2018/08/30

軽さについて

最近いろいろな理由で足が遠のいてしまったが、エアロをはじめたばかりのころ、先生の足ばかり見ていた。
というのも、エアロは前後左右に移動が入るので、足を間違えると隣の人とばったり鉢合わせしたり接触しそうになったりして、ご迷惑をおかけする。
とりあえず、他人様に迷惑をかけてはいかん。
ということで、優先順位として手より足、となって、結果的に先生の足ばかり見ることになる。
先生というのは見ていないようで生徒のことを見ているものらしく、ふと何かのついでに「私の足ばかり見ててもだめなんですよ、身体全体を見ないとね」と言った後、わたしのほうを見た。
あらら、ばれちゃった。
ということで、その後なるべく足にばかり注目するのはやめて、なんとなく先生全体を見るようにした。たぶんそれが正解だったんだと思う。
その先生にはしばらくおめにかかっていない。ちょっとさみしい。

ダンスをするようになって、別の意味で足に注目するようになった。
美しく踊るひとたちは、おしなべてみなさん足が軽いのである。
重さがないみたい。
なんでこう、軽いんだろうなあ。
ふと気がつくと注目している、という具合である。
歩いているときなんかは、ふつうである。
踊り始めると軽くなる。

たまに筋膜リリースを目的としたヨガに出ることがある。はい力を抜いて。重さを感じてくださーい。などとインストラクションが入る。
そうか、力が抜けると重くなる。ということは、軽いのは力が入ってるということか。
どこに力が入ってるんだろう。
ふたたび注目。
結論。
あんまり力入ってるように見えない。
軽さってむずかしい。

たまたまブログに今日から新しい曲、とあったので、半休を取って、はじめてのジャズのクラスにおじゃましてみた。
すてきな振付で、曲が動き出す。
できるようになるといいな。
会社員たるもの平日の昼に通うことはできないし、週末のはきっとレベルが高すぎるので、ちょっと遠い夜の初心者向けクラスに出られるか考え中。
夜まで時間があったので、自習練しすぎたのか、あちらこちら筋肉痛。

2018/08/28

ぶちぶち

基本、ネガである。
などというと、言葉が人間をつくる、とかおっしゃる先生方にしかられるけれども、この基本的な性根を入れ替えるのはきわめてむずかしいのだ。
加えて、負けず嫌いー他人と比べてというよりも、自分がこれと決めたことができないのが嫌いーなので、いったん決めてしまうと、ぶちぶち文句を言いながらやる。
文句言わずにやればいいのだけれども、ぶちぶちつぶやいてしまう。
すいません。
ここに書いてあることは、とくだん嘘もないつもりだけれど、きっと全部ほんとうでもない。(言葉は万能ではないし、まして表現力不足のため、全部が伝わりきるはずもないわけで。)
なので、特に誰かに向かっていってるわけでもないけれど、あんまり、人の言葉なんて気にしないで、どうぞ、そのすてきなわが道を行ってください。
人間、ちょっとむずかしいことに取り組むのが脳によろしい、と諸先生もおっしゃっている。とりあえずわたしは、もう、ちょっとできないぐらいで、へこんだりするフェーズはとうに過ぎてしまった。
できなければ、できるかぎり、できるまで続ける、ただそれだけ。


2018/08/26

日々新た

引っ越してケーブルテレビを契約したときにレンタルしたチューナーの録画保存容量が一杯になって、新規録画できなくなった。
営業のおじさんは、相当録画したっていっぱいになりませんよと言っていたが、1年で容量に達したわけだから、まあ、相当録画したんだろう。
やむなく不要なものを削除して、保存したいものだけ分類することにした。今後は未分類の録画だけ一括削除すればいい。
分類した中で一番件数が多いジャンルは、意外にも動物、である。
動物といっても、そのほとんどは猫である。
もっといえば、岩合さんの世界ネコ歩きである。
ネコ歩きは削除できない。気にいったものは何回でも見る。
最近は、ネコ歩きに混じって、ネコメンタリーというのがお気に入りである。
養老先生と、猫のまる。先生が含蓄深いことを語り、まるがのんきな顔して寝ている。実に絵になる。昨日から通算4回目だが、見飽きない。
とはいっても横でPCで別の動画を再生したりしている。
勝手におすすめしてくれる動画は、昔はやはり猫ばかりだったが、最近、外国のダンスレッスン風景が多くなってきた。
上級者のクラスとみえて、みんなお上手。そろっているなあ、と感心する。でもなんか、そろいすぎていておもしろくない。
レッスンでも生徒さん同士でお互い踊っているところを見たりすることがあるんだけれども、もちろん、みんなそろえようとしているのだが、初心者なせいか、微妙に不揃いで、それぞれ動きに個性があって、おもしろい。
他者になんらかの価値提供する(ショーで見せるとか、視聴回数を稼ぐとか)には、やっぱり、そろってないとだめなんだろうけど。
そういう市場価値から離れたところに、何か、感じるものがある。

ふとテレビから養老先生の声が聞こえる。
現代社会で生きてると、世界は同じになっていくんですよ。それがグローバリゼーションの根本でしょ。マレーシアの田舎でも品川駅でも、スタバのコーヒーの味は同じでしょ。
もういいかげんみんな疲れてきてるんじゃないですかね。猫見るとわかる。絶対同じじゃないんですよ。日々新た。

その前に、動物は絶対音感だから、たとえば先生が猫、と言うのと、誰か別の人が猫、と言うのとでは、音が違うから同じととらえられない。言葉、理屈ではなく感覚で生きるということは、全部違う、違いの世界に生きているということ。だから日々新た、という話がある。

生きることのものさしですよ。
必要なものを手に入れて、あとは寝ている。
お互い、生きてますなあ。
やかましい理屈を言わなくても、顔を見ていればそれでいい。
(養老先生「まるのこと」より一部)

エンドロールに先生の声がかぶる。
うらやましいでしょ、それでいいんですよ生きてくの。
どっちみち、たいしてかわんねえんだから。

さて、わたしにも新たな一日が始まった。

2018/08/20

記憶

他人のはともかく、自分の記憶というものをあまり信用していない。
わたしの記憶の編集力はなにしろすごいからだ。
と確信するに至っているのは、最近ダンスの振付を再現するために記憶を掘り起こす機会が多いから。
通っているジムのレッスン風景の録音録画は厳禁である。
まあそれはプライバシーや著作権の問題があろうから、いたしかたない。
そこで必然的に、習ったことを思い出す作業が必要になってくる。
新たに習ったところは長くて1分、もっと短いことだって多いのに、思い出そうとした時にはすでに白紙、という頃もあったから、これでも進歩はした。が、それでも部分的にぽっかりと穴のあいた箇所がある。右か左か、前か後か迷ったりする。たまに手足を動かしたりして記憶よ戻ってこーい、と繰り返し音を聴く。
そのうちひらめいて、これで間違いない、と確信して翌週レッスンに出てみると、見事にカウントがずれていたりする。ある意味手前勝手に創作している。間違っているなとわかっている場合でも、やっぱり穴があいたままでは気持ちが悪いから、とりあえず思い出したものを頭の中に残しておく。
記憶が正しいときもある。たまに。
そんなときは、たいてい、声と一緒に静止画または動画が脳内で再生される。
目線はずして。さす。たん、た、た。脈絡もなく突然、声と言葉が降ってくる。
身体を動かして練習するスペースも時間も限られているから、頭の中で踊る時間のほうが多い。
そうして記憶を編集、または再構成する作業も、実際に踊るのと同じくらい好きだったりする。もうすこし再現性が高くなるとなおよいんだけれども。




2018/08/18

おとうふスイーツ

京都人の云々というドラマを見て大原千鶴さんのファンになった。
退院後、自炊モードに入って、まずしたことは、大原さんのお料理本を2冊買うことで、もっぱら目で楽しんでいるだが、たまにレシピに従って作ったりする。
前から気になっていたのが、精進料理の本に出てくるデザートの豆腐白玉。
豆腐で白玉団子が作れるなんて、なんてヘルシー。
そのうち作ろう、と思っていたのだが、白玉粉とあんこを買うのをいつも忘れた。
たまたま何かを検索していて、今日の夕食レシピか何かといっしょに出てきたのが、デザートに豆腐餅という記事。
絹ごし豆腐200gに片栗粉大さじ5杯+砂糖を混ぜて、レンジで2分チンしてまた練り、団子状にちぎって、きな粉をかけておしまい。超単純作業。
ファンなら大原さんのレシピどおり白玉粉とあんこで作ったら、という心の声をよそに作ってみた(けっこういいかげんなファンだ)。
これがもと豆腐だったとは思えない。もう少し砂糖を入れておけばきっと立派なスイーツと思えただろうという出来栄え。
朝食代わりにいただいた。そのうちまた作ろう。



2018/08/17

ごぶさたしていて

とても久しぶりに茂木先生のお話を聴きにに行く。
前職で6時半の開始に間に合うように帰れなくなって足が遠のいていた間に、新宿の住友ビルは工事でいつもの通路が通れなくなっていたり、朝カルのフロアが模様替えされていたりと様変わりしているが、先生はお変わりないように見える。
あれだけメディアでの露出が増えているのに、それほどの混雑でもないのはふしぎだ。
英語の論文を読むと謳って参加者のハードルを上げているからだろうか。ほんとはたいして読まないのだけど(笑)
今日は、どんな人に、どんな時に知性を感じるかというお題。
きっと先生のお話はどこかで読めるだろうから、聞きながら思ったこと。
高い専門性を持っていながら、そこへの階段をのぼっていこうとする非専門家とつながる手段を持っているひとにintelligenceを感じる。
専門性というのは、必ずしも何かの領域ということでもなくて、先生がコメントされていたinner logicとかdepth、または美しさ、 みたいなことでもいい。手段とは、言葉である場合が多いけど、非言語的な、そのひとが持っている空気感というか、非専門家に寄り添う気持ちの問題もあったりするのかもしれない。
先生にはたくさんのヒーローがいて(今日のお話しではマーラー、ゲーテとかジョブズとか)その人たちのことを熱く語ってくださるわけだけれど、わたしたちは、先生というフィルターを通じてそういった遠い知性を近くに感じることができる。
講義開始までの待ち時間にひさしぶりに論文を読んで、講義の間に字幕なしではさっぱり分からないBritish comedyを見て、ああ、そうだった、こんな文章をすらすら読めるようになりたくて、BBCで笑えるようになりたくて、英語を使う機会が多い業界に入ったんだったっけ。最近あまり仕事で使わないせいで、すっかりなまけていたけれど、別に仕事のために英語をやろうと思ったわけじゃなかったのを思い出した。

2018/08/14

花火

遠くに花火のあがる音が聞こえる。
今年見たのは、少し前の土曜の夜、ジム帰りに川沿いを歩いているときで、あ、と見上げた途端、3発で終わってしまった。
もうすこし見たかったな。
うつくしきもの。
いつまでも網膜にとどめておきたいけれど、それは叶わない。
いや、そのとき、その場にいられたことが僥倖。
最近そう思うことが多くなった。

2018/08/12

お茶漬け

6月に入院して病院食に教育された。びっくりしたのはごはんの量。ほとんどふつうの人と変わらない。
頭では別に点数表どおりに食べてもいいと分かっていたけれど、それでもやっぱり炭水化物は減らしたほうがいいと思っていた。
糖質制限ダイエットというけれども、炭水化物を減らした分おかずの皿数を増やしてしまうと、逆に体重が増える(自分の場合)。
入院してまず1.5kgほど減った。これは塩分制限食で水分が落ちたせいだそうだが、案の定退院後すぐに戻った。そこからまた4kgほど減った。
先週、入院後はじめて主治医の先生とお話ししにいって(いや、正確には診察を受けにいって)ごはんを増やしたら痩せましたと言ったら、それブログに書いといてください、ぼくたち糖質制限はおすすめしてないんですよとおっしゃったので、言われたとおりに書いておく。ちなみに自分の場合、効能としてではないが結果的にやせる薬が投入されているのも体重減少の原因の一つ。
入院時の処方は先生ではなくて、入院患者担当の先生たちのお見立てである。
その薬をみて、あぐれっしぶだなあ、と先生。選択された形容詞が患者としては微妙におもしろい。
まだ若いからねえ、とおっしゃる。
え、若いですか、先生もいっしょぐらいですよね。
49です。
たいして変わりませんね。。先生もお若いですね(笑)
病人にしては若いってこと。
基本的に人見知りな自分が、ほのぼのした会話ができるいい先生である。
話がそれたがそういったわけで、最近おかずを減らしてごはんを食べることにしている。
炭水化物だいすき。
とはいえ、ごはんを炊く気力もないので、自宅の時は、もっぱらおにぎり使用のお茶漬け。
深めのスープ皿に松茸風味のお吸い物のもととこぶ茶を少量のお湯で溶いた後、中央におにぎりを配置。上から水150㏄程度を加え、梅ぼしと、お好みでなめたけ、チューブ入りしそ、しょうが等々を少量投入。おにぎりにビニールで包んだ乾燥のりが巻いてある場合は、はがして、ちぎって上から散らす。
あればキュウリの千切り、ゆでたオクラの薄切り(酢、いりごま少量加えたり)、崩した絹ごし豆腐等をまぜたりする。
コンビニの塩サバ薄切りやスーパーのお値下げ品刺身等を加えると、りっぱなごちそう。
ただの生命維持、栄養補給としてでなく、毎日の食事を楽しみにできるようになって、すこししあわせになった。

そうそう、最近熱中症予防で、ただの麦茶ではダメでポカリとかって言われますけど、われわれ患者はスポーツ飲料厳禁ですがどうなんですか、レッスン4本ぐらい出る週末とか、、とお尋ねしてみたところ、冷房きいてる部屋でその程度なら水でじゅうぶんとのクールなお返事でした。スポーツ飲料も好きなんだけど、ざんねん。

2018/08/11

バランス

奇跡のレッスンシリーズの録画を2本見る。
1本目は小学生の弦楽部、2本目は少し昔の録画で、もう何回か見ている中学生のストリートダンス。
いずれも感情表現の話。
子供たちが感情を音楽で、またはダンスで表現できるようになると、1週間という短期間でパフォーマンスが素人目にも変わったのが分かる。
詳細は省くけれども、ここで、プロのパフォーマーを目指しているわけでもないふつうの会社員の自分にとってのポイントは、「伝わる」表現のためには練習が必要ということだ。なにごとも。その手の本はくさるほどあるからもう続けないけれども、いまさら、改めての気づきなので備忘のために。

しかし感情だけで自分の世界に入りすぎても美しくない。子供たちは美しかったけど、若さの特権だろうか。客観性とのバランスがないと、きっと受け入れられない。
日曜はなにかといそがしいので、土曜はせめて午前中はぼんやりしている。脳のアイドリング。
選択、決断とフォーカスという。欲張りすぎてもいけないが、いまはどれも外せない。いずれ選ばなければならない時がくるまでは、アンテナの向く方角に進む。



2018/08/04

ストーリーを語りたい

金曜日になると疲れはててしまって、おとなしく帰って早めにねてしまう。
いつも昼までごろごろしてるわけだけれども、今朝は早く起きた。
ピアノリサイタルの録画をみていたら、たまたまプロコフィエフが始まったので、手を止めて見る。というか、聴く。
プロコフィエフというと、子供の頃に父に与えられたカセットにサンサーンスの「動物の謝肉祭」とペアで入っていた「ピーターと狼」のイメージが強すぎて、長いことノーマークだった。たぶんピーターのテーマがいま一つピンとこなかったのだろう。
当時はたぶんその近くに置いてあったラフマニノフの交響曲2番とホルストの惑星ばかり聞いていた。今の自分にはラフマニノフはかえってちょっと重い。ホルストは、どうだろう。よくわからない。
今かかっているのはプロコフィエフのピアノ協奏曲3番の3楽章、ピアノ連弾版。少し前に見たピアノコンクールのドキュメンタリーで、同じ曲を弾いた人が優勝していたが、あれはオーケストラだった。どちらもいい。
サンサーンスも同様で、動物の謝肉祭はやっぱりピンとこなかったわけだけど、交響曲3番のオルガン付きを聞いて、あ、長いこと誤解しててすいません、というような気持ちになった。
子供だからといって子供向けのものを与えれば喜ぶだろうという発想はやめたほうがいいよお父さん。まあ今さら言っても仕方ないけど。
あ、それで、そのプロコフィエフを弾いているピアニストがインタビューに答えて話していた。
自分は演奏そのものに興味はない。(演奏を通じて)その曲にこめられたストーリーを聴衆に語りたい。
それほどピアノに詳しいわけではないので初めて見るピアニストで、けっこうなお年の方だった。
確かに、ピアノに限らず、パフォーマンスそのものよりも、そこから立ちあがってくるストーリー、または思索の形跡とか志向性みたいなものに、より惹かれる傾向にある。
ある意味、パフォーマンスはそこに表現されたものがすべてであって言い訳はいらないわけだけれど、でもやはり、それはそうでなければならない理由がある、そういう類の作品が、アーティストが好きだ。

2018/08/01

いきなり

去年の8月まで勤めていた会社と、11月から働き始めて現在に至る会社が徒歩5分のところにある(もうすぐ引越しだけど)。
そういったわけで前の会社の同僚さんとときどきランチに行く。
先々週から先週にかけて、酷暑と評された日が続いたときは、連日午後3時を過ぎると体力が限界にきてしまって、コーヒー飲んでも目薬さしても、体操してもガムかんでも、頭はもうろう、目はしょぼしょぼで、日本の会社もそろそろ昼休みを長くとってシエスタできるようにしたらいいんじゃ、と本気で考えていた。
そんな中、もと同僚さんがランチに誘ってくれたので、お手頃価格のステーキ200gをいただいてきたわけだけれども、予想外にもステーキの効果ばつぐんで、その日以来、終業までしゃっきり過ごせるようになった。
そうか、肉が足りなかったんだわたし。
というわけで、週1のステーキを課すことに(食べ過ぎ?)。
今日は一人で、立ち食い(だからお手頃なのだ)。
早めに行ったのが正解で、お店を出る頃には炎天下に長蛇の列が。
みんな肉が足りないのね。