2015/03/21

信頼の問題

昨日具合が悪くて少し休んでから病院に行って、午後から出社したんだけど、
眠りにつく前につけっぱなしだったテレビから松山ケンイチのトークが流れていた。
ご本人が出ているドラマは見たことがないのだけれど、
少し前の大河ドラマで中井貴一と共演したそうで、
中井さんからのコメントが、だいたいこんな感じだった。
(半分寝てたので違ってるかも)
「役者というのは感情を全部出して演じているようでも、どこかで客観的な部分がなければいい芝居にならない。たとえば、それは立ち回りをしているときに分かる。(役で、言い合いから喧嘩になる場面)向かってくるときには全力でぶつかってくるように見えるんだけど、実際当たってみると力が抜けていて柔らかい。そういう役者だから、松山君ならもっとこんな芝居ができるんじゃない、と監督が(レベルの高い)要求をしたくなる」
そのコメントを見た後、松山さんは、「それは相手が中井さんだったからできたのだと思う。相手を信頼していないとそうならない」というようなことを語っていた。


「芝居」をそのまま「仕事」に置き換えて通じる話だと思ったわけで。
相手との間に通奏低音にも似たある一定以上の信頼感が醸成されると、
いい意味で「力が抜け」る。
だから、信頼できる相手とは、いい仕事ができる、と。


マタイ受難曲 バッハ
瞑想を目的に作曲されたもので、通奏低音は十字架を背負って歩くイエスの足取りを表現してるんだって。わたしは単に曲が好きなだけだけど、歌詞が全く分からないせいかww、確かに瞑想できるかも。