2021/03/14

こぼれおち、たちのぼるもの

言葉の不自由さというものを感じている。なにを今更、という感もあるけれども、いまこの時にひしひしと感じるのだから仕方がない。

尽くそうとすればこぼれ落ち、重ねていくといつの間にか方角をたがえて思いも寄らないところに辿り着く。辿りついたように見えて、形を為すわけでもなく、立ちのぼって霧のように消えてしまう。

言葉以外の表現手法に憧れる。絵とか写真とか、試みたけれども、今のところ続いていない。ダンスというのは基本的には形を作ることなんだろうとは思うけれども、じぶんにとってはどちらかというと、形というよりも音、であったり、動きの軌跡が通り過ぎた後に残っている色とか光とか、そういう残像の重なりのような、なんともつかみようのないものである。

ダンスというのは音を感じる一つの方法だと思うとおっしゃっていた先生がいて、なんだかすとんと腑に落ちた。「おどる」と考えるよりも音を感じると捉えるほうが、少々気が楽で、なんぼか肩の荷が下りたような気持ちになった。

じぶんは発表会に出たいとか、じぶんの姿を世に残したいとかいう野望は今のところカケラほども持っていない(発表会には1回だけ出させていただいて、充分満喫した)のだけれども、ダンスというものがじぶんの表現の一手段になればいいなという野望だけは、まだ未練たらしく持っている。まあ表現、なんて言えるまでには長い道のりだし、見てくれてるのは先生ぐらいだろうけれども。でも、言葉で伝わらない何かが伝えられるかもしれない、そうなれたらいいな、と密かに思っている。