2010/02/21

身軽なのがいい

横浜美術館に束芋「断面の世代」を観に行く。それなりの気力があるときでないと、現代美術に向き合えないような気がして、のばしのばしにしていたのだが、束芋さんの作品はどこか、癒しとまではいかないが共感できる部分があった、という意味で後味は悪くなかった。団断は4回見た。BLOWは、内面にあるもの(物質的に、体内の器官もあり、または感情も含め)が外に現れたときに変質する、というテーマが気に入った。所蔵品コーナーで、まっすぐに目に飛び込んできた森村泰昌作品に思わず笑う。原節子。奈良作品にも久しぶりにお目にかかる。

千夜千冊で連続的に語られているリスク論は、ことの発端は金融であったに違いないが、このところますます身に迫った問題に思えてきた。有無同然と言ってしまえばそれまでだが、モノが無ければ無いで満足できずに有る状態を目指し、有る状態に至れば今度はそれを脅かす存在に対して怯えるわけである。リスクリスクと言われ始めたのは、結局のところ、一応モノの無いステージがある特定の地域においては終了したということなのだろう。
システムは成長することによってしか存在し続けることができないとすれば、その各プロセスにおいてリスクを伴うことになる。リスク分散のためにグローバル化しているつもりが、そのために逆にかかえきれない大きなリスクを背負っていた、というようなことも書かれていた。次回に注目。

なんの論拠もないけれども、これからは自分の目のしっかり届く範囲で、マインドとか仕事ぶりをよく知った人と仕事をし、得た有形無形の財産は適切な形で求める人に贈与していく、そういう心地よいサイズの仕事ができたら、と思いはじめている。もともと、大企業向きの性格でもないし。 とりあえず、修行中、というところ。
リスクとコンティンジェンシーは表裏をなすのだろうが、偶有性を楽しめるのは、システムがごく小さい場合か、あくまで個人レベルの話のような気がしている。やはり身軽なのがいい。