パリオペラ座の「PLAY」(アレクサンダー・エクマン振付)の録画を3回見る。今朝起きて2回、帰宅して1回。
気に入ったものは何度見ても飽きない。しつこいのかどんくさいのか、その両方なのか。ダンスも同じ振付を何度踊ってもこれで飽きたということがない。だいたい言われたことなんて1度で全部咀嚼できないし、1回できても次のを試みたら前のを忘れてしまっていたりするから、なかなかこれで完璧、とならない。時間がきて最後の1回が終わると、あら残念、と思うのが常である。
「PLAY」の話に戻る。
大人たるものバレエ鑑賞ぐらいできなくてどうする、と思って、機会があれば録画するのだが、10分もすると眠くなって、結局全部見ずに終わるような種類の人間だ、という前提で、そんなわたしが3回見たのだ。すばらしく面白い作品だった。
だいいち、目に楽しい。
ダンサーたちは、よくできたオブジェのよう。
よく思うのだけれど、美しいひとたちは、ただそこで躍動しているだけで美しい。作品の振り付けとは関係ないけれど、極端なことをいえば、とびはねながらただランジしてるだけで、うつくしいのである。もう意味も物語もなにもいらない。われら凡人はただ賛美するだけである。
斬新、などという言葉を使えばすでに陳腐。
アイデアにあふれた眼もあやな仕掛け、そこで美しい身体が躍動している、それがこんなに楽しいなんて知らなかった。