1年を振り返るには、やはりiphoneでダウンロードした曲を聴いてみるのがよかろうと思い、半年以上前のものは削除してしまったものもあると思いながら聴いてみたりする。ダンスをするようになってから、音楽に関して、ほぼ自分の趣味というものはなくなった。先生方が振付に使われた音楽を聴いているだけで十分満足である。必ずしも全部好きかというと、そうでもないけれども、この音を取らないといけないと思うと、ぴんとこないものほど聞くことになったりもする。
ダウンロード曲の中で一番多いのは、先生がオンラインレッスンの振付で使われた曲。最近はトレーニングに特化されたけれども、自粛当時は週に3曲使われていたこともあったわけだから、それは多いはずだなあと思う。
先生は重要なことを色々おっしゃるのだけれども、いろんな意味でこれは記憶に残っている。どうも動きがうまくいかないというときは、その人と動線の「レール」が違うんです、というようなことを最近おっしゃった。トレーニングはそのレール作り。自粛の頃から集中的にこのレールを作っていただいてきた。まだまだ工事中。
普段お世話になっている先生方と割合近い位置で踊らせてもらう機会があると、動線の「差分」が明らかによくわかるわけで、わかりやすいのはまず角度であったり向きであったり、音とのミートとか、強さとかシャープさとかまろやかさとか繊細さの違いが、これでもかとばかり認識されてしまうわけで、それはもちろん感動であり、他方これは永遠に真似できないわと思ったりもする。
けれども、これが最近レッスンに出させていただいたいわゆる慣れてない先生などになると、「差分」どころか明らかに、そのレールが自分に「現時点では存在しない」という事態が発生するわけで、これは落ち込むのを通り過ぎて、もはや笑っちゃうぐらいのカルチャーショック。
どんなに素晴らしい先生でも、あまり混んでるところには行きたくない。普段からそうだけれども、このご時世だから当然その傾向は強くなる。ホリデーシーズンに入り、スタジオも空いているだろうとの読みで、風邪が治った先週、またカルチャーショックを受けに行ってまいりました。
当然ながら全然できないわけで、レッスン中の滝汗だけでなく、その後も無駄に疲弊し思い出すたびに気持ちウンウンうなされながらできなかったところを練習することになるわけですが、やはり異種のレールがあることと、自分にはそれがないことを認識することには意義がある。新たなタイプの動きに接することで日頃の動作へのなんらかのフィードバックとなるに違いないと思っているので、機会が許す限り、これは続けたい。
先生の新作。ご冗談とは思いますが、自分はただでさえ舞台も最後の引退公演しかご縁がなかった遅れてきた人間なのに、こんなに早々に映像も引退されては困ります。