2019/09/28

長期課題

発表会関連その後で嬉しかったのは、先生にあまり俯かなくなったとおっしゃっていただいたことと、見てくれた顔見知りの方から、キレイに踊れてたとおほめの言葉をいただいたこと。知人の賛辞は10割引きして聞くべきことは重々承知だけど、洋服の色がキレイ、ぐらいは言われたことはあるが、いまだかつて自分の「所作」に対して使用されたことのない形容詞である。47歳にして新境地が開けたかと勘違いにて、しばしすこぶるご機嫌となる。
発表会という期間限定課題が終了したので、遅効性の学びは身についたときに発揮される効果大なのだと言い聞かせて長期課題に取り組んでいる。
目下のテーマは腹筋。自分の抱えている身体的諸問題の根本解決に至る重要ファクターが腹筋である。
筋トレとして腹筋しているときに腹筋が入るのは当然だけれども、それ以外の時(立っている時とか、振付で動いているとき)に入っていないとあまり意味がないことも分かってきた。振付に入ってしまうと腹筋のことなど考えていられないので、今週は、クラスのジャンルにかかわらず、ルーチンのウォームアップ的な時間帯は腹筋を入れることだけ考えることにしてみた。基礎がバレエ系の動きは腹筋が入ると姿勢が全く変わるのはバーレッスンで教えていただいていたけれども、hiphopでも腹筋が入ると身体と動きの形が変わる。おもしろい。
腹筋を入れようとすると息を止めるようになって呼吸ができないじゃないかと思っていたのだけれども、とあるエクササイズでお尻に力を入れると自然とお腹も入って息もできることが新たに判明。なるほどなるほどとひとりほくほくする。自分の身体で実験し一人で面白がっている変なやつとなる。

最近気に入っちゃったひと






2019/09/23

はじめての本番

いよいよ発表会当日。
リハは夕方だし本番は夜だから、日中動かずにいきなり臨むのはこころもとない、ということで、先週お熱でダウンされていたという気の毒な先生のお顔を見にはじめてのお店に行く。ゴルフができるのはともかく、スカッシュかなんかの練習場まであるえらくだだっ広くてきれいな施設である。偶然だとは思うけれども、レッスンはたぶんここ数カ月以内にやったことのある振付である。こんなに最近やったのにこんなに覚えてないなんて申し訳ない、と思いつつ次第に記憶がよみがえってくる。本番前のこの状態で、新振りを覚えるよりありがたいな、と本人的にはたいそう気持ちよく踊らせてもらう。

リハの時から本番はばちっとメイクをしてくるように、とかなりしつこくおっしゃっていて、先生のおっしゃることで、できることなど限られているから、その数少ないできることぐらいはご要望どおりにしてさしあげようと思い、ドラッグストアで若干練習の上、いくつか化粧品を購入し本人的にはばちっとメイクをしてリハの待ち合わせ場所に行く。わたしだけかと思いきや、このために化粧品を買ったという先輩が何人かいらっしゃる。みな思いはひとつである。先輩と顔を合わせると「化粧しないの?」とひとこと。「いえ、あの、これでもしたつもりなんですけど」「してあげようか?」「これ以上はごかんべんを」というようなやりとりをしつつ控室に入る。先生がいらしてぱしゃぱしゃとカメラマンのごとく写真撮影されると盛りあがって一時みな緊張を忘れる。
さて、本番は一瞬で終わる。
帰路、いままであったもろもろを思い出してふと涙しそうになる。
明日から何をどうしていいのか今はよく分からないくらい、この3ヵ月しあわせだったことに今更ながら気付くのである。
なにごとも終わりがくる。でもここで止まってはいけない。
ここからはじまる。

2019/09/22

硬球

この一週間、衣装作らざるもの寝るべからず、と呟きつつ毎日あえなく寝落ちしていたわけですが、やっとできた。布を切ってゴムと安全ピンでとめるだけの簡単仕様。
縫え!と先輩方に言われたけれども、安全ピンも3個ぐらい付けておけば数分の間に全部外れることもないだろう。(引っ越し後行方不明だった裁ちバサミを探すことに一番時間を要したというこの事実)みなさんの衣装は手間がかかっている。さすがである。

先生から発表会メンバー一人一人にCDと野球の硬球をいただく。笑いながらなんてグッドタイミングなんだろうと思う。
今日はめずらしくジャズのレッスンにしか行かなかった(一応衣装を作ったり、寝だめしたりしていたし、少し膝も痛かった)ので、いつもより1時間ほど早くにジムについて思いつく限りのストレッチと少々の筋トレとかをした。最近漸くわかってきたことだけれども、なにもせずに「身体が動く」と思っていたのは勘違いであって、ストレッチなり筋トレなりのせめてもの下ごしらえを1時間ほどして臨むとそれなりに、少しましに「動く」ようになる。発汗の程度も全然違う。球状のもので身体の各箇所をごりごりとするとマッサージ効果があってことによろしいのだけれども、最近手持ちの球状のもの(テニスボールとか、ポジションボールとか)があまり効かなくなってきた。先生がしょっちゅう野球の硬球でやって泣いてますとか死んでますとかおっしゃっていたのを思い出して、せめてそろそろラクロスのボールに変えようかと考えていた矢先である。
帰宅。さっそくためしてみる。そもそも弾んだ時の音からしてテニスボールとは違う。ちょっとこわいのでまだ足裏しかできない。また明日ためしてみよう。

2019/09/16

Eifman Rodinなど

しつこいようだけれども、バレエというものが元来苦手であって、だいたい見ている間にねてしまう。
でも昨日はそうではなくて、もともと、たぶん10時半過ぎ頃からBSをつけっぱなしでねていて、夜中に目覚めた。目覚めたらそこにバレエがかかっていた。見たことのない妙な歩き方をする女性たちの姿に妙に惹かれて、反射的に録画ボタンを押した。押した後数分で幕となり、使用された音楽を見ていたら好きな曲ばかりだった。
本格的に目が覚めて、いや、これは再放送を見るべきじゃないのかと調べてみたら、オンデマンドならあるが再放送はない。DVDがないか調べてみたけどさっぱり売られていない。動画で調べてみて、これは見るべきだろうと思い、帰宅後いそいそと腹ごしらえをして今オンデマンドで観終わったところ。
別にひっぱるつもりはなかったけれども、なんの話かというと、先ごろ東京で公演があったばかりのエイフマンの「ロダン」。いやすごい。ダンサーを彫刻にみたててロダンが彫像していく様子を描こうと最初に考えたひとは演出家だろうか。ものすごいアイデアだ。


今週よく見た動画。
今まで、「フレックス」の形の足が美しいと思ったことがあまりなかったのだけれども、2番目に出てきたおにいさんを見てああ自分が間違いでしたと頭を垂れる。相変わらず、どこのどなたか存じませんが、おうつくしい。


今日はいろいろがんばったので、3割引の声にひかれてデパ地下で松坂牛のローストビーフを買った。エイフマンを見る前に食したのは松坂牛です。美味なり。でもやっぱりちょっと高かったかも、と思う。もったいないので明日に半分残しておく。贅沢に不慣れである。





笑顔

埼玉某所で開催されたダンスショウに行く。
週1回レッスンでお世話になっている先生と生徒さんたちの作品と、ジャズのレッスンでいつもお美しいなあと眺めている先輩が出演される2作品がお目当て。
結果的に、確かにそのお目当ての3作品はすばらしかった。あと先生がたぶん(ここ最近のハードスケジュールでまたどこか故障でもしていなければ)本気で舞台で踊っているのを初めて見られて、そちらも楽しかった。
ほかは正直、よく分からない。まあ薄々感づいていたけれども、たぶん、自分は趣味が偏っているんだろう、と思う。
よく分からないなと思いながらも、1週間後に自分の「はじめての発表会」を控えた身としては、参考になることも多かった。
振付そのもの、踊り手の技術も無論大事だけれども、構成と衣装、あと表情というのは自分が思っていたより重要な要素だと気付く。先生方がしょっちゅう、顔、顔とおっしゃっているけれど、確かに、そのとおりだなあと客目線になってみて改めて。
自分の練習もあるので、ご挨拶もせずさっさと帰ったけれども、みなさんのすてきな笑顔に元気をいただく。
さて、自分の衣装作らないと。布を切ってちょっと止めればいいだけの簡単デザインを教えていただいたので、裁縫ベタのわたしには選択の余地なし。

2019/09/14

空の写真が好きだ。
その昔、何冊か買い集めた写真集(または写真がたくさん掲載された本)は、引越しの際に処分したものも多かったけれど、今でも手元に残っているのは、アンリ・カルティエ=ブレッソンは別として、藤井保「A KA RI」、高橋健二「空の名前」と空が主人公のもの。
それはわたしに限ったことではなくて、空にこんなにいろんな名前を付けるなんて、人間という生きものは、空が、空を見るのが好きなんだろうと思う。名前はその愛着のあらわれだろう。
空のもとには人がいる。あの人もこの人も、生きている人も生きていない人も、実在の人も架空の人も、空でつながっている、そんな気がする。
と、ここまで打ってみて、いや、「A KA RI」の主役はやっぱり人、または灯りだろうか、と思い直す。
灯りは、希望であり、勇気だ。
このひとつの空のもと、誰かが強く、明るく、または、ほのかに、やんわりとした灯りを放ったり、受け取ったり、また返したりしながら生きていて、そんなやりとりをみているのがとても好きだなあと思う。


2019/09/07

polyphonic

金曜朝。ねぼけた頭で、週1日ぐらい休養日が必要なんじゃないだろか、と考えつつ、30分で食事とジム用荷物をまとめて家を出る。最近買いかえた大きいリュックには誰かに言われたとおり、「仕事以外のものしか入ってないだろ」。はいさようです。
short noticeですみませんがと夕方にテレカンが入っていて、案の定終了予定時刻から延長する。やっぱり今日は休めという思し召しであろうかと、とぼとぼ家路につく。改札を出たところで思いついてまたほぐし屋さんに行く。はじめて90分コースをためしてみる。極楽。左腰の「そこは筋肉のはずなのに骨状」のぐりぐりに集中攻撃。終わってみると、地面がふわふわ、ゆらゆらして普通に歩けない。いや地面じゃなくて身体がそうなんだと頭では思うけれども、相変わらず酔っ払ったみたいにふらふらしながら家にたどりついて、少し何か食べて、ねてしまう。
夜中に目が覚めて、仕事のちょっとしたことを思い出す。ちょっとしたことなのだけれど、ここで何もせずにそのまま忘れてしまったら、いざ事が起こったときに後悔するだろう。こんな時間に思い出してすみませんがと切りだして一本メールを打つ。安心してまたねる。
朝。ネコ歩きが録れている。「頭の上に乗られるのは久しぶり、しっぽが目の前にあります」とおっしゃりながら微動だにせずカメラを構える岩合さんが大好きである。
思いだして内田先生のVoiceについてのお話を読む。

これも多田先生から伺った話ですけれども、「声を出すときは、オールドバイオリンのような声を出さなければいけない」と。声が低くても、音量が小さくても、遠くにいる人の身体に浸み込むような声というのがある。先生は発声器官の使い方について言っているのではないと僕は思います。そうではなくて、「自分のボイス」をみつけなさいと言っているのだと思う。「自分のボイス」を見つけた人がその「ボイス」で語られた言葉は、できあいのストックフレーズや、何度も話して手垢のついた定型句とは全然手ざわりが違うからです。それはオールド・バイオリンの音色ように、身体に浸み込んでくる
「ボイス」というのは、自分の中に入り込んでゆく「回路」です。自分の中の、身体の深層に浸み込んでゆく。自分の身体に浸み込むことができないと「自分のボイス」は獲得できない。「身体の中に浸み込む」というのが「ボイス」の本質的な条件なんです。自分の身体の奥深くに浸み込むことで生まれた言葉は、他人の身体にも浸み込む。「ボイス」というのはそういう浸透性を持つ言葉のことなんです」(内田樹の研究室「Voiceについて」)

そこから話は「複雑化」という方向へ進む。自分のVoiceは多声的(polyphonic)なものであり、自我は首尾一貫していないければならない、のではなくて、成長とは複雑化である。この場面ではこの顔で、別の場面では違った顔でいる、そういう状況ごとの最適化が成長じゃないか、という話。引用したいけれど全文引用しそうなので、このへんでやめておく。読後、ああこれはわたしへのメッセージであると勝手に思い込む(そういうことがよくある)。
内田先生も相変わらず大好きである。
いろんな先生がたのボイスに励ましていただいて、おかげさまで多声的なわたしは今日も元気です。

2019/09/01

最近

最近よく見た動画(先生たちの以外で)。
やっぱりこのひと好き。インスタに東京の写真がのっていた。来日してたのかな。。一回みてみたい。


すてき。。


気に入った振付は、何度見ても、ああ美しいなあとかかっこいいなあと感慨にふけっているか、動線を再現性のあるものにできたらいいなと願いつつ目に沁みこませようとしているばかりである。
ふだんわりと批評性とか客観性とか言うタイプの人間だけれども、先生の踊っていらっしゃるのはそういうふうには見られない。だって先生なんだから。そういうもんじゃないかと思う。

テレビで、筋肉は裏切らない、と力説してるひとがいる。まあ、休んだらすぐなくなっちゃうけど、継続的に筋トレしてれば裏切らない、といえるのかもしれない。がんばろっと。