2010/01/04

細部において多様

これまた年末に押入れから発掘してきた松岡正剛氏の『多読術』を再読。
読書とはごく個人的なものだし、環境、そのとき置かれている状況、身体のコンディション、前に読んだ本の文脈、言葉遣い、そこで共有されていた世界(「味蕾」と表現されていた)などなどに影響されるのであって、たとえば洋服を着替えるように、いろいろな読み方があっていい。平均的な読み方なんてものはない。だからこそ、一読で終わらせず、再読すると新たな発見がある。
自分の「好み」は大切にしたほうがいい。一言で好みといっても、実は細部においては多様なもので、それを発見していくのが面白い。
読書とはコミュニケーションであり、相互作用(相互編集)である。
はっきりしているところよりも、曖昧なところ、きわどいところ、フラジャイルなところに、創発の芽がある。「フラジャイル」をぱらぱら眺める。そうか、ソンタグのいうところの「ラディカル・ウィル」というのも、おそらくはそういう意味あいなのだろう。なんか、すてきだ。

Kazuo Ishiguro 'Nocturnes', 短編集、2話目まで読了。これはいい。なにより、難しい言葉が使われていないので殆ど辞書を引かなくても読めるし(これ大事)、それなりに味もある。「犬の臭い」をどうやって人工的に作るかというあたり、あのレシピは嘘なのかもしれないけれど、一瞬、試してみたくなった。
勢いで、以前に挫折したThe remains of the dayに再挑戦。やっぱりこちらは作品の性質上、文章は若干固め。長編だし。また挫折するかも。

新書「英文法を知ってますか」。英語というと、世界言語として昔から文法もきっちり整っていたかのような錯覚をしていたけれど、なんだ、最初はラテン語に引け目を感じながら育っていった言語だったんだ、と知ると、少し親近感。最後のページにでてくるジョージワシントンの演説の冒頭。そうそう、こういう長い文章がやっぱり苦手で、3回読んでもうまく和訳できそうにない。当時の人たちはこれ聞いて、たぶん理解できたんだろうから、すごい、えらいなあ。

ジョギング。年始に決意新たにした人が多いせいか、気温が少し高めだからか、駅伝の余韻なのか、はたまた食べすぎが気になるからか、12月に比べて、同じ時間帯なのにジョガーにたくさん出会った。やっぱり、仲間がいるとうれしい。5km, 0:31:05。走るようになって初めて、そういう目で駅伝を見ての収穫は、自分は明らかに足が上がっていないこと、もっと姿勢よく走れるはずだということ。それから、もっと最後まで気をしっかり持って走れるということ。たったそれだけ意識しただけで1分早くなった。
とりあえずは、30分を切りたい。