2010/09/26

新しいものよ、早く目覚めよ

落合方面walk and jog 6km.
今頃気がついたのだけれど、マラソンというのは朝走るなり。
いつも夜走ってるのは、朝はだるくて走れないからなり。
どうしよう。。。
あと62日で朝型にならないと。

電車に掲示してあった塾の吊皮広告の幾何の問題が解けた(中学入試問題なんだから当たり前だが)のに気を良くして、「幾何学入門」を買ってみる。
生涯何十回目かの数学トライ。今度は長続きするといいね。(苦笑)
ウィルソン「バイオフィリア」「生命の多様性」、ベルグソン「創造的進化」をぱらぱら。

多田富雄「寡黙な巨人」、これはすごい。多田さんは、ある意味脳梗塞で倒れた後の自分を別人と見ている。その視点が白眉であり、静かな中に決然としていて、鮮烈である。


「私の手足の麻痺が、脳の神経細胞の死によるもので決して元に戻ることがないくらいのことは良く理解していた。麻痺とともに何かが消え去るのだ。普通の意味で回復なんてあり得ない。神経細胞の再生医学は今進んでいる先端医療の一つであるが、まだ臨床医学に応用されるまでは進んでいない。神経細胞が死んだら再生することなんかあり得ない。
もし機能が回復するとしたら、元通りに神経が再生したからではない。それは新たに創り出されるものだ。
もし私が声を取り戻して、私の声帯を使って言葉を発したとして、それは私の声だろうか。そうではあるまい。私が一歩を踏み出すとしたら、それは失われた私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ。もし万が一、私の右手が動いて何かを掴んだとしたら、それは私ではない何者かが掴むのだ。

私はかすかに動いた右足の親指を眺めながら、これを動かしている人間はどんなやつだろうとひそかに思った。得体のしれない何かが生まれている。もしそうだとすれば、そいつに会ってやろう。私は新しく生まれるものに期待と希望を持った。
新しいものよ、早く目覚めよ。今は弱弱しく鈍重だが、彼は無限の可能性を秘めて私の中に胎動しているように感じた。私には、彼が縛られたまま沈黙している巨人のように思われた」
(多田富雄『寡黙なる巨人』より引用)

2010/09/24

プラシボ

会社が品川になったせいで、6:30に新宿の朝カルに到着するのは若干厳しくなった。
でもいいのだ。論文の話は後半だし。
今日はScientific Americanのプラシボの話でしたよ。
ホメオパシーの話なんかもちょうど気になってたところだったし、面白かった。
Placebo Effect: A Cure in the Mind

単にその薬を信じているから偽薬が効く、っていうだけでなく、
白衣のドクターに治療してもらったら回復したというような過去の経験などから、
無意識が作用するところがプラシボの深いところなんだなあ。
(素人が書くとろくなことがないので、このへんでやめておきますが。)

先生が話せば論文も面白い、ってのも、たぶんプラシボ効果ですねえ。

2010/09/22

本日の

コースは高田馬場方面10km...
になる予定。

しかし、ねむい。。

2010/09/20

開拓

3時ごろから新コース開拓に出る。練馬・豊島園方面。
はじめてのコースは昼間に1度は走っておかないと心配。
グーグルマップで3回ほど道なりに地図を確認して出た。ほんとうは10kmコースだったはずなのに、道に迷って5km過ぎから歩く。手先の感覚が変なのが気になったのも手伝って、結局8kmほどになってしまった。なんとか帰宅。おなかがすき過ぎて、シャワーから出るなり冷蔵庫に残っていたカレーを温めブロッコリとかぼちゃにかけて食す。いい具合に満腹になるが、ここで眠ると夜中に目覚めて明日の日中がつらい。実家に電話するも覚醒せず。しかたがないので、あくび連発しつつ新宿に出かけてセールで新ウエア購入。1代目のリストウォレットのジッパーが錆びて開かなくなったので、2代目も購入。いざというときのために、小銭などを入れておくから、必需品。
ねむ。おやすみなさい。

朝ごはん

豆腐(小3パックで100円ぐらいの)1パックを手でつぶして皿に盛る。その上にみょうがみじん切り、もずく1パック、きゅうりのスライス、ゆずポン少々、そしてお茶漬けのり1食分をかけて食べる。
かんたんおいしい。しらすなんかを振ってもいいね。
お茶漬けのりは、梅とかワサビ野沢菜風味なんかがいいかもね。
主食はロールパン1個とバナナ。それにカフェオレ。
本日の朝食でした。

2010/09/18

sweetness of doing nothing

としまえんで映画を見る。ジュリアロバーツが自分探しする話なんて趣味じゃないんだけれども、イタリアとインドとバリを旅する話だったから、旅行に行くかわりに見るか、、という安易なチョイスだった。が、まあそれなりに悪くなかった。「コレラの時代の愛」の狂いっぷりが印象深いハビエル・バルデムが普通のバツイチ男役で出てたしね。sweetness of doing nothing 、こういう言葉に共感できるようになったのって、やっぱり歳とったからかな。がんばらないほうが、なにかと上手くいくことが多い今日このごろ。
でも、連休中走りこみだけはすることにした。Jog5km。ハーフマラソンデビューまであと69日。

2010/09/12

一村

昼ごはんを食べながら某氏のつぶやきを見ていたら、
田中一村展がいいぞと書いてあった。
26日まで。今日行かないとチャンスはなかろうと思って、
食後、そそくさと身支度して千葉市美術館に出かける。

千葉って、結構遠いんだ。
錦糸町で総武線の快速に乗り換える。
ブコウスキーも持参したが、目から何か入力しようという気にならない。
イヤホンをして、このところのお題であるMichel SandelのJusticeの
著者本人の朗読を聞きながら、揺られていく。

駅から歩いて10分あまり。
鮮やかな緑で南国の植物が描かれたポスターが入口で迎えるように掲示してある。
植物だけでなく、鳥も描かれるが、動物より植物のほうが、より動的に見える。
花びら、葉の1枚1枚が異なる表情を持つ。
紅がかった菊を見ていたら、次第にそれが短髪の女性の顔に見えてきたりする。
水墨画のような陰影もあり、シンプルな線が版画的、または漫画的でもありながら、
そこに思いがけず鮮烈な色が添えられる。
余白と配置の妙。
そして、画面の中から、何かの、または誰かの声が、
いやオースターいうところのVoiceとでもいうものが聞こえてくるようである。

このところ、休日になると文房具屋を見て回るという
かつての習慣が復活していて、
昨日もいくつか回ったのたが、
性格的に、さりげなく買いものを楽しむというような見かたができず、
気にいったものを見つけると、
つい手にとっては、じいいっと凝視してしまう。
1回では足りなくて、これを数回やる。
あんまり長いことためつすがめつしているせいか、
しばらく時間が経過すると店員さんが寄ってきて、
お探しですかなどと話しかけられる。
いえただ見ているだけでとも言えずに適当な作り話をするわけだが、
そこへ行くと美術館はいい。
お気に入りの作品の前をどれだけ行ったり来たり眺めていたって
誰も邪魔したりしない。

そう、展覧会の話だった。
説明書きはほとんど読まなかった。
そんなものはいらない。ただ、いいものはいい。

最後には「アダンの海辺」「不喰芋と蘇鉄」が待っている。
立ち去りがたい。
画集は色が悪くて求める気になれず、
せめてもの土産に特大のポスターを入手して帰る。

2010/09/06

町でいちばんの美女

ブコウスキーを読もう読もうと思っていたのだが、先週の土曜に病院に行った帰り、丸善で立ち読みをしていた本に「町でいちばんの美女」が云々、と出てきたのが直接のきっかけになって、新潮文庫を買った。

題名からして、それに冒頭から濃厚になまめかしい。この暑いのに。ついつい目が流れ流れて、行間を読むどころか行を飛ばして読む格好になった。
駅に着いたので、いったん本を閉じて電車を降り、バスに乗ってから、気が進まないながらも、再度開いた。
しおりなぞは使わないし、殆ど字面を追っていただけだったから、どこまで読んだかなんて忘れている。
適当なところまでさかのぼってみて、ふと目に入ったのが「帽子用のピンで小鼻を刺す」くだりだった。
あまりの展開の急なのと、その思いがけなさと、そして痛みとで、きゅ、と身がすくむようで、そのあとは脇目もせずに読んだ。掌編だから、そう時間がかかるわけでもない。この急展開と痛みとが最後にまたやってくる。強烈な話である。

今思うと、電車に乗っていたときは、この「鼻」のくだりを飛ばして読んだのだ。
我ながら、ひどい話である。

大切なことをたくさん取り逃がしているにちがいない今日この頃。しばし反省。

日曜。久々に、5km完走。もう呼吸はつらくなくなった。
つくばはやめて、川越にしようかと思う。