2019/02/24

看板に偽り

だいぶ前のことだけれども、会社のイベントか何かで若い男の子がbump of chicken の「天体観測」を歌っていたのを聞いて、いいなと思った。
自分も歌えないかなと思って練習したのだけれど、キーがあわなかったか歌詞が多すぎて(早すぎて?)口が回らなかったかどちらかで挫折したことだけ覚えている。
久しぶりに彼らの曲「コロニ―」を聞いて、また、あ、いいなと思った。声も曲も歌詞もいいと思うのだけれども、一向に具体的なイメージが湧いてこない。
最近、ダンスは「イメージを持て」的な話を先生を含めいろんな人からされるので、そうね、イメージねイメージ、と心の中でぶつぶつ言いながら、何か具体的な光景が思い浮かばないかと思って動画を見てみたら、ますます分からなくなった。
BUMP OF CHICKEN「コロニー」

金曜の夜、早めに朝カルに行って机の上に置かれた論文を見たら「the cognitive control of emotion」とあって、そういえば先生は最近、youtubeで意識と感情の話をされていたと思って講義が始まる前に聞いてみた。
「私」の中心になるにつれて鮮明さが失われて抽象的になる
「self」のど真ん中は空虚に感じられる。その内部の状況を伝えてくれるのが感情
痛みというのは内部状態を知覚する本質的な、原始的な感覚であって、感情というのは痛みのバリエーションということもできる。
というようなことをおっしゃっていたように思う。

意識と感情


なるほど、とここでまた「コロニ―」に戻るのだけれども、この歌の歌詞はこんなふうに始まる。
「どこだろう今痛んだのは 手をあててからわからなくなる」
つまりこの歌がえらく抽象的に感じられて一向にイメージが湧いてこないのは、selfに近いところの内部状況たる感情を歌ってるからに違いなくて、わたしの「イメージ」を想起する能力がないからではないのだ、という結論に落ち着いた。

最近、ブログの名前に看板に偽りあり感が強くなってきている。
random walk どころか、きわめて偏ってるよなあ。。。

あ、ちなみに誤解を生じないよう。朝カルは上記の意識と感情という動画とは関係ない話でした。(あ、もちろん、話の伏線的に繋がってるとはいえるかもしれないけど)

追記:
そういえばイメージは抽象画とかでもいいって話もあったっけ、と思い出して書棚の図録をぱらぱら。いまひとつ。
絵じゃないけど、今回はマリオ・ジャコメッリと藤井保「A KA RI」の合わせ技でいってみようか(後半に「光」って歌詞が出てくるから、、短絡的)