2019/05/26

シームレス

去年の秋にオフィスが日本橋に引っ越して、丸善が近くなった。昼休みに行き帰りしても余裕がある距離なので、たまに寄る。そこで買ったのがさきごろまで読んでいた「暗幕のゲルニカ」。以前に読んだ「楽園のカンヴァス」が面白かったので手に取った。以前、とはいつのことやらと思い、珍しく当blogの検索機能を使ってみた。せめて2年前ぐらいだろうと思っていたが、なんと2015年。面白かったわりに、次の一冊を手に取るまでにずいぶん年月を費やしている。ちなみに当時の自分の文章は今とずいぶん違うように思う。気持ち悪くて読めない。
それは置いておいて、その作者の原田さんと指揮者の大野さんとの対談番組があったので録画して昨夜見るともなく見ていた。
語られているとおり、原田さんの作品はどこまで史実かフィクションなのか境目が分からないところが面白くて、上述のゲルニカも本の途中でついネット検索して調べたりした。作者ご本人も、フィクションとノンフィクションを「シームレス」にするところを「狙っている」そうである。なるほど。
今読み始めているのは「異邦人」で、これは完全フィクションのようだ。

ダンスというのは面白いもので、踊っている肉体本体は確かに自分自身なのだけれども、そこで先生の指示どおり何かの形を作ろうとしているうちに、現実の自分ではない何か異質のものに変質している。音楽と先生の解説でなんらかのストーリーが想定されていることもあるので、努力はしているものの完全にそこに入りこめているかは別として、とりあえず現実世界で生きている自分以外の何かになっている。
その現実と非現実のシームレスな時間がとても好きだ。
まあ今のところ、長くて1分半ぐらいだけど。

2019/05/20

眼科再診。
瞳孔からは辛うじて外れているものの黒目の中にある穴の深い箇所が完全にふさがるまでは、運動厳禁と念を押されてしゅんとなる。
一生コンタクトはやめたほうがいいです、とおっしゃるので、あの、ダンスのときだけいいですかとおそるおそるお尋ねする。しばしの沈黙。耐えられず、2ヶ月後ぐらいからならどうですかねと再度お尋ねしてみる。まあそれぐらいならね、とお答えになる。
しゅん、しゅん。
連休明けから読み始めた「暗幕のゲルニカ」読了。
本書はフィクションだが、アートの力、というようなテーマから語られる主役はもちろんピカソの「ゲルニカ」である。でも、一方、「鳩」みたいな役割のアートもあるんじゃないだろうか、と思う。庶民の傍らに佇んで日常の喜びや悲しみをともにする。闇に見つめては祈り、明日に一歩踏み出す力を与える。そういう日々の営みとともにある在り方だって立派なアートの一方法であろう。現にそれに生かされている人間だっている、そう思う。



2019/05/19

せっかく3

この週末、角膜潰瘍と虹彩炎がひどかった間にPC画面を直視した時の眼痛がTVや照明の比ではない激痛であったことにキモを冷やし、1つは薄型非球面加工、1つはブルーライトカットと2種類の眼鏡を買ってみた。
ブルーライトカット、初めてだったのけれど、かけてみるなり目の奥にひとかたならぬ癒し感。マッサージに行くと必ず「目がお疲れですね」とコメントされるのだけれども、これで少し緩和されるといいなあ。
30代前半に仲良くしていた男子がzoff贔屓だったせいで、以来ずっとzoffなのだが、今回かくかくしかじかでダンスでバタバタ動いても落ちないようにしてもらえませんかね、ついでに左右段違いに生えている眉毛(正しくは20代後半に雨の中自転車に乗っていて点字ブロックで滑って転んで眉間を数針縫った際に段違いになって、整形するのも面倒だからそのままにしているのだが)が目立たないようにしてもらえませんかねと駄々をこねたら、店員さんが丁寧にフィッティングしてくれた。ありがたい。
ダンスをしている女子で眼鏡をかけている人間など一人もいない(とりあえず知る限りは)から、顔を合わせるたびに、かくかくしかじかでしばらくの間眼鏡ですと言い訳をして回らなければならない。はっきりいって面倒である。
眼鏡が目立たないように派手めなウエアでも着て注意をそちらに逸らしてみるかと試みたが、しっかりばれてしまった(あたりまえだ)。
嗚呼めんどうめんどう。

せっかく2

昨夕、日差しが弱まったのを見極めてから恐る恐るカーテンを開けると意外に痛みもなくなり、照明、テレビ、PCと眺めるだけなら問題ないまでに回復してきました。
ただ、まだ黒眼の皮が剥がれた箇所が見えるので(本当は金曜から見えていたのだけれど、こんなにはっきり剥がれてしまうものかと心理的に認知することを拒否しており、だんだん小さくなってきて初めて認知可能となった模様)異物感から時折はらはらと落涙しております。
しばらくはおそろしくてコンタクトは使えないだろうから、この際せっかくだから(!)メガネを新調しようと池袋に出向いたところです。
池袋に行ったらレッスンに出たくなるに違いないけど。
夕方までに赤目と腫れ目が不審感を醸さないまでになっていたら、行っちゃうかもしれません。

2019/05/18

せっかく

昨夜、暗い部屋で(照明をつけると眼が痛い、特にPC画面もダメなので、これも珍しく携帯で打っている)顔の左半分だけでも滂沱の涙を流し続けていると、目が腫れて左だけお岩さん顔になってるのはもちろんだが、だんだん悲しくなってきて、このままでは朝には地獄のように落ち込んでるのではと予想。
目がダメなら聞くしかないので、世の中で最も前向きな人物の一人、と思っている某Fさんの日記放談会録音を聴く。だいぶ前に買ったんだけど途中で挫折していた(ごめんなさい)。
相変わらずの巻き舌関西弁が懐かしい。ずいぶんお目にかかっていないけれど語り口は学生時代と同じで、はてなマーク7つぐらい、と評される人間との遭遇のくだりあたり、ああいるいる、と思いつつ思わずがははと笑いながら拝聴。元気になってきた。ありがとうございます。
今朝、お岩顔は若干ましになったものの、まだカーテンも開けられず電気もつけられないけど、小出監督の言葉だったか、故障しても「なんで、と思うな、せっかくと思え」と思って、溜まっているオーディオ系に浸る週末にしたいと思います。

追記  食べるものがなくなってきたので誰かにあげようと思っていたメッセージクッキーに手を出しております。



2019/05/17

ひと皮むけてます

今朝仕事をしていたら急に左目から涙が止まらなくなり、一時間ほど左目だけ泣き続けていたのですが、あまりに恥ずかしくなって眼科に行ってみたら、黒目の縁のあたりが「ひと皮むけてる」そうで、コンタクトと運動を止められました。
そういったわけで、しばらくおとなしくしていることになりそうです。

追記 薬のせいもあってか日差しをはじめ室内照明、PC、携帯にいたるまで痛みと涙を催すので、文字通り暗い部屋で寝ることにしました。おやすみなさい。

追追記  痛くて眠れない。。。

2019/05/11

tattoo inside my brain

前回連休前に行ったときは開店準備中だった星乃珈琲店に行く。
自室から15分のところにもあるのだけれども、駅と反対方向のせいで年に1度ぐらいしか行かない。駅前にもできたのだけれど、行くたびに列ができていて、待つ時間がなくて入れない。そういうわけで、スフレパンケーキを久しぶりにいただく。オーダーが入ってから焼くそうなので若干時間がかかるけれども、待った甲斐はある。美味なり。
レッスン前だからと一応シングルにしたけれど、食べ終えてダブルにすればよかったと後悔する。
前職でお世話になった大先輩に、あんたは食べてるときは幸せそうだとコメントされたことがあるが、おいしいものをいただいているときは、ほんとうにしあわせである。

昼のレッスンの曲の歌詞がおもしろい。
まあ要は君に夢中ですという歌詞なのだけれども、途中に「You're the medicine in the pain, the tattoo inside my brain」というフレーズがある。脳内タトゥーってすごい表現だなあと、ちょっと記憶に残ったのでメモしておく。
むしろ振付が1回で脳内に刻まれる頭になりたいんだけどなあ。




2019/05/08

遺恨

今日はゆっくり出勤なので(といっても普通に9時だが)のんびりしている。
昨日、連休明けて駅に向かいながら、前の晩のコンビニケーキは今ひとつ「ごほうび」としてはしょぼかったなあ、と遺恨らしきものが残っている。次のごほうびはせめて駅前まで戻ってコージーコーナーのケーキを買おうと思う。
ひとときかりそめの満足に浸っては、目覚めて嗚呼おのれは阿呆であるなあと我にかえる。
こうして人生は続く。

2019/05/06

祝杯

早いもので10連休も終わってしまった。
こんなふうにいずれ人生も終わるんだろう。
時間があったら読もうとこの連休中バッグに入れて持ち歩いていた村上春樹の新刊文庫本とたぶんここ1年以内に購入したと思われる原田マハ(村上春樹が進まない場合に予備としてリュックのポケットに入れておいたという念の入れよう)は双方とも結局1ページも開かず仕舞いと相成った。
毎日ダンス(その他トレーニング系)のレッスンに参加させていただいて、ほんとうにしあわせでした。家族会社その他にはご迷惑をかけて悪いけれども、正直、このまま息絶えても悔いはない。
今日は祝日1回きりの振付の90分のレッスンではじめて、少なくとも最後の3回は間違えずに出来たので、個人的にはじつに会心の出来である(先生には何をほざいておるかと叱られるにちがいないけれども)。よくがんばったなあ、と、ひとり悦に入る。
こういうのはちゃんと祝福してあげないといけない。自宅禁酒を解禁して祝杯することにする。ついでにコンビニで「イタリア栗の焼き栗モンブラン」を買ってくる。
お祝いにしてはしょぼいが、思いついたのが帰り道、自室まで100mを残すばかりの地点だったので、コンビニしか選択肢がなかった。
酔っ払っているけれども、まあ、こんな人生でも満足である。



2019/05/03

希望は生き続ける

渋谷は嫌いだけれども行かねばならないこともある。
ついでに映画でもと午前から出かけて、bunkamuraで「幸福なラザロ」を観る。とてもいい。という凡庸な感想しか書けないのがもどかしいが、もともと薄い化粧が目から下、全部落ちたぐらい泣く。泣いたから良いってものでもないけれども、なにしろ良かったということが言いたいだけ。きっとレビューが沢山出ているだろうから、気になる方はそちらをご参照くださいませ。
予告編を見ていて、ゴダールの新作なるものが銀座でかかっていることを知る。ゴダール、まともに見たことがない。レッスン終わってからでも今日の最終回に間に合うかもしれないと一応計画しておくことにする。
improve your mobilityという直球ど真ん中みたいなクラスがいつもの先生のクラスの直前にある。ラッキー。実はこちらのコーチさんのクラスに出るのは確か4回目で、かなり久しぶりにお目にかかるのだけれども、blogだけはずっと拝見していて、勝手に私淑しているのである。トレーニングはもっと頭を使って考えなさい、自己評価できるようになれとメッセージをいただく。とりあえずバンドを使ったトレーニング数種で確かに肩周りの稼働域が広がるのを実感したので、続けてみようと思う。

脳内メモリには限界があるから、祝日レッスンの振りはその時間が終わったら記憶に留める努力は積極的にはしないでおこう、と決めてかかっていたのだけれども、曲を聴くと意外にぽつぽつといろんなことを思い出す。
昨日レッスンを始めるにあたって先生は、難しいと思うけど、できると思うんだよね、とおっしゃった。もはや自分に何ができるのかできないのか、さっぱり分からないけれども、できるかもと思ってくださるんなら、それが希望だ、やってみようと思う。

hiphop90分というのは楽しいながらも結構な運動量。先生踊ってくださる。皆さんかっこいいという表現をされるけれども、自分としては、美しいという形容詞のほうがぴったりくる。生で観られるのが至福だけれども、動画の中でもいいからいつまでも踊っていてほしいなあと思う。
なんとか体力がもったので、レッスンの後、急いで銀座に行く。ゴダールのImange book。正直言って彼の方を語れるほど勉強していないので何も言わないけれど、残った言葉を記しておく。
「悲しみ方が足りないから世の中は良くならないのだ」
「たとえ何一つ望みどおりにならなくとも、希望は生き続ける」




2019/05/02

方向音痴

もともと人ごみも並ぶのも嫌いなので、ラフォルジュルネも今年はパスしてしまったし、クリムト展もなにも連休に行かなくてもね、と思っている。
連休中はダンスだけでなくちゃんとトレーニング要素のあることをしようと思って、マーシャルやらヨガやらもやっている。1回ずつはさほどキツくもないけれども、さすがに文字通り毎日やっているせいで、全身筋肉痛になりつつある。マーシャル系は、自分の弱点である背中と肩甲骨回りを他のクラスより使うので稼働域が上がるし、ヨガはやっぱり全身の調整効果があるから、ダンスとの相乗効果というようなものを感じていて、時間と体力が許せば延々といろんなことをやっていたいと思う。好きなことにだけ時間を使うことのできる休暇はほんとうにしあわせである。

方向音痴なので初めての場所に行く時はかなり時間に余裕を持って、地図もプリントアウトして持っていくのだけれども、2回目となると油断するようで、自信を持って曲がる道を間違えた。雨も降っていたしイヤホンから流れる音楽に気を取られていたせいか、ちょっと遠いなと思いつつ、えんえんと間違った道を歩き続けて隣駅の近くまで行ってしまったらしい。
仕方がないので人生で初めて(!)Google mapのナビ機能を使って目的地に到達したけれども3分で着くところ20分以上費した。でも暗い夜道にナビ機能は頼もしい。
よし、今日も使ってみようと前回迷った下北沢のとある住所を入力し矢印の示す方向に素直に従って歩いたら、ずいぶんと遠回りさせられた。やっぱり地図と己の頭でたどりつける場所には自力で行くべきなりと反省。
方向音痴で地図を読むのに時間がかかるのと、ターンなどで面が変わると大混乱するのとは微妙な関係があるのではないかと密かに思っているのだけれど、さして根拠はない。