2019/06/16

書けば残る

先週眼科にかかり、先生には「はい、治癒です」と言い渡されたものの、やはりコンタクトを外すときが怖いので、目薬を2滴ほど入れてしばらく待ってから外すという慎重ぶりである。
先生はわたしがコンタクトに固執している理由がダンスであるということに興味を持たれたらしく、「あ、そこの角にダンスのスタジオありますよ」「ジャンルは何ですか、そこのは社交ダンス」「発表会とかないんですか」などと折にふれておっしゃった。その時は「いえいえ、ないない、そういうのでないんです」と答えたのだけれども、まあ一生に一回ぐらい、ものはためしだから、そういう経験をしてみてもいいかもしれないよなあと答えながら思ったものだった。

さて目が治って嬉しかったのもあって、今週は振り返ってみると一日も休んでいないのだけれども、最近やっぱりレッスンの前の下ごしらえ、トレーニングとかストレッチとかにもう少し時間を取るべきだとひしひしと感じるようになってきた。
月曜はピラティスの後にダンスがあって、この流れが実に快適である。やっぱりレッスンの前に1時間ぐらい下ごしらえできるといいなと思うのだけれども、スタジオの隅などにスペースを見つけると、各種振りを忘れないように、つい振りの練習を優先してしまう。一人でやってみると、えらくいい加減な記憶しかないことに気づいて更に練習する羽目になる。いいのか悪いのか分からない。
ともあれ、こちらの先生にいちばん長く(といってもたぶん3年ぐらいだけど)お世話になっているのだけれども、先生の首から上半身にかけての波のごときなめらかな動きをなんとかマスターしたいと思いつつまだ叶わない。
そのあとの混んでるクラスは最近はお休みして夕食タイムにして(すいません)次のクラスに出る。「やさしい」と銘打っているけれどもやさしいのは先生だけ(振りは難しい)とはいい得て妙である。もともと初見でさっぱり入らない上に最近さぼっていたので、今回は忘れないようにちょくちょく練習している。難しくてもあきらめきれないのはやっぱり振りが好きだからだろうと思う。
土曜。夜のレッスンの前に相変わらず星乃珈琲に寄る。一応大戸屋でまともなご飯(じゃこご飯少なめとみそ汁とサラダ、とか)と、どちらにしようか迷うのだけれども、スフレパンケーキの磁力が強すぎる。一時間ほどいるので最近は本を読む。「異邦人」が終わったので(いりびと、とルビがついているのに最後の最後に気がついた)、今日は久しぶりに北村薫、「書かずにはいられない」。どうでもいいけど当ブログは各種理由から極力固有名詞を排していて、出てくる名前は相当メジャーな作家芸術家の名前ぐらいである。ご了承されたい。

冒頭のエッセイがとてもよいので、久しぶりに一部引用。
「見えるところに、籠に入った野菜のおもちゃがある。子供のものである。一つ一つの大きさは、手の中に隠れるほど。一番上に、ぶどうが乗っている。昼の光の中なら青味を帯びて見えるそれが、今は暗紫色、一粒一粒が黒ずみ、病気の臓器のように見える。そう思い出すと、あれを並んでいるレモンやら桃やらの下に隠して見えないようにしたい、と痛烈に思う。しかし、動きはせずに、ここまで書いた。
こういった感覚は一時のものである。何分かの後には、そういう思いが存在したということすら消えてしまうだろう。朝目覚めた時にはすでに忘れられている夢のように、確実にあったものが、跡形もなく消え去るのである。
だが、書けば残る。
こういったものを、つなぎとめたいという思いは常にある。書いていくという作業が、もしも私に許されるのなら、大事にしたいのはそれである。」(北村薫『書かずにはいられない』所収「消えてしまう筈のものを」より)

そうですね、そうですよね、と頷きながら、いまこうして、ぺちぺちとキーボードを打っている。