2015/03/17

Everything else is secondary.

「世の中の人は何とも云わばいえ わがなすことは われのみぞ知る」
龍馬さんのような大事を成さない人間が
こういうことばっかり言ってても恰好つかないけど。
どーぞ。
外野は好きなように言ってください。
少なくとも、自分自身に説明がつくようにだけは、生きようとしてますから。
と言いたくなるときもある。
「自分を相手に説明するとき、私たちはもっとも忍耐づよくなる。 そりゃそうである。 自分が納得できなければ、「気持ちが悪い」からである。」(本日の「内田樹先生(非公認 bot)」より)
最近著書から遠ざかっていたのですが、久しぶりに響きますねえ。
このもとの文章は「トクヴィル先生とおしゃべり」という投稿にあって、
『街場のアメリカ論』のあとがきになっているらしい。
「素人には出来るが、玄人には出来ないことがある。
それは「素人の素朴な疑問にとことん付き合う」ことである。
だって、自分が素人なんだから。
自分を相手に説明するとき、私たちはもっとも忍耐づよくなる。
そりゃそうである。
自分が納得できなければ、「気持ちが悪い」からである。
玄人は自分が納得している(気になっている)ことについて素人に説明するときに、あまり親身ではない。
「周知のように」というのが彼らの愛用する定型句であるが、これは「周知のように」以下に書かれたことがらについて周知されていないかたは、想定読者に算入されていないので、静かにそのへんの隅に引っ込んでなさいという暗黙の恫喝である。
それだと素人は素人のままで、なかなか事態を理解することができない。
うっかりすると、読者の全員が「隅に引っ込んだまま」で終わってしまうということもある。
そうしておくと、読み終わったあとも、読者はさっぱり玄人の域に近づけないので、結果的に玄人の職業的なアドバンテージはいつまでも担保されるわけである。
そういう本を読んでもさっぱり得るところがないので、私は「素人にもわかるアメリカ論」を自分で書くことにしたのである。
こういう場合には誰を想定読者にするかで、書き方はまったく違うものになる。
私が選んだ想定読者は誰あろうアレクシス・ド・トクヴィルである。・・・」
なるほど。
自分の「想定読者」に誰を選ぶか、ということですね。


connecting the dots.
点と点を結んでいるうちに、思いもよらないところに導かれることがある。
”Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.
So you have to trust the dots connect somehow in the future.
You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever.  Because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart even when it leads you off the well-worn path; This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life. ....
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma — which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.”
これまた久しぶりにJobsのスピーチを聴いて、勇気をもらった。