証明するための苦しい言い訳みたいなのが続く。対話していた数学者の「それは、好きですね」というコメントで証明終了となる。
ここに「カレー」以外の何かを入れて考えてみたりするとけっこうおもしろかったりする。




2019/01/09

the reason 

年末年始休みが終わり、会社が始まってみてあらためて思うのは、仕事がある時は緊張と弛緩の落差が激しくなるということ。一応、仕事してる時はそれなりに緊張している、気を張っている、集中しているというべきか。念のため。
周囲に人がいなくなる、または知ってる人がいなくなった時の弛緩の度合いが、休み中とは明らかに違う。いいのか悪いのか。よく分からない。
ほうける、の字は、呆ける、惚ける、耄ける、とかいろいろあるらしいけど、たまに魂を持っていかれるみたいな曲というのがあって、電車の中などで聴き始めると、最寄駅までエンドレスに繰り返し聞き続けてしまう。
殺し文句みたいなのが沢山入ってるせいもあるのかもしれないし、その他の理由もあるけど、You are the reason(Calum Scott) もその一つ。

2019/01/06

おすそわけ

昨日、品川駅のPAULでキッシュを食べてたら近づいてきてくれた。
ぱちくりおめめが、それ、ちょうだいって訴えていたので、おすそわけ。



ハラビ

日記の大切さみたいな話を聞いた(すいません、まだ途中)ので、せめて会社が始まるまでは毎日投稿するかなあ(始まったら違う形にする)と思って、ちょっとだけがんばっている。

もう少し回顧モードに浸りたいなあと思っていたところに、午後の時間が空いたので、品川に行く。品川駅は嫌いだ。渋谷の次ぐらいに。前職で6年ほど御殿山に通ったが最後まであまり好きになれなかった。たった一つ良いところがあるとすれば、それは原美術館があるところ。Webサイトを見たら、なんと2020年で閉館だそうだ。これは今日行かねばなるまい。展示があるかどうかは二の次で、とりあえず常設が見られればいい。Sophie Calleって誰ですか、てな感じで行ったのだけれど、これが収穫だった。
「ソフィ カル ─ 限局性激痛」
「限局的激痛」文字面だけで十分痛いんだけど、彼女が1984-5年当時つきあっていた男性と別れるまでの92日間とその後の90日間を写真と文章で綴った作品。特筆すべきは、彼女がその「人生最大の苦しみ」を相対化させるために、その経験を「語りつくしたと」思えるほど何度も他者に語り、代わりに共有してもらった聞き手の最も苦しい経験も併せて作品にしているところである。
別離の時と場所、その経緯を彼女は何度も何度も思い出す。その書き出しはすべて同じで、「○日前、愛している男に捨てられた」と始まる。1985年1月28日、午前2時、ニューデリーのインペリアルホテル261号室。同じ写真とほぼ同じ内容の文章がずっと繰り返されるのだが、その描写、心象風景が微差ながら変化していく。そこに惹きつけられる。
50日目を過ぎたあたりから涙腺が徐々に崩壊してきて、あわてて隣室の奈良美智さんのmy drawing roomに避難する。幸い一人である。この部屋も思い出深い。なにかと慌ただしかった前職の昼休みに一人で来て、ここで人心地ついたことが何度もある。
この年になると、こういうふうに感情的になる(あまりわめいたりしない性質なので、だいたい泣くと相場が決まっている)のは、だいたいホルモンのなせるわざだというのが事後に判明することが多いのだが、それをさしひいても、久しぶりに心動かされた。
先に「書き出しはすべて同じ」と書いたけれど、本当は違っていて、二度目に見た時、九十日目だけは、「愛していた男」と過去形になっていることに気がついた。それ以外にも、幾重にも表現されているその微差の変容のプロセスが波のようにひたひたと迫ってくる。
少し腫れた目をさましつつカフェでスティック付きの砂糖をゆっくり溶かしながらカプチーノを飲む。閉館までにまた来られるといいなと思う。
ほかは全部フランス語だったので、唯一英語で書かれていた「True Stories」を買って五反田に向かって歩く。
レッスンが始まって先生の声を聞いたらとたんに元気になる。相当なことをおっしゃっても、いい声なので、かどうかわからないけどすーっと入る。御徳である。

2019/01/05

じわじわ

箱根に触発された年1回の9kmランの結果として、お尻の筋肉痛は昨日だったが今日は前腿にきた。階段の下りがきつい。
この正月休み中、過去好きだった音楽を大量に聞きながら、昔好きだったことをたまに思い出してみるのもいいもんだな、と思う。
自分の場合、ある時期とても好きだったものごととの縁を、何かのきっかけでぶちっと切ってしまうことが多い。それなりに熟考の末にその選択に至るのだけれども、結果的に積み重ねの効を失うのである。
その分、下手の横好き的にしょっちゅう初心者になるので、初心者になることには結構耐性がある。本当はとてもやりたいんだけど、できなさすぎて始められません、みたいなことは比較的少ないほうだと思う(たぶん)。
とにかく、現時点で熱烈に好きなことは放っておいてもやるだろうけど、そうでもない、今はなくてもそれほど困らない種類のこと(走ることとか)も、たとえゆるくてもいいから、好きでいつづけること、または、たまに思い出してみることも大切にしたいと思う今日このごろ。思い出してみて、もう必要ないなと思ったら、それはそれでいいのかもしれないしね。

2019/01/03

初ラン

箱根駅伝を見ると走りたくなるので、ほぼ毎年、2日か3日は走る。
そのあと余程何かがないと1年間全く走らないから、初ラン=ラストランなわけだけど、そのうちハーフマラソンぐらい出られたらいいなと思う。
今日は東海大のランナーさんがラスト1キロぐらいから準備をはじめて皆ゴールインしたのを見届けて家を出る。豊玉から江古田住宅、哲学堂、野方あたりを回って約9キロ。
人生、一時期を除いてジョグ圏内に住んでいる。
お供の曲を探したけど、ピアノ曲とかクラシックとか今ひとつ適さないものばかりだったので、村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」のオーディオブック英語版を聞きながら。
序文の引用が好きだ。
Pain is inevitable, suffering is optional.
あるランナーが走っている間、頭の中で反芻し続けているマントラだそうだ。
痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル。きついに違いないが、だからもう駄目、かどうかは本人次第。
こういう言葉を持っているかどうかで人生におけるふるまいは違ってくる。
年始から良いチョイスだった。われながら(笑)

2019/01/02

ユンケル

もともとそれほど飲まないし、喫煙への欲求もいまだ湧いたことがないし、他人に意味不明なことを語るべからずともさして思ってないので(思ってたら当blogは存在していない 笑)、昨日のブリジットのような決意はそもそも必要ないわけだけれども、毎年決意しては崩壊するものの一つに、植物を育てること、というのがある。
うちの両親は双方ともまめで、花を育て草をむしり、木を剪定し庭の掃除をし、実家のわたしの部屋だったエリアは今や一面の室内花壇と化していて、そのまめさの点で、残念ながらわたしはどちらにも似なかった。とにかく植物が1年もったためしがない。たいてい夏か秋には枯れる。当然ながら、おそろしくて動物など飼えるはずがない。
それでも、何らかの生きものの成長に資する人間でありたいという欲求だけはあって、散歩がてら渋谷園芸に行って、懲りずに観葉植物を買ってきた。
願わくば君よ(ストレリチア・ユンケアという名前だが、ユンケルと呼ぶ予感がしている)、1年後もどうかすこやかにいてくれたまえ。


一昨年の夏、野方から引越した際に実家に片づけてしまったMessian, Chilly Gonzalez, Keith Jarrett、あたりのCD30枚ほどを、母に持たされた約1年分の梅干しとともに持ち帰ってきた。
梅こぶ茶でも飲みながら聴こう。
正月っていいなあ。ごくらくごくらく。

2019/01/01

お久しぶり 

実家に帰る。
帰るといっても毎日曜には行っているし徒歩15分なので、昼間は自室に戻る。なにしろ実家にはネットもないから、風呂に入って寝るか、テレビ観ながら筋トレでもするしかない。加えて自室で「ブリジット・ジョーンズ」シリーズを昨日見始めたものの3作目の途中になっていた。滋味溢れるとか芸術性が高いとかそういう類のものでは全くないのは重々承知なのだけれども、なぜか分からないが定期的に見たくなる。好きな女優はと聞かれたらこの作品のRenee Zellweger(と最近は知らないけど知られ始めた頃のスカーレット・ヨハンソン)と答えるだろうと思う。
なぜか分からないがと書いたけれども、リピしてしまう理由について思い当るのは、この作品は表題のとおり、彼女の日記をベースにして、1年を振り返る形で描写されている。彼女は新年にあたり決意をし(New year's resolution, drink less, and keep new year's resolution.. quit smoking and stop talking total non-sense to strangers...)、決意はもろくも崩壊し、ある意味自業自得的にひどい目にあったりもするのだけれど、1年間がんばった自分を評価または正当化して、また新たな決意とともに未来を向いていく。そういう自分との対話的な展開が、年末年始に見るにはなかなか感慨深かったりする。

New Year's Resolutions | Bridget Jones's Diary
The Bridget Jones Guide To Life

そして、そんなごたくはともかく、冒頭シーンのBridgetの渾身のキック!に、のっけから彼女のファンになっちゃった人も多いのではなかろうか。自分もその一人である。
Bridget Jones - All By Myself

さて、自分の今年の決意はなんでしょかと思うけれども、いまのところさしたる殊勝な思いつきもない。気が向いたらまた考えます。

別の話。
音楽には全く詳しくないけれど、好みはいわゆる現代音楽に偏っていて、そのソースは30代前半頃にふと思い立って母校の一般教養の音楽の授業(確か6限だったから、二部の子も出ていて、仕事帰りに間に合った)にもぐっていたころの先生のご趣味によるところが多い。んだけれども、ペルトだけは自分で出会った(笑)。
前述のBridgetが幸せに暮らしているのを見届けたので、正月に1冊ぐらい小説でも読もうと本棚を眺めていたら、未読の池澤夏樹が何冊かでてきて、池澤夏樹といえばペルトを聞かないとと一転して音楽鑑賞の時間となった。池澤夏樹とペルトは自分の中で密接にリンクしている。池澤夏樹で一番好きなのはスティル・ライフで、それがドラマ化された折の超重要シーンにArbo Partの「Tabula rasa」が使われていた- [追記:やっぱり「Arbos」だった気がしてきた]。
数年前に突発性難聴になってから、正常範囲ではあるものの若干聴力が低下した。しばらくの間は、耳を労らないとと思ってイヤホンで音を聴くのをやめていたが、それもつまらないと思ってまた復活した。最近はダンス関係ばかり聞いていたけれど、やっぱり自分にはこういう静謐な(静かじゃない箇所ももちろんあるけど)音も時折必要だなと思う。
流れで、Philip Glass, Steve Reichあたりを検索してひとしきり聞く。ついでにKieth JarretのRioとPierre-Laurent Aimardのバッハ。みなさんご無沙汰しててすみません。お久しぶりです。
現代音楽系で検索しているとErik Satie Gymnopédiesが頻出する。そういえばこのところDVDで見ているその曲の振付がとても好きだな、と思う。