有休残を鋭意消化中。とはいえ半休でちびちびと。
昼前、帰り際に引きとめられないように、いつもにまして音も立てずに支度をして、小さく挨拶して風のごとく会社をあとにする。
けっこう人の言葉を編集して記憶しているので、もしかしたら違ってるかもしれないけど、悔しかったら「表現」まで行ってみなさい、と今日先生はおっしゃって、そのあとやっぱり悔しくて、うーん、表現ね、表現、とぶちぶち歌詞をつぶやきながら考えていた。
悲しさの表現というと、つい悲しい感情を再現する方向から考えてしまうのだけど、自分は、たぶん女性の割には淡々としているほうで、年とともにますます感情の波が少なくとも他人と一緒にいるときにはあまり外に出なくなってきている。おまけに無表情である。そっち方面から攻めるのは苦手である。
ので、パーツで考えることにした。
クラスにとても上手な女性がいらして、先生が袖でお休みのときはついついそのひとをじーっと見てしまうのだけど、感情を感じるのは主に上半身だ。足を見て悲しそうと思うことはあんまりないわけで、やっぱり上半身で攻めるべきだろう。
手と目と首(顔というと表情も入るからあえて首とか目とかいってますけど)は、動きとか向き、角度でけっこう何か伝わるものがあるよなあ。そんなことを考えながら新宿の夜のクラスが始まるまで自習練。ターンの練習をしてみたりする。首のきりかたがまずいとみえて、やっぱりまだ目が回る。
先生はAdele大嫌いだそうだけど、自分はこの曲がとても好きで。今の自分にとって、踊ることはその名のとおりremedyなんだよなあ。