2019/11/26

当たり

いつも火曜は地元の22時過ぎからのクラスに出ていたのだけれど、冬の到来なのかお年頃なのか、23時に終わってから帰宅して、ただでさえ不眠ぎみなのに、おたおたしているうちに眠れなくて朝起きられなくなる..という悪循環を切るために、同じ先生の別の場所の早めのクラスに出てさっさと寝ることにした。
コンビニで買い物をしたらレシートに商品引換券がついてくる。定価750円のワイン赤白が選べるとある。読み間違いではないかとじっと眺める。店員さんに「これってタダでいただけるってこと?」と再確認。そうですね、豪華ですねとコメントしつつシャルドネを持ってきてくれる。あら悪いわねと有難く頂戴する。
帰路、つい普段の所業を顧みる。最近なにかいいことしたかなあ。
一抹の罪悪感。750円のワインを縁もゆかりもない(しょっちゅう買い物してる以外は)コンビニさんからいただけるほど何か良いことしたかなあ。
思い当たる節がない。
宝くじなど当たった日には大変。きっと一抹どころではない罪悪感に苛まれるに違いない。当たらなくて幸いである(ま、そもそも買わないけど)。

2019/11/23

がんばりました

中野でコアトレとマーシャルの祝日クラスに出る。神奈川方面拠点の先生なので、なかなか予定が合わないのだけれども、今日はラッキー。
コアトレのクラスでは、ひたすら呼吸を意識するよう指導され、息を吐く力が足りないと連呼される。このままでは高齢になったら息が出来なくなりますよ!との言葉につい笑いつつ、自分は確かに以前から呼吸が浅い。長距離を走っても最初の15分ぐらいまでは異常に息が苦しいし、水泳が嫌いなのも息が苦しいからというのが主要因である。最近エステでオイルマッサージを受けた時に呼吸が浅いですねとコメントされたのも記憶に新しい。昔から、動いていない時でもしょっちゅう息苦しくなる。呼吸筋が不足しているらしい。
他のクラスを受けている時でも、先生が息を吐いているときの大きさと自分と比べてみてください、と言われて思い浮かべてみて、ああほんとだなと思う。確かに、音からして違う。これは早めに解決すべき課題かもしれない。

マーシャルは半分以上トレーニング。上半身を壊してからマーシャルやりましょうと平然とおっしゃりプレートを持つ手がちぎれそう腰がつりそうになる。負荷をかけないと筋肉増えませんとは至極当然だけれども、いつもいかに楽しているか反省しきり。
コリオはいつもinstagramで見るのを楽しみにしているのだが、簡単ですとおっしゃりつつやっぱり動きが理にかなっていて動いていて楽しい。
終わって消耗しきり。帰ろうとして階段をのぼりかけ、いや、今がいちばん動くはずだからとふらふらしつつ戻り、開脚ができないとちっとも美しくならない振付のダンスの練習をしばらくして、ついに力尽きる。途中でステーキを食べて帰宅。がんばりました(特に背中)。

最近好きな振付師さんが固まってきてしまった。たまに別の人のも見たいと思うけれども、どうも選り好みが激しいらしくあまりこれという出会いがない。
(TUTORIALしか出てこなかったけど、ご本人が踊っている動画はこちらの最後のリンクから。多くの場合、最初の方の人しか見ないのだけれども、こちらはみなさんそれぞれかなりすてき)
追記:どうでもいいけどこれやったら首折れそうだな、わたしの場合。。ダンサーさんてほんとすごい。
久しぶりにこれは好き。
追記:どうでもいいけどこっちは腰が折れそう。。すごいね、ほんとに。
やっぱりこのひと好き。
好きと思ったはじめの1本





2019/11/17

お楽しみは先に

しばらく前の「ダーリン」にスポーツ選手の滝行のことが書いてあった。
自分は滝に打たれたことはないけれども、近所の温泉に、たしか桶シャワーとかいう名前のついたものがあって、その名のとおり、ボタンを押すと天井近くにある水の入った桶がひっくり返ってバサーっと水がかかる、というものから、なんとなく、こういうことを連続的にやるものなんだろうなあと想像している(全然違うのかもしれないけど)。
それを、自分にとっての優先順位を身体に覚えこませるための行為と位置付けていたのがぴったりきて、この数日、時折そのことが頭をよぎったりしていた。
そういえば自分にもそういうことがある。具体的にそれが何なのかということを書くつもりはないし、なんでそういうことをするのか聞かれて相手に納得のいく答えを返せるとも思っていない。とにかく、どう考えても論理的でも効率的でもないけれども、自分にとっての優先順位を自分自身に対して明らかにするためにしていること、というのがある。

今月はお店その他各種の理由で休講が重なり、今日も昼まで寝ている。平日を含めレッスンのない日がない日々があたりまえになったのはここ1年ぐらいの話で、それまで週末は1日は何かのクラスに出ていただろうけれども、それ以外は何をしていたのか思い出せない。元来怠惰だし前職は12時間労働ぐらいしていたから、きっと疲れ果てて寝ていたに違いない。
ともあれそんなわけで週末にいつもよりフリ―の時間ができた。夕方、レッスンが全部終わった後のジムの開放スペースで昔の動画を見ながらごろごろ転がって練習したりしているといくら時間があっても足りないので、ある意味自由な時間も楽しいのである。
恒例の有休消化期間に入り、来月初旬までは毎週3連休となる。自分にとって重要なことに取り組める時間がとれるのは極めてしあわせなことで、しあわせな時間は有限で壊れやすい。お楽しみはとっておくのではなく、先に、とぶちぶち呟く。

2019/11/08

言語化されて進むこと

先週からノド風邪が治りきらない。市販薬で一進一退しつつ、声がれしたまま一週間以上経ってしまった。
その間いろいろあった(ような気がする)。
昔の映像作品を再放送する番組をたまたま目にしたら、向田邦子『阿修羅のごとく』だった。作品だけでなくそのライフスタイルも含めて向田邦子を好きな女性は多いだろうから珍しくもないが、その頃たしか中学生だった自分の場合、エッセイは好んだが小説やドラマはそれほどでもなかった記憶がある。女性の機微の世界が分からなかったんだろうな、その頃のわたしには。
そんな彼女を少し理解したような気がしたのは、少し後になって、ご本人の脚本ではなくジェームス三木の手になるドラマ『父の詫び状』を見てからだった。
ともあれ、出勤の時間だったからぽちっと録画して家を出て、帰宅して、いそいそと見る。学生の頃に感じた違和感がなんだったかも思い出せないぐらい、あるある、と分かってしまう。阿修羅とはよくぞ言ったり。でもそう思いながら憎めない。クスリと笑ってしまう。正しくはないとは思えども、自分もつまるところ同類だと、つい許してしまう。年をとるということはこういうことなのかもしれない。

昨日。測定するとアプリで自分の筋肉や骨格を3Dで表示してくれるというサービスを試してみる。筋肉にはあまり興味がなかったが問題は骨格。見事に捻れたり傾いたりしている。ほぼいままでかかった整体師さんたちのコメントを総合したような結果になった。
直後に話した世話好きのおともだちによるとショックを受けていたように見えたそうで今朝ほど元気を出せと励ましのラインをいただく。本人はショックというより、なるほどねえと感心したり納得していたのだけれども、なにしろじつにいい子である。
ともあれ、3D画像とともにその骨のパーツと症状、対策が簡潔に言語化されているので、パーツの名前で検索して調べてみると、いままで、なんでここがこう痛むのだろう、と思っていたところが、予想外にも、納得感とともに骨と筋肉の気持ち(なんてものはないかもしれないが)が少し分かってしまう。彼らはそうなるべくしてそうなっているのだった。
そうですか、そうだったのね。今まで分かってあげられなくて、すみませんでしたね、というような気持ちになる。これからどうすればいいのか思案している。
言葉、図、あるいはそのほか目に見える形になってみてはじめて明らかになること、または一歩、先に進むということがある。

2019/11/02

調子

身体が動かない、と感じることはしょっちゅうある。腰が痛いとか背中がかたいとか腕が上がらないとか首が回らないとか。けれど、いつもより身体がよく動くと感じたことは、よく考えてみると今日までなかった。
何がよかったんだろう。
レッスンに3つ出たから、合間の待ち時間に色々器具を使ってマッサージやストレッチをしていた時間が長かったかもしれない。逆に、これだけ長時間調整しないと調子というものはよくならないってこと?
先生に教えていただいて、動いている間、お腹を「えぐる」意識を持つようになってから、左腰のぐりぐりが少し小さくなってきたのも関係あるかもしれない。
風邪がぶり返してきたから風邪薬を飲んでいたとかのどが痛いからトローチを始終なめていたとか、朝ドリンク剤を飲んだとか、もしかしたら関係あるかもないかもだ。
世話好きのおともだち1名からは今日は元気がないねと言われたので、外見は元気なかったらしい。月初で新振りが多かったから、すぐに薄れていく頼りない記憶を反芻するのに忙しかっただけなような気もするけど。
よくわからないけど、「調子がよい」と感じた貴重な本日なので記録しておく。
それほど期待も、さりとて絶望もせず、淡々と、なすべきことをするだけ。未来は明るい、といいな、と思いつつ。