2015/11/29

ひとつしかない

きりりとした美意識を感じさせる先生(たち)が好きだ。
いつもやさしくてお美しいダンスの先生が、おっしゃった。
「いちばんきれいに見える角度は一つしかない、と思ってください。そして、いつも、そこに行ってください」
ダンスのポージングの話だ。
自分が一番細く、一番手足が長く見える角度を研究してるんだけどね、という前置きの後に先生はきりりとした瞳でそんなことを言った。
速い動きについていくのが精いっぱいなんだけど、その中で、
いつも「そこ」に行く、と思っているかどうか。
その意識の問題、その積み重ねなんだなと思う。
そして、その「そこ」は、回を重ねるごとに進化または深化を遂げるべきものであって。
たぶん、ほかのトレーニングでも同じことだ。
今日はほかにも、自分のウィークポイントはやっぱり呼吸なのかもしれないなとか、
いろいろ気づきがあって面白かった。
たまたま番組表で見つけたので、珍しくボクシングの録画をみている。
プロの試合は怖くてみていられないけど、アマチュアだとまだ見られる。
んだけど、そろそろ、おねむの時間ですから。
おやすみなさい。





2015/11/28

あとひと月

12時半に絶対帰る、と決めないと、まず起きられない。
人もまばらなホームでパンをかじりペットボトルのカフェラテを飲む。
始発ではないけど、座れるのがありがたい。
駅に着いて歩きながら、そういえばここは箱根駅伝のルートだなとおもいながら見上げた先に、街灯と同じ大きさの月がある。
自販機でもう一杯コーヒーを買って貨物用のエレベータに乗る。
コーヒーを飲み終わって立ちあがると、窓際がオレンジ色に染まっている。
窓、正面から朝陽が昇る。
どこで見たって、美しいものは美しい。
今年も、あとひと月。
本当に大事なことは、何かの犠牲になんかしない。
やると決めたことはやる。
100kmまで、残りあと30km。

2015/11/23

テーマソング

最近テニスを見るのが好きになっちゃって、ATPワールドはいくつか録画して見た。
単なる好みの問題で、ジョコビッチが強いのは分かるけど、
見てて面白いのはやっぱりフェデラーだったりする。
今チャンネルをFOXに変えたらアリーmy Love(Ally Mcbeal)をやってて、
びっくりしたんだけど、アリーとレネとジョージアがボクササイズしてる。
あれってUSでは1997年から始まったシリーズだけど、
18年前から向こうじゃ普通にボクササイズしてたわけだよね。
どうでもいいけど、いつも昼間に強度高いレッスン出ると途中でバテてたんだけど、
前に5キロぐらい走っとくとバテないことが判明した。
そういえば、昔10kmコース走ってた頃も、走りはじめて20分ぐらい経過した頃に、
いったん地獄のようにきつくなって、そのあとしばらくすると浮上するんだった。
ふつうみんなそういうもんなのかな。
さて、ちなみに今回は、アリーとジョージアがkick boxの試合して、
ついでにアリーが自分の「テーマソング」考える回でした。
昔これみて、いいじゃん、自分も落ち込んだときに頭の中で流すテーマソング考えよかな、
って思った記憶があるけど、
今となっては、何にしたかさっぱり思いだせない。
(もしかしたら、昔のブログを探せば、書いてあるかもしれない。)

2015/11/22

ねむれない夜は

やっぱり腹筋だよね、眠れない夜は。
導入剤飲んで、20回X5セット。まだ眠くならないからツイスト、ダブルクランチ20回X5セット。
そろそろ来てくれるかなあ、睡魔くん。

trial & error

もう寝ようと思ってたんだけど、ふと今日まで保管期限だった郵便があったのを思い出す。
寒いな。もう受け取らなくてもいいか、とかベッドの中で10分ぐらいもぞもぞ考えていたら、
今日があと30分になってしまった。
ついでに今夜受け取るはずだったもう一つの宅急便が来なかったのを思い出す。
おかしいな。
家に帰るのが10分ぐらい遅れたから、その間に来ちゃったのかしら。
意を決して外に出る。
思ったより寒くない。自転車で行く。
なにごとも、決める前のぐずぐずが長いのだ。
決めてしまえば、あとは早いのだけど。
先週できなかったダンスの振り付けを思い出して自転車置き場の前でちょっと練習。
最初はうまくいかないことでも、頭の中で何度かシミュレーションして、
しばらく放っておくと、意外とすんなりできたりするから、人間の頭と身体は面白い。
今週は日曜と水曜の2回しか走れなかった。あと41km。
最近、都合で全然エアロに出られなくなってしまった。かなし。
来年の春ごろまでおあずけかもしれない。

2015/11/15

特技

思いつきで始めたごく個人的「年末までに100km走ろう」プロジェクトだけど、
ブランク有&思いつきで週3日走ることにしちゃったちゃっかりランナー
(というにはお粗末だから、ジョガーぐらいにしておこうか)にしては
想定外に早くも、トータル54kmに達したところです。
時速もwarm upとcool downを除けば1km 7:03分/時速8.5kmペースまで上がってきて、心拍数も少しは落ちてきた。
そのわりに体重が落ちないのは、
西友で見つけちゃった六花亭のマルセイバタ―サンド(大好物)とか
霜だたみ(これも美味しい)なんかをごはんがわりにパクパク食べてるせいに違いない。
100kmだと甘かったかなあ。
とりあえず100km走ってから考えることにしよう。
特にお酒なんぞを飲まなくとも、
「とりあえず」なにかを考えないことにする(&そのうち考えてたことさえすっかり忘れる)のは、なにをかくそうわたしの特技である。
うん、たぶん特技だった、と思う。

2015/11/12

おいも

夜も10時を過ぎるとスーパーのパック総菜が何割引きかになっていて、
夏は枝豆なんかを買っていたのだけれど、今年はじめて焼きいもがお目見えとなっている。
そうか、もう冬がくるんだね。
そして春がきて、夏がくる。
そのときそこに自分がいるかどうかは別として、それでも地球は回り、四季は巡るんだ。
おいもの話だった。
父はさつまいもが好きで、特に干し芋を好んだ。
戦時中はこれだけが楽しみだったからと言って、
入れ歯になったあとも、ていねいに細く割いては美味しそうに食べた。
焼きいももスイートポテトも好きだったと思うけど、やっぱり干し芋だったね。
などと思いながらパック入りの焼きいもをそっとカゴに入れる。
豆乳のラックの前に来てみて、キウイ味の隣に焼きいも味を見つける。
昔からあるんだろうか。
へえ、紀文さんもやるねえ。
なんだか、今日は焼きいもの日みたいだ。



2015/11/02

いつもより少し長く

あたりまえの話だけれど、人間というのは多面性の生き物である。
ここに表わされたことに関することどもが、万一なんらかの事実や実物のわたしと異なるように思えたとしても、それは、人間というのは、概して、そういうもんですよね、ということであって。
あらためておことわりしておく。


弱っているときほど、いろんなことがいつも以上に身に沁みるのである。
それは、ひとの笑顔であったり、言葉であったりする。
そんなわけで今日は弱っていたので、本もぼちぼちだったが、
内田樹『私の身体は頭がいい』を取り出して読んでいた。
内田先生は思想家であるとともに武道家でもある。
師弟関係についてのエッセイに、これだけ尽くしたからこれだけのリターンがあってしかるべきものである、というような功利的な考え方は、真に重要なすべての人間関係にはそぐわない、というようなことが書いてあって、ほんとだ、なるほどと思う。
たとえば、育児とか。これだけ時間を割いたのだから、その分の見返りをよこせ、というのは間違っている。師弟関係もそのようなものであって、その場で、その瞬間ごとに完結していくものだ、と。
えっと、脈絡がないのは弱っているせいだ。
いや、いつものことか。
このところ村上春樹の話ばかりだが、この1週間で、もう3回は読んでいる。
今まで文庫本以外に英語本の朗読を聞いたりしたのを通算するともう20回ぐらいになる。
こんなに読んでいたら丸暗記していてもおかしくないんだけど、ああ、あそこにと思ったところを探すのにずいぶん時間がかかる。
村上さんは、まだ走っているんだろうか。
まだこんなふうに、いつもよりちょっと長く走ることもあるんだろうか。
「誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、…(中略)僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、その分自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。黙って呑み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に呑み込み、それを(できるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という容物(いれもの)の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた」
村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』