2010/05/31

Pale Blue Dot

とうふを半丁食べると、けっこうお腹がいっぱいになるものだなあ。
めんたいこ、きゅうり、もずくにポン酢、マヨネーズ、ゆず胡椒少々を加えて、ぴちゃぴちゃっとつぶして食べると、これだけで夕飯に充分なり。きょうはこれに、みょうがのみじん切りをパラパラとふりかけた。
しばらくこれでダイエットしよう。

Audibleで、カール・セーガン「コンタクト」のナレーションをジョディ・フォスターがしているのを発見して、やっぱりこれは聴かなければいけないでしょう、と早速今月のクレジットで入手。
サンプルはあらかじめ耳にしていたものの、いざ、通勤電車で流し聴きはじめて、いまさらながら。
なんなんでしょうか、この気合いのこもった朗読は。
ねぼけた朝だったから、余計刺激が強かったんでしょうか。
もう、「気合い」としか言いようがない。気合いが入りすぎて、早口で聞き取れないという難点はあるが(苦笑)

Contact
べつに、回し者とかではありませんが。サンプル聴けます。

カール・セーガンつながり。
Carl Sagan - Pale Blue Dot

2010/05/30

Find a voice

新PCに買い換えたとき、何か操作を誤ったとみえて旧PC使用時ipod に入れてあったデータが全部聞けなくなってしまった。旧PCはディスプレイがいかれてしまっているせいで、データを新PCに移すのも面倒。。と思いつつ、放置していた。今ipodに入っているのはシベリウスとハチャトリアンのヴァイオリン協奏曲、Kazuo Ishiguroのオーディオブック2冊。いいかげん飽きてきたので、itunesからpodcastの登録をしなおしていた。
卒業式祝辞というのはよく聞かれるものらしく、中に名前を知っている人がいたので聞いてみた。ジョン・グリシャム。卒業生の中に奥さんがいるらしく、その縁で祝辞を述べているのかもしれない。
John Grisham Commencement Address
前半はテレビを見ながら流していて、中盤でも、週に1度は家に電話しなさいね、月に1冊は本を読みなさいねと割に月並みなことを言うものだと思っていたのだけれど、14分を過ぎたあたりから、興味をひくことを言いはじめた。というか、以前に作家/翻訳家の柴田さんがvoiceということについて、どこかで言っていたか書いていたかしたことを思い出したのもある。

グリシャムさんの祝辞(きわめて大意、まちがってたらごめんなさい、カッコ内は当方コメント)
作家がもっとも苦心するのは小説の筋でもキャラクターの作り方でも、他のもろもろでもなく、「Voice」を見つけることである。これさえ見つかってしまえば、言葉は流れはじめ作品はできあがり、その結果として、読者からの評価もついてくる。
(Voiceというのは実際に話される言葉そのもの、ノイズ、sound,音そのものでもなく、通奏低音みたいなものを言いたいのだろうと思う)
Voiceに必要な3つの要素があると思うが、1つには明確であること、スタインベックの小説は、筋は悲劇的であったりキャラクターは複雑であったりするけれど、Voiceは明瞭であって(わたしは読んだことないのでよく分からないが、、)グリシャム氏は今もそれをうらやましく思っているそうである。2つにはディテールに信憑性があること、経験に裏付けられていること、3つにはそれが真実であること。たとえ詳細に描写されていたとしても、そこにvoiceのないものは読まれない。
人生で言えば、voiceを見つけるとは、真実をもって語り、書くこと、といえるだろう。一人ひとりがそれぞれオリジナルな、独特のvoiceを持っている。
それを見つければ、物語は語られ、聴衆の多寡にかかわらず、聴かれるに違いない。

2010/05/28

フライング

派遣会社と話をつけて、やっと待望の1month noticeをする予定だったのだけれど、思わぬ方角からフライングされてしまって、出鼻をくじかれた。いや、しかし。こんなことで挫折してはいかんでしょう。
いまは貴重なハイモチベーションの時期ですからね。。ここで辞めないと、またずるずると。
メディカル系の派遣会社にエントリーを送りまくる。財政上の問題で、空白期間は置きたくないしね。。。がんばれ。

2010/05/27

うまくゆかないものにしか原因はない

内田先生の『街場のアメリカ論』を買って、カフェで昼ごはんを食べながらつらつらと読んでいて、ジャック・ラカンの至言というくだりに行きあたった。

「原因とは、うまくゆかないものにしかない」。

内田先生は続けて、「「原因」というのは、「原因がわからないとき」にだけ人間の脳裏に浮かぶ概念なんです。」「ですから、「この出来事の原因はこれこれである」という説明が教科書では当たり前のようにさらりと書かれていますけれど、「原因」ということばが使ってあるときは注意が必要ですよ。「原因」ということばを人が使うのは、「原因」がよくわからないときだけなんですから」。(引用)

これは歴史の話をしている流れで出てきた文章ですから、必ずしも科学系の話にフィットしないのかもしれないですが、でもそれなりに当たってるとも思うんですよね。

おりしも、昼ごはんを食べる前、つまり午前中最後の軽めのジョブは報告書の和訳で、思えばこの2年間、ずいぶんたくさんの報告書を訳してきたわけです。

極めて定型の、簡単な報告書で、その事象(ま、あまりよくない事象ですな)が発生した考えられる原因と再発防止策なんかが書いてあるわけですが、訳していて思うのは、それなりに理解できる内容の時は、いつも、当たりまえすぎたり単純すぎたりして物足りず、かといって、どれだけ読んでも意味不明なものは最後まで意味不明なわけです。

これってなんなんだろう、と、この2年、ずっと思ってきたわけですが、かの至言を読んで、なるほどと思ったわけです。

人間というのは、結局、事象として「うまくいかないこと」が現出し続ける限り、どれだけ、昔分からなかったことが分かっても、理を尽くして説明を受けたとしても、感情面で、おさまらないというか、おちつかない生きものなんじゃないだろうか。

だからこそ、「うまくいかない」事態が引き続き起こってしまう場合には、無理やりにでも、原因はこれです、と、ある程度つじつまのあうように、さらりと結論してあげる、落としどころを見つけてあげることが必要になってくるわけですね。でもって、その落としどころっていうのは、構造上、ありきたりで面白みのないものにならざるを得ない。

極論すると、逆に、いつも、うまくいっていれば、その原因なんて、誰も(とは言わないけれど、一部の人しか)気にしないわけで。

つまるところ、こういう類の報告書が読みものとしてつまらないのは、「なぜ、この出来事は起きたのに、他の出来事は起きなかったのか?」とか、「あり得べき、ほかの結果は何だったのか?」というような問いを自発的に発してないからなんだな、きっと。
つまらない読みものほど、その背景に思いを馳せる想像力、というか創造力が試されるというわけだ。ま、仕事中に、そんな思いを馳せてる時間的余裕もないけど。。

2010/05/25

カウントダウン

ひと段落ついた。山積みの仕事を放り出すのは主義に反するので、必要とおぼしきことに着手だけはした。あとは放っておいても誰かが思い出して、やってくれるだろうと思う。思い出されなければ、それは必要なかったということだから、それはそれでいいし。
急ぎすぎていろいろミスったし、不本意な結果に終わったこともあったけど、まあいいでしょう。
年はとるもんですね。昔だったら1ヶ月ぐらい立ち直れなかっただろうことも、3日も経てば特段の憂さ晴らしなんぞしなくたって、うまく消化できるようになった。
100点満点を望んじゃいけない。今の職場でも、もっといろいろできるとは思うけど(自己採点では、65点ぐらいかな)、もう次のステップに行ってもいいと思う。薬事品質系なら、もう少し種類扱いたい。いいかげん、手袋にはもう飽きましてん。症例報告とか論文とかを仕事中にのんびり読んでいられる治験系とか、市販後調査とかも面白そうだけど、理系の頭がないから無理か。なんで薬剤師とかにならなかったんだろう。道をあやまったよね、ほんと。とはいえ高校時代、化学は最大の不得意科目だったから、あの頃には望むべくもなかった方角だったけど。とにかく。あと35日。と記録して、決意をかためるなり。

2010/05/23

marking behavior

ブログとかtwitterが繁盛しているのって、人間の動物的本能としてのマーキング行為が根っこにあるからなのかな。「いまここにいます」系のつぶやきとか。犬や猫のマーキングというのは、縄張り宣言でもあるし、なるべく(電柱とかの)高いところにマークしようとするのは自分を大きく見せたいからなんだそうな。なんか、通じるような。所詮人間も動物だから、似ててあたりまえ、といえばあたりまえなのかな。

5年ぶりの再会

ツイッターをはじめてから、英語のブログを前よりたくさん読めるようになった。ブロガーさんたちは、自分の記事だけではなくて関連記事をいろいろと紹介してくれる。
Richard Dawkins紹介の動画が、なんか朝からいい感じにほろりときたので。
5歳まで育てて、その後森に帰したゴリラとの5年ぶりの再会。
どうだろう、自分だったら、5年ぶりに親とか友人の声を遠くから聞いて、分かるかな。好きなひとの声なら分かるかしらん。ま、なんにしろ、愛、ですね。
Damian Aspinall's extraordinary Gorilla encounter 

2010/05/22

長期計画で

2週連続で先生の講義を聞けるのはうれしい。前週から引き続き、Trolley問題に関連して、名物授業Justiceをご紹介いただく。(概要は今朝のクオリア日記に。)先生の説明ではじめて、断片的に聞きとった内容が繋がった程度だったが、こういう話を聞かせてもらえるから、なんとかかんとか生きながらえていて、まんざらでもなかったな、と思う。3年以内にぜったいレジュメなしでも1回で全部聞きとれるようになるぞ。(まあなにごとも、長期計画で。結局のところ、語彙を増やしさえすれば問題は解決するように思う。)
トロッコ問題に関して先週から感じている違和感は、自分で手を下すかどうかという手法の話より、1人殺せば5人助かるという設定。これが1:2、1:3、1:4、と数を増やしていって、どこで1人殺すことを正義と思うか、とか、999:1000から998:1000と次第に減らしていくという手はどうだろう。きっと答えは出ないはずだし、出ないのが現実に近い気がする。とはいえ、現実的になりたいならビジネススクールに行きなさい、とか言われそうではあるが。
さて本日のテキストはこちら。左側頭葉に電流流して一時的に抽象化やシンボリックな脳活動を止めたら、その分、自閉症にみられるような天才的な細部の記憶能力、イメージ写生能力、絶対音感等々の加工されていない情報の入出力が活性化するんじゃないかしら、という、マッドな実験の話。

2010/05/20

Kind gestureだってさ

外国からきたひとを送り出した後、Appreciated your kind gestureとメールがくる。なんかふくざつ。。いやみかなこれ。そーだよ、どーせ、どーせ英語しゃべれませんよ。どっとつかれ。ほんとにつかれる。

2010/05/16

おお

なんか新しいことはじめたくて、ついったーはじめました。ブログに表示できるんだね。金魚もつけちゃった(笑)。この勢いで、新しいことがんがんやります(ほんまかいな。)手始めに、いよいよ転職するぞ。

2010/05/15

Trolley problem

昨日、道徳的判断とその理由づけに乖離があるというテキストを読んだのですが、その中にトロッコ問題(Trolley problem)というのがでてきました。割に有名な命題みたいですが、そのまま放置しておくと、とろっこに轢かれて5人死んでしまうが、自分が行動することによって1人を犠牲にすれば5人助かるという状況に置かれた場合に行動することを選択するか、というような、雑駁にいうとそういう話。(派生して、設定に数種類バージョンがある)
で、そもそも、この設定にいろいろと無理があるので、いろいろと余計なことを考えてしまうのだけれども,日本語のWikipediaをつらつら読んでいたら、最後のほうに、道徳的判断をするときの脳をFMRIで見たという論文がリンクしてあったので、それを読んでみた。
An FMRI investigation of Emotional engagement in Moral Judgement

要は、道徳的判断を要する質問を含んだ質問を60用意して、5人の命のために1人人命を犠牲にしますか的質問のときに活動する脳部位とか、回答までの時間のかかりぐあいを調べるという、で、題名にある通り、感情関連の部位が働きますねという内容。実際に、自分がこういう実験できるかどうかは別として、何をしたら何が実証できるか、実験のしかたを考えるのっておもしろいですよね。

2010/05/12

ティンパニおじさん

コンサートに行く。シベリウスにつられただけで、その他の演目は会場でプログラムを見て知ったのだが、エルガーの南国も、ドヴュッシーの新世界も良かった。新世界をまじめに聞いたのは3回目ぐらい。生で見ると、音色の重なり具合という意味の全体像が奏者の動きからつかめて面白い。
新世界の2楽章までは普通に聞いていたのだけれど、3楽章の途中で突如某ブログに貼ってあった「めだちすぎ」動画の中のドラマーさんがフラッシュバックして、いったん目がティンパニさんに行ったら、釘付けになってしまった。何をかくそう、このティンパニおじさんも、かなりノリノリで、実際に音を出す前に微妙に空振りしたり、リズムに合わせて、指揮者ほどまではいかないけれど、恰好よく姿勢を決めたりする。おじぎをしたときには拍手が盛り上がったから、見かけだけじゃなく、きっと演奏も良かったんだろうな、たぶん。
アンコールに3曲もサービスしてくれた。ドヴュッシーのスラブ舞曲。8番2番も好き。

2010/05/11

ゆらり

珍しく、ひと晩中、眠れなかった。ひとつには、すでに客先に提出してしまったドキュメントに誤訳があったかと思い始めたら止まらなくなって、どきどきしていた。でも肝心部分について、どうしてそう訳したかの詳細が思い出せない。じつに気持ちが悪い。寝返りしきり。ふたつには、ネットで読んだ文章(こっちは日本語)が、妙にあとをひいたせい。そんな夜は、ひとが夜中にどうしているか、ちょっと気になったりする。
朝。出勤して、問題部分を再読してみたら、間違いはなかったので一安心。ただ日中、仕事もはかどらず、終日頭が重い。眠くはない。ただ重い。夕方になると、目は覚めているのに文字通り後ろ髪をひかれるよう。バスを降りると、酔ってもいないのにふらりふらりと道の左右に千鳥足。やはり普段よく寝る人間がたまに眠れないと、ダメージが大きいのかもしれない。世界が、ゆらり、揺れている。もう限界。おやすみ。

2010/05/09

Driving Miss Daisy

最近光回線を入れた関係で、海外ドラマやら映画ばかり見ている。それでDriving Miss Daisy を20年ぶりぐらいで見たわけだが、人間がこんなふうに長い時間をかけて、ゆっくりと静かに理解しあうことができたら、それは素敵なことに違いないと思う。一対一の人間同士の和解なり理解なりが、やがて、それぞれの属するコミュニティや持つ思想同士の融合につながるにちがいないと思わせてくれる。番組で語られているが、確かに、この2人のキャラクターの歩み寄りのスローさが逆にリアルである。しかし、このような佳作に近頃はなかなかお目にかかれない。探しかたが悪いのかな。
このときジェシカ・タンディ80歳、じつにお美しい。

2010/05/08

平和ボケ

最近あまり書くほどのことがないと思うのは、地道で平和な証拠なのかもしれないし、見方を変えれば、動きが足りないのかもしれない。仰臥漫録は子規だから本になるのであって、ふつうのひとのふつうの生活を書いていたって、しかたがないといえばしかたがない。
とにかく今週はUp in the airとDistrict9の2本映画を見て、本は『古書の来歴』とMessage in a bottleを途中まで読んだ。しばらくしか続かないとは思うけれど、今は小説モード。紀伊国屋でポップが立っていたピンチョンとルーセルに入った。西東三鬼も気になっているがまだ入手していない。
たまたまM.Kamioさんがコンクールで優勝したときのシベリウスのヴァイオリン協奏曲を見つけて聞き始めたら、これがとても良くて、こちらもたまたま見つけた数日後のNHKホールのコンサートに行くことにした。やっぱり平和すぎ。

2010/05/03

自炊ざんまい

お医者さんに予言したとおり、ジョギングモードと一緒に、自炊モードも戻ってきた。
やはり人間には(ていうか、自分には)季節性のモードがあるのだ、ということをこの年にしてやっと自覚する。去年のこの時期から自己管理日記をつけはじめてやっとわかったこと。

というわけで、連休も料理と運動にはげむ。

とはいえ、そんなに難しい料理はできない。
無性に食べたくなったので、きんぴらをつくってみた。たぶん人生ではじめて(!)ではないだろうか。
大きめの1パックで200円から300円弱で売っているけれど、野菜だけのおかずにしては、高いんじゃないかしら、と思っていた。おまけにどの店のを食べても味が濃すぎて、薄味な家に育った人間としては、どうもいただけない。

そこで作ってみると、意外に手間がかかる。
ごぼうとにんじんのささがきは想定内の手間だったので、一片の断面積が若干大きくなるのを我慢することにしてピーラーで済ませたものの、灰汁抜きに水にさらしておかなければならない。
いつまでさらしても水が黒くなる。
待っているのが一番我慢ならないので、いい加減で妥協して炒める。みりん、しょうゆ大さじ2、甘味料中1、最後にごま油をたらし、ごまを振っておしまい。
失敗したのは、最後のごまを黒ゴマにしたこと。レシピには白ゴマ、と書いてあったけれど、黒すりゴマしかなかったので、それで済ませた。すると、まるで焦げているような外観。これはまずそう。まあ食べてみると、おいしいかったのだが。見た目がね。

原材料たるごぼう1本とにんじん2/3は、きんぴらとなって小ぶりのタッパーのなかにおさまってしまって、野菜を大量に食べる人間にとっては、少し多めの、たった1食分である。
手間と材料費に比して出来上がり量が少ない。
これなら、多少お味に納得がいかなくても、売っているのを買ったほうがいいかもしれない。

お次は、そら豆と豆腐とめんたいこの和えもの。
これはかんたん。
絹ごし豆腐の水をよく切って(レンジでチンするとか、上から重石をしておくとかするといいのかもしれないけれど、わたしはしない)、手でほぐして、しばらく置いておく。その間にそら豆をゆでる。ゆであがったら皮をむいて、豆腐の水を再度切ってから、そら豆を投入。その上にレモン半個をしぼる。そのうえに明太子、マヨネーズとゆず胡椒などをお好きなだけ入れ、混ぜておしまい。

去年のこの季節は、そらまめとクリームチーズをあえてゆず胡椒を加える、というおつまみ風の品に凝って、よく作りましたが、これけっこうカロリー高いので、今年は豆腐&明太子になりそうです。

これも原材料費が意外とかかってますね。そら豆って意外と高いし。でも、ゆでてまぜるだけですから。とってもかんたん。

チルドのしゅうまい4個とロールパン1個、バナナ1本をいただきまして、ソイラテで、しめ。

ごちそうさまでした。