2015/12/31

コロリ

年末のお買いものの中で個人的ヒットは鼻洗浄器。
買っちゃった決め手は、「喉の裏側が洗える」ってレビューコメントだったりする。
アレルギー持ちなので、ちょっと鼻づまりになっただけで、治るまでは喉の裏側をひっくり返して洗いたい衝動に継続的に耐えることになる。
今を去ること20年前ぐらいだろうか、花粉症なのよと同級生に話したら、鼻うがいすべしと言われた。
氏は鼻うがいで花粉症初期症状を克服したそうで、痛いけど、治る、と。
プールで鼻に水が入ったときのあの痛みに類するものを自ら求めるわけで、そうとうなMでないとできない。
却下。
さすがにあれから20年経てば、なにかと進歩している。
容器の線まで水を注いだ後に熱湯を注ぎ適温にし、更に少量の食塩をまぜる。
ポンプをシュパシュパと押すとノズルからシャワー状の生温かい食塩水が鼻と喉の奥をさらさらと流れて口か逆の鼻から出てくるだけで、痛みはない。
よくできている。
村上春樹さんは牡蠣フライについて語ることによって、うまくいけば僕自身を語りたいと思うと書いた。鼻洗浄を語ることで自分を語れるだろうか。
わからない…。
ともあれ。
自分は小説家ではないけれども、わたしもまた、自分の手で触れてみた何か、もしくは見たり体験したものごとでなければ心の底から信じられない「種族」のひとりであって、その傾向は今後もそれほど変わらないだろうとは思うのだ。
こんなことでひまをつぶしていて、母上が襖の張り替え!と癇癪をおこすといけないので、そろそろ文庫本2冊と鼻洗浄器を携えて実家に行ったほうがいい頃合いかもしれない。
意外と、別の懸案事項が発生していて、襖のことはコロリとお忘れかもしれない。
そう願おう。





2015/12/30

おとなしくしているとはすなわち、買うことと食べることに尽きるわけで。
3日連続耳鼻科に吸入に通った帰りに、シナモントーストが美味しいカフェで朝ごはん。
生クリームぺっとり塗ってご満悦。
昼から新宿に出かけて、来年のカレンダーと村上春樹さんを2冊買う。
2冊のうちの1冊は、『雑文集』。
なにしろこの本には、あの「壁と卵」講演が収録されている。日本語で読むのは初めてだ。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があるとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?」(村上春樹『雑文集』「「壁と卵」ーエルサレム賞・受賞のあいさつ」より引用)
立ち読みしながら不覚にも涙ぐみそうになって、慌てて一旦本を置いて他の棚に移ったぐらいだ。
おひまな方は、いやおひまでない方も、全文は引用できないので、内田樹先生のブログに受賞当時のスピーチの和訳がありますから未読なら一度は読んでみていただきたい。
壁と卵
壁と卵(つづき)
村上さんに敬意を表し、帰りに駅地下の「卵と私」(あ、お店の名前ね、、)でオムライスをいただく。
帰宅。
年末のひととき筒井康隆氏の講演はどうですか、とのツイッターに目がとまり、思わず聞く。
講演の前半は質疑応答で、こちらはまあ好き好きあると思うんだけど、後半の「鬼仏交替」の朗読がいい。落語とか好きな人にはおすすめです。
筒井康隆が初めて明かす"創作の極意と掟"とは!?  『創作の極意と掟』刊行記念イベント
講演は1時間ちょっとと長いので、とりあえず朗読聞きたい人は48分頃からね。
昨日、めずらしくテレビで格闘技の試合を見た。
寝技とか関節技とか頭狙うのとか、痛そうなのは、やっぱり見ていられないんだけど、一人、素人目に見ても、ものすごい速さでパンチが決まる人がいて、その腕の速さに目をぱちくりしてしまう。
セコンドにロシアの有名な人がついてたらしい。
なにしろ速くて、全然引かずに、ずんずん前へ進んでいった。
やっぱり自分も、もう少しうまくなりたくなる。
年末最後のレッスンに行く。
先生に出会えて、少しだけ強くなりました。
来年も、もうちょっと強くなりたいです。
卵は卵なりに、もう少しだけ。

2015/12/29

おとなしく

吸入すると楽になるので、二日続けて耳鼻科に行く。
昨日と特に変わらないんですが、鼻に薬入れていただくと少し楽になるので来ました、
と言うと、先生、そうですかぁと少しうつむいてがっかりされる。
直球すぎましたかね。
失言多いから、なるべく、しゃべらないようにしているんだけど。
うっかりしゃべるとこういうことになる。
ごめんなさい。
薬局に経口補水液のOS-1とアクアソリタが並んでいる。
リンゴ味のアクアソリタを買う。
やっぱり、味の素のほうが美味しいっす。
必然的に家でおとなしくしている。
おとなしくしているとお買いものしたくなる。
ちょうど宅急便でギフト券が届いた。
どれどれ。
鼻洗浄器なるもの、ずいぶん気持ちよさそう。
きっと、来たるべき花粉症の季節にも役立つにちがいない。
さっそくお買い上げ。
ついでに、たまには本を読もうかと北村薫さんの本を何冊か。
おとなしくしてるのもたいへんなり。



2015/12/28

108

きたきた。
ごほうびシューズが来た。
センセイに見せびらかしに行く。
かわいいじゃん、とご評価いただく。
いや、じゃん、とは言わなかったかもしれない。
というのはウソで、左腰のぐりぐりをぐりぐりしてもらう。
死にそうに激痛。
ちなみにですが、はい、自分、ときどきウソついてます、たぶん。
風邪ひいちゃったから、土曜日が走りおさめだったかな。
108kmで、終了。





2015/12/26

さらば

しばらくお仕事とはおさらばだ。
(願わくば。いや、ここはきっぱり。)
さよなら、さよなら、さよならっっ!
るるるん。
あ、カレンダー買わなくちゃ。

2015/12/25

2つ

さて、今日も、よかったこと3つ、数えてからおやすみしましょう。
このところ木曜に通ってるエーゴ教室が休みだったから(外人さんはXmasには当然仕事などしないのだ)、とっても久しぶりにエアロのレッスンに出られたこと。
ヨガにも出て、右手を下から、左手上から背中に手を回してみて、指が触ったこと。
逆は指をつなげるんだけど、こっちはいつも届かないのにね。先生ありがとです。
2つだけだけど。
ま、いっか。

2015/12/23

だいすき

テレビでは池谷さんが跳び箱飛んでいる。
ひらり。
すごいね。
同世代として、応援します。がんばれ。
今日は四十九日でした。
いや、ほんとは一昨日だったけど、都合により今日にしたんだよね。
父上は写真の中で、普段見たことのなかった、いい笑顔をしている。
母上はお元気ですから、ご心配なく。
さて、夕方、このところ、ほとんど心の支え的なマーシャル。
ちょっとうまくいかなかったときは、そのあと頭の中で、できるまでついついイメトレ繰り返してしまうから、余計に印象に残ったりする。
あと5分やりたかったな。
マーシャル、だいすき。
読んだことも見たことも殆どないので素朴な疑問。
ドラゴンボールのユニフォームって、なんで亀マークなのかな。

2015/12/22

3つ

今日のよかったこと3つ、思い出してから眠りましょう。
4時15分にちゃんと起きたこと。
行きの飛行機で富士山が見えたこと。
空港で食べた讃岐うどんと、特大しいたけの天ぷらが美味しかったこと。
そして帰りは、快晴の空、銀色に輝く海面、どこまでも白い雲海。
社長が内勤みんなに箱入りチョコレート配ってくれたこと(Xmasプレゼントらしい)。
意外と、いいこと多かったね。
けっこうがんばったから、もう寝よっと。



2015/12/21

スキップ

なんだかなりゆきで、明日は4時半起きしてひとっ飛び、鳴門海峡を見に行くことになっちゃったのだ。いや、まあ、海だけじゃないけれども。
でも、とんぼがえりで、おやつの頃には帰ってくる。
鳴門金時のスイートポテトでも買ってくるかな。
あー、もう。
明日はスキップして、さっさと明後日になっちゃっていいぞー。

2015/12/19

昨日の夜はギリギリまで仕事が終わらなくて、駆け込みで横浜に行く。
一応オサレなお土地柄、という先入観があるのだけれど、高島屋側から出て川べりを歩くと、いったいここどこ?てな不思議な風情。
金髪の先生は相変わらず飛ばしている。最後のシメは腕が上がらなくなるまでアッパー。やがて昼過ぎからじわじわと筋肉痛。
今日は中野に行ったついでにいつものお店でお買いものたくさん。
コメダに入りたかったけれど、土曜の昼とあって、ずいぶん待たされそうだったのでパス。
夕方のハイライトはダンス。少人数ずつで踊った中の最後の回に先生が入って踊ってくれた。
代行の先生は、ちっちゃいけれど、タメとキレ、そしてその身体の動線の波打ち方が尋常でない。やっぱりプロはディテールの意識が素人と全然違う…と落ち込みそうになるところだけれど、その笑顔に癒される。
先生たちはそれぞれ自分の「色」を持っている。人が振り付けた踊りでも、踊りこんでいくうちにその人独自の色になっていく。先生だけでなく、みなさんの踊りを見ていて飽きないのはそこのところだったりする。
帰り際、練馬でモスバーガーにかぶりついていると、横の通路で小学生ぐらいの女の子が手とお尻をふりふり踊っている。
そうそう、踊るのって楽しいよね。

2015/12/14

おかたづけ


今頃、衣替えしてていいのだろうか。
世の中にはどうやら存在するらしいが、個人的には「秋モノ」みたいな服がないから、むろん夏服をしまっているんだけれども。
良いも悪いも、とりあえず今日は遅かりし衣替え&おかたづけ。
洋服もだけれど、頭の中も、古いものを片付けたり捨てたりしてスペースを作らないと、新しいものが入らない。
捨てる、捨てる、捨てる。
しばらくの間は呪文のように唱えるとしよう。


最近大手病院さんは長期処方をしなくなって、1ヶ月分しか薬を出してくれない。
よく効くし高いし、薬もらいに行くのも手間だし、かといって近所の医者にかかるのもちと心配だからと間引きすぎてすっかり忘れてた持病の薬を久しぶりに使ったら食欲激減。気持ち悪いのが効いてる証拠。
ほかの薬ぜんぜん効かなかった人なので、先生もびっくり。
気持ち悪くなるからダイエットになるよと言ってたんだったっけ。
この際、もうちょっと痩せるかな。

2015/12/13

ひとつだけ

『ひとつ拾えばひとつだけきれいになる』鍵山秀三郎さんの著書である。
道のりが遠く見えるとき、思い出す言葉でもある。
一歩踏み出せば一歩近づく。
踏み出さなければ、いつまでたっても到達しない。
スタートしなければゴールはない。
そういうわけで、ようやく本日、100kmに達しました。
ごほうびは、個人的にはちとお高いシューズ。
(輸入ものだから高いだけで、見た目はごくフツー)

2015/12/12

森には引力があって、一度そこに足を踏み入れた人をなかなか外に出してくれない。
眠りの森とはよく言ったものだ。
終日眠っていたいモチベーション100点、っていうのはだめかな。
だめだよねえ。
いつも元気な人(たち)の顔でも見に行くかなあ。

2015/12/10

どこまでも

あるところで、「自分のモチベーションを毎日意識しましょうね」と習ってきた。
たとえば、朝、顔を洗うときとかに、100点中何点、というふうに点をつけるとかね。
と講師がおっしゃるので、以来、朝、顔を洗う時に「うーん、65点」とか「70点かな」とか考えている。
残念ながら80点を超えたことがない。
低血圧だから、朝、考えるのはよくないのかもしれない。
夜、ジムのマシンで走り始めたら、今日はなんだかどこまでも行けそうな気がして、いつもより歩幅広くがんがん走った。その時のモチベーションとやらは80点ぐらいだったかもしれない。
そんな日もある。
あと9km。100km到達したら、自分に何のごほうびあげようかなあ。

2015/12/07

フロメシネル

このところ暇さえあれば(というか、有休取っては)
実家で書類作成業みたいなことばっかりやっている。
最近はなにかとエンドレス感にうちのめされて、ため息ばかりついているので、
母がかわいそうに思し召して、ささやかなごちそう(個人的には、野菜がたくさん入っているおかずはすべてごちそうである)を作ってくれたり、
野菜やら果物やらお菓子やら持たせてくれるので、フィジカルはかなり健康である。
田舎からお取り寄せしたらしいジャガイモは、レンジでチンしただけでやたら美味しい。
どちらかからいただいたというリンゴが3Lとかで、ハズレなく蜜入りでえらく大きい。
柿なんて自分じゃぜったい買わないけど剥いて出してもらうとパクパクいただける。
母ありがたし。
しかし、、もしも自分に奥さんがいたら、フロメシネル的なおやじになってるに違いないな。
女子でよかったなり。

2015/12/05

瞑想

ジョギングという行為自体、瞑想的だと思うのだけれども、
ランニングマシンで走ることはより瞑想的だと思うのは、
内田樹先生の『修行論』の中の身体と瞑想という章を読んでいたせいもあるかもしれない。
なにしろ、めったにテレビを見たいという欲求も生じない
(ので、レディガガの写真を見せられて「誰?」と尋ねられても、えーっとよく見る人だよねーといいつつ名前が出てこない始末なわけだけど)
ので、マシンで走っていると、つい、カウンターの走行距離の数字の変化を追うことになる。1.01,02,03km....と、4歩か5歩走るうちに淡々とカウンターの数字が1ずつ増えていく。
周りの景色は変わらない。
風を感じるわけでもない。
自分が走っていることを証するものは、カウンターの数字の変化と、自分の心拍数が明らかに歩いているときと違っていることだけ。
今日はずいぶん身体が重くて、いつも0.5kmぐらい歩いたらすぐ時速9kmに上げるのだけれど、延々1.5kmほど歩きながら、ジムの外のきれいに晴れた空を見上げていた。
ふと思い出したのはランナーのバイブル(と勝手に思っている)村上春樹の例のあの本で、
村上さんが瀬古さんにインタビューしたときのことだった。
瀬古さんでも、今日は走りたくないな、という日はあるんですか、
と尋ねると、瀬古さんは、なんて馬鹿な質問をするんだ、というような顔で、
当たりまえじゃないですか、そんなのしょっちゅうです、と答えたという話だ。
そっか、瀬古さんでもそうなんだね、わたしがそう思うのも当たり前だ、と思ったら、
なんだか可笑しくなって、ようやく走る気になって、なんとかカウンターが4.5kmを示すまで走って、そのあとまた5.5kmに戻して5kmまで歩いた。
家に帰って「バイブル」を開いてみたら、瀬古さんのエピソードと同じページに
こんなことが書いてあった。
特になんの脈絡もないのだけれど、ほんとにそうだなと思ったから。
「学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である」 村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

100kmまで、あと14km。