2018/11/28

うるうる

曲を聞いてるだけで泣けますが、動画アップしてくださっていて感涙しばし。
明日からしばらくお隣が空席となり、関係ないけど帰りがけに呼びとめられてイスラエルに出張に行けとかいわれ(正直、気がすすまない、、)、なにやら忙しげな予感がしておりますが、可能な限りすべて先延ばしにして、今年残りの有休は木曜の午後に捧げまっす。

2018/11/27

また眠れない

控えめにしておこうと思いつつ、送別会でワインを3杯ほどいただいて、いい感じに回っちゃったので、今日はこれでおしまいかなあと思っていたら、最後に出されたコーヒーを飲んでみたら意外に目が覚めたのでレッスンに出る。
やっぱり夜コーヒー飲むとねむれない。
あと3時間で夜が明けてしまうなあ。
なにごとにも最後の日というのがくるわけで。
だから後悔のないようにしておこう、と思いを新たにするために、さよならがあるのかもしれない。

2018/11/25

どこかで

今月、わりと時間を作ることができたので、地元のスタジオの開放時間を利用させてもらって自主練をした。HIPHOP系の振りは家でも練習できなくもないけど、ジャズはできない(狭すぎて)。幸い今回は途中まで動画もあったので、振りが分からなくなって挫折することもなく、自分的には今までで一番練習できた。実感したのは、振りというのはある程度できあがると上達しなくなる、または上達が鈍くなるということで。いやたぶん見る人が見ると言いたいことは山ほどあるんだろうけど。
ともあれ、結局のところ、基本動作が美しくないと振りもそれ以上美しくならないし、基本動作を美しくするのは筋肉とか柔軟性、連動性とかの鍛錬であって。
もちろん、セオリーは頭では分かってはいたんだけど、そういう言葉が身体を通して自分のものになる、という体験は貴重だ。こういうことは振りを練習してみないと分からない。自分には振りを素早く覚える練習も必要で。どれも大事だなあと思う。
土曜、ジャズが新しい振りになって、あああ、すてきだけどむずかしい、、と思っていたけど、今朝起きて動画を見てみたら、この前の先生の公演の振付の一部(約20秒)だった。習ってるときは、この動線は、どこかで、、、と一瞬、既視感を覚えたものの、まったく気がつかなかった。おかしいなあ、何度も見てるのに(笑)。鑑賞してるのと振付覚えようと思って見るのとは違うというのもある、、というのはいいわけだけど。
金曜にトレーニング要素の強いレッスンに多く出たせいか全身筋肉痛なるも、はい、そんなわけで、朝から元気です。



2018/11/22

健康診断

今年もあと1カ月余りとなりました。
振り返って、何してました?と聞かれたら、
仕事以外ならダンス、としか答えようがありません。
健康診断だったので、待ち時間に、最近お世話になった
(又は現在形で、なっている)曲を振り返ってました。
中には振りを思い出せないのもありますが...
(おかしいな、あんなに練習したのに)
それぞれ思い出があって、みんな好きだなあ。

あ、ちなみに自営業のみなさま、健康に自信があるみなさま、
同世代(±5歳ぐらい?)のみなさまも、まだ若いみなさまも、
ちゃんと検診には行きましょうね。
どうかどうかいつまでも末永く健康で、
そして美しく舞う姿を見せてくださいますように。




2018/11/17

夢を見た

金曜の夜。ストレッチすると催眠術にかかったみたいに眠くなる。ダンスなぞやめて、お願いですからねかせてください、と思いつつ始まったら始まったでもちろん、ちゃんとやる。先生の指示はだんだん細かくなる。というか、もとから細かかったのかもしれないけれど、きっと、その他のことでせいいっぱいで、耳では聞いてても腑に落ちてないのである。たぶん先生がたには呼吸のように自然な動きも、何度見てもその動線がどう形成されているのか分からない、ということがあるんです。腑に落ちても、動けるようになるのには時間が要る。ちょっとだけご忍耐いただけますか、そのうちできるようになりますから、たぶん(笑)。

終わるととたんに眠くなる。ジムの向かいに天然温泉付きホテルなるものがあって、ここで一泊しようかなあと一瞬考えながら通り過ぎる。赤羽駅の乗り換えで買ったぎょうざを食べおえてことりと眠る。朝5時に一度目覚めて、そのあと珍しくストーリー性のある夢をみた。
日本橋のオフィスから昼にパンを買いに歩いていくと、なぜか海の見える山の斜面に出た。パンを買う行列ができている。なんでこんなに並んでるのか尋ねると、お菓子も一緒に売っていて、ポルボロンが絶品だという。大好きだ。買う、と並ぶ。待ちくたびれたころにはパンはもう売り切れに近くて、ポルボロンももう売り切れたという。しかたなく残ったパンをトングでつまもうとするとみるみるうちに小さく縮んでなくなってしまう。
それでも縮まなかったパンを2つばかり買って帰ろうと山道を登るのだが、当然ながら日本橋らしき景色が見えてこない。通りすがりでタクシーをつかまえる。なぜか運転手のおじさんのほかにおじさんがもう一人のっている。
日本橋ですね、大阪じゃなくて東京の。はい。はいよ、っと言って、おじさんは道路をはずれてトトロのネコバスみたいに道なき道を飛び跳ねながら運転する。
山から離れて少し都会らしい景色が見えてくる。隣のおじさんに話しかける。おじさん、すごいっすね。今度困ったときのために携帯番号教えてください、というと、えーと、と探し始めるがなかなか見つからない。小さなモニターに運転手の名前とか所属とかが表示されていて、番号らしきものを見つける。あ、これ撮らせてください、といって写真を撮ろうとした瞬間、ナビ画面に切り替えられる。
東京ではあるようだけれど、なんだか違和感のある景色が続く。時計をふと見るととうに昼休みは過ぎていて、もう4時近くなっている。
ああ、どうしよう、パンを買いにいったらそこは山でしたなんて言えないなあ、半休にして帰ろうか、いやそれにしても連絡が遅すぎる、行方不明時間が長すぎる、、いっそのこともう辞めちゃおうか、いやそれでは生計が、、
というところで目が覚めた。

2018/11/13

下手な自分も

日曜、感動、というと月並みにすぎるが、いろいろ思い出しつつぼんやりしながら武蔵境から帰っていつものレッスンに出る。練習したつもりだけどやっぱりいろいろ間違っていて、いつものごとくうまくいかない。終わった後にいつも自主練してる上手なひとたちにはじめて混ぜてもらう。30分ぐらい練習して最後一人ずつ踊ることになる。小心者なので、お願いして、直接見ないで鏡の方を向いててもらう。それでもやっぱりいろいろ間違える。
とてもいい言葉をいただいたので備忘のために。
「下手な自分も見ておいてもらうといいんです。あとで、ああ、ずいぶん上手になったな、って思ってもらえるから」
本当に踊るのが好きなひとの言葉だからすとんと心に落ちる。勇気をいただく。

2018/11/11

先生

8月末からレッスンに出させていただいている先生が、先生は続けてくださるんだけど舞台からは引退されるとのこと。最後に母校で踊りますとおっしゃるので、三鷹というか武蔵境というか、とにかくそのあたりまで出かける。
早めに着いて学内をふらふらする。チャペルや礼拝堂がある。芝生で子供が遊んでいる。住居棟みたいなところもあるから、学校関係者のお子さんだろうか。
自分はカトリックの女子高だったから、確かこの学校も推薦枠があった。こういう学校に来ていたら今頃こんなではなかったかもしれないな、と思ったりもする。今この年になってみれば、緑も多く静かで、学業又はその他の何かに没頭するにはいい場所だと思う。けれど、きっと、自分は若い頃にここにはいられなかっただろうなあ、という気もする。
学食で豚肉の味噌煮380円也をいただく。深めのお皿にてんこ盛り。ふつうこういうものは肉は3分の1分かそれ以下で野菜でごまかすものだけれど、ここのは、お皿の中に存在する主なものは豚肉。茄子が好きだから茄子から食べると後に残るのはほとんど豚肉。さすが学食。
前置きが長くなった。
先生のパフォーマンスを生で見るのはもちろん初めてだし、これで最後だそうだ。もっと早くお会いすればよかったなあとも思うけれど、最後に間に合ってよかった。
自分には一度見た振付を映像的に記憶する能力もないし、それを表現する言葉も持っていない。
ただ、あのとき舞台の上から、透きとおるように美しく、あたたかくてやさしい何かが、先生たちの身体から放たれ拡散していって、それをわたしは確かに受け取った。定かに線を結ばないながらもその残像が、今も心の中にまだ波打つように揺蕩っている。

たしか茂木先生が昔、ソクラテスと弟子の関係の話か何かで、先生というのは何を教えてくれるかよくわからない(事前に想定できない)けれども、なぜかしらそばにいたい人だ、というようなことを言われていて、そうそう、と手を打った。
すてきな先生に出会えてわたしはしあわせである。

2018/11/04

エール

父はもうこの世にいないから、娘にこんなことを書かれても腹は立てないだろう。
たとえていうなら、母は自分が走りたい人で、父は走る人に沿道からエールを送りたい人だったんだろうと思う。
自分は持病もほとんど父譲りだが、性格も父に似ている。似ているせいで、父はきっと一人娘に愛されていると感じることはあまりなかったんじゃないかと思う。気の毒である。

母はいまでも卓球の全国大会に出て、今回はベスト8止まりだったと悔しがっているような人だ。学生時代は、ソフトボールをやらせればピッチャーで、バレーはセッターだったらしいが、ママさんバレーでひざを痛めてからは卓球に転向した。以来卓球ひとすじ。
一方父は夜学を出た若い頃はいろんなことをしたようだが、勤め人になってからは夢らしきものはあきらめて淡々と働いた。娘に自分の夢を果たさせたくて、文学全集を買い与え、たまに小説家になれと説いたがそっぽを向かれた。単身赴任の香川で覚えたうどんをたまに打って母とわたしや知人たちに食べさせ、のちに飽きて蕎麦打ちに転向し、蕎麦屋を出す夢をあたためたが実現には至らなかった。ふと思い立って自転車でオーストラリアを一周し、毎日ひげをそりながらラジオ講座を聞いて韓国語を口ずさみ、小説家の夢はあきらめたもののどこぞの作家に弟子入りしてたまに小説やエッセイを書いた。一度読まされたがつまらなかったから二度と読まなかったが。まめに日記を書き、ほかにも何か書きためていた。

夕食は断られたが、いつものように朝実家に行って、二人して父の写真の前で話した。
最後に入院した時に、お父さん具合悪いから卓球の大会行くのやめるわと話したら、どうせ、ぼくはねているだけだから行ってきなさいよと言われて、行ったのよねえ、と母。その時は結局、負けたらしい。母は勝ち気な性分なので、勝ったときは嬉々として語るが、負けたときは、どうだったの、と聞かないと口を開かない。悔しげな顔で、負けた、とつぶやく。
で、ほんとに最期の時になってお父さんが、あのときの試合はどうだったの、と聞くのよね。いやらしいわよねえ、と笑う。
父はそれなりに賢かったから、ある程度自分を客観視していて、手元では自分にできることをしつづけたものの、ある種の諦念を持っていた。一方、いつまでも走り続ける、走り続けられる母が好きで、彼女をサポートできるのが喜びだったんだろうと思う。
自分もどちらかといえば父側の人間で。
走るひとのうつくしい姿を近くで見ているのが好きだ。自分にもなにかお役に立てることがあればいいのになあ、と思いつつ。



2018/11/03

ぼんやり

このところ相当ぼんやりしていたと見えて、1週間のあいだにいろんなポカをやらかした。
レッスンが終わって、袋の中にロッカーのカギがないことに気づく。なくしたと騒いだあと、想定していたのと違うロッカーを使っていたことが判明する(その日別のお店で使ったロッカーの位置と勘違い)。おまけにカギをかけ忘れている(およそ3時間)。
別の日、会員証をロッカーに忘れてくる。
さらに別の日、受付で支払いした後、カードを受け取り忘れる(およそ5時間後に発覚)。などなど。
プライベートのポカばかりだったのが幸いだった。しっかりしないと。

土曜が祝日なので、金曜、久しぶりに大宮の先まで行く。ほぼ無心で先生のおっしゃるとおりストレッチ。コンディショニング系は大好物だけど、金曜の夜は疲れはてているので余計にありがたい。ジャズの振付もすてき。動画もうれしい。
土曜、ちなみに父の命日。母上に夕方お食事でも、とお誘いするも「いそがしい、それどころでない、別の日で」と却下される。

大人になってからの学びは、自分で適切な目標を設定して、自分で自分に達成感というご褒美を与えてあげないといけない、と思う。
7割しかできなかったと悲しむか、いや7割もできるようになって、自分、ずいぶん成長したわと思うかは各人の目標設定次第だと思うわけだけど、今日の自分は後者。先生にはしかられるかもですが。できなかったところも曲を聞いてだいたい思い出せれば個人的には上出来。ごほうびに大戸屋でいわしとろろ丼定食とデザート。いざ支払いする段になってカードがないことに気づいたわけだけど。
ぼんやりしているのは、振付に使われてるすてきな曲ばかり聞いているせいもある。