2018/10/04

眠れない

地震で携帯2個に起こされて、眠れないのでPCに向かっている。
なにごとにも自分に利する側面と他人を利する側面とがあると思うけれども、表現という行為になったときは、やはり利他的な側面を全く考えないわけにはいかないんだろうなと思う。
ダンスをはじめたのは、待ち時間にレッスンに入ってみたら意外と楽しかったから、以外のなにものでもなかった自分の場合、当初、人の踊っているのを見ること、とか、人に見られること、はあまり考慮に入っていなかった。
今も、人に見られたいという気持ちは自覚的にはほとんどない。鏡の中に見える自分の格好が、もう少し、もう少しましにならないかと思うだけである。
しかし。
踊っている自分の姿というのは、録画でもしない限り、自分ではその全体像は正確に認識できない。誰にも見られていないか、自分以外の誰かに見られているかのどちらかである。そういう本来的に他からしか見られない行為なのに、他人の目線を意識しない、できないというのは片手落ちなんだろうなと、遅まきながら思うに至ったわけである。
最近見た動画にAnthony Leeという人のがあって、Cry me a river なんかを見ながら、人間というふつう動線が曲線になる生きものが作る、人工的直線的な動きも美しいんだなあ、と思う。もちろんほかのタイプの振付も好きで、もっぱら視聴回数に貢献している(笑)ものもいくつかあるんだけれども。
で、前述のは美しいのは美しいのだが、見るだけでも息を止めて見るようになってしまう代物で(自分だけかもしれない)、たとえばこれを踊りなさいといわれたら(言われてもできないけど)さぞ苦しいだろう。呼吸できそうにない。つまり、こういうのは、自分が楽しむためというよりは、人に見られる目的でないとできないんだろうなと。
眠くなってきた。
引っ越して1年少し経った。転職して時間の余裕ができてから、出られるレッスンが増えたのはよかったけれど、さて、今の自分は、1年前より少しはましになっただろうか。とりあえず、好きな先生が増えて、昔より踊るのが好きになっちゃったことだけは確かである。