2009/10/31

6号路から相模湖へ

高尾山口の改札を出ると、そこは大人の遠足グループでごったがえしていた。
さすがアウトドアシーズン。背景は違うけれど、御茶ノ水の改札から順天堂大に向かう通勤路並みの混雑である。
人が少なめの、琵琶滝沿いの6号路を選んで登る。
前を英語圏の人らしい3人連れが歩いていて、ちょうどペースが同じせいで、すぐ後ろをついて歩いてネイティブの会話を盗み聞きする。
アメリカから来たらしい男性が、ぼくはアメリカにいたころはけっこうアカデミックなジョークを言えてたんだけど、日本に来て、最近気がついたらなんだか言えなくなっている。日本人笑わないから、ジョーク言わなくなったせいかなあ、とか言っているのが聞こえた。イギリス男性が、アメリカに帰ればまたカンが戻って言えるようになるよと慰めていた。
いや、気の毒、すいません日本人の(いえ私の)英語レベル、と思いつつ、それ分かってしまう。ネイティブのジョークって分からない。私の場合、日本人の言ってるジョークさえ1拍置かないと理解できないんだから、外国語で言われたら、もうどうしようもない。
とはいえ、いちおう努力はしているわけである。ユーチューブでイギリスのコメディとか見たりして。しかしこれも若干の事前解説と仕込みの笑い声があるから分かるような気になるのである。
一対一で言われたら、きっと沈黙してしまうだろうなあ。ま、がんばります。

ということで高尾山は6号路から山頂に出て、そこから相模湖に抜けた。たかが高尾山となめてかかってはいけない。道中、ここで滑ったら絶対死ぬぞという地点はいくつもあった。上りの6号路は一人になることはなかったけれど、城山から相模湖に向かうコースは、たまにすれ違う程度で、殆ど一人で歩いた。下りが意外にきつい。結局ジョギングに使っているシューズを使ったけれど、今日程度の晴れの日でも地面は完全に乾いていないから、滑りやすいところも多い。一丁平、城山のあたりでは、トレイルランニングの人を数人見かけた。ちょうどモンブランの100キロトレイルを取材した番組を見たところで、いやすごいひとたちだと思う。
相模湖へ抜けるコースは民家を抜けたり舗装道路を通る分、これで自然路なのかしらと少し拍子抜けする場面もあるのだが、想像より大きくて、綺麗だった。ひとしきり歩いた後に眼前に緑の湖が開けたから綺麗に見えたんだろうか。
こんどは陣場山から高尾山に抜けるコースを行ってみたい。ただ、ここを行くとすると7時間程度の行程になるから、ちゃんとした準備が必要でしょうね。

2009/10/30

いよいよ

明日は高尾山に登ることにした。
高尾山ごときで、明日は、いよいよ、と宣言するほどのことは全くないのだけれども、つまるところ気合が入っている、ということだ。この時季だから、一人で行ったって、きっと道連れがいるだろう。まあ、いなくたって構いやしないし。
装備は結局買わず、持ち合わせで済ますことにした。
家にいても隣室の工事で煩いから、どこかへ避難するしかない。
映画には先週行ったし、外出すればなにかとお金を使うし、山にでも登るのが、いちばん安上がりで健康的でしょう。

Audibleで買ったThe Shadow of the Windは、割に英文が分かりやすくて助かる。
題名、著者名に続いて朗読者の名前が読み上げられるのだが、面白いのは、どうも声が似ていると思ったら、前回購入したSaturdayと同じ人が朗読しているのである。本の著者も違うし、もしや売れっ子で何十も吹き込んでいるのだろうかと思ったけれど、全部で8件しかナレーションしていない。その中の2件を連続購入するとは、いったい、どんなご縁で。

もぎけん先生のTwitterは、最近ますます短文の切れ味に磨きがかかってきて、岡本太郎ばりの名言集みたいになってきた。すごい、うまいなあ。
今日もいろいろたいへんだった。激風の中でこそ、自分のよりどころとすべきものが明らかになる気がする。そうですよね。

2009/10/29

憧れは憧れとして

定額で月に何回か(料金によって回数が増えるわけだけど)洋書の朗読をダウンロードできるAudibleというのがあって、遅かりしとはいえども先月から始めた。初心者なので、もちろん月1。外国のサービスを継続購入するのも、はじめて。
前回は、翻訳を読んだイアン・マキューアンの『土曜日』だったが、日本語で読んで面白い程度の、それなりに凝ったところのある文章は、現時点の英語レベルでは、よく分からない。1ヶ月聞いても、やっぱり分かるところしか分からなかった。児童向けにしてもおかしくない程度の、かつ、英文テキストを持っているのを聴くべきか、と思って、2回目の今回は以前にペーパーバックを仕入れたまま放置されていた『風の影』を選んだ。面白いといいなあ。
たまにTIMEのWebサイトを読む。これは割に分かるし面白い。Newyokerは憧れで、サイトをチェックするが、これまた凝った文章で、おそらく内容もふた捻りぐらいしてあるようで、素人にはちと難しい。ただ、憧れは憧れとして、もっておいても悪くはないだろうと思う。
五十肩が疑われた左肩は、ジョギングを始めて以来ほとんど気にならなくなった。今日も5キロ走る。32分50秒。最初飛ばしすぎて、2k過ぎから減速。相変わらず、少し膝が気になる。

2009/10/25

夕陽

ここ数日、仕事絡みの後味の悪い夢で目が覚めていたのだが、吹っ切れたのか、今日は何か違う夢で目覚めた。朝ごはんも美味しい。
昼から、4回目の10km。相変わらず音楽などは聞かない。ただ走る。ひたすら走る。
1時間9分、初の1km6.9分台。
前回の1時間11分を上回るように、上り坂と最後の2kmでがんばった。それでもマイナス2分。
クーリングダウンのストレッチをしていると2時を回る。急いでシャンプーをして、半年ぶりに美容院に行く。越してきて以来の行きつけで、縮毛矯正を割にうまくやってくれるのが良いのだが、空いているときでも3時間半ほどかかるから、行く決心をするまでに日数が要る。担当の美容師さんが産休に入ってしまったのも躊躇の因である。見知らぬ人と長時間話すネタの持ち合わせもない。
刷毛でべたべたと薬液を髪の毛に塗り、ラップを被せられ、ヒーターで加熱してもらっている間に10kmの疲れが出て、まぶたは重く、意識も途切れ途切れとなる。
27才男子の笑顔が可愛い美容師さんはバスケ部だったそうだ。道理でアイロンを持つ腕がたくましい。髪の量が多いので、アイロンを女の子の細腕にやらせるのは悪いなあといつも思っていたので好都合である。左右から美容師さんに髪の毛をひっぱられ、場所が違えば単におもちゃにされているようでもある。
6時半を過ぎて美容院を出る。髪はずいぶん短くなった。明日は、やっつけなければならない重たい仕事がある。せめて頭だけでも軽くしたい。
勤め先が変わっても、苦情処理ばかりやっている。
それでも、たとえば日航社員があの墜落のとき遺族に謝罪したのとは事の大きさが違うのだし、人の生き死にさえも、自然の営みの中ではひととき結ぶ泡沫にしか過ぎないのだし、と、昨日の映画で見たアフリカのサバンナと夕陽を思い浮かべる。もし自分が本当にアフリカへ行ったなら、もっと違う世界が開けるのだろうか。

2009/10/24

昼食はパン屋さんのパンとパックのサラダで済ます平日が続いていた。
せめてもの慰めに、スタバで買ったカフェラテを職場近くの公園でゆっくり飲むのが習慣になった。
その公園には鳩がたくさんいた。鳩の顔を見ているうちに、この前に観た若冲の群鶏とオーバーラップしてくる。
周囲の環境に私が同化する程度の時間が経過すると、鳩は私など存在しないような顔で、近くまで寄ってきて、砂の中に何かしら見つけては啄んでいる。
若冲の絵はシリアスに描写しているようでいて、どこかユーモラスだ、と美術館にいるときは思っていたが、鳥の顔というのは、元来ユーモラスであることに気がついた。
というか、よく観察してさえいれば、生きものというのはどんなものでもユーモラスなんじゃないか、とさえ思えてきた。
昨日対談を聞いた作家の島田氏は人間の感情というのはだいたい喜怒哀楽がそれぞれ4分の1ずつぐらい等分にあって、感情として表出するのはそのうちの一つ二つかもしれないけれども、ほかのものも奥に隠れてはいて、それぞれと戯れるすべさえ習得すれば、なんとか、生きながらえられるんじゃないか、というようなことを言っていた、ように思う。
他者に対しても、自己に対してさえも、じっと観つめつづていれば、どこかしら面白みのある部分を見つけることができ、それと戯れることができるのかもしれない。

いままで会社として使っていたらしい隣の部屋を住居用として売り出すから改装する、というので、土曜というのに朝から煩い。
なにしろ、隣室での電話の会話が理解できるほどに壁が薄いのだから困ったもので、会社だったのだけが救いだった(土日は休みだから)のだが、それもあとしばらくのことである。気が重い。
隣で壁に釘をとんとんとんと打っているのが、頭を叩かれているように響くので、おもわず、ああ、うるさーい、と叫ぶ。(もちろん薄い壁の向こうで作業している人に聞こえる程度の、声高に電話している程度の音量で。いやな隣人である)
まあ、そんなことしたって、向こうも仕事だからやめるわけもない。これが来月初旬まで続くというのだから頭が痛い。
諦めて、昼から映画館に避難する。山崎豊子原作の『沈まぬ太陽』。1時に始まって4時半に終わる長編。内容はよさそうだが小説を読む気にならないので、映画であらすじがつかめればよしとした。
最近仕事がほんとうに重いのだが、こういう巨大組織の、また人命に関わる事件に比すれば、さしたることはない、と素直に思えた。そういう意味では良い映画だった。

昨日の対談は後半ほとんど恋愛相談の質疑応答になっていて、本気で好きな相手に迫るならabsolute honestyでしょう、と語る某先生の言葉に、ほう、そんなものかしらねえ、と思ったが、先生らしいといえば先生らしいお答えではあった。
誰にでも適用できるかは、また別の話として、確かに、部屋にあるコスモスが可愛らしいなと思うのは、absolute honesty というか、full commitmentな感じ、確かに、そこがいい。

映画館から帰る。隣室も仕上げの段階に入っていると見えて、自室にペンキ塗りたての臭いがこもっている。音だけでなく通気も良いらしい。小ぶりの雨だが、窓を開けると、ずいぶん風が冷たい。10月も、もう終わりに近い。

2009/10/19

光の差すほうへ

約1ヶ月ぶりのプール。
というのも、膝に少し違和感があるからである。
半年前は5分走ってさえ、ぜえぜえ言っていた人間が、10kmも走るようになったのだから、身体が不調を訴えるのも無理はない、とは思う。
脚がまっすぐでない人は膝の外側を痛めやすいと、ものの本には書いてある。
上体が傾いていても、やはり身体のどこかに無理がかかるそうである。
大腿部前面の筋肉不足のせいで、着地の負担が膝のあたりにくるせいもあるかもしれない。
走り終わった後の足の筋肉は傷ついているようで、こころもち熱を帯びている。
これが炎症状態であるらしい。
今まで、走り終わった後にちょっとしたストレッチはしていたが、アイシングというような面倒なことはしてこなかった。でもどうやらそういうことも必要らしい。もう一度本を読んでおさらいをする。
アイシングに必要な氷のつくりおきなどというものはないので、応急処置として、以前に風呂から出る間際に立ちくらみを起こして倒れ、したたか腰を打った時に病院でもらった経皮鎮痛消炎剤の残りがあったのを思い出し、押入れから探し出してきて、貼ってみた。

ひと晩眠って、今朝、若干の違和感は残るが、まあまあ効果があった模様である。
でも大事をとって今日はプールにした。
すっかり温水に変わった水の中では、ゴーグルが少し曇った。

秋が人恋しいなんて、誰が決めたのか知らないけれど、どことなしに寄る辺ない気配がするようでもある。
昼間は太陽に向かい、夜は蛍光灯に向かって健気に咲く鉢植えのコスモスが愛らしい。

2009/10/18

0と1のあいだ

ものさしの0cmと1cmの間、1cmと2cmの間隔は同じく1cmであるけれど、
0回(未経験であること)と1回目(経験すること)との隔たりと、
初回と2回目(再経験)の隔たり、
隔たりというのはそれを始める前の気持ちの上での障壁とでもいうのだろうか、
より具体的には、よっしゃ、始めましょ、と腰を上げるときのその重さとでもいうか、
は明らかに何かが違う。
同じ0と1であるにもかかわらず。

なぜでしょう。

などと思いながら2回目の10kmを走る。
1時間11分でゴール。
前回は1時間15分だったので、4分速くなって、1km7.1分ペース。
相変わらず市民ランナーの中でも、びりっけつレベル。
もともと運痴を自覚しているから、今更落ち込むわけもない。
遅くたって、誰からも指摘されない。
趣味とは、かくも気持ちいいものである。

さしてタイムが伸びない中で、大きな変化は、
前回は、たどり着けるだろうか、と心配で仕方がなく、
最後の1kmはよろよろしながら走っていたのだけれど、
今回はえらく余裕で、最後の2kmはペースが上がったんじゃないかと
思うくらいだったこと。
前回は終了後の心拍数は130を超えていたけれど、今回は116。
身体の環境適応性は偉大である。

グーグルマップで10kmになるまで適当に線を延ばして作ったこのコースは
実は少し急な上り坂1つ、緩やかな上り2つ、緩やかな下り1つを含む
「坂」が多いことに気がついたのも今回が初めてである。
直線コースなら、もっと早く走れるかもしれない。
とはいえ、外苑あたりを颯爽と走る人たちの仲間入りするほどのレベルでもない。

ジョガーの事故というのは意外に多いらしい。
夜目遠目でも光って分かる蛍光リストバンドなどもグッズ売り場においてあった。
歩きとそれほど変わらない速度で走っていれば、そうそう事故に遭遇することも
なかろう、とたかをくくっていたのだけれど、最近その原因がなんだか分かる気がしてきた。
走っていると、見た目以上にすぐには停止できず、
方向転換でさえも一瞬の間を置かないと「その気」になれないものなのである。
だから、向こうから障害物たる車や人が来ても、
「すいません、もしよかったら、そっちでよけていただけませんか」
と思ってしまう。私の場合、きっとその間に轢かれるに違いないので、
リストバンドを買おうかと思いはじめている。

マラソンレースに出たいなあと思うのはそういう意味が大きい。
正面からくる車や人、赤信号に煩わされず、安全な道をただひたすら走ってみたいよ、という。

さて、走力などというものはそうそうレベルアップするものでもないだろうけれども、
次の目標は、10km走で1km7分を切ること、になるだろう。

2009/10/17

シュール

若冲の動植綵絵を観に上野に行く。
金曜の夜だから予想よりは空いている。
若い女子連れが「やっぱり若冲の絵って顔が可愛いよね」と囁きあっている。
そうだよね、と思う。
あの迫力の鶏でさえ、ユーモラスで可愛らしいのは目のせいだろうか。
見飽きない精緻な描きこみでありながら、対象が平面的に切り取られ、
構図のせいもあって、シュールだ。

白雀の顔。
蝶。
蓮池遊魚図の手前の一匹。
カエルの群れが一方向を向いている。
鳳凰の羽根の派手なハート型。
あひるのくちばし。

生活、生命に近くて、親しみのあるシュール。好きです。


三遊亭圓生にはまる。
声色の使い分けが絶妙。
佐々木政談、小間物屋政談、三軒長屋を聴いて、あはははと笑う。


2.5kmをなんとか走り切れそうな程度のスピードを出してジョギングしてみる。
それでもまだ1km6分台。

2009/10/12

落語

夜、落語を聴くとよく眠れる、というエッセイを立読みして、
ジョギングによる疲労のせいか何もしなくたってぐっすり眠れるけれども、
なんだか急に落語が聞きたくなった。

まずは志ん生から入るのが王道でしょう、と思ったのだけれども、
人気のせいか、図書館在庫CDは貸し出し済み。
たまたまあった円生のを2枚借りてきた。
各人の思いこみで同じ音でもいろいろに聞こえる、というテーマの
「紀州」という小話が気に入って
youtubeでも探して聞いてみた。
落語・三遊亭圓生『夏の医者』(1/2)

たしかそのエッセイストさんは金原亭馬生にお熱で云々、と書いてあったのを
思い出して、馬生も。
落語「目黒のさんま」(前半)

さすがにこれは、殆ど落語を知らない私でも聞き覚えがある。
あったかいうどんが食べたくなる
桂枝雀の「時うどん」

アタリさんのおかげ

新宿をぶらぶらと歩いて来年の手帳を買う。
もともと約束の時間に追われるような外勤の仕事もしていないので、
月間計画さえ書ければ支障ないのだが、
最近つけはじめた毎食の食事内容と、
マラソンに向けた簡単な年間トレーニング計画が記入できて、
かつ最小のものを選んだ。

本屋で新書やらを選んで、最後に話題の本コーナーで
ジャック・アタリ『21世紀の歴史』を手に取った。
ほんまかいな、とか呟きつつ、ちょっとお値段が張りますねなどと
内なる財務担当と相談したりもしつつ、
1分ぐらい悩んで、結局買うことにした。

折しも5000円以上お買い上げの方は抽選会がありますよ、
というので、いそいそと会場に行く。

がらがら、ポン。

5000円の商品券が当たる。

本日のお買い上げ総額は約7000円だからして、
あそこで2400円の本を買わなかったら、
抽選券はもらえなかった。

アタリさんのおかげで、商品券がアタリました、
と、しょうもないことを考えながら家路に着く。

村上春樹の1Q84をオーウェルのと同じ発音でイチキューハチヨンと読めるのは
日本人だけだなあ、これって日本人向けの村上流サービスなのだろうか、
と、これまたしょうもないことを、ふと思う。

立読みした落語本の影響か。

NHK音楽コンクールの今年の課題曲、
いきものがかりの「YELL」が頭の中で何度も鳴っていて、
ときどき泣きそうになる。
最近、J-POP系の歌手なんて全然聞かないけれど
久しぶりに、なんか、いい歌だなあ。

2009/10/11

丸さとか、太さとかね

先日下見をした10kmのコースをはじめて走ってみる。
いつも夕方か夜に走るのだけれど、さすがに10kmともなると、
景色が見えないとつまらない気もして、ちゃんと準備運動もしてから走りはじめた。
早稲田通りは、人ごみの駅前を過ぎると走りやすい。
キンモクセイの香りが漂っている。
日は照っているけれど、風が心地よい。
秋ですねえ。

後ろから足音がずっとついてくるような気がしていた。
ランナーとすれ違ったり、抜かれたりすることはままあるけれども
この超スローペースな私をずっと追い越さない人って、相当遅いなあ
と思っていたのだけれども、
ウエストポーチの中で、100mlほど入れたペットボトルの水が
しゃかしゃかとシェイクされる音が
後ろからワンテンポ遅れてついてきていたのだった。

1時間15分でゴール。

いつもジョギングしているコースは1周2.5kmで、
それを4周するという手もあるのだけれども、
やはり同じコースを4周するのは気力の面できつい。(元来、なまけものなので。)
3周終わったところで、やめておこうか、となりそう。
その点、1周10kmのコースならば、
なんとかゴール(家)まで完走しないと、と思うから、
苦しいところでも止まらずにがんばれた気がする。

途中、大きな道路の信号待ちと踏切待ちで数回止まって水を
飲んだりしたけれど、自分から積極的に止まりはしなかった。
きつめの坂道もちゃんと走った(よたよただったけど)。
75分で10kmだから、1キロ7.5分。
いつものジョギングのペースとさして変わらない。

はじめてにしては、よくがんばった(笑)
遅めの昼ご飯が、いつもと同じメニューなのに
えらく美味しい。
体重も、今年はじめて50kgを割った。
(よく考えてみると、ここ10年来ではじめて、というのが正確かもしれない)

先週の定期健診で、かかりつけのお医者さんに
(ちなみに、かっこいいおにいさんなのだが)
「そうだね、最初に来たときと、だいぶ感じがかわったね、
ええと、感じがというのは、うん、丸さとか、太さとかね」
と、きわめて物理的見地からなるコメントをいただいたところである。

2009/10/10

秋桜

マラソンのレースは、やはり走るには気持ちよい時期とあってか
近場のはどれも満員御礼、申込締切。
ではトレッキングにでも行くか、と靴と装備を探しにショップに寄ってみると、これまた混雑している。
アウトドアには気持ちの良い時期だからして。
みな考えることは同じ。
混んだり待ったりするのが嫌いな性分のせいで、一気にやる気が失せる。

原点に戻って、そろそろ10kmジョギングに挑戦するか、と、ペットボトルが入る
ウエストポーチを買って帰る。

某ブログ経由で見かけた金コーチご推奨の「体幹」走法を試してみた(2日目)。
咀嚼しやすいように素人風に解釈すると、
姿勢正しく、肩甲骨から腕を動かして、「背中で」走る、
着地のときには足の上に直線状に胴体が乗るように走る、
そうすると、胴体より足が前に出ない、
という理解だけれど、もしかすると間違っているかもしれない。
ともあれ、そうやって走ってみると、いつもよりラクに早く走れた気がする。
はじめて5kmを34分台で走る。

花屋の店先でコスモスが頼りなげに風に揺れていた。
店員さんに一鉢選んでもらって、日に当たるように部屋の窓際に置いた。

2009/10/05

正義

日曜の朝、「ようこそ先輩」」というテレビ番組があって、日曜美術館の前に、たまに見ることがある。
母校の学生(小学生である場合が多いように思うけれど、中学生の回もあったかしら、よく覚えていない)を相手に、先輩が現在の職業に関連することがらを講義する、という内容である。
昨日の朝は、伊勢崎賢治さんの回で、シエラレオネや東ティモールで武装解除、紛争解決に携わっていらした方だそうだった。
この手の話題には疎いので、子供向けぐらいがちょうど理解できる、と半ば自嘲気味に見始めた。

後半、ロールプレイで考えさせる授業だった。
川の上流がA国、下流がB国で隣り合っている。双方とも主に農業の国。(西から東に川が流れている)
国境に極めて近いA国領地内に水門がある。
川より少し南に、川に並行して道路があって、B国より東側には市場がある。
ある年、旱魃があって、川の水量が少なくなりました。
A国は水門を半分閉じてB国に流れていた水を自国内に流すことにしました。
B国は対抗し、道路を封鎖して、A国が農作物を輸出できなくしました。
更に旱魃がひどくなりました。
A国は水門を全部閉じ、B国は交渉にきたA国の人を人質にとりました。
さて、こうなったときに、A国のみなさんは、武力を行使しますか、どうしますか。
というような問いかけを小学生にして、議論を挟んで2回、どちらを選ぶか手を挙げさせていた、と思う。(たしか、1人の女の子が議論の後に武力を行使しないほうへ意見を変えた。)

2回目の挙手が終わった後、多数であることが正義ではない、少数派にも正義がある、
と氏は言った。
なぜか分からないけれども、その言葉がその後も残響していて、図書館で氏の本を借りてきた。
『武装解除』と『さよなら紛争』。
新書の『武装解除』から手をつけたのだが、途中から、14歳の世渡り術シリーズ『さよなら紛争』へ乗り換えて、そちらだけ読み終わった。

シングルスタンダードのない世界で、と副題のついた章には、人類共通の正義はない、だから自分にとっての正義は何かを見つめていきたい、と書いてあった。

最近、職場でチャットをしていて、policyという言葉を目にした。
XX is my policy,と彼女は言ったわけだが、それが、とても新鮮に聞こえた。
職場もまた、時にカオスと化し、少なくとも精神的には戦場となることがある。(もちろんそれはシエラレオネとは全く異なる平和ボケな戦場なわけだけれども、、)
数々の矛盾を抱える中で、自分にとって、正義、とまでは言えなくとも、何が正しいか、と
見つめる姿勢は、どこにいても、忘れてはいけないのだな、と思う。

2009/10/03

ハードル

地図で1周2.5kmのコースを作って、いつもは2回りしていたから、1回につき計5km。
5kmを体調によって35~37分で走っているのだから、ペースとしては、かなり遅い。
それでも、15~20分あたりまでは、かなり呼吸が苦しくて、30分を経過したあたりから、やっとラクになる、という状態が続いていた。
「鼻歌が歌えるくらいのスピード」が良い、と本に書いてあるのだけれども、
体力のない初心者が、鼻歌が歌える程度に遅く走るというのは意外に難しくて、
長年の不精のせいで、なまりきった心肺機能を上回るスピードをついつい出してしまう。
(客観的にはほとんど歩いているのと変わらないスピードになってしまうので、
かえって間の取り方がよく分からないせいではないかと初心者的には考える)

それが、昨日(のその前だったかしら、)走っていて、
はじめて、「鼻歌」のスピードを体得した。
走り終わっても息切れもない。顔も真っ赤にならない。タイムもいつもより遅くて5km39分。

初心者なりに考えてみて、最大のモチベーションダウンは膝を痛めることと思われるので、
むやみにハードルを上げるのは控えているのだけれど、
だいぶ涼しくなったし、筋肉もそろそろできてきたかしら、ということで
今日はじめて7.5km走ってみた。

どんな些細なことでも、今までできなかったことが可能になる、というのは、
走ることそのものの爽快さに加えて、また楽し、なのである。
この種の楽しみは、本を読むとか、映画を観るといった受動的な行為から得られるものとは
決定的に源を異にするように感じられる。

Saturday

Fainally finished reading Ian McEwan's "Saturday"(in Japanese). At the same time, listening audio book of it in English -for this one, not yet finished. I got this book by chance drawn through the recommendation of famous Japanese writer and read McEwan for the first time. It seems I like this author, especially the detailed description during brain surgery. Actually I rather like the enthusiasm for the science related details of the novelist than the description itself.

McEwan (and Dawkins) talked about religion and agreed in the interview, religion robs people of the sense of wonder even when we hear something new about how the world is.
Ian McEwan Interview - Richard Dawkins

Is there any way God and the open mindness to the world as it is coexist?
As for now, I do not have any clear objection against their view, but I 'm afraid I would not deny the compatiblity between those two, leaving whether I belive God or not on side.