2010/04/25

希望の物語

土曜の話。お茶の水の丸善で例のBook3を買って、予約時間ぎりぎりで歯科に駆け込む。珍しく混雑していて40分待ち。おかげで本が進む。村上さんに助けられたと思うのは、ああ自分って、速読とまではいかないけれど、わりとスピード感をもって本が読める人間だったんだと思い出せたこと。今月に入ってアンナ・カレーニナを読みかけたあたりから本のページをめくるのがどんどん遅くなっていって、しまいには本を手に取らなくなってしまった。このあいだ内科の先生に「そんなにやる気ないってことは、それはつまり、鬱っぽいのですか?」と聞かれて「いやもともと性格がこんなふうに、まったりしてますから、鬱っぽいというより、春だし、単にやる気がないだけだと思うんですが」と答えたものの、本さえ読む気にならないようでは人生つまらなすぎると思っていたところでもある。歯科の後、ヒルズでのボストン美術館展と写真美術館での森村泰昌「なにものかへのレクイエム」展へ行き、そこから下北沢に移動して昔の職場のみなさんががんばっているお芝居を見て、一緒にお芝居を見たex同僚さんとご飯を食べてから帰宅の道すがら読み続けつつ、電車の窓から月を眺めては一つしかないことをときどき確認してはいたものの、自室に戻ってさて仕切りなおし、と支度を整え(つまりコーヒーを飲んでから寝転んで)夜中の3時までかけて読み切ったわけである。
こんなスピードで読んでいたら読んだことにならんでしょう、だいたいbook1と2の内容を覚えているかと尋ねられれば確かに詳細忘れていたのだけれど、さっさと読めるということは、無意識に自分に重要なメッセージだけ選別して受け取っているということでもあり、書評をものすでもない一般読者としては、まあそれでよしと思うのである。
自分にとって重要なこととは、確信だけが先に来て、確信に基づいて行動しているうちに、論理は後付けで来るということ(いや、または論理なんて、来なくたっていいのかもしれないし)。どうでもいいけどこれってやる気の出る仕組みと似てますね。何かはじめないとやる気は出ませんよっていう、メビウスの輪みたいな、あれです。あれ?似てないか。まあいいや。えーとそれから、絶望と希望は、実は影と光のように離れずにあるということ。そして、ひとりではあるが孤独ではない、そういう希望のありようというものを青豆さんから教わりました。