2019/12/30

おさめ

小人閑居してなんとやらと言うけれども、仕事もおさめとなり気分だけはヒマになると途端に買い物に走る小人である。
仕事の都合がない限り、着脱しやすくリュックの肩ひもの摩擦にも耐えるラクで地味な服ばかり着ているけれども、たまに魔がさすこともある。昔よく好んだブランドを久しぶりに目にして、ブラウスの柄にいわゆる一目ぼれ、どうなのそれいつ着るの、という心の声も聞かず衝動買い。
買い物といえば、windows7のサポート終了に伴って休み中にはPCも買わねばならぬ。憧れのMacか価格を取るか、悩み中。

週に幾度かレッスンに出ていれば先生の動きが少しはコピーできるようになるかしら(はい、永遠にできません)細かい振付を覚えるのが少しは早くなるかしら(少なくとも1年前よりはマシになったと信じたい)と思いつつ2年余り経過しました。生徒が飲み込めていない箇所が即座に分かってしまう超能力と難しすぎず易しすぎず絶妙な難易度の匙加減で楽しく踊らせていただいています。今週は先生の踊りをたくさん見られてしあわせでした。
個人的にお気に入りの2本。


ジャズのクラスは去年から引き続きとして、「エベレストより高い敷居」のコンテンポラリーのレッスンにおそるおそる行かせていただいたのが5月。その前月にリリースされた課題動画を見て、いやこれは自分には無理だろうと思えども、試みもせずにあきらめては悔いが残るとその後1ヵ月考えて結局腹をくくりました。今でも一人ちまちま練習している、それだけ引力のある曲でした。
初めてのフロアで転がると最初は目が回って一瞬ブラックアウトに陥り翌日は面白いほどあざだらけになっていましたが、最近はそんなこともなくなりました。以前より腰の調子もよくなりました。
課題は着実に増えてきていますが、ほんの少しずつ、できることも増えてきました。もう少し、もう少しなんとかならんものだろうかと、どうやらあきらめが悪いようです。


全然ジャンルの違うことをやっているらしいので、それって身体の使い方が全然違うでしょうと言われたりして、確かにそのとおりなんだけれども、きっと相互補完的に自分の成長を促していただいている、またはときにいわゆる「安全基地」になっていただいていると勝手に思っている。
夜のクラスでご一緒した方に今日のことを話したら、充実の踊りおさめだったねとコメントをいただく。いやほんとうに。しあわせであります。
週一回お目にかかっているほかの先生がたにも、一年間、ほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。

2019/12/25

フロー

ダンスはフローに入りやすい課題だと思う。
なにしろ自分の身体そのものを使って課題をするわけだから、課題と自分の一体感も得やすいのは道理だろう。フローは時間泥棒。あっという間に時間が経ってしまう。
月曜、昼の部も夜の部も、月末又は年末に向かって振付も回数を重ねてきて、客観的出来栄えは知る由もないが、本人的にはぷちフローに入って大変ごきげんである。
年末年始の休み中に一つ二つ振付を覚えたいなあと欲を出して物色しては、いやいやまずは基礎練だったと行きつ戻りつ。

火曜。年末なので先生が踊ってくださるからと2か所レッスンをはしご。先生本気で踊っているときはほんとに楽しそう。何のご縁か、この時この場にいることができて、しあわせである。

2019/12/22

金曜の夜、会社の忘年会に出ずに朝カルに行く
お話の内容はこちらのとおり。
メジャーがあったり、上下があったりするのは幻想に過ぎない
久しぶりにマーラー5番のアダージェットを聞いたり、バナナの話があったりする。

他人との比較はガン無視すること、自分にとっての成長、進歩を見なさいとの先生の言説にいつも勇気をいただいている。

土曜、ああそういえばクリスマスも近いのだ、と次のレッスン待ちをしている人たちの赤メインの仮装を見て思う。
日曜、背骨の回りと骨盤の横側が筋肉痛、起きては寝てを繰り返しているうちに昼になる。夕方、いつものクラスがお休みなので、空いたスタジオで練習しに行く。今日こそと固い決意で臨んだはずの苦手なバーレッスンの練習は、いつものとおり一人では忍耐に限界があって、10分ぐらいで終わってしまって、やっぱり好きな振付の練習になる。一向に上達の兆しが見えないけれど、本人的には楽しくてしかたない。
珍しくつけたケーブルテレビには「麒麟の翼」がかかっている。飛べないはずの麒麟に翼をつけたひとの気持ちが、分かるような気がする。



2019/12/16

健診

本日は健診なり。
身長が2年連続で伸びている。
成長が止まったと思った時点で155cmだったのが本日は157.6cm。
この身体のどこかが、まだあきらめもせず育っているのかと思うと、ちょっと嬉しく愛おしくもある。
よしよし(きもち頭をなでなで)。
がんばれじぶん。

2019/12/15

浅知恵

筋トレのモチベーションが落ちてきた。
寒さもあるが、他にもやることが増えてきた。なにしろ振付は少し放っておくと劣化CPUしか入っていない我が脳はすっかり忘れてしまう。ちょくちょく復習しないといけない。開脚もやる気のあるうちにもう少し開くようにならないといけないし、ターンはあいかわらず目が回るし、動画を見ながらバーレッスンの真似事もしなければならない。基礎がないところにセンスもない自分みたいな人間が踊っていても、ちっとも美しくならないので、やっぱり基礎練は避けて通れない。いかんいかんと思いつつ、ほぼ腹筋しかできない日が続いている。
一歩進んで一歩退く。二歩かもしれない。
何者でもなく何者にもなれない自分は、果たして少しはよき方向に進んでいるでしょうかと答えのない疑問が温泉のごとくふつふつと湧出することもあるけれど、今はなにも考えない。
なにもというわけにもいかない、あまり、考えない。考えて止まってしまうよりは、浅知恵と笑われても、ちょこまか動いていたいと思う。


2019/12/09

いつかそのうち

当り前のことだけれど、いつかそのうちできるようになろう、なぞと思っていたら、一生できない。いつかはいつまでも、延々と延期されるものである。
開脚がちゃんとできるようになったらいいなあと初めて思ったのはいつの頃かも思い出せないぐらい前のことだけれども、その頃は100度も開いて肘がついたらまあ上出来、という状態だったから、正直なところ身体のかたい自分にはベターっとなんて、そんな芸当は無理だろうと思っていた。少しはましになった今でも、ベタまではいかない。
開脚のためのストレッチが種々様々公開されているけれど、だいたい2、3ヵ月でできるとか書いてあって、そんなに毎日続けられる気力が湧かなかった。
ところが、どうやら今月の振付にベタ開脚が入っているもようなので、いやこれは今月中に少しはましにならねばならない。
と思っていたら、昨日ふと見たら2週間でベタッとなれますという動画を発見、やってみたらけっこう開く。2週間なら今月に、いや今年に間に合う。
というわけで、今年最後の目標は開脚、と目を回さずシェネ2回転から上向いてターン(別の先生の振付)という地味な年末。最近こういう地味めな練習が意外と楽しい(でも目が回る、、)という、はため相当奇妙な人間になりつつある。


2019/12/07

リフレクソロジー

某所でお話をしていたら、その方はいまだかつてインフルエンザにかかったことがないとおっしゃる。
自分はそんな強靭な肉体を持っていないので、早めの昼休みに予防接種に行くことにする。注意書きを持たされる。運動はだめ、お風呂はよいと書いてある。じゃあ近所の温泉にいこうといそいそとエステの予約をする。ついでに前回20分で試したリフレクソロジーを倍の40分にしてみる。整体にいってねじれた身体を整えたほうがよろしいのではないかと頭をよぎるけれども、ついオイルマッサージを選んでしまう。
リフレクソロジー、前回もえらく痛かった。いわゆるマッサージ系の痛みとは質の異なる、えげつない痛み。めずらしくこめかみのあたりがぴりぴりする。目の反射区である親指の先をかりかりしながら目がお疲れですね、左右とも中指から小指の下から足裏の外側にかけて、ごりごりしてますねとおっしゃり僧帽筋と胸鎖乳突筋をゆるめたほうがいいですね、とコメントをいただく。
従来、自分の自覚的な主な患部は背中と腰だった。でもこうしてみると、より重症なのは首から肩甲骨にかけてではないか。
続くオイルで肩甲骨のキワをおされると相変わらず、こりこりどころか、かっくんかっくんいっているのを聞きながら、そう確信する。
帰路、いつになく身体が軽い。お腹がすいてついカップラーメンを食し、いい感じに眠くなってきたところ。リフレ万歳。
明日はいい動きができるにちがいない、たぶん。

2019/12/05

あと3匹

クリスマスふちねこ増えてきた。まだいただく予定です。

2019/12/04

ねむれません

早く帰って寝たはいいけど、夜中に起きてたら世話はない。

かっちょええ。



音が入ってると振りも入りやすいとよく言うけれども、10月1ヵ月間及び次週3週目(各別の先生の振付)とわりと長いことやっているので、これもなんだか踊れそうな気がしてきた(深夜の気の迷い又は大いなる勘違いかもしれない)。年末にでもひまができたら研究してみよう。
明日起きられるかなあ。。(いやすでに今日だった。。)

2019/12/01

先生の作品がかかるというので蕨に行く。
休憩時間、手持ち無沙汰だからアンケートでも書こうかと用紙を手に、これまでダンス公演を見た回数はとの質問を目にしてあらためて思い出す。子供の頃にバレエを見たのと少し成長してから劇団四季を見たのは別にして、こういった公演を見るのはこれで4回目。観るほうも初心者、ニワカというやつである。
今までは、目立つダンサーさん個人に目がいっていたのだけれど、今回はどちらかというと構成とか照明とかに目が行く。太宰的な印象で面白いと思った曲もあった。ただ逆にメッセージ性が強すぎる曲は肝心の踊りの影が薄くなるなあなどと思う。
人間のできる動きというのはある程度限りがあるはずだけれど、それが構成と演出の妙で心に残るものになるから面白い。印象的なものもいくつかあった。
やや斜にかまえてそんなことを考えていたのは後半も佳境に入るまでで、聞き覚えのある曲がかかって先生の作品が始まったら早くも涙腺が崩壊する。踊りのことはなにしろ初心者だし、深いことはよく分からないけれども、先生の作品は、作用する心の場所がほかのものと違うことだけは分かるのである。それは直接教えていただいているということを差し引いても多分変わらないと思う。
次の楽しげな作品に移った後も終演となるまではらはらと涙を流し続け、レッスンがあるからそそくさと会場を後にする。帰路、電車の中で、その曲をかけた途端にまた涙を流す奇妙な人になる。仕方ないのでしばらく音を切ってぼんやりする。
ほんとうにたまたま、先生に辿りついた自分は幸運だったなあと思う。
不肖の一生徒としては、手前勝手ではあるけれど、一日でも一回でも多く教えていただけるように、どうかどうかご安全にお過ごしくださいと願うばかりである。

2019/11/26

当たり

いつも火曜は地元の22時過ぎからのクラスに出ていたのだけれど、冬の到来なのかお年頃なのか、23時に終わってから帰宅して、ただでさえ不眠ぎみなのに、おたおたしているうちに眠れなくて朝起きられなくなる..という悪循環を切るために、同じ先生の別の場所の早めのクラスに出てさっさと寝ることにした。
コンビニで買い物をしたらレシートに商品引換券がついてくる。定価750円のワイン赤白が選べるとある。読み間違いではないかとじっと眺める。店員さんに「これってタダでいただけるってこと?」と再確認。そうですね、豪華ですねとコメントしつつシャルドネを持ってきてくれる。あら悪いわねと有難く頂戴する。
帰路、つい普段の所業を顧みる。最近なにかいいことしたかなあ。
一抹の罪悪感。750円のワインを縁もゆかりもない(しょっちゅう買い物してる以外は)コンビニさんからいただけるほど何か良いことしたかなあ。
思い当たる節がない。
宝くじなど当たった日には大変。きっと一抹どころではない罪悪感に苛まれるに違いない。当たらなくて幸いである(ま、そもそも買わないけど)。

2019/11/23

がんばりました

中野でコアトレとマーシャルの祝日クラスに出る。神奈川方面拠点の先生なので、なかなか予定が合わないのだけれども、今日はラッキー。
コアトレのクラスでは、ひたすら呼吸を意識するよう指導され、息を吐く力が足りないと連呼される。このままでは高齢になったら息が出来なくなりますよ!との言葉につい笑いつつ、自分は確かに以前から呼吸が浅い。長距離を走っても最初の15分ぐらいまでは異常に息が苦しいし、水泳が嫌いなのも息が苦しいからというのが主要因である。最近エステでオイルマッサージを受けた時に呼吸が浅いですねとコメントされたのも記憶に新しい。昔から、動いていない時でもしょっちゅう息苦しくなる。呼吸筋が不足しているらしい。
他のクラスを受けている時でも、先生が息を吐いているときの大きさと自分と比べてみてください、と言われて思い浮かべてみて、ああほんとだなと思う。確かに、音からして違う。これは早めに解決すべき課題かもしれない。

マーシャルは半分以上トレーニング。上半身を壊してからマーシャルやりましょうと平然とおっしゃりプレートを持つ手がちぎれそう腰がつりそうになる。負荷をかけないと筋肉増えませんとは至極当然だけれども、いつもいかに楽しているか反省しきり。
コリオはいつもinstagramで見るのを楽しみにしているのだが、簡単ですとおっしゃりつつやっぱり動きが理にかなっていて動いていて楽しい。
終わって消耗しきり。帰ろうとして階段をのぼりかけ、いや、今がいちばん動くはずだからとふらふらしつつ戻り、開脚ができないとちっとも美しくならない振付のダンスの練習をしばらくして、ついに力尽きる。途中でステーキを食べて帰宅。がんばりました(特に背中)。

最近好きな振付師さんが固まってきてしまった。たまに別の人のも見たいと思うけれども、どうも選り好みが激しいらしくあまりこれという出会いがない。
(TUTORIALしか出てこなかったけど、ご本人が踊っている動画はこちらの最後のリンクから。多くの場合、最初の方の人しか見ないのだけれども、こちらはみなさんそれぞれかなりすてき)
追記:どうでもいいけどこれやったら首折れそうだな、わたしの場合。。ダンサーさんてほんとすごい。
久しぶりにこれは好き。
追記:どうでもいいけどこっちは腰が折れそう。。すごいね、ほんとに。
やっぱりこのひと好き。
好きと思ったはじめの1本





2019/11/17

お楽しみは先に

しばらく前の「ダーリン」にスポーツ選手の滝行のことが書いてあった。
自分は滝に打たれたことはないけれども、近所の温泉に、たしか桶シャワーとかいう名前のついたものがあって、その名のとおり、ボタンを押すと天井近くにある水の入った桶がひっくり返ってバサーっと水がかかる、というものから、なんとなく、こういうことを連続的にやるものなんだろうなあと想像している(全然違うのかもしれないけど)。
それを、自分にとっての優先順位を身体に覚えこませるための行為と位置付けていたのがぴったりきて、この数日、時折そのことが頭をよぎったりしていた。
そういえば自分にもそういうことがある。具体的にそれが何なのかということを書くつもりはないし、なんでそういうことをするのか聞かれて相手に納得のいく答えを返せるとも思っていない。とにかく、どう考えても論理的でも効率的でもないけれども、自分にとっての優先順位を自分自身に対して明らかにするためにしていること、というのがある。

今月はお店その他各種の理由で休講が重なり、今日も昼まで寝ている。平日を含めレッスンのない日がない日々があたりまえになったのはここ1年ぐらいの話で、それまで週末は1日は何かのクラスに出ていただろうけれども、それ以外は何をしていたのか思い出せない。元来怠惰だし前職は12時間労働ぐらいしていたから、きっと疲れ果てて寝ていたに違いない。
ともあれそんなわけで週末にいつもよりフリ―の時間ができた。夕方、レッスンが全部終わった後のジムの開放スペースで昔の動画を見ながらごろごろ転がって練習したりしているといくら時間があっても足りないので、ある意味自由な時間も楽しいのである。
恒例の有休消化期間に入り、来月初旬までは毎週3連休となる。自分にとって重要なことに取り組める時間がとれるのは極めてしあわせなことで、しあわせな時間は有限で壊れやすい。お楽しみはとっておくのではなく、先に、とぶちぶち呟く。

2019/11/08

言語化されて進むこと

先週からノド風邪が治りきらない。市販薬で一進一退しつつ、声がれしたまま一週間以上経ってしまった。
その間いろいろあった(ような気がする)。
昔の映像作品を再放送する番組をたまたま目にしたら、向田邦子『阿修羅のごとく』だった。作品だけでなくそのライフスタイルも含めて向田邦子を好きな女性は多いだろうから珍しくもないが、その頃たしか中学生だった自分の場合、エッセイは好んだが小説やドラマはそれほどでもなかった記憶がある。女性の機微の世界が分からなかったんだろうな、その頃のわたしには。
そんな彼女を少し理解したような気がしたのは、少し後になって、ご本人の脚本ではなくジェームス三木の手になるドラマ『父の詫び状』を見てからだった。
ともあれ、出勤の時間だったからぽちっと録画して家を出て、帰宅して、いそいそと見る。学生の頃に感じた違和感がなんだったかも思い出せないぐらい、あるある、と分かってしまう。阿修羅とはよくぞ言ったり。でもそう思いながら憎めない。クスリと笑ってしまう。正しくはないとは思えども、自分もつまるところ同類だと、つい許してしまう。年をとるということはこういうことなのかもしれない。

昨日。測定するとアプリで自分の筋肉や骨格を3Dで表示してくれるというサービスを試してみる。筋肉にはあまり興味がなかったが問題は骨格。見事に捻れたり傾いたりしている。ほぼいままでかかった整体師さんたちのコメントを総合したような結果になった。
直後に話した世話好きのおともだちによるとショックを受けていたように見えたそうで今朝ほど元気を出せと励ましのラインをいただく。本人はショックというより、なるほどねえと感心したり納得していたのだけれども、なにしろじつにいい子である。
ともあれ、3D画像とともにその骨のパーツと症状、対策が簡潔に言語化されているので、パーツの名前で検索して調べてみると、いままで、なんでここがこう痛むのだろう、と思っていたところが、予想外にも、納得感とともに骨と筋肉の気持ち(なんてものはないかもしれないが)が少し分かってしまう。彼らはそうなるべくしてそうなっているのだった。
そうですか、そうだったのね。今まで分かってあげられなくて、すみませんでしたね、というような気持ちになる。これからどうすればいいのか思案している。
言葉、図、あるいはそのほか目に見える形になってみてはじめて明らかになること、または一歩、先に進むということがある。

2019/11/02

調子

身体が動かない、と感じることはしょっちゅうある。腰が痛いとか背中がかたいとか腕が上がらないとか首が回らないとか。けれど、いつもより身体がよく動くと感じたことは、よく考えてみると今日までなかった。
何がよかったんだろう。
レッスンに3つ出たから、合間の待ち時間に色々器具を使ってマッサージやストレッチをしていた時間が長かったかもしれない。逆に、これだけ長時間調整しないと調子というものはよくならないってこと?
先生に教えていただいて、動いている間、お腹を「えぐる」意識を持つようになってから、左腰のぐりぐりが少し小さくなってきたのも関係あるかもしれない。
風邪がぶり返してきたから風邪薬を飲んでいたとかのどが痛いからトローチを始終なめていたとか、朝ドリンク剤を飲んだとか、もしかしたら関係あるかもないかもだ。
世話好きのおともだち1名からは今日は元気がないねと言われたので、外見は元気なかったらしい。月初で新振りが多かったから、すぐに薄れていく頼りない記憶を反芻するのに忙しかっただけなような気もするけど。
よくわからないけど、「調子がよい」と感じた貴重な本日なので記録しておく。
それほど期待も、さりとて絶望もせず、淡々と、なすべきことをするだけ。未来は明るい、といいな、と思いつつ。

2019/10/27

騎士団長殺し

確か5月の連休に読もうと思って買った文庫の村上春樹『騎士団長殺し』。このところ毎週土日に今日こそはと持ち歩いてはいた。つまり持ち歩いていただけだった。けれど、進むときは一気に進む。金曜の夜から第1部の2冊目(全部で2部4巻)から頁をめくり始めて今終わったところ。思わず狭い自室内をきょろきょろと見まわし、部屋の隅あたりにでも騎士団長が現れていないか確認する。
自分の場合、読後感はだいたい引用になる。ごく主観的、我田引水的、順不同な引用。

「でもまったく正しいこととか、まったく正しくないことなんて、果たしてこの世界に存在するものだろうか?我々の生きているこの世界では、雨は三十パーセント降ったり、七十パーセント降ったりする。たぶん真実だって同じようなものだろう。三十パーセント真実であったり、七十パーセント真実であったりする。その点カラスは楽でいい。カラスたちにとっては雨は降っているか降っていないか、そのどちらかだ。パーセンテージなんてものが彼らの頭をよぎることはない」

登場人物の女の子が自分に似た名前だからかもしれない。その子はある絵を見て思う。
「この絵はわたしをどこか別のところにつれていこうとしている、正しいとか正しくないとか、そういうキジュンとは違うところに」
そういえばわたしも最近そんなことを思ったことがあった、かもしれない。そんな彼女に騎士団長は言う。
「よく耳を澄ませ、よく目をこらし、心をなるたけ鋭くしておく。それしか道はあらない。そしてそのときが来れば、諸君は知るはずだ。おお、今がまさにそのときなのだ、と。」

「この世界に確かなことなんて何ひとつないかもしれない」
「でも少なくとも何かを信じることはできる」

2019/10/24

泣き顔

全身、特に上半身筋肉痛。
日曜、ほぼ筋トレみたいなマーシャルはダンベルを持っているせいで肩から背中にくる。火曜はついムエタイコリオで本気を出し、脇から下のラインと背中に追い打ち、昨日はコンディショニングからバーレッスンを経てコンテンポラリーという流れで、不慣れも相俟って滝汗をかく。先生が腹筋腹筋腹筋と連呼してくださるので、さすがに鈍いわたしも腹筋にくる。今日は自主練のちダンス。目が回る。帰宅後、スパークリングワインを少し飲んだらますます目が回る。

だまし絵の老婆と少女など有名どころだけれど、一度そう見えてしまうと、もう逆戻りできない、ということがある。
中野は今週から先生ご制作中の動画の曲となったので、背景の岩淵水門を何度も見ていたら、ひとの泣き顔に見えてきた。4人で泣いている。だからお面の顔も泣いてるのかな。

2019/10/22

友好関係

たとえば別れた恋人と友人に戻れるか、的な感じで、一つの趣味に興味が失せると次に移って前のは忘れる、みたいな人生を送ってきた。しかし、これでは逓増型の人生にならぬではないか、と、この年になると少々反省もする。
そういうわけで今日はマーシャルとの友好関係を再構築すべく、かっこいい女性ですと師匠もご推薦の先生の上級者向けなるクラスに出てみることにする。自分が上級者であるかは置いておく。挑戦することに意義があるなり。実戦をイメージしたムエタイのコリオがかっこいい。また行きたいなあ。
とはいえ、いまはダンスが本命なので、少々休憩の後、ダンス。この音にこの動きがはまって好きだなあという箇所が一つでも見つかるとお宝をみつけたような気持ちになる。先生もたくさん踊ってくださる。眼福。四連休も相変わらずダンス三昧にて暮れる。

2019/10/21

このところ

好きだったひとたち。
最近ジャズ系が多めになってますが、相変わらずかっこいいのも好きです。




2019/10/20

四連休

また靴を買ってしまった。
ロッカーに入れてくれと何度も連絡しているのに不在通知がくるので早めに帰宅して受け取ることにする。テレビをつけると大河ドラマの時間なのにラグビーをやっている。
そういえば、そういうものをやっているらしいことは知っていた。金曜の夜、1年ぶりぐらいに縮毛矯正をかけに行ったとき、美容師さんがアメフトとラグビ―のルールの違いを語ってくれたのも記憶に新しい(その違いがそれほど重大な意味を為すものなのか、よく分からなかったことだけ記憶している)。なにしろ、ゆうに2時間半はかかるので、いろんな話をすることになる。よく知らないひとと話すのは苦手。知ってるひとでも用事がなければ積極的に話そうとも思わないので、話題の世界が明らかに違うタイプの人だと雑談するのも一苦労。美容師さんは腕が普通なら話が続くひとか沈黙を許容してくれるひと、そしてなにより早く仕上げてくれるひとがいい、と思っているのだけれども、今回は珍しくお話の続くかただった。
画面をラグビーに戻してみる。たしか少し前に京王線に乗っていたとき、首からラグビー関係者ですとカードをかけた数人の若者が通訳と思しき人を同伴して車内にいたのだけれども、ずいぶんと存在感のあるひとたちだった。フィールドの映像からは、それほどに感じないけれども。
それにしても映像とか写真に美しく写るというのはずいぶん難しいことだと思う。先生の「カメラの練習」の副産物たる写真をいただいたら、ほぼ真横から写っていて、相変わらずストレートネックの首が前傾しているし、ちっとも腹筋は入っていないし、お粗末きわまりない格好である。いったん気になりはじめると、片足立ちになると横に傾くのもますます気になってきて、空き時間に鏡に向かって悪戦苦闘。バレエの素養のある先輩がいらしたので、まっすぐ立てないんですけどどうしたら、とお尋ねしてみる。重心が下にあるのがいけないのよと肋骨のあたりを抱えて教えてくださる。おお。やはりこれも腹筋の問題なり。そういえば先生にも教えていただいたように思うけれどもすっかり忘れている。腹筋が入るといくぶん傾きがましになる。傾いたままなら少しは上がるようになった足がまた上がらなくなる。道のりは長い。
良い先生のクラスには新参者に慈悲をかけてくれる親切な先輩がいらっしゃるものである。それほど根拠はないけど、そう思う。昔から先生と上司と先輩には恵まれている。こんな可愛気のない人間なのに、ありがたい。
やっぱりラグビーは性に合わないみたいで、またネコ歩きをかけっぱなしにして村上春樹を読む四連休2日目のよる。

2019/10/14

サイドキック

先週だったか、その前だったか忘れたけれど、サイドキックを蹴ろうとしたら、何度やってもダンスの足になってしまう。股関節なのか付け根なのか、なにしろ回すとごりんごりんいう調子のよろしくない左足だけそのような現象が出る。なにぶん、あまり長くブランクをあけてはいかん、と本日ヨガからはじまりダンスで既におなかいっぱい(もしくは空腹)の後に無理やりマーシャルに出る。来週の祝日に難しめのマーシャルのクラスに出てみることにしたので、その練習もある。遺恨の残っていたサイドキックは元通り、ダンスの足にならずに蹴れるようになる。よしよし。
話は昨日に戻る。生まれつき存在感のない人間だから、きっと先生は覚えていないだろうけれども、わたしが「hiphop」という名前のついたレッスンにはじめて出てみようかしらと迷っていたところにいらしたのが先生である。だいぶ振付が進んでいると聞いて帰ろうとしたところをせっかくだからと招きいれてくださった。生まれたての仔鹿(最近どこかでこのフレーズを聞いて以来お気に入り)のような足取りで右往左往し、途方もない挫折感とともに45分が終わったのだけれども、不思議と、新振りになったらもう一度挑戦してみようと思ったのは、やはり先生がとびきりやさしかったからだと思う。
しばらくして先生はお休みに入られてご縁がなくなったのだけれども、昨日最寄りのお店でジャズのレッスンをされるとうかがって行ってきた。プレコリオでないオリジナルのレッスンを受けるのははじめてで、ああ好きな曲だなあ、好きな動きだなあと思う。
自分にはいろんなはじめてがあり、挫折とそれなりの困難なりがあって、そのたびに誰か、何かが支えてくださっていまここにある。受けたご恩の分だけ成長できているか、おかえしできているかというと、もうしわけないばかりではあるが、気持ちだけは、ここに。

2019/10/12

ねてまて

焼きとりを食べるのには周期があって、発端はめまいである。
くるくる目が回る。鉄分が足りないのかしらとレバーを2本と他に何本か追加で買う日が続いている。
発表会の前までは禁酒していた。精神的なものではなくて、せっかく作った筋肉ちゃんが失われるのが惜しかった。ほんのり甘めの飲料が好きで、アルコールのほうが若干複雑な味がすると思うだけで、ものすごく好きなわけでもないから、苦もなくソフトドリンクに代替できたが、焼き鳥には一応アルコールかな、と缶を1本あけて3分の2ぐらい飲む。
水曜、今回の曲と振付がとても好きで、たまたま立ち位置のせいで、先生が踊っていらっしゃる背景のど真ん中で傾いた姿勢のまま眺めている姿が動画に写ってしまっているのも何かの記念である。みなさんと一緒に踊っているときに先生が褒めてくださったりするときは、だいたいその振付はその回で終わりということになっているから、きっとこれで最終回だろう、さみしいなあと思う。
木曜、午後休にて昼夜と踊ってばかり。しあわせである。昼夜の空き時間に相変わらずちっとも形があるべき姿に至らないバーレッスンの復習をしたりしてみる。片足立ちになると斜めに傾き足がふらふらする。上を向けば目が回る。長期戦なり。
金曜、1年に一期ぐらいまともに通おうと思い、たいへんご無沙汰の朝カルに茂木先生のお顔を見に行く。今週はずっと熱が下がらず、病み上がりにマラソンを走って再発されたりと、さんざんだそうで、熱にうかされたせいでと前置きをされて2時間のうち約半分、数学のお話である。さっぱりわからない。自分には分からないけれども先生はそれがお好きなんですね、というパターンには一応長年のおつきあい(一方的に聴講させていただいてるだけだけど)なので慣れっこである。要は先生の知的熱量と刺激をいただくのが目的であるから十分目的は達せられる。締めは小津安二郎。先生のお知り合いのお宅では、行くといつもBGMのようにえんえんと小津がかかっているそうだ。あるある、と頷く。我が家の場合は小津ではなく岩合さんのネコ歩きである。
台風にて土曜には珍しく部屋にこもることになり、停電にならないうちに洗濯掃除片付け衣替えをしておこうとめずらしく朝から甲斐甲斐しくはたらき、早やおつかれ、おねむである。
ねている間に過ぎてしまうといいなあ。

2019/10/08

週初から疲れ果てて、しばらく君のことを忘れていたよ。腕や肩はまだ痛いけど、そういえば、ついに腹筋痛はこなかった。キミ元気ですか、生きてますか、とわが腹を見る。
どうも鍛え甲斐のない暖簾に腕押し風のヤツだがわが腹であるからして見捨てることもできぬ。よしよしがんばれとなでなでする。
目が回るので珍しく早く帰宅、テレビをつけると「浮き指」があご出し猫背垂れ乳垂れ尻に関係しているぞと喧伝している。ほう。足指に力が入らず重心がかかと側にくることによるらしい。毎日5分の足指折り曲げで改善するというので早速折り折りする。これで地に足ならぬ足指がぴったりつくらしい。ぴったりついたあとは力が入るところを狙う。テレビの出演者の実演によると、割合即効性があるらしい。日頃先生がおっしゃっていることにも通じる。
最近諸事情で行けていないけれども、地元のクラスの先生が口癖のように「強い足をつくってください」とおっしゃっていたのをふと思い出す。体幹、とかじゃなくて、まず足なのかしら、と思った記憶があるけれども、やっぱりダンスは足なのかもしれないなあ。
言葉が思考をそして行動をつくる。
よき言葉だけ友にして歩もう。


2019/10/06

疲労困憊

疲労困憊にて帰宅。
10月から新しく始まったダンベルを持ちながらパンチを打つというマーシャルのクラスに出る。始まる前、きつくなったらダンベルはおろしていいとしつこくおっしゃっていたので、早速置いたのは見渡す限りわたしだけで、みなさん最後まで持ったまま。筋トレ系の方々は意思強靭なり。腹筋パートもある。お師匠様が皆を見まわしながらたいそう嬉しそうな顔をなさっているのがおかしくて笑ってしまう。筋トレが好きな人種というのが世の中にはいらっしゃる。そういう方がいてくださるので、ひよわで意志薄弱な自分みたいな人間も、もたもたとついていけるのである。ともあれ、これぐらいすれば少しはわが腹筋にも効いてくれるかもしれない。要はやりかたが生ぬるいのだ、と認識をあらためる。ひたすらスイッチキックを繰り返していたから、はやお尻あたりが筋肉痛の兆し。肩から背中にかけて鈍く痛む。背中と腰に筋肉痛がきたら正解ですとおっしゃっていたから、とりあえず一つは正解とみえる。
ダンスのクラスもいつもより振付が長く進んで、覚えの悪い自分は半分に分かれての踊りこみの時も隅っこで動いているせいで、そういえば休まなかった。それだけやっても漸く最後の1回でとりあえず覚えたかな、というレベルの低さである。道のりは長い。
たいくつだなどとほざいておるので先生がたがしごいてくださるのであろう、ありがたやありがたやと思いつつ、そろそろおねむとなる。

長期課題は重要だけれども、斜め45度的な成長曲線ではなく、いわゆる階段状にしか成果が表れないことは最初からわかっているので、階段を登れない間は、はっきりいってたいくつである。
こちらはふっきんふっきんと腹筋のことばかり考えているのだけれども、先方様は一向に感じないらしく、筋肉痛にもならなければ、相変わらず動いている間にうまく入った感じもしない。いっしょうけんめい教えていただいているのに一向に成長しない生徒のようにちっとも可愛げがない。かわいくないやつでも見捨てずに教えてくださる先生というのは偉大ないきものだなあと思う。
うさばらしに新しい靴を2足買って靴ずれを作ったりする。よく見ないと分からないアシンメトリーのデザインになっていて個人的にはかわいいと思っているのだけれど、甲高幅広扁平足なのでお店で買っても通販で買ってもだいたい足が痛くなる。靴ずれならまだいいほうである。一度買ってある程度長く履くことができたいくつかのブランドの靴型を信用して、そこをえんえんと回すことになる。
靴だけでは当然相変わらずつまらないので、現状唯一空き時間のある土曜の朝に寝だめするのをやめて、新しいクラスにいってみる。楽しかったし、もう少し女性の先生比率を増やしたいと思っていたところだったので、(起きられたら)また行ってみたい。
いつのまにか今年も残り1Qとなり、個人的有休消化推進期間に入った。休んだるぞう。

2019/09/28

長期課題

発表会関連その後で嬉しかったのは、先生にあまり俯かなくなったとおっしゃっていただいたことと、見てくれた顔見知りの方から、キレイに踊れてたとおほめの言葉をいただいたこと。知人の賛辞は10割引きして聞くべきことは重々承知だけど、洋服の色がキレイ、ぐらいは言われたことはあるが、いまだかつて自分の「所作」に対して使用されたことのない形容詞である。47歳にして新境地が開けたかと勘違いにて、しばしすこぶるご機嫌となる。
発表会という期間限定課題が終了したので、遅効性の学びは身についたときに発揮される効果大なのだと言い聞かせて長期課題に取り組んでいる。
目下のテーマは腹筋。自分の抱えている身体的諸問題の根本解決に至る重要ファクターが腹筋である。
筋トレとして腹筋しているときに腹筋が入るのは当然だけれども、それ以外の時(立っている時とか、振付で動いているとき)に入っていないとあまり意味がないことも分かってきた。振付に入ってしまうと腹筋のことなど考えていられないので、今週は、クラスのジャンルにかかわらず、ルーチンのウォームアップ的な時間帯は腹筋を入れることだけ考えることにしてみた。基礎がバレエ系の動きは腹筋が入ると姿勢が全く変わるのはバーレッスンで教えていただいていたけれども、hiphopでも腹筋が入ると身体と動きの形が変わる。おもしろい。
腹筋を入れようとすると息を止めるようになって呼吸ができないじゃないかと思っていたのだけれども、とあるエクササイズでお尻に力を入れると自然とお腹も入って息もできることが新たに判明。なるほどなるほどとひとりほくほくする。自分の身体で実験し一人で面白がっている変なやつとなる。

最近気に入っちゃったひと






2019/09/23

はじめての本番

いよいよ発表会当日。
リハは夕方だし本番は夜だから、日中動かずにいきなり臨むのはこころもとない、ということで、先週お熱でダウンされていたという気の毒な先生のお顔を見にはじめてのお店に行く。ゴルフができるのはともかく、スカッシュかなんかの練習場まであるえらくだだっ広くてきれいな施設である。偶然だとは思うけれども、レッスンはたぶんここ数カ月以内にやったことのある振付である。こんなに最近やったのにこんなに覚えてないなんて申し訳ない、と思いつつ次第に記憶がよみがえってくる。本番前のこの状態で、新振りを覚えるよりありがたいな、と本人的にはたいそう気持ちよく踊らせてもらう。

リハの時から本番はばちっとメイクをしてくるように、とかなりしつこくおっしゃっていて、先生のおっしゃることで、できることなど限られているから、その数少ないできることぐらいはご要望どおりにしてさしあげようと思い、ドラッグストアで若干練習の上、いくつか化粧品を購入し本人的にはばちっとメイクをしてリハの待ち合わせ場所に行く。わたしだけかと思いきや、このために化粧品を買ったという先輩が何人かいらっしゃる。みな思いはひとつである。先輩と顔を合わせると「化粧しないの?」とひとこと。「いえ、あの、これでもしたつもりなんですけど」「してあげようか?」「これ以上はごかんべんを」というようなやりとりをしつつ控室に入る。先生がいらしてぱしゃぱしゃとカメラマンのごとく写真撮影されると盛りあがって一時みな緊張を忘れる。
さて、本番は一瞬で終わる。
帰路、いままであったもろもろを思い出してふと涙しそうになる。
明日から何をどうしていいのか今はよく分からないくらい、この3ヵ月しあわせだったことに今更ながら気付くのである。
なにごとも終わりがくる。でもここで止まってはいけない。
ここからはじまる。

2019/09/22

硬球

この一週間、衣装作らざるもの寝るべからず、と呟きつつ毎日あえなく寝落ちしていたわけですが、やっとできた。布を切ってゴムと安全ピンでとめるだけの簡単仕様。
縫え!と先輩方に言われたけれども、安全ピンも3個ぐらい付けておけば数分の間に全部外れることもないだろう。(引っ越し後行方不明だった裁ちバサミを探すことに一番時間を要したというこの事実)みなさんの衣装は手間がかかっている。さすがである。

先生から発表会メンバー一人一人にCDと野球の硬球をいただく。笑いながらなんてグッドタイミングなんだろうと思う。
今日はめずらしくジャズのレッスンにしか行かなかった(一応衣装を作ったり、寝だめしたりしていたし、少し膝も痛かった)ので、いつもより1時間ほど早くにジムについて思いつく限りのストレッチと少々の筋トレとかをした。最近漸くわかってきたことだけれども、なにもせずに「身体が動く」と思っていたのは勘違いであって、ストレッチなり筋トレなりのせめてもの下ごしらえを1時間ほどして臨むとそれなりに、少しましに「動く」ようになる。発汗の程度も全然違う。球状のもので身体の各箇所をごりごりとするとマッサージ効果があってことによろしいのだけれども、最近手持ちの球状のもの(テニスボールとか、ポジションボールとか)があまり効かなくなってきた。先生がしょっちゅう野球の硬球でやって泣いてますとか死んでますとかおっしゃっていたのを思い出して、せめてそろそろラクロスのボールに変えようかと考えていた矢先である。
帰宅。さっそくためしてみる。そもそも弾んだ時の音からしてテニスボールとは違う。ちょっとこわいのでまだ足裏しかできない。また明日ためしてみよう。

2019/09/16

Eifman Rodinなど

しつこいようだけれども、バレエというものが元来苦手であって、だいたい見ている間にねてしまう。
でも昨日はそうではなくて、もともと、たぶん10時半過ぎ頃からBSをつけっぱなしでねていて、夜中に目覚めた。目覚めたらそこにバレエがかかっていた。見たことのない妙な歩き方をする女性たちの姿に妙に惹かれて、反射的に録画ボタンを押した。押した後数分で幕となり、使用された音楽を見ていたら好きな曲ばかりだった。
本格的に目が覚めて、いや、これは再放送を見るべきじゃないのかと調べてみたら、オンデマンドならあるが再放送はない。DVDがないか調べてみたけどさっぱり売られていない。動画で調べてみて、これは見るべきだろうと思い、帰宅後いそいそと腹ごしらえをして今オンデマンドで観終わったところ。
別にひっぱるつもりはなかったけれども、なんの話かというと、先ごろ東京で公演があったばかりのエイフマンの「ロダン」。いやすごい。ダンサーを彫刻にみたててロダンが彫像していく様子を描こうと最初に考えたひとは演出家だろうか。ものすごいアイデアだ。


今週よく見た動画。
今まで、「フレックス」の形の足が美しいと思ったことがあまりなかったのだけれども、2番目に出てきたおにいさんを見てああ自分が間違いでしたと頭を垂れる。相変わらず、どこのどなたか存じませんが、おうつくしい。


今日はいろいろがんばったので、3割引の声にひかれてデパ地下で松坂牛のローストビーフを買った。エイフマンを見る前に食したのは松坂牛です。美味なり。でもやっぱりちょっと高かったかも、と思う。もったいないので明日に半分残しておく。贅沢に不慣れである。





笑顔

埼玉某所で開催されたダンスショウに行く。
週1回レッスンでお世話になっている先生と生徒さんたちの作品と、ジャズのレッスンでいつもお美しいなあと眺めている先輩が出演される2作品がお目当て。
結果的に、確かにそのお目当ての3作品はすばらしかった。あと先生がたぶん(ここ最近のハードスケジュールでまたどこか故障でもしていなければ)本気で舞台で踊っているのを初めて見られて、そちらも楽しかった。
ほかは正直、よく分からない。まあ薄々感づいていたけれども、たぶん、自分は趣味が偏っているんだろう、と思う。
よく分からないなと思いながらも、1週間後に自分の「はじめての発表会」を控えた身としては、参考になることも多かった。
振付そのもの、踊り手の技術も無論大事だけれども、構成と衣装、あと表情というのは自分が思っていたより重要な要素だと気付く。先生方がしょっちゅう、顔、顔とおっしゃっているけれど、確かに、そのとおりだなあと客目線になってみて改めて。
自分の練習もあるので、ご挨拶もせずさっさと帰ったけれども、みなさんのすてきな笑顔に元気をいただく。
さて、自分の衣装作らないと。布を切ってちょっと止めればいいだけの簡単デザインを教えていただいたので、裁縫ベタのわたしには選択の余地なし。

2019/09/14

空の写真が好きだ。
その昔、何冊か買い集めた写真集(または写真がたくさん掲載された本)は、引越しの際に処分したものも多かったけれど、今でも手元に残っているのは、アンリ・カルティエ=ブレッソンは別として、藤井保「A KA RI」、高橋健二「空の名前」と空が主人公のもの。
それはわたしに限ったことではなくて、空にこんなにいろんな名前を付けるなんて、人間という生きものは、空が、空を見るのが好きなんだろうと思う。名前はその愛着のあらわれだろう。
空のもとには人がいる。あの人もこの人も、生きている人も生きていない人も、実在の人も架空の人も、空でつながっている、そんな気がする。
と、ここまで打ってみて、いや、「A KA RI」の主役はやっぱり人、または灯りだろうか、と思い直す。
灯りは、希望であり、勇気だ。
このひとつの空のもと、誰かが強く、明るく、または、ほのかに、やんわりとした灯りを放ったり、受け取ったり、また返したりしながら生きていて、そんなやりとりをみているのがとても好きだなあと思う。


2019/09/07

polyphonic

金曜朝。ねぼけた頭で、週1日ぐらい休養日が必要なんじゃないだろか、と考えつつ、30分で食事とジム用荷物をまとめて家を出る。最近買いかえた大きいリュックには誰かに言われたとおり、「仕事以外のものしか入ってないだろ」。はいさようです。
short noticeですみませんがと夕方にテレカンが入っていて、案の定終了予定時刻から延長する。やっぱり今日は休めという思し召しであろうかと、とぼとぼ家路につく。改札を出たところで思いついてまたほぐし屋さんに行く。はじめて90分コースをためしてみる。極楽。左腰の「そこは筋肉のはずなのに骨状」のぐりぐりに集中攻撃。終わってみると、地面がふわふわ、ゆらゆらして普通に歩けない。いや地面じゃなくて身体がそうなんだと頭では思うけれども、相変わらず酔っ払ったみたいにふらふらしながら家にたどりついて、少し何か食べて、ねてしまう。
夜中に目が覚めて、仕事のちょっとしたことを思い出す。ちょっとしたことなのだけれど、ここで何もせずにそのまま忘れてしまったら、いざ事が起こったときに後悔するだろう。こんな時間に思い出してすみませんがと切りだして一本メールを打つ。安心してまたねる。
朝。ネコ歩きが録れている。「頭の上に乗られるのは久しぶり、しっぽが目の前にあります」とおっしゃりながら微動だにせずカメラを構える岩合さんが大好きである。
思いだして内田先生のVoiceについてのお話を読む。

これも多田先生から伺った話ですけれども、「声を出すときは、オールドバイオリンのような声を出さなければいけない」と。声が低くても、音量が小さくても、遠くにいる人の身体に浸み込むような声というのがある。先生は発声器官の使い方について言っているのではないと僕は思います。そうではなくて、「自分のボイス」をみつけなさいと言っているのだと思う。「自分のボイス」を見つけた人がその「ボイス」で語られた言葉は、できあいのストックフレーズや、何度も話して手垢のついた定型句とは全然手ざわりが違うからです。それはオールド・バイオリンの音色ように、身体に浸み込んでくる
「ボイス」というのは、自分の中に入り込んでゆく「回路」です。自分の中の、身体の深層に浸み込んでゆく。自分の身体に浸み込むことができないと「自分のボイス」は獲得できない。「身体の中に浸み込む」というのが「ボイス」の本質的な条件なんです。自分の身体の奥深くに浸み込むことで生まれた言葉は、他人の身体にも浸み込む。「ボイス」というのはそういう浸透性を持つ言葉のことなんです」(内田樹の研究室「Voiceについて」)

そこから話は「複雑化」という方向へ進む。自分のVoiceは多声的(polyphonic)なものであり、自我は首尾一貫していないければならない、のではなくて、成長とは複雑化である。この場面ではこの顔で、別の場面では違った顔でいる、そういう状況ごとの最適化が成長じゃないか、という話。引用したいけれど全文引用しそうなので、このへんでやめておく。読後、ああこれはわたしへのメッセージであると勝手に思い込む(そういうことがよくある)。
内田先生も相変わらず大好きである。
いろんな先生がたのボイスに励ましていただいて、おかげさまで多声的なわたしは今日も元気です。

2019/09/01

最近

最近よく見た動画(先生たちの以外で)。
やっぱりこのひと好き。インスタに東京の写真がのっていた。来日してたのかな。。一回みてみたい。


すてき。。


気に入った振付は、何度見ても、ああ美しいなあとかかっこいいなあと感慨にふけっているか、動線を再現性のあるものにできたらいいなと願いつつ目に沁みこませようとしているばかりである。
ふだんわりと批評性とか客観性とか言うタイプの人間だけれども、先生の踊っていらっしゃるのはそういうふうには見られない。だって先生なんだから。そういうもんじゃないかと思う。

テレビで、筋肉は裏切らない、と力説してるひとがいる。まあ、休んだらすぐなくなっちゃうけど、継続的に筋トレしてれば裏切らない、といえるのかもしれない。がんばろっと。

2019/08/31

そろそろ

疲れているはずなのに何をしても眠れないので、しかたなく起き上がってぺちぺち打っている。
夕方に会議が入る。相変わらず腰が痛い。ハードな週末に備えて、今週2回目のマッサージに行く。指名できないお店の面白いところは、いろんな人にいろんなことを言ってもらえる(場合もある)ことで、背面の不調は実は前面にある場合もありますからねという話になる。前面に力が入りすぎていて背面ががんばっている感じです、もう少し腸腰筋まわりのストレッチが必要なんじゃないですかね。それでもう少し背面もゆるむと思いますとコメントをいただく。知識として知っていることと、実際施術してもらった人からのコメントでは受け止め方がちょっと違う。でも初めての人のおっしゃることなので、とりあえず判断保留して有難く記憶しておく。
時間は少し前後する。
最近先生が糸井さん糸井さんとおっしゃるので、少し前から今日のダーリンを読むことにしている。どうやら昨日の「ダーリン」までしか読めないようだから、気に入ったものは写真に撮っておくことにした。
通勤の車内であらためて練習の録画を見ていて、ああほんとに出来が悪い、言われたこともちっともできてないし。誰のことおっしゃってるんだろかと思って聞いてたけど、なんのことはない自分のことじゃないか、等々。溜め息をつきながら、ちょっと指を動かしたら糸井さんの文章が出てきて読むともなく読む。不覚にも再びはらはらと落涙しそうになり、あわてて目をぱちぱちさせる。
そうか、希望に根拠はいらないんだ。
ちょっと元気になる。
奇しくも茂木先生のブログも、やらかしちまう人のお話である。
自分で自分を蹴飛ばしたり、いろんな方に励まされてちょっと許したりしながら、たとえば、きっと明日はくる、と思うのと同じように、白々と明けゆく空のようにぼんやりとした希望の中に漂っている。
さて、そろそろ眠れないだろうか。

2019/08/29

記念

火曜。コアタイム終了時で切り上げて練習しようと試みている(当日は結果的に終わらなかったが)ため、自分史上最も継続的に早起きし超速超マジメに仕事している。そのためか、別の理由か分からないけれども、えらく疲れる。
最近はたいてい水曜のコンディショニングのクラスでその後1週間耐えられる程度に回復することになっていた腰が持たず、久しぶりにマッサージに行く。
腰は想定内として、肩甲骨回りと脇の下が激痛。
昔からへんなところで笑ってしまう。痛くてえへへと笑う客は珍しいようで、くすぐったいんですかと聞かれ、いえ、痛いんですとお答えする。
終わってみるとずいぶんすっきり。たまには人の手を借りるのもいいなあ。
本日。もろもろ上手くいかず冷汗たらたらである。振付が最終回のせいか録画していただく。相変わらず後ろから飛び蹴りでも喰らわせたいくらいへたくそである。でも大好きな振付だから記念にとっておく。


2019/08/25

おやすみ

背中が痛い。時々背中の筋トレはするけれど、それとはなにやら違う筋肉痛である。
どう違うかというと、深い呼吸をすると痛む。はじめての症状である。眠れない。
眠れないから、なんだろうこれは、と考えていて、首じゃないかと思いあたる。
首が回らない、というのは昔からの課題の一つであって、ああもちろん借金で、とかそういう比喩表現じゃなくて、物理的に首が回転する可動範囲が狭いという話。
美しく首が回るひとを見て、いいなあ、自分もくるりんときれいに回りたいなあと思う。
レッスンの待ち時間などにひまがあると首をごりごり回そうと試みていたのを哀れに思われたのか、先週先生がいきなり首を持ってぐるりんと回してくださったのにびっくりし(ああこんなに回そうとしないといけないのねと)今週、頭に一角獣のごとく斜めに角が生えてるとしてそれを持って回そうとイメージすべきであることを何か棒状のものを頭に当てて教えていただいて、おお、なるほど!と嬉しくなって、今週後半はしょっちゅう首を回していた。しかし、なにしろ背中が鉄板のように固かった過去があるので、首だけでなく、背中のまんなかあたりまでインパクトがある。
決め手は昨日のレッスンで、ある程度中腰の体勢から両手とともに頭を回すという振付で、これがほとんど無理です、首、上に回りませんという感じだったんだけれども、何回かやってるうちにかすかに動くようになり、その結果として筋肉痛になったんだろうと思う。
自分の身体だというのに、使えていなかったところがたくさんあることに気づくのは楽しい。筋肉痛という症状が出ないと気付けないわけで、痛みも幸いである。

いつも日曜に行くお店が休館なので、レッスンがないのは残念だけど、自分の意思で休めない心理状態に入っているせいか、ああどうもありがとうお休みをいただけて、というような気分で悠々と昼まで寝ている。気付くと母より留守電が入っていて、用事がないから今日は来ずともよいとおっしゃっている。洗濯だけして、冷凍庫にあるものを食べて、ああみなさんお休みをくださってどうもありがとうとふたたび寝に入る。

2019/08/18

ハイハット

自分の写真を自分はあまり持っていないけれど、親という生きものは子供の写真を大事に持っているものである。
今日、母が何を思ったか知らないが昔の写真をぞろぞろ出してきて(あの頃は)かわいかったわねえとおっしゃるので、どれどれと見てみる。親という生きものは何歳になっても親馬鹿である。
先日ふと思い出した赤い車の音楽の先生が指揮棒を持って写っている小学校の音楽会の写真があった。この音楽会が忘れられないのには理由がある。
わたしはスネアドラムを志望したのだけれど、選抜テストで次点となり(志望者は二人だった)やむなくハイハット担当になった。それだけでも十分不機嫌だったわけだけれども、機嫌を直して練習した(と思う、たぶん)。
当日、曲が始まってハイハットを叩きはじめたら妙な具合である。ハイハットという楽器は、ごく簡単にいえば2枚のシンバルを向かい合わせに重ねたような構造になっていて、2枚の間に隙間があるから、ペダルで操作して開閉しながらスティックで叩く。ところがその隙間ができない。そうか、音楽会の準備の時に音楽室から講堂まで運んだ時に、開いたままだとじゃらんじゃらんと鳴るし揺れるし運びにくいから、普段触らないネジの部分を操作して隙間を閉じてしまった。そのあと元に戻すのを忘れたのである。
曲が始まって手を動かしながらここまで考えが及ぶ間に曲の半分ぐらいまで終わっているわけで、今更ネジをいじって調整するわけにもいかない。たぶん指揮棒を振る先生に目で訴えただろうと思うけれども、その時先生がどんな顔をしたかは覚えていない。結局最後まで開かないハイハットを泣きそうな顔で叩き続けた。いや、もしかしたら泣いていたかもしれない。
そういう写真である。
今から思えば、運んだ後になぜ一回ぐらい叩いてみなかったんだろう馬鹿なやつ、と思うわけだけれども、みなさんがおっしゃるように、失敗というのは概してそういう(計画できない)ものなんだろう。
30年以上経った今、写真を眺めただけで、あの時の悔しさがフラッシュバックするぐらいだから相当悔しかったらしい。
大人になって妙に冷めたような、遠慮がちな顔なんかしていないで、思い切り悔しがって、それとひきかえに、何か大切なものを手に入れようと願ったっていいのかもしれない。たとえそれが叶わなかったとしても。
写真を眺めながらそんなことを考えた。


1年

ジャズダンスというものをやってみようか、さてどの先生のクラスに行こうとスケジュールを検索していて、たまたま都合のつきそうな時間のクラスを持っていらしたのが先生だった。ブログを読んで、はじめてレッスンにお邪魔したのが去年の8月31日なので、もうすぐ1年。ジャズは殆ど未経験だったので、やや近場の75分のクラスは敷居が高い、と埼玉のストレッチとダンスの各45分のクラスに行ってみることにした。
記録によると、未経験のストレッチが面白いけれども、半月に1度整体通いしている身としては、はたしてほんとに効果あるんだろうか、半信半疑と失礼なことが書いてある。
最近では、どこか痛いとレッスンに出れば良くなるし、いや痛くなくても、先生のお顔を見ると、ああ筋トレしないとなどと殊勝な気持ちになるから、時間ができれば遠くても行く。整体のチケットを見てみたら、最後に行ったのは5月だった。
ダンスの公演などというものを自分の意思で見に行ったことのなかった自分だったけれども、先生がこれで舞台で踊るのは最後ですとおっしゃるので、それなら見ないときっと後悔するだろうと重い腰を上げて出かけたのが昨年11月。舞台の上で先生を見るのは最初で最後の思い出となった。今月は部分的に同じ振付の同じ曲を教えていただけて、たいそうしあわせである。
1年経って、まだ身体はかたいけれど、昔よりはだいぶ楽になった。ダンスのほうも、1年前より少しはましになっているといいんだけれども。
「はじめての」発表会まであと1ヵ月。フォーメーションなるものもはじめての経験なので、なるほどこういうことになるんだなあと他人事のように今は面白がっているけれども、なにしろ小心者なので、きっと当日になったらド緊張するに違いない。しっかり練習します。

2019/08/12

小学校6年の夏に引越しをした。
バスで20分程度のところだったから卒業まで通うことにしたのだが、休日に家の近くを歩いていたら、当時にしては目立つ赤いオープンカーが向こうから近付いてきて、珍しいのでしげしげと見ていたら、ハンドルを握っていたのは音楽の先生だった。
確かに、どちらかといえばおしゃれな風貌の先生だった。長髪だったし。でも小学校の音楽の先生だから、普段はふつうに地味な格好だったと思う。赤い車を見て、ああ、先生、本当はこういうご趣味だったのね、と子供心に思ったものである。

池袋で乗り換えて久喜に行こうとしていて、時間を気にしながら最寄り駅からぼんやり電車に乗った。
腕から背中まで筋肉痛である。何をしたんだっけと考えてみて、ああ、昨日満腹感去りやらぬままマーシャルに励んで、elbow三連発の振りを思い切り振ったからそれが効いたんだろうとふと窓のほうを見ると、三連発の振りを作ってくださった当の先生がすこし先の窓際に立って外を眺めていらっしゃる。
ときどき忘れてしまうけれども、先生も勤め人だから当然通勤もなさるのである。お声掛けしようか迷ったものの、朝だし、そっとしておこう、と池袋で先生いってらっしゃいと背中をお見送りする。
べつにこちらの先生は職場の顔と通勤の横顔にそれほどのギャップは感じなかったけれども、なんとなく小学校の頃のことを思い出した。

たまに食傷気味にはなるのは自分とご縁のない外国の公演とかレッスンの告知写真とかが連続して流れてきたときであって、それ以外は別に文句を言う筋合いではなく好きでフォローしているのだから自己責任である。当然ながら振付動画はもれなく見る。
この週末好きだった動画。今回は、どこが好きかははっきりしている。手がいい。いやもちろんほかもいいんだけれども。



2019/08/11

背中

そのために徒歩15分の場所に引越したわけで、実家には週1回日曜の朝に行くことになっている。昔は夜に行って夕飯をいただいていたのだけれども、レッスンの都合で最近は朝。それが約1ヵ月ぶりになってしまったのは風邪をひいたせいで、風邪菌を我が家に持ち込むなと厳命されている。
栄養補給には実家に帰るのがいちばんで、別にそれを狙って行ったわけではないけれど、いやこれから運動するのだからと気持ちは10回ほど言っているのだけれども結果的に腹いっぱい早めの昼ごはんをいただくことになる。
昨夜半にしばし願ったとおり、わたしのためにごはんを作ってくださる御仁はいらっしゃったのである。ありがたい。

少しさかのぼって昨夜。自分が歩いている後姿を録画で見た。フツーに歩いている。おまえ、写ってるんだから、そこで素になるな!と騒ぎたくなるお粗末な背中である。一夜明けてみてふと思う。やはり、一事が万事であって、先生が小噴火を起こすのもいたしかたない。大噴火を起こさずに教え続けてくださるためでしたら、気持ちは一度死んで生き返ってきます。

夕方。レッスンの終りに先生がめずらしくコメントされる。今日はみなさん気持ちよく踊れたんじゃないかと思います、いつもじゃないとは思うけど。いつもじゃないと思うけど、に笑う。こちらの先生も、なぜか生徒の気持ちが分かってしまう、そして正直なお方である。今日は3週目で振付の最終回だったし、おっしゃるとおり気持ちよく踊って満足したので、復習もせず別の空きスタジオに行って練習に入る。時期が重なってしまってご遠慮したほうの発表会の練習をしている先輩方がいらっしゃるので見学。そちらもすてきです。
と思いつつ、別の角っこに行って練習。つい好きな曲に時間を費やし発表会の練習をあまりしなかったことに終わってから気付く。先生の最後の舞台と同じ曲を練習できるなんてしあわせであります。

先生たちは生徒に背中を向けて教えてくださるわけだけど、それぞれすてきな背中だなあとあらためて。

2019/08/10

タンパク質欠乏症

研究に参加することになり体重計測を課せられることになって判明した事実。
月又は火曜朝にその週の最低体重を記録し、平日に若干増えて(オフィスでのストレスでつい食べてしまうおやつとか、ほぼ唯一、一旦早く帰宅する火曜の夜に松の家のとんかつ弁当又はやよい軒の冷汁鶏カラ定食が常習化してるせいだろう)土日月で1-2キロほど減る、というサイクルである。
自炊から遠ざかって久しい。おいしそうな手料理を見て垂涎する。
ああ誰かわたしにお料理してください、とコンビニのフィッシュアンドチップスを食しながら思ったりする。でもコンビニ食もカロリーがはっきりしてて、記録しやすくて便利よね。
日々の栄養チャートを見ると、タンパク質が常習的に欠乏している。
筋肉増やしたいし、タンパク質、摂取しないと。
タンパク質が多いコンビニ食品おすすめ16選!筋トレやダイエットに

くだらない作文はしても仕方がないので、一晩おいて、推敲してから投稿しよう、と、殊勝なことを思うこともあるが、そんなことをしていると永遠に一つも投稿しなくなるかもしれず、とりあえず、ま、いっか、日々の記録だし、と開き直る日もある。そんな日のほうが多い。今日は後者。

Instagramというものを見るようになったのは割合最近だけど、フォローしている人がほとんどダンサーさんばかりなので、職業柄なのかみなさん更新頻度が高い。たまに食傷気味になって、ダンスではない、または写真ではないものをみるとほっとしたりする。
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関係ないけど、今週好きだった動画。相変わらず、この方のことは何も存じ上げませんし、自分の嗜好の共通項が全く見えない今日このごろ。だれかに、あんたはこういう傾向のものが好きなんだよと教えてもらいたいぐらい。ほんとに、千鳥足、酔歩である。


2019/08/06

多産多死方式

自己啓発系で唯一年来愛読しているメルマガの平成進化論(読者の感想紹介コーナーが長い(笑)ので、いつも最後の作者ご本人の言葉のところしか読んでないけど)で、最近、ああそう、そうね!と手を打ったのが表題の「多産多死方式」という言葉。

大量の思いつき→大量の行動
からの
結果観察&継続か廃棄かの意思決定

多産多死方式と名付け、それを旨として生きてきました
とある。

ほんと、いいこと言うなあ、と思う。
と、このあと昨夜だらだらと作文をしたんだけれども、いま読んでみたら、大したことはひとつも書いてなかったから全部削除。多死なり。

基本的に自分を信じていない。
多死はもとより織り込み済み。多産あるのみ。


2019/08/04

ルール

目覚めてみると筋肉痛である。
ダンスしかしなかった日の翌日に筋肉痛が発生するのははじめて。
筋トレらしきものをしてはいるけれども、筋肉痛レベルのものではないので、少しはダンスしている間に腹筋が入るようになったのかしらと気をよくする。まあ、たまたまかもしれない。
前から聞いて知っていたことではあるけれども、身体に厳しい、もしくは苦しい体勢であるということと、見て美しい(もしくは、まあ少しはマシというべきかもだけど)体勢ということはイコールである場合が多い。
先生という人種は、いちいちここがベストの角度だというところで極めて楽そうにきっちり決まるのである。同じ人間ですというのが申し訳ないぐらいである。
こちらは何度やっても決まらないわけで、鏡を見ながら悪戦苦闘するのだけれども、向きの関係で、いつも鏡を見られるわけでもない。そういう場合の判断基準として、つまり苦しくなければ美しくない、と思うことにした。まあ最初から最後まで苦しかったら死んじまうわけで、とりあえず、ここぞというところで。

以前からなんとなく好きだなあと思っていた(自分としては数少ない)女性ダンサーさんが振付している動画をはじめて発見。相変わらず、ほかにも上手な人はたくさんいるのに、どこが好きなのか、と考えてもよく分からない。はっきり言って何も存じあげませんが、なんとなく、がんばってほしいなあ。




2019/07/30

クリアカット

いくら好きでも毎日同じ曲ばかり聴いていると飽きてくる。
ついつい気がつくと新しい振りの練習をしたくなるわけだけれども、いやせっかくの機会だから完全コピーを目指そうと思いなおして、身体の向きとか角度とか細かくやり始めたら時間が経つのがあっという間である。そもそも、ここと決めた角度で、動きの中でぴたっと止まれない。何度やっても決まらない。おかしいなと思い始め、しばらく経って漸く、ああそうか筋肉が足りないから止まれないのかと遅まきながら思いつく。
最近何度見ても飽きないのがこちら。先生の動線だけ周囲の空気を切り取ったみたいに際立って見える。

2019/07/28

なぜでしょう

分かりやすい例でいえば、二人のダンサーさんが動画の中で同じ振付で踊っている。どちらも素人目から見て双方相当な技術の持ち主で各々相当数のフォロアーがいる。客観的にいえば、どちらを好きでもおかしくない。そういう二人を見ていて、二人ともいいと思うんだけど、自分はやっぱりこちらの方が好き、ということがある。
なぜだろう。
言語化できる部分もあるけれども、根っこのところ、正直いって、なぜかよく分からない。
何なんだろう。
ということをこのところ考えるともなく考えている。
いだてんの録画を見ていたら同じようなことを叫んでいる人がいた。
「...政治家だって嘉納治五郎だってまあちゃんのことを放っておけない、そう思わせる何かが」
「何かってなんなんですか」
「それが...分からないんだよ」
そうですか、あなたも分からないんですか。
友達を見つけたような気になって、少し安心して、またしげしげと動画を眺める。気がつけばこんなふうに休日が過ぎ夜更けとなる。

これ4人で踊ってるのかと思ってました。



2019/07/27

かろみる

一昨日の夜、快方に向かったと思ったのは勘違いだった。
メガネは外してねていたからよく見えなかったけれど、音がないとさみしいので録画をえんえんと流していて、STARTUPという洋ものドラマをかけていた。The OCでふがいない若者であったAdam Brody君がずいぶん立派になっていたのも、シャーロックのワトソン役の印象から個人的には離れられないMartin Freemanがドライな悪者に扮しているのもなかなか好み。どうでもいいけどMartinさんとは同い年だった。
病院の研究に参加することになりカロミルというアプリを使い始めた。体重と食事のカロリーを毎食入力&写真撮影し、代償にクオカードをいただくというものである。
いただくものを前払いで半額いただいてしまったので3ヵ月やるしかないが、面倒である。面倒なので食べなくなる、という効果も期待できるかもしれないぐらい面倒である。
起床時、もうろうとした頭で体重を測ることを思い出さなければならないというのもこれまた面倒で、リマインダ―で今のところなんとか測っているけれどもそのうち忘れそう。この2日半のダウンで2kg減。
朗報もある。おとなしくしていたせいで、ようやく右足親指の突き指が治った模様。ついでに咳込むせいで腹筋が鍛えられたりするかもしれない。
お風呂に入って耳鼻科で吸入してきたらだいぶよくなりました。


2019/07/25

しっぽ

若い頃は熱が下がればケロリとしていたものだが、最近は下がった後のリカバリーが遅い。全身脱力、節々疼痛、だけど空腹感だけはしっかりやってくる。
天井を眺めていても食べものは降ってきたりしないので、徒歩3分のコンビニによろめきながら辿り着く。
こんなときは、いろんなものに感謝をささげたくなるものである。
コンビニさん、いつも営業していてくれてありがとう。
よろよろと帰宅して、白くまアイスをいただきつつ、「ネコ歩き」を眺める。消耗しているときのなによりの慰めである。岩合さんのネコが大好きです。どうかいつまでも撮り続けてくださいね。
アラブの回の再放送。砂丘の斜面をネコが登っていく場面でナレーションがかぶる。
「ぼくが砂丘を登る時は、3歩登って2歩下がってしまう、そういう砂丘なんですが、ネコはしっかり砂をつかむようにして登っていきます。アスファルトでは見られないネコの足の動きです」
3歩登ったと思ったら風邪をひいて2歩どころか波にさらわれた砂の城のごとく、筋肉もなにもかも全部なくなった感じがする本日。ネコが砂丘を登るようにすたすたと成長できたらいいのになあ、と思う反面、そんなうまい話もないだろうとも思う。
先生が全身全霊とおっしゃってくださるので、親猫を追いかける子猫のごとく、しっぽにじゃらされながら、くっついていくばかりである。
先生、いつもありがとうございます。いつまでもご指導いただけますように。

2019/07/24

ドラムではない

昨日から風邪気味だったのが、本日昼過ぎから熱があがってきて早々に帰宅。
さあねようと思ったら階下にお客さんがいるらしく、とんとんと規則正しい音がする。何をしているか自分は分かっているのだけれども、新入居の人などは、「楽器禁止なのに誰かがドラムを叩いているようだ」などと管理会社に通報するらしい。楽器は禁止ですからドラムはやめましょう、なぞというチラシがポストに入ったりする。
そうじゃないんだよなあ、などと思いつつ、ねむれないのである。


2019/07/21

うつむかないで

レッスン後の復習会で、先輩方から「無意味に俯いている」とご指摘いただいたのが調べてみたら今年の2月。3人とも口を揃えて、うん、俯いてる、とのことだったので、なら、そうかもしれん、と思いつつしばらく忘れていた。
先ごろから動画に写っている自分を見ると、見事に俯いている。自己分析によると、振りを覚えている段階、覚えに自信がない段階では意識が内向きになって周囲を見ない。マルチタスク不可状態に陥っている。この場合、外界を見ていないだけでなく手足が伸びないという現象も加わって、踊っているというよりは、あなた空中で溺れてるんですか、というような悲惨な状態になる。人間が目の前にいる場合も前を見ない傾向がある。そもそも普段から、こちらの用事がない時は人と目を合わせることが少ない。
そういうわけで、今週は、とにかく前を向け、鏡を見ろ、考えてる間もやることはやれ、をテーマにお送りしてまいりました。
自分のことで精いっぱいのわたしとは違って、周囲も目に入っている余裕の先輩方に今日の復習会でおそるおそる伺ってみると「今日は俯いてなかった」とのお言葉をいただく。若干の進歩。
でも残念ながら動画の中の自分はまだうつむいたままである。
がんばれじぶん。
今月からダンスのクラスを少し減らして、かわりにマーシャルに出ることにした。昔に比べて体重も減ったがその分筋力が落ちている。少しはするようになったが、それでも筋トレだけするのは苦手。身体の切り返し、腹筋、腕回りの強化を狙っている。おかげさまで毎回腹筋筋肉痛。
年末までで今月が一番休めそうとの予測で、三連休3週目。長期の休みを1回取るよりこちらのほうが嬉しい。


2019/07/20

受容

その昔、何かで死の受容プロセスというのを習った。
エリザベス・キューブラ―・ロスによると、第1段階・否認、第2段階・怒り、第3段階・取引、第4段階・抑うつ、第5段階・受容と進む。
死だけじゃなくて、そもそも自分に関するものごとの認知受容プロセスってこういうものなんじゃないかという気がしてきた。
このところ、自分が踊っている姿の録画を見せていただいていて、ほとんどこのとおりのプロセスをたどったのである。
悲惨、ありえない、と否認から始まり、なんでこんなになさけないのかと怒り、取引はちょっと記憶にないけど、間違って夜中に動画を見てしまった日には吐き気を催して眠れなくなり、昨日になってようやく、動画の中の自分に向かって、あんた、そこはそうじゃないでしょうと平常心で語りかけられるようになった。
2ヶ月後、できる限りのことはしたよね、と自分に語りかけられるようでありたいと思う。


2019/07/15

バイアス

自分の写真は殆ど持っていなくて、今手元にあるのは転職の際の履歴書の写真ぐらいである。理由はかんたんで、写真写りがよくないから。いや、写りがよくないというより被写体そのものに問題があると考えるべきだろうけれども。
ある時、会社で写真を提出しなければならなくなって、証明写真でとってきた写真を先輩に見せた。最近のボックスは何度か撮り直しができるから、その時はそういう気分だったのか、何度か角度を変えたりして撮り直し、個人的にはより「自分らしい」写真を出したはずだったが、「別人みたい」「修正したのか」やら散々な言われようだった。
そこで遅まきながら気付きに至るわけである。
自分が見ている自分像にはバイアスがかかっている。
自分は、自分が見たい自分を見たいときだけ見ている。

というようなことを先週半ばから昨夜にかけての出来事で思い出した。
他人の目で鏡の中の自分を見ること、それが発表会に向けての直近の課題である。

今日はいつものクラスが休講だったので、空いたスタジオで自主練させてもらう。首を右左にわりと早く回す振付が入ってる曲をえんえんと練習していたんだけれども、時間があっという間に過ぎてしまって、1時間半ぐらいたった頃だったかと思う。急にねじが1本外れたみたいに首の回りがよくなってびっくりする。自分の身体ながらいろいろと想定外の事態が発生して飽きない毎日である。さて、明日起きたらまたこの首は元に戻ってるんだろうか。

2019/07/13

靴下

最近靴下コレクターになりつつある。
発端は、はじめてジャズ用に買ったシューズの靴底がいまひとつ均質でなくバランスを取りにくい。靴をやめてスキンシューズなる靴下様のものを使い始めたのだけれども、ベージュ色の滑り止め、というか、個人的にはターンしやすいためについてるものと理解している異素材の箇所が毎回真っ黒になるのが気に入らない。こちらも何種類か試してみて、どうもまだお気に召すものがみつからない。
はて、靴下はいてやってる人もいるなあ、と思って靴下もためしてみた。靴下だと滑りすぎるのだけれども、最近は滑り止めのついたのもある。
職場近くのコレドに靴下屋が入っていて、昼休みに立ち寄っては各種物色しはじめたら楽しくなって、最近はどこに出かけても靴下が並んでいるのを見ると立ち止まってしげしげと眺める日々が続いている。
そんなわけで昨日もbunkamuraに映画を見に行って、途中で靴下を3足買う。アマゾンの空箱の中にまだ履いていない靴下類が10足ぐらいたまっているのだけれども。
映画の方はバレエをしている思春期の子の話で、バレエメインかしらと思って勉強かたがた見に行ったのだけれども、これがえらくつらい映画であった。主人公がどんどん精神的に追い詰められていくにつれてこちらも苦しくなってくる。終わって、ああ解放されたと正直安堵したぐらいだが、比較して自分はのんきで幸せだと思えたのがもうけものである。
主人公がトウシューズからテーピングでぐるぐる巻きの血のにじんだ足指を痛そうに出すのを見ながら、ああ自分のつき指(どっちの足だっけと迷った間にあえなく指から床に落下してやっちまったので覚えの悪い自業自得である)なんぞたいしたことではなかったなあと思う。2日間湿布をはっておいたらだいぶよくなったけれど、正しくはあの映画のようにテーピングというものをすべきだったのかもしれない。なにごとも勉強である。なにしろ人間、その気になれば親指なんて使えなくても歩けるのである。最近ちょっと強くなったと思う。



2019/07/07

好みの問題

筋肉痛の一週間だった。
日曜、マーシャルに出てelbow多用のコリオをつい全力で振ってしまい、翌日二の腕から背中ついでに腹筋に筋肉痛。
始まる前は、後にダンスがあるから少々抜いておこうと思っているのだけれども、師匠の顔を見るとつい本気になってしまう。思えば、可動域の少し先を狙うべきことを徹底的に教えてくれたのはこちらの師匠であって、いまだにダンスをしている時でも、ふとした時に「あと5cm」とか声が聞こえることがある。習慣とはおそろしい。
週後半から何がどう作用したのか不明だけれどもお尻まわり筋肉痛で左足に力が入らない。ついでに背中に擦り傷がついている(こちらの理由は分かる)。
なにを今更感の強い話だけれども、自分が今習っている先生方の振付その他が好きなのはあたりまえとして、そういった自分とのご縁もゆかりもない人の踊りを見て、いいなと思うものはいったい何なのか、できるできないは別として、自分の好みというものを検証してみようという気持ちになる。で、この週末、寝食洗濯しているとき以外は動画サイトをえんえんと眺めているわけだけれども、正直いってすごく好きなものにはそれほど出会わないのである。
とりあえず20回ぐらい見て、後で見るにも追加した(出入りがあるのでまだ常時20ぐらいしかない)ぞというのはこちらの方々でした。




上の動画の最後のこの赤パンツの方がすんばらしいのでひとしきりサーチしてみる。
当初気付かなかったけれど、何度か見た後でよく考えてみると、ふだん習っている先生のとスタイルが似ている。けっきょく普段見慣れたものの影響のない自分の好みなんてないのかもしれないと妙なところに落ち着く。
地味な3連休1週目(先週も月曜休んだけれども、半休だったので、今週が1週目)。





2019/06/30

ぷちマーケ

ひと昔前の自己啓発本によくそんなことが書いてあったものだけれども、言葉にすれば実現する、というのは一理ある。よいお話というのは重なるもので、月曜、発表会のお誘いをいただく。なにしろ石橋を叩いて渡る性質だし、あがり症なので、はじめての「発表会」なるものを2つもかけもちして双方コケて二度と立ち上がれなくなってもいけないから「来年もあったらその時は真剣に考えます」とご辞退もうしあげる。
木曜。半休ののち夜のクラスの前に空きスタジオで練習していると、いつもはだいたい一人か二人ほどだけれど、発表会シーズンとみえていろんな方とご一緒に練習することとなる。見るともなく見ていると、それぞれの色があっておもしろい。
前日の水曜夜に新しい振付をいただいて、対人または対時間のプレッシャーさえなければ、振付を覚えるのは楽しくてしかたがない。経験上、最初できなくても100回ぐらいやればできるようになるわと割り切っているので、できない時間も含めて楽しい。おもちゃをもらった子供のように嬉しくなって練習していると、「なにそれ、太極拳?」と直言癖のhiphop歴長年のおともだち(推定30代)にコメントされる。なにを失礼なと思ったものの、落ちついてみると確かにそう見えなくもない箇所もある。ダンスができなくなったら太極拳をやろうかと真剣に考えているので、望むところである。
土曜の昼下がり、同じ振付(の前半部分)を店の階段の踊り場(ちょっと広めでそれほど人も通らないので)で練習していると、通常みなさんちょっとご挨拶などして通り過ぎてくださるのだけれども、若干シニアな女性が一人立ち止まられる。あんまり止まっておられるので思わず顔を向けると「それヒップホップですか?」いいえとお答えすると、振付がお好みだとのことで、その後もじっとごらんになっていらっしゃる。コメント2人分なのでマーケティングにはなりませんが、とりあえずシニア受けしているもようです。

2019/06/27

今日の悪い子

某地下鉄駅の改札付近に置いてある自販機のボタンを押して、「調整中」と貼り紙がしてある上からパスモを当ててみたらペットボトルが落ちてきたので、ガムテープが貼ってある取りだし口のテープをべろりとはがしてペットボトルをゲットしたのは不肖わたくしであります。
一応テープは貼り直しました。
ごめんなさい。

2019/06/25

伏せ字

先週末から星月夜の表紙のついた単行本を持ち歩いているけれど、どうも落ちつかないせいか、なかなか開くことができない。
こういった伏せ字風の書き方になるのは単純にプライバシーの問題である。
一応勤め人なので、特定少数の個人に絞られそうな検索ワードを可能な限り廃して、こんな貧弱blogにコメントされたところでご迷惑のかかりようもない先様以外の固有名詞をテキスト本文には残さないという習慣がついている。
そのせいもあって、果たして何が言いたいのかわからない文章になる。別にそれでいい。基本的に日記に毛がはえたようなものである。

10年ほど前、あまりに腰と背中が痛くて初めて整体に行ったとき、整体師さんに「鉄板みたいですね」とコメントされた。デスクワーク時の座り姿勢が悪いせいだという自覚はあったけれども、はあ、そんなにですかと思った記憶がある。
以来、デスクワークをせずに済んだ転職期間を除けば、ほぼ月に2回は整体に「行かずにはいられない」状態が続いていた。
ふと気付いてみると、もう1ヵ月以上行っていないわけで、これはやはり、ああこんな身体のかたい人間に無理無理、、と思いつつ、さりとて諦めきれずにフロアでごろごろ転がっているおかげなのかもしれない。もともと持っているものも鍛錬してきた期間も違うわけだから、無理な高望みをするつもりもないけれども、せめてもうすこしだけ美しく転がりたいんだよなあ、と思う。美しいひとたちのとろりととろけるような、まるんとしたお姿を思い浮かべながら、当方はやむなくあちらこちらぶつけつつ、ごろんごろんと転がっては、やれやれ、ひい、ふう、と溜め息を漏らす楽しい修行の日々である。
どう転がったって、みそっかすなのは変わりないので、そういう意味では気楽である。

2019/06/21

昨日は夜遅くに着いたから暗くて見えなかったけれど、さびれた駅の裏手には、実はすてきな海が広がっていたのでした。

2019/06/20

駅前

プチ出張みたいなのが続いて消耗したため、反動からつい、自費になっても結構、と乗客もまばらなグリーン車で若干高級弁当と高級ケーキ2個をペロリといただく。
お腹がくちくなると途端に小心者に戻り、罪悪感から、タクシーに乗らず1時間2本の無料のシャトルバスに乗る。こちらに来るのは2回目、別に自分で選んだわけではないけれども。
バスを待つ駅前。
やっぱりタクシーにしてもよかったかも。





2019/06/16

自動再生

よく存じ上げないけど、最近しょっちゅう自動再生リストにのってくるこのひと、やっぱり好きかも。。





書けば残る

先週眼科にかかり、先生には「はい、治癒です」と言い渡されたものの、やはりコンタクトを外すときが怖いので、目薬を2滴ほど入れてしばらく待ってから外すという慎重ぶりである。
先生はわたしがコンタクトに固執している理由がダンスであるということに興味を持たれたらしく、「あ、そこの角にダンスのスタジオありますよ」「ジャンルは何ですか、そこのは社交ダンス」「発表会とかないんですか」などと折にふれておっしゃった。その時は「いえいえ、ないない、そういうのでないんです」と答えたのだけれども、まあ一生に一回ぐらい、ものはためしだから、そういう経験をしてみてもいいかもしれないよなあと答えながら思ったものだった。

さて目が治って嬉しかったのもあって、今週は振り返ってみると一日も休んでいないのだけれども、最近やっぱりレッスンの前の下ごしらえ、トレーニングとかストレッチとかにもう少し時間を取るべきだとひしひしと感じるようになってきた。
月曜はピラティスの後にダンスがあって、この流れが実に快適である。やっぱりレッスンの前に1時間ぐらい下ごしらえできるといいなと思うのだけれども、スタジオの隅などにスペースを見つけると、各種振りを忘れないように、つい振りの練習を優先してしまう。一人でやってみると、えらくいい加減な記憶しかないことに気づいて更に練習する羽目になる。いいのか悪いのか分からない。
ともあれ、こちらの先生にいちばん長く(といってもたぶん3年ぐらいだけど)お世話になっているのだけれども、先生の首から上半身にかけての波のごときなめらかな動きをなんとかマスターしたいと思いつつまだ叶わない。
そのあとの混んでるクラスは最近はお休みして夕食タイムにして(すいません)次のクラスに出る。「やさしい」と銘打っているけれどもやさしいのは先生だけ(振りは難しい)とはいい得て妙である。もともと初見でさっぱり入らない上に最近さぼっていたので、今回は忘れないようにちょくちょく練習している。難しくてもあきらめきれないのはやっぱり振りが好きだからだろうと思う。
土曜。夜のレッスンの前に相変わらず星乃珈琲に寄る。一応大戸屋でまともなご飯(じゃこご飯少なめとみそ汁とサラダ、とか)と、どちらにしようか迷うのだけれども、スフレパンケーキの磁力が強すぎる。一時間ほどいるので最近は本を読む。「異邦人」が終わったので(いりびと、とルビがついているのに最後の最後に気がついた)、今日は久しぶりに北村薫、「書かずにはいられない」。どうでもいいけど当ブログは各種理由から極力固有名詞を排していて、出てくる名前は相当メジャーな作家芸術家の名前ぐらいである。ご了承されたい。

冒頭のエッセイがとてもよいので、久しぶりに一部引用。
「見えるところに、籠に入った野菜のおもちゃがある。子供のものである。一つ一つの大きさは、手の中に隠れるほど。一番上に、ぶどうが乗っている。昼の光の中なら青味を帯びて見えるそれが、今は暗紫色、一粒一粒が黒ずみ、病気の臓器のように見える。そう思い出すと、あれを並んでいるレモンやら桃やらの下に隠して見えないようにしたい、と痛烈に思う。しかし、動きはせずに、ここまで書いた。
こういった感覚は一時のものである。何分かの後には、そういう思いが存在したということすら消えてしまうだろう。朝目覚めた時にはすでに忘れられている夢のように、確実にあったものが、跡形もなく消え去るのである。
だが、書けば残る。
こういったものを、つなぎとめたいという思いは常にある。書いていくという作業が、もしも私に許されるのなら、大事にしたいのはそれである。」(北村薫『書かずにはいられない』所収「消えてしまう筈のものを」より)

そうですね、そうですよね、と頷きながら、いまこうして、ぺちぺちとキーボードを打っている。




2019/06/08

修行中

やっとドクターのお許しが出たので、コンタクトを短時間から復活できそうである。
1日3時間ぐらいからね、とのことで、じゃあいったい何時から何時までコンタクトにするべきかが次の問題になるわけだけれども、物理的に、くるくる回ったり床をごろごろ転がったりするクラスから優先的に。
目下、ダンスはまさに「修行中」といったていである。精神的にも肉体的にも。
この年になって、というのはもう禁句にすることにした。
新しいことに取り組むことができるのは純粋に楽しい。ダンスができる間は幸せに生きていられると思う。

いつも動画サイトでは大好きな先生たちの姿を飽きずに見ているので(ええ、自分でも不思議ですがちっとも飽きないのです)、チャンネル登録はあまり増えないのだけれども、最近たまたま見ていてぽちっと登録したのがこちら。不勉強で全然存じ上げませんが、なんだかすてき。見る方も修行中。



そういえば、そろそろ空いてきたかなと思って、ようやく昨日の夕方、都美に行ってきました。
一番有名どころはかかってないんだ、という事実に行ってから気付いたものの、好きな作品がいくつか見られてよかった。
紫陽花が雨に濡れていくぶん鮮やかな上野でした。




2019/06/02

ちひろ美術館

週末の昼間にふらふらしていられるのも目が治るまでで、またもとのルーチンに戻るだろうから、この日曜は貴重だ。美術館にでも行っておこうと思い立った。ほんとうは直島より先に川村記念に行きたいのだが、今日行くには遠すぎる。それなりに近所のちひろ美術館にする。
ここ一週間ほど、何かにつけ、天ぷらそばが食べたい、と思っていたが実現していなかった。美術館の向かいに二八蕎麦がある。念願?の天ぷらそばとクリームあんみつを食して腹ごしらえ。
企画展の作家さんははじめてだったけれども、期待以上。展示を見ている間に、かかっている絵はそっちのけで置かれている絵本を片端から立ち読みし始める。続けて「The lost thing」のDVDを立ち見。子供が2人がかりで読んでいてなかなか手放しそうになかった「THE ARRIVAL」が心残りで結局ショップで「eric」と一緒にお買い上げ。ついでに帰路電車の中で更にぽちぽちと大人買い。
これから本日の収穫を開くところ。

直島

2017年の夏、前職を辞した時(正確には退職前だけど)のまる2ヶ月間の有休は、ただひたすらだらだらしていたのだけれども、唯一3泊で行った旅行が直島。
また行きたいなあ、と思い始めている。
当時写真をアップしていなかった模様なので。

草間弥生がすごく好き、というわけではないけれども、
景色の中になじんでいるかぼちゃたち。


 アートサイト。



  


銭湯




















2019/06/01

チーズあられ

あまり疲労がたまると目の治りが遅くなるというし、治っても疲労乾燥の場合には治癒した凸凹の箇所が再度はがれやすいということで、まあ確かにおっしゃるとおりだろう、また剥がれても困る、とレッスンの数を半減したままでいる。
小人閑居して不善をなすわけで、昨夜は帰宅後断続的に眠っていた。
無音なのもさみしいので、最近録画した古畑任三郎シリーズをかけっぱにして。
古畑さんが大好きなのである。コロンボも大好きだけれども、古畑ものは一話が短いのでお手頃である。おかしなもので、事件開始のくだりと解決後のCMだけ覚醒する確率が高い。たぶん背景音が大きかったり、くっきりはっきりした音が多いから、そこだけ起きるのかなと思うけれども、なにしろ肝心の謎解き場面を見逃す。田村さんの声はいい感じに眠りを誘うのである。まあそのせいで、何度かけても飽きない。
ともあれ、ほぼ18時間睡眠ののち漸く起き上がり、ゴミ捨てついでにコンビニに寄ってきた。
そういえば「チーズあられ」が生産販売終了だそうである。
店の棚にひと袋置いてあるのを見かけたのでお買い上げ。
最近そんなにお目にかからなかったけど、はい、わりと好きでした。
なにごとも、お別れの段になってはじめて、意外に対象物への愛が深かったことに気づく。遅いんだってば、と数多の反省を繰り返しつつ、今に至る。



2019/05/26

シームレス

去年の秋にオフィスが日本橋に引っ越して、丸善が近くなった。昼休みに行き帰りしても余裕がある距離なので、たまに寄る。そこで買ったのがさきごろまで読んでいた「暗幕のゲルニカ」。以前に読んだ「楽園のカンヴァス」が面白かったので手に取った。以前、とはいつのことやらと思い、珍しく当blogの検索機能を使ってみた。せめて2年前ぐらいだろうと思っていたが、なんと2015年。面白かったわりに、次の一冊を手に取るまでにずいぶん年月を費やしている。ちなみに当時の自分の文章は今とずいぶん違うように思う。気持ち悪くて読めない。
それは置いておいて、その作者の原田さんと指揮者の大野さんとの対談番組があったので録画して昨夜見るともなく見ていた。
語られているとおり、原田さんの作品はどこまで史実かフィクションなのか境目が分からないところが面白くて、上述のゲルニカも本の途中でついネット検索して調べたりした。作者ご本人も、フィクションとノンフィクションを「シームレス」にするところを「狙っている」そうである。なるほど。
今読み始めているのは「異邦人」で、これは完全フィクションのようだ。

ダンスというのは面白いもので、踊っている肉体本体は確かに自分自身なのだけれども、そこで先生の指示どおり何かの形を作ろうとしているうちに、現実の自分ではない何か異質のものに変質している。音楽と先生の解説でなんらかのストーリーが想定されていることもあるので、努力はしているものの完全にそこに入りこめているかは別として、とりあえず現実世界で生きている自分以外の何かになっている。
その現実と非現実のシームレスな時間がとても好きだ。
まあ今のところ、長くて1分半ぐらいだけど。

2019/05/20

眼科再診。
瞳孔からは辛うじて外れているものの黒目の中にある穴の深い箇所が完全にふさがるまでは、運動厳禁と念を押されてしゅんとなる。
一生コンタクトはやめたほうがいいです、とおっしゃるので、あの、ダンスのときだけいいですかとおそるおそるお尋ねする。しばしの沈黙。耐えられず、2ヶ月後ぐらいからならどうですかねと再度お尋ねしてみる。まあそれぐらいならね、とお答えになる。
しゅん、しゅん。
連休明けから読み始めた「暗幕のゲルニカ」読了。
本書はフィクションだが、アートの力、というようなテーマから語られる主役はもちろんピカソの「ゲルニカ」である。でも、一方、「鳩」みたいな役割のアートもあるんじゃないだろうか、と思う。庶民の傍らに佇んで日常の喜びや悲しみをともにする。闇に見つめては祈り、明日に一歩踏み出す力を与える。そういう日々の営みとともにある在り方だって立派なアートの一方法であろう。現にそれに生かされている人間だっている、そう思う。



2019/05/19

せっかく3

この週末、角膜潰瘍と虹彩炎がひどかった間にPC画面を直視した時の眼痛がTVや照明の比ではない激痛であったことにキモを冷やし、1つは薄型非球面加工、1つはブルーライトカットと2種類の眼鏡を買ってみた。
ブルーライトカット、初めてだったのけれど、かけてみるなり目の奥にひとかたならぬ癒し感。マッサージに行くと必ず「目がお疲れですね」とコメントされるのだけれども、これで少し緩和されるといいなあ。
30代前半に仲良くしていた男子がzoff贔屓だったせいで、以来ずっとzoffなのだが、今回かくかくしかじかでダンスでバタバタ動いても落ちないようにしてもらえませんかね、ついでに左右段違いに生えている眉毛(正しくは20代後半に雨の中自転車に乗っていて点字ブロックで滑って転んで眉間を数針縫った際に段違いになって、整形するのも面倒だからそのままにしているのだが)が目立たないようにしてもらえませんかねと駄々をこねたら、店員さんが丁寧にフィッティングしてくれた。ありがたい。
ダンスをしている女子で眼鏡をかけている人間など一人もいない(とりあえず知る限りは)から、顔を合わせるたびに、かくかくしかじかでしばらくの間眼鏡ですと言い訳をして回らなければならない。はっきりいって面倒である。
眼鏡が目立たないように派手めなウエアでも着て注意をそちらに逸らしてみるかと試みたが、しっかりばれてしまった(あたりまえだ)。
嗚呼めんどうめんどう。

せっかく2

昨夕、日差しが弱まったのを見極めてから恐る恐るカーテンを開けると意外に痛みもなくなり、照明、テレビ、PCと眺めるだけなら問題ないまでに回復してきました。
ただ、まだ黒眼の皮が剥がれた箇所が見えるので(本当は金曜から見えていたのだけれど、こんなにはっきり剥がれてしまうものかと心理的に認知することを拒否しており、だんだん小さくなってきて初めて認知可能となった模様)異物感から時折はらはらと落涙しております。
しばらくはおそろしくてコンタクトは使えないだろうから、この際せっかくだから(!)メガネを新調しようと池袋に出向いたところです。
池袋に行ったらレッスンに出たくなるに違いないけど。
夕方までに赤目と腫れ目が不審感を醸さないまでになっていたら、行っちゃうかもしれません。

2019/05/18

せっかく

昨夜、暗い部屋で(照明をつけると眼が痛い、特にPC画面もダメなので、これも珍しく携帯で打っている)顔の左半分だけでも滂沱の涙を流し続けていると、目が腫れて左だけお岩さん顔になってるのはもちろんだが、だんだん悲しくなってきて、このままでは朝には地獄のように落ち込んでるのではと予想。
目がダメなら聞くしかないので、世の中で最も前向きな人物の一人、と思っている某Fさんの日記放談会録音を聴く。だいぶ前に買ったんだけど途中で挫折していた(ごめんなさい)。
相変わらずの巻き舌関西弁が懐かしい。ずいぶんお目にかかっていないけれど語り口は学生時代と同じで、はてなマーク7つぐらい、と評される人間との遭遇のくだりあたり、ああいるいる、と思いつつ思わずがははと笑いながら拝聴。元気になってきた。ありがとうございます。
今朝、お岩顔は若干ましになったものの、まだカーテンも開けられず電気もつけられないけど、小出監督の言葉だったか、故障しても「なんで、と思うな、せっかくと思え」と思って、溜まっているオーディオ系に浸る週末にしたいと思います。

追記  食べるものがなくなってきたので誰かにあげようと思っていたメッセージクッキーに手を出しております。



2019/05/17

ひと皮むけてます

今朝仕事をしていたら急に左目から涙が止まらなくなり、一時間ほど左目だけ泣き続けていたのですが、あまりに恥ずかしくなって眼科に行ってみたら、黒目の縁のあたりが「ひと皮むけてる」そうで、コンタクトと運動を止められました。
そういったわけで、しばらくおとなしくしていることになりそうです。

追記 薬のせいもあってか日差しをはじめ室内照明、PC、携帯にいたるまで痛みと涙を催すので、文字通り暗い部屋で寝ることにしました。おやすみなさい。

追追記  痛くて眠れない。。。

2019/05/11

tattoo inside my brain

前回連休前に行ったときは開店準備中だった星乃珈琲店に行く。
自室から15分のところにもあるのだけれども、駅と反対方向のせいで年に1度ぐらいしか行かない。駅前にもできたのだけれど、行くたびに列ができていて、待つ時間がなくて入れない。そういうわけで、スフレパンケーキを久しぶりにいただく。オーダーが入ってから焼くそうなので若干時間がかかるけれども、待った甲斐はある。美味なり。
レッスン前だからと一応シングルにしたけれど、食べ終えてダブルにすればよかったと後悔する。
前職でお世話になった大先輩に、あんたは食べてるときは幸せそうだとコメントされたことがあるが、おいしいものをいただいているときは、ほんとうにしあわせである。

昼のレッスンの曲の歌詞がおもしろい。
まあ要は君に夢中ですという歌詞なのだけれども、途中に「You're the medicine in the pain, the tattoo inside my brain」というフレーズがある。脳内タトゥーってすごい表現だなあと、ちょっと記憶に残ったのでメモしておく。
むしろ振付が1回で脳内に刻まれる頭になりたいんだけどなあ。




2019/05/08

遺恨

今日はゆっくり出勤なので(といっても普通に9時だが)のんびりしている。
昨日、連休明けて駅に向かいながら、前の晩のコンビニケーキは今ひとつ「ごほうび」としてはしょぼかったなあ、と遺恨らしきものが残っている。次のごほうびはせめて駅前まで戻ってコージーコーナーのケーキを買おうと思う。
ひとときかりそめの満足に浸っては、目覚めて嗚呼おのれは阿呆であるなあと我にかえる。
こうして人生は続く。

2019/05/06

祝杯

早いもので10連休も終わってしまった。
こんなふうにいずれ人生も終わるんだろう。
時間があったら読もうとこの連休中バッグに入れて持ち歩いていた村上春樹の新刊文庫本とたぶんここ1年以内に購入したと思われる原田マハ(村上春樹が進まない場合に予備としてリュックのポケットに入れておいたという念の入れよう)は双方とも結局1ページも開かず仕舞いと相成った。
毎日ダンス(その他トレーニング系)のレッスンに参加させていただいて、ほんとうにしあわせでした。家族会社その他にはご迷惑をかけて悪いけれども、正直、このまま息絶えても悔いはない。
今日は祝日1回きりの振付の90分のレッスンではじめて、少なくとも最後の3回は間違えずに出来たので、個人的にはじつに会心の出来である(先生には何をほざいておるかと叱られるにちがいないけれども)。よくがんばったなあ、と、ひとり悦に入る。
こういうのはちゃんと祝福してあげないといけない。自宅禁酒を解禁して祝杯することにする。ついでにコンビニで「イタリア栗の焼き栗モンブラン」を買ってくる。
お祝いにしてはしょぼいが、思いついたのが帰り道、自室まで100mを残すばかりの地点だったので、コンビニしか選択肢がなかった。
酔っ払っているけれども、まあ、こんな人生でも満足である。



2019/05/03

希望は生き続ける

渋谷は嫌いだけれども行かねばならないこともある。
ついでに映画でもと午前から出かけて、bunkamuraで「幸福なラザロ」を観る。とてもいい。という凡庸な感想しか書けないのがもどかしいが、もともと薄い化粧が目から下、全部落ちたぐらい泣く。泣いたから良いってものでもないけれども、なにしろ良かったということが言いたいだけ。きっとレビューが沢山出ているだろうから、気になる方はそちらをご参照くださいませ。
予告編を見ていて、ゴダールの新作なるものが銀座でかかっていることを知る。ゴダール、まともに見たことがない。レッスン終わってからでも今日の最終回に間に合うかもしれないと一応計画しておくことにする。
improve your mobilityという直球ど真ん中みたいなクラスがいつもの先生のクラスの直前にある。ラッキー。実はこちらのコーチさんのクラスに出るのは確か4回目で、かなり久しぶりにお目にかかるのだけれども、blogだけはずっと拝見していて、勝手に私淑しているのである。トレーニングはもっと頭を使って考えなさい、自己評価できるようになれとメッセージをいただく。とりあえずバンドを使ったトレーニング数種で確かに肩周りの稼働域が広がるのを実感したので、続けてみようと思う。

脳内メモリには限界があるから、祝日レッスンの振りはその時間が終わったら記憶に留める努力は積極的にはしないでおこう、と決めてかかっていたのだけれども、曲を聴くと意外にぽつぽつといろんなことを思い出す。
昨日レッスンを始めるにあたって先生は、難しいと思うけど、できると思うんだよね、とおっしゃった。もはや自分に何ができるのかできないのか、さっぱり分からないけれども、できるかもと思ってくださるんなら、それが希望だ、やってみようと思う。

hiphop90分というのは楽しいながらも結構な運動量。先生踊ってくださる。皆さんかっこいいという表現をされるけれども、自分としては、美しいという形容詞のほうがぴったりくる。生で観られるのが至福だけれども、動画の中でもいいからいつまでも踊っていてほしいなあと思う。
なんとか体力がもったので、レッスンの後、急いで銀座に行く。ゴダールのImange book。正直言って彼の方を語れるほど勉強していないので何も言わないけれど、残った言葉を記しておく。
「悲しみ方が足りないから世の中は良くならないのだ」
「たとえ何一つ望みどおりにならなくとも、希望は生き続ける」




2019/05/02

方向音痴

もともと人ごみも並ぶのも嫌いなので、ラフォルジュルネも今年はパスしてしまったし、クリムト展もなにも連休に行かなくてもね、と思っている。
連休中はダンスだけでなくちゃんとトレーニング要素のあることをしようと思って、マーシャルやらヨガやらもやっている。1回ずつはさほどキツくもないけれども、さすがに文字通り毎日やっているせいで、全身筋肉痛になりつつある。マーシャル系は、自分の弱点である背中と肩甲骨回りを他のクラスより使うので稼働域が上がるし、ヨガはやっぱり全身の調整効果があるから、ダンスとの相乗効果というようなものを感じていて、時間と体力が許せば延々といろんなことをやっていたいと思う。好きなことにだけ時間を使うことのできる休暇はほんとうにしあわせである。

方向音痴なので初めての場所に行く時はかなり時間に余裕を持って、地図もプリントアウトして持っていくのだけれども、2回目となると油断するようで、自信を持って曲がる道を間違えた。雨も降っていたしイヤホンから流れる音楽に気を取られていたせいか、ちょっと遠いなと思いつつ、えんえんと間違った道を歩き続けて隣駅の近くまで行ってしまったらしい。
仕方がないので人生で初めて(!)Google mapのナビ機能を使って目的地に到達したけれども3分で着くところ20分以上費した。でも暗い夜道にナビ機能は頼もしい。
よし、今日も使ってみようと前回迷った下北沢のとある住所を入力し矢印の示す方向に素直に従って歩いたら、ずいぶんと遠回りさせられた。やっぱり地図と己の頭でたどりつける場所には自力で行くべきなりと反省。
方向音痴で地図を読むのに時間がかかるのと、ターンなどで面が変わると大混乱するのとは微妙な関係があるのではないかと密かに思っているのだけれど、さして根拠はない。

2019/04/29

ヨガ

今日珍しくヨガをやって、そのあとにジムにあったバランスディスクに乗ってみた。
すると、昨日あれだけブレていたのが嘘みたいに乗れるのである。
昨日は10秒持たなかったので、目標10秒と言われたんだけど、左右の足とも1分は乗れる。
おかしいな。
昨日はシューズで乗ったけど、今日は靴下だったのがよかったのかな。
昨日全然できなかった膝立ちはまだブレるけれど、少々はできてしまう。
そうか、ヨガの後だったのがよかったのかもしれない。
とすると、ヨガというのはえらく体軸調整に効果があるということになる。
こんなに早くできてしまうと、やっぱりこれは不調の根本原因ではないかもしれない。
とりあえず、次はヨガをせずにやってみよう。

ケーブルテレビで古畑任三郎をやっているので、ついシリーズ全部録画してしまった。
コロンボも好きだけど古畑さんも好きだなあ。

2019/04/28

2ヵ月半

今日の収穫はなんといってもパーソナルである。
マッサージ半分と極めて強度の軽いバランスの確認だったのだけれども、今までの自分の不調の主たる原因が明らかになった(と勝手に思っている)。
バランスディスクの上に膝立ちしてもう片方の足を上げるという極めて簡単なエクササイズで、右半身はまあふらふらながら垂直に立てるのだけれども、左半身は立てないどころか、まず、まっすぐにならない。みごとにななめっている。
ジャズの基礎練で左足で片足立ちしたときはまっすぐに立てていないことは鏡を見ながら薄々気付いていたし、サイドプランクみたいなことをしている時も左が弱いのが分かってきてはいた。よく思い返してみると、ターンでえらくふらふらするのも左足軸のときである。左で膝立ちになってみたらと左のコアが使えていないのが如実である。右足軸の時は後ろに倒れがち。これの代償動作で種々不調が発生しているとの説明に深く納得。
帰宅して早速バランスディスクをぽちっとお買い上げ。
ふつう2ヵ月半ぐらいで出来るようになると思いますとのこと。これが改善できたらたいそう快適な人生になるに違いない。2ヵ月半後が楽しみである。

2019/04/27

出会う能力

今日は地元にいようかなと思い、いつもの昼のダンスの後、はじめてカラテに出てみる。
昔1ヵ月ほど会社近くの空手道場に体験で行ってみたことがあるけれども、道着の厚ぼったさと道場の汗臭さに耐えられず、いやその他、そもそも本人に戦闘意欲とか気合いみたいなものが全くないとかの問題もきっとあると思うけれども、なにしろ続かなかった。でも型を見ているのは好きだ。
そういうこともあって、別に嫌いじゃない。形とか力の入れ具合が違うだけで、なんらかの形を作るということそのものは好きなのだ。前後の繋がりとか殆どないので、形のことだけ考えていられるので単純に面白い。
ダンスもそうだけれども、振付ももちろん好きだが音取りとかアイソレーションとかの時間がけっこう好きで、どうしたら首やら胸やらがきれいに動くか、足が上がるか、とか、ただそれだけ考えていられる時間が意外とストレス発散になったりする。
空手の話に戻る。前蹴りとか回し蹴りとかあるのだけれども、やっぱり蹴りパートは大好きで、後に2コマあるから軽くやろうと思っていたのについつい本気で蹴り始める。きわめて爽快なり。蹴っているうちに、ああ昔に比べて足が軽く上がるようになったなあと思う。股関節の稼働域がいくばくか改善したのだろう。地道にストレッチしていてよかったなあと思う。たまにいつもと違うことをしてみると気づきがあって面白い。
せっかくの連休なので、なにか次のステップにつながる布石になるようなことをしたいと思う。
とりあえず明日は、この前肩をおかしくした時に助けてくださったトレーナーさんにパーソナルを受けにいくことにする。月に1回でいいですかと尋ねたら、いいですよ、早く身につけて一人でできるようになって、違うことにお金使ってください、とのお返事だった。これも何かのご縁である。
人間という生きものは、意外と、出会うべきものに出会う能力を持っているのかもしれない、と思う。

2019/04/22

環境設定

思いついたことはすぐ試したくなる。
早く帰宅して部屋の模様替え。
棚の向きを変えて、ほぼ無意味に仕切ってあったエリアを開放したら、少し部屋が広くなった。
よし、これならストレッチする気になれるかも。
ストレッチポールとか、ボールとか、トレーニング用のマットまで実はそろっている。夏に越したのだけれど、フローリングの床が硬い。ベッドが届くまで、その厚手のマットの上で寝ていたという経緯もある。ベッドが届いた後は残念ながらお蔵入りになっていた。
ベッドは背丈の長さを可能な限りカットして省スペースにこだわったのだが、その甲斐があったというものだ。
あまり場所をとらない練習だってできるかもしれない。階下は少々理由ありの店舗で、階上の音など気にしないから、少々飛んだり跳ねたりしてもクレームは出ないのは実証済みなので好都合である。
気持ちが足りないときは環境設定をいじってみたり。

2019/04/20

寝返り

先日パーソナルを受けた先生にはマッサージをしていただきながらいろいろ伺ったのだけれども、中でも記憶に残ったのは、ストレッチはこまめにゆるゆると、ということだった。言葉は若干違ったかもしれないけれども、なにしろレッスンの前だからと気合い入れて伸ばし過ぎても硬くなるから逆効果であって、レッスンの前はゆるいぐらいがいいんです、そのかわり、毎日寝る前とかに少しずつこまめにやれば長期的にみて効果がでるわけですという話だった。耳新しい話ではない。
そうはおっしゃれども、帰宅して疲れ果てた後にできることといったら空腹を満たすとか洗濯物を片付けるとか必要最低限のことだけなわけで。やっぱりレッスンに行ったついでに何かする(但し気合い入れすぎない)頻度を上げる、という形でパターン化するのが現状考え得る次善の策である。
以前から身体が硬いのは先刻承知だけれども、まあ人間というのはつい無理難題に挑戦したくなる生きもののようで、考えはじめるとなすべきことが尽きない。
巷に流れている動画を見ていると、軟体動物のごとくやわらかいひとというのはいるもので、文字通りごろごろ転がっているだけで美しい。凡人が同じことをしても昼寝の寝返りに見えるだけである。いいなあと指をくわえて眺めつつ、手元でできる地道な課題をいろいろ試してみる。

2019/04/18

僥倖

年1回の平日の所定休日。
レッスンに出られるのが嬉しいのはあたりまえだけれど、自分一人で練習できる時間が取れることが最近楽しくて仕方ない。
おかげさまで、肩というか首というか、(でもパーソナルで肩を押さえられて首を倒してみたら痛くなかったのでやはり肩というべきかな)も若干の違和感を残すのみとなった。
夜のレッスンの前、一人こころゆくまで鳥モードに入り、またひざ下のあざを増やす。
そういえば、昼のレッスンの時のスタジオの立ち位置を変えてみた。相当慣れた先生でないと中央寄りには行きにくいから、大抵空いている両端のどちらかにいることが多いのだけれど、右端だと右向きのときに振り返らなければならない。特にターンのときに右回りしているのか左回りなのか、軸足がどちらかとか、とにかく分かりにくい。
そういうわけで、左端に行ってみる。やっぱり右端よりましな気がする、と思っていたけれども、じつはここ数日先生がやさしく教えてくださっているせいだったのかもしれない。よくわからない。
先生めずらしく踊ってくださる。今回の振りは曲の中で男子エピソードのパートと女子パートに分かれているそうなのだけれども、その水際だちかたがすさまじい。というようなことを除いても、ただ単純に先生が一人で踊ってくださるのを見られたのが僥倖である。


2019/04/16

ついで

ロシュフォールって聞き覚えがあるな、と思って、重い腰を上げて調べてみたら、見覚えのある双子が出てきた。この広すぎるつばの帽子のなにかと白っぽすぎる二人は最近、確かにどこかで見た。ちょっとまぶしすぎて短時間で挫折した記憶がある。
一度で咀嚼できなくても何度か見ていると、いいなと思うものもあって、そのときの気分なのか慣れなのか、よく分からないけれども、そういうこともある。
そのままぶらぶらしていたらKeith Jarrettに遭遇する。お久しぶり。なにも立ち上がらなくたっていいのにと思うけれども、やっぱり好きだ。
Keith Jarrett - Danny Boy

お久しぶりといえば、オフィスが越したばかりの頃には毎朝通りすがりに寄っていた某珈琲店に先日ずいぶん久しぶりに寄った。オフィスにコーヒー(粉だけれども)も出る給茶器が設置されたから、毎朝の500円余りを節約していた。目が合うなりスタッフさんから「お久しぶりです」と声をかけられる。つい、「あ、どうも、すみません」と答える。なにも謝らなくても、と後になって思う。高いけど、たまには寄ってもいいかなと思う。

一人で転がってあざだらけになっているわたしをあわれにおぼしめしたのか、はたまた単なる気分なのか、突然先生が(類似の)転がりかたをご指南くださる。オリジナルのクラスはなにかと想定外なことがあって面白い。
ともあれ、ほんとは昨日続くはずだった「先生の大好きな曲」の振りを楽しみにしている人間がここにも一人いることをついでに申し添えておきます。