2022/07/31

破壊そして光のある方へ

月末などで振付最終回の曲たち、いずれも好きでした。

「Melody」のV、いま初めてみましたが「つながる点と線」こういうイメージだったんだ。もっと前にみとけばよかった…


某日、パーソナルトレーニング。割と先生にお目にかかる時には元気になっているのですが、その間色々ありまして、3日前レッスンの途中で急に付け根がズキンときて力が入らず終了後ひょこひょこ歩いて帰りましたが翌々日には回復し元のヒザ痛に戻りましたとの報告をして、軸の矯正メインで、引き続き後傾しちゃってる腰の矯正メニュー等疲労しない運動を教えていただく。移動して次のダンスのレッスンまでの時間、フリースペースでついでに直近色々の振付の練習をして、せっかく整ったはずの軸をおそらく崩す。

前後するが某日某所に先生ご推奨の公演を観に行く。本当はいつものレッスンに行くはずの日で、いかに先生ご推奨とはいえ意味不明ぽいパフォーミングアーツを見るべきか迷ったのが正直なところだが、前述の付け根問題で動くのに支障をきたすゆえ、致し方なきと罪悪感なくレッスンを休み、左足の付け根を押さえながらトボトボ会場に向かう。

頭の後ろから後ろの人に咳込まれたりするのがインフルの時でさえ嫌だなあと思う人間なので、コロナ対策にて2階席の最後列からおそるおそる拝見。おそらくは先生がなにがしかお書きになるだろうから詳述しないけれども、結果的には行ってよかった。

とにかく面白かった。隣の席の女子は後半感涙にむせんでいるようだったけれども、じぶんはどちらかというとひたすら面白くて、ひとところの面白さに目を奪われているうちに他方で何か始まっていて、あれ、いつからそこにいたの、と目をやると、実はもうさらに他所で何か始まっていて、みたいなことの繰り返し。思わず吹き出して、あ、すいません、と隣に目で謝った箇所もあったぐらい、理屈抜きで面白くて、じぶんにとっては普通のダンスを見るより形が目に残った。観ている間は意味を考えている余裕などなくて、ひたすら事物を追っているうちに終わってしまった、というか、そろそろこれで終わりかな、と思った箇所で2回ほど騙され、あれ、まだ続くのかな‥と油断していたら突如幕切れとなったので、この後味というか余韻が尾を引いて、帰宅まで結構な時間、珍しく音楽も何も聞かずにぼんやりして帰った。

いろんなものが気持ちよく破壊されて、ぼんやりと光のある方角が見えたような気がして、気がついたら足を押さえずにてくてく歩いていた。


夏バテ?で元気なかったのですが、いろいろと、おかげさまで、元気出てきました。アクションの後に本質、ほんとですね。




2022/07/25

remedy

某日。軽快だったり今ひとつだったりを繰り返しているヒザの都合で、ちょっとダンスはリスキーだなと思う日も稀にあるので、そんな日。そういうときの、いわばremedyとして、ふつうの運動をする時間というのが、じぶんにとって意外と大切だと思うようになった。分類としては、あまりハードでないヨガなどもこちらに入る。

座り仕事が長くて猫背前肩、右利きのため右前のめりに座る傾向のじぶんは、諸々の歪みにより、いろんなところが痛くなるわけで、そういうところを治したくてやむなく始めた「運動」だけれども、手段として始めたものが、やっているうちにそれなりの楽しみに転じるというのも、ありがちな話ではある。でも家で重い腰をあげるのには少なからず根気を要するので、お手軽なソリューションとして、ヨガレッスンに寄ったついでに、ジムでお手本が鉄棒にぶら下がっていらっしゃるのを眺めたりして若干のモチベーションの足しにしてみたりする。

自炊モード、たまに復活。これが自炊と言えるかは別として。ニンニクはチューブで、鷹の爪切らしてまして省略し、基本から外れまくりましたが、それでもかなり美味しかった。お湯は必ず沸騰、と、飲みながら作ったところだけは、ちゃんと真似しました(笑)。
料理も救いなり。



2022/07/16

3年

少し前の話だけれど、スタジオで以前の公演で使われた曲が流れていて、まだこの頃はご縁がなかったよね、などとお声がけいただいた。ハイわたしは先生の引退公演がはじめてです、とお答えしたら「ああ、あの詐欺ね、今のほうがコンディションいいから」みたいなことをサラリとおっしゃった。

2018年夏の終わり頃、はじめてジムの土曜夜のジャズのクラスに行って、なんだか面白そうだから頑張ってみようかしらと思ったその2ヶ月後ぐらいに、舞台からは引退しますと言われた生徒の身にもなってみてほしい。ダンスの公演などというものには縁遠く、あー、劇団四季を遠い昔に見たっけなぁ、ぐらいの人間だし、そもそも人見知りなので、見知らぬ場所のよく知らない先生の踊りをわざわざ見に行くべきか、けっこう迷ったと思う。舞台は最後だということだし、見ずに後で悔やんでもいけないからと思って足を運んだ。当然ながら行ってよかった。というか、たぶんそこに行っていなければ今のじぶんはない。なので、その時の曲はやはり思い出深い。

2019年夏頃、先生は踊られなかったけれど同じ曲で作品を出されるにあたって、スタジオのレッスンも同じ曲の抜粋で教えていただいた。勇気を奮い起こしてコンテンポラリーなるものを習いはじめたのがこの年の春のことで、床をゴロゴロ転がるフロアなるものを習ったのもはじめてだったから、全然できなかったのだけれども、思い出深い曲を習うことができて、とても嬉しかったのだけは覚えている。

それから約3年後の今日、振付は違うけれど大好きなこの曲で踊ることができて、じぶんの出来はともかくとして感無量。3年前は、苦手です、目が回るし立ちくらみもするし、方向を失って先輩にぶつかりそうになるし、立ったり座ったりがトロくて音に間に合わないし、などとしか言えなかったフロアも、下手なりに好きになった。あれほどあちこちに青あざを作って密かに痛い痛いと唸っていたのが嘘のような、レッスン後の快調さだけは進歩と言えるだろうと思う。

不肖の生徒としましては、なんだかんだ先生を元気にしてくださっている先生の先生にも感謝の念にたえません。



2022/07/08

父は宮城県の出身で、東北出身の同郷意識も手伝ってか、井上ひさしが好きだった。実家の本棚には井上ひさしが並んでいたので、小学校の高学年あたりからだっただろうか、じぶんがその著書を手に取る機会が多かったのも自然の流れかもしれない。

毎週日曜のBSプレミアムステージを時間指定で録画しているのは、時折掘り出し物のバレエやダンスがあるからで、好みのクラッシック演奏は聞くこともあるけれど、演劇の時は即削除が恒例となっているのだが、「井上ひさし戯曲」と聞こえてきたのであやうく削除を免れた「貧乏物語」を見て、結果的にたいそう面白かった。

先立って演出の方のトークがあって、それが一つ考えるきっかけになって、このところずっと頭の片隅にその言葉があるともなくある、というような日々を送っていた。だいたいこんなことをおっしゃっていた、と思う。

「井上さんの芝居はすごく饒舌。いろんな人間がわーっと喋っていて、だけどそのわーっと喋ってる言葉がぽん、と途切れた時に、ふっと訪れる、その「間」っていうんですけど、その間の静寂のあり方、実はその間の中に、人間が本当に思っている真実の声がわーっと観客の中に生まれるのが、一番演劇として好きな方向なんですね」

「すごく大事なことなんですけど、演劇って登場したものとか語られているものとかではなくて、その背後に、言葉の裏側に何があるのか、その風景の裏に何があるのか、その存在感」

だいたいダンスのことに翻訳して考える癖がついているので、確かにダンスで人間が生み出せる線というのは限られていて、線のないところに何が生まれるのかというのが、やはり正味なんじゃないかと思ったわけです。

中野のスタジオで、いつだったか、先生が、はいその手の1万キロ先を見て、みたいなことをおっしゃったことがあった。1万キロだったか1万光年先だったか、ちょっとよく覚えてないけれども、それほど広くないスタジオで、そういう想定外の単位の距離が出てきたことに結構驚いた。例えばそういうことだ、と思った。

某日、hiphopのクラスで、折しも先生が「間」について語られるのを聞きながら、そんなことを思い出していたんだけれども、先生は「間」は自由だ、というようなことをおっしゃった。そうか、線は有限だけれども、たぶん間は自由だ、もしくは想像力、または無限だ、そう思って、なんだか楽しくなった。

2022/07/03

幾分

今週は楽しかったなあと振り返る。若い頃はもっと悩みも多かったと思うんだけど、どうも最近記憶力が低下しているせいか、楽しいことしか思い出せない。

某日。単身赴任の上司が夏休みで本国にお帰りになることなので、ならじぶんだって有休をいただいてもよかろうとレッスンに合わせて有休、夏休み1日目。当然来週も休むのだが、それでも夏休み2日目だから、2週間休んでる人に文句も言われないだろう、というようなことを考えるのが姑息な日本人である。

先生踊ってくださり鑑賞タイム。通常お美しいと形容するのが適切なかんじがするのだけれども今回は割合めずらしく、かっこいい振付。たいそう気持ちよくサビを踊らせていただいて満喫。

移動してhiphop。次回の振付について生徒の希望を尋ねてくださる奇特な先生なのだけれども、今までは洋楽がいいか邦楽か、とかの質問だったのが、今回は難しいのがいいか中ぐらいか、やさしいのがいいか、との質問だったので、いつも手加減してくださってる風情ありありの先生の難しいってどんなだろうという好奇心で、難しいのがいい!と手を挙げたのである。できないと思うけど本当にいいのかと念をおされたので、意地になって、やる!と言い張って、みんな頑張ることにしたので、練習しないわけにいかないのである。

おっしゃる通り難しかったので、みんな必死または瀕死の形相となり、先生が「楽しくないでしょう」とかご心配されるのだけれども、いえ楽しいです、とまなじりを決して意地を張る。楽しいのにもいろんな種類がありまして、習っている間はともかくとして、時を経るほどに味わい深く楽しいというやつであります。泣いても笑ってもこの曲は次回が最終回。


某日、計4時間半のレッスン終了後、恒例となった1時間半ぼんやりストレッチタイムに本日の出来事を思い返す。こちらも恒例となった締めに床でごろりんと後転してつま先を床につけ、足を左右にぶんぶん振ってから戻ってくる。いつからか思い出せないぐらいだけれども、ここ数ヶ月継続的に戻りの際にみぞおちのあたりがズッキンと痛むので、戻りはそろそろ戻ることにしているのだけれども、本日はかなり稀なことにズッキン来なかった。

何かの間違いかと思って再度同じことをしてみたところ、やっぱり来ない。これは嬉しいので記録しておかねばならないと、一眠りした今頃ぺちぺちしている次第であります。そもそも何故痛くなったのか、まだよく理解に至ってないのだけれども、痛いと口にしてから習った色々だけは覚えているので、戻らないように維持したい。

先生方のご指導のもと、じぶんの身体は幾分マトモになってきております。