2018/10/07

希望

ケーブルテレビのチューナーが壊れていて、コールセンターに電話しなければと思いながらユーチューブばかり見ている、または聞いている。朝から茂木先生の講演を聴いていて、そのまま流れで次の動画も聞くともなく聞いていた。
自分で言うのもなんだけれど、わたしは自分が見聞したことを、ああこれはわたしへのメッセージだ、と都合よく解釈する達人である。たとえ話し手の想定した正客や目的は別の人や物事であったとしても、そんなことはどうでもいい、というと乱暴かもしれないが。とりあえず、いただけるものはありがたくいただいちゃうのである。
希望の技術、というキーワードが残った。希望を持つということはひとつの技術である。知っていることと知らないこととの絶妙なるmixture、無知の知は希望の技術だと思う、自分が何者か分かったと思うことほど脳にとって成長の妨げになることはない。何者か分からないのは不安だけれど、不安と希望は表裏一体である。明日何をしているか分からないという感覚をどれだけ持つか、まったく違う自分でもありえたという想像、偶有性のパス回しをどれだけやっているか。先生ご自身も、自分は何者であるか分からない、というようなことを語っていらした。
茂木健一郎 本当に賢い人は「知らない」

そうだ、自分は何者であるかなんて、限界なんて早々に決めなくたっていいや。
午後からダンス。相変わらず振付を覚えるのに時間がかかる。たぶん集中力に向上の余地はある。先生が踊っているのを見ていると、人間てこんなに自由なんだと思える。至福のひとときである。
そう、希望だ、希望。要は納得いくまで練習しなさいというメッセージをいただく。