2016/04/30

温泉

休日は可能な限り頭を真っ白にしたいと思っているせいか、めったに本を読もうという気にならないんだけど、最近えらく忙しくなってしまった仕事の合間に珍しく飲み会に出て酔っぱらっていたら思いだしたことがあった。
隣で温泉温泉、といっているのをぼんやり聞いていた。
去年の今頃、父はしきりに温泉に行きたいと言っていた。
もう導尿バッグをつけていたから浴場には入れない。露天つき客室という、個人的にはえらく高いな、というお値段の箱根の温泉を探してきて予約したのだが、噴火がきっかけで、心配性の両親はこわいこわいと言いだし、結局行かずじまいになった。
やっぱり連れていけばよかったのかもしれなかった。
吉村昭の話だった。
ほんとうは、学生の頃父の書棚から借りて読んだ「海も暮れきる」を再読しようかと思って書店に入ったのだけれど、その書店にはその著者の本は一冊しかなかった。
これもご縁かもしれない、と思って手に取る。文体があっさりしていて読みやすい。
飲み会は楽しかったが、考えてみると、自分は2次会と名のつくものに人生で一度も出たことがない。まあ、以前は1次会でさえ1時間ぐらいで切り上げて食い逃げと言われていたんだから、これでも成長したほうだろう。
マーシャルとダンスのレッスンに出る。
束の間、真っ白になれる貴重な時間。
ダンスのクラスまでの待ち時間、いつもおみかけする初老のおじさまが、鏡の前でどう見てもそれはバレエのポーズだろうというポーズを練習している。
そうか、バレエもなさるんですね。
幸いなことに、ひとは何でも、何歳からでもはじめる自由を持っている。
批評家は嫌い。
何事かに向かっていって、たまに小石でつまづいたり派手に転んだりして。
そういうのが人一倍悔しくて悔しくてしかたなくて。
で、いずれ立ちあがって、また向かっていくひとが好きだ。

2016/04/26

迷路

少し前から決断ということについて考えていた。
といっても、考えるというほどでもなく、単に気になっていたというべきなのかもしれない。
ある人から「それはbusiness decisionですか」と尋ねられたのがきっかけだった。
そのときその文脈で意図されていたことはたぶん分かったつもりだった。
以来、ふと考えるともなく、時にその言葉が浮かんだりした。
整体から帰ってきてテレビをつけたら、井山棋士の特番をやっていた。
もう番組も終わり近かった。
一手一手に魂を込める。
どんな未知の局面に入っても自分を信じる。それに尽きる。
その手を打ったときの心はどうだったか、迷いはなかったか。
そんな言葉が心に残って、ぼろぼろ泣く。
自分が下した決断が適切だったかを振り返るということは、そのときの自分の心を振り返ることなんだ、と、至極当然のことに気づく。
録画していたので、最初から見る。
人間の決断に100%正しいということはないだろうと思っている。
時や場所、立場なりを変えれば、同じ決断であっても正しくもあり間違いでもあり、あるいはその境界にあるかもしれないし。
ただ、そこに魂がこもっているか、ということだけは、振り返れば自分でも判断がつく。
魂なんていうと漠然としているけれど、要は、そのとき与えられた環境において最善を選んだことに自信を持てるかどうか、たとえ短期的に思うような結果が出なかったとしても、いずれ巻き返す覚悟があるか、というようなことなんじゃないか、と。
それなら簡単だ。
出口のない迷路に入りこんでしまったようなときは、ここに戻ってこよう、と思う。

2016/04/24

消費

噂の母上テレビ出演は本日だった。
17時から、ということなので、10分前からテレビの前に陣取って、シュークリームを食べながら二人で見る。
ほぼ単なる住宅街である沼袋なんて町をお散歩するなんて、ずいぶん変わった番組だ。
母上はその日、某卓球場で試合に向けて猛練習していたところに突然来店した某俳優さん、にインタビューされちゃったのである。
この日はへんなウエア着て行っちゃったわ、とか、きれいに映してくれるっていったのにシワだらけ、とかぶつぶつ言いながら、目を皿のようにしてごらんになっている。
わが母ながら、かわいいおばあちゃんである。
こういう、わかりやすい、かわいいひとに生まれたかったと思う。
ひさしぶりに新宿に出て洋服を買う。
このところ、なんだか元気が出なくて、日曜はあまり運動していない。
ジムで消費するエネルギーが少なくなると、その分別のところで消費しないと気持ちのバランスが保てないんだろうか。
不惑も過ぎたというのに、ずいぶんゆらゆらして、たよりない。
テレビには若冲の絵がかかっている。
都美にも行かないといけないな。







2016/04/23

ループ

同僚さんと原美術館に行く。
会社から5分もかからないところにあるのに、今まで会社の人でそこに行ったことがある人にお目にかかったことがない。
縁というのは、そういうものなんだろう。
ハラビはもと原さんの個人宅だったところを美術館にしただけあって、こじんまりしたかわいらしい造りの現代美術作品の美術館で、以前にも来たことがあった。
今の会社に入ってからも、たまに一人で昼休みに行ったり、退職した方と2回ほどランチしたことがある。
お気に入りの常設をご案内して、昼ごはんを食べると、けっこういい時間になってしまう。
企画展が面白そうだったけれど、動画作品だったこともあって、あまりゆっくり見られなかった。
公園のブランコが延々と揺れている作品を見ていたら催眠術にかかりそうになる。
いっそのこと、かかってしまえばよかったのに。
8日までというけど、もう一度行ってこようかな、と思ってWebサイトでイベント欄を見ていて、ライヒとペルトのコンサートが告知されている。
自分にライヒを教えてくださったのはたしか小沼先生で、最近はテレビでもご活躍である。
思い起こせば、30代の頃はずいぶん大学というものに通っていた(下手すると授業料を払っていた頃よりも)。
Steve Reich Drumming - Portland Percussion Group
後半、ドラムのスティックが扇状に見えてくる。
無限のループのように思えた時に、いきなりの終息。
文字どおり、そこで息がとまるような。
ペルトのパーカッション作品とは何ぞや、と探していて辿りつく。
Arvo Pärt/Kuniko Kato:Cantus In Memoriam Benjamin Britten(1977/2012)
行こう。
池澤夏樹原作のドラマ音楽で聞いたのがペルトとの出会いだった。もうずいぶん前になる。絶え間ない高音と昇華ともいうべき最後部にただ衝撃を受けた。
Arvo Pärt - Tabula Rasa, I
自分の一部がこんな作品たちによって醸成されてきたことは、まあなんというか、一抹の救いともいえるのかもしれなかった。

2016/04/11

ひつじ

昨日は背中が張って眠れなかった。それぐらいで眠れないもんなんだろうか、人間は。
とか思いつつ、薬を飲んでも3時ごろまで意識はあった。
これがあるから眠れない、と分かっているひとはまだいい。
特になにも原因を思いつかないのに、眠れない、というのは困る。本気で寝るには薬をのむしかない。
確か、みんな眠れるといいねえみたいなコンセプトのテレビ番組がついていた。暗い部屋にふとんを敷いて何人かの人間がごろ寝していて、(ごろ寝する前に何で眠れないかカードに書いたものを託しておいて、それを何人かの有名人がピックアップして読み、こいつとしゃべりたいなあと思ったら寝てるところを起こしてきて電話機の前に立たせてなんかしゃべらせる。本人はねむいだろうにね。途中でわたしの知らない有名人が突然歌を歌う。子守唄みたいなのとは正反対のシャウトがかったやつ。寝てた人が幾人か起きてきて、ふとんから顔をだして聞いている。)
薬飲んでも、そんなのを見ているから必然的に朝起きられないのである。6時の目覚ましも6時半のテレビも全部止めて朝ドラをうつらうつらしながら聞きつつ、次に気づくのは9時過ぎなのである。頭がもうろうとしているのはあたりまえだが、おまけに背中と腰が痛くて起きられない。
昼から出ようとがんばって12時に家を出たんだけど、高田馬場で降りたら気持ち悪くなって、一休み。これはもうだめだと思って午後も休みますと連絡入れる。入れてしまうと意外と気分が良くなって洋服2枚買って、そのまま病院に行く。薬が切れちゃったのもいけないのだ。4月から指導料が高くなりましてねえと言われる。会計と薬に時間がかかるから、近所のパスタやさんでアスパラのパスタと抹茶すいーつを食して薬が出来るのを待つ。
センセイは最近お忙しいので、今日連絡して今日予約できることなってこのごろなくなってしまったのだが、今日は奇跡的に空き時間があって、背中と腰とわきの下のあたりぐりぐりしてもらう。
わたしの弱点は、S字カーブのない首と腰と、腰方形筋と骨盤の付け根である。左右とも、腰方形筋のちょうど真ん中あたりにたんこぶのようなものがある。これが一撃必殺の急所である。
あんまり痛いから笑ってしまう。
「痛くて笑う人なんて、いないでしょ」
「いますよ、ごく少数だけど」
センセイの腕はいつも温かい。
「今日は眠れるかなあ」
「だいじょぶですよ」
「なにその根拠のないだいじょぶは」
「背中ほぐれるから眠れます」
「そうかなあ」
「眠れます」
「はーい。薬ももらったしね。」
おふろにはいって薬飲んで、明日の6時半起きには万全の態勢なれど。
心配だからだれか起してください。
さすがに明日は起きて会社にいかないと、春宵一刻値千金会に行けないよ。。
さて、うちのひつじ。おとなしくて、いい子たちです。


2016/04/10

ふれっしゅ

今週は母上の誕生日なので、このまえ地元紹介のテレビ番組に出ていてちょっと美味しそうだった野菜で作ったケーキなるものを買って実家に行く。
母は母で、なんか作る気がしなくてと寿司といちごを買って待っている。
軍艦に生しらすが乗っている。
母上がおっしゃる。
「これは魚かしら」
「そりゃあ、お寿司だもん。魚でしょ」
「でも目がないよ」
「目?」
「魚なら目があるでしょ」
「・・・」
「目がない」
「あるある。ほらここにちっちゃいのが」
「あらほんと」
ご納得される。
リモコンを直し、クロスワードの残りにおつきあいして、ちょっと役に立ったような気になる。
帰り際、「ところで、今年でおいくつになるんでしたっけ」と尋ねるとXX歳とお答えになる。
「お元気ですね」
「みなさんそうおっしゃいます」
いつまでもお元気で。
ちなみに、クロスワードが全部埋まるとできあがるキーワードは「フレッシュマン」でした。
先週は満開だった氷川台の駅を出たところの川べりの桜も、近所の桜もみな葉桜となった。
フレッシュな春も、やや過ぎゆきて。

2016/04/05

いいところ

山手線のいいところ。
乗り過ごしてもしばらくがまんしてれば必ず目的地に着くところ。

2016/04/04

タカラモノ

桜の季節は、お別れと、そして出会いの季節。
いつか来る別れの日を思うから、いま一緒にいられることがタカラモノなんだ。素直にそう認めよう。
今期のダンスは、春めいてポップな振り付けが楽しい。難しそうだけど、きっとできる。
と、思えるようになったのが1年続けてきた成果なのかもしれない。
踊れるようになったら、笑顔にのせて、きっとそう伝えよう。