2010/02/06

どうもぼんやりしていて

昨日展示会の帰りに品川駅の成城石井で仕入れたポルボローネ(通っていた高校ではそれをポルボロンと呼んでいて、バザーのたびに売っていた。懐かしくて、つい。)とカマンベールチーズを食べながら松岡正剛の千夜千冊1345夜を読んでいた。朝からぼんやり考えていたことに、根っこのところで通じている話だと思う。

「このとき、自分と相手や世間のあいだに、あるいはユーザーとシステムのあいだに、その問題についての価値観の類似性があるかどうか。SVSモデルでは、自分(ユーザー)が相手(システム)と似たような価値観を共有しているように感じられると、その相手に対する信頼も共有されるというふうにみなす。
 ぼくは、ハッとした。これって何かに似ている。そうだ、漱石の「可哀想だた、惚れたったことよ」なのである。いや、わかりやすくは“信頼の相似律”というものだ。なるほど、なるほど、信頼のコストは類似性の連鎖にどれだけコストを払うかということだったんですね。」(松岡正剛の千夜千冊1345夜より引用)

でもって、ふと思うわけだけれども、仮に製造業という業態の一つの会社(システム)があるとして、その会社の株を持ってる人(ユーザー1)と、その会社の作る品物を買う人(ユーザー2)の価値観というのは、共有できるものなんだろうか。ユーザー1から惚れられるシステムで生み出される製品にユーザー2からも惚れてもらえる、という状況を構築することってできるんだろうか。投資家をユーザーと見るのがいけないのかな。どうも、ぼんやりしていて、よく分からない。