2018/08/20

記憶

他人のはともかく、自分の記憶というものをあまり信用していない。
わたしの記憶の編集力はなにしろすごいからだ。
と確信するに至っているのは、最近ダンスの振付を再現するために記憶を掘り起こす機会が多いから。
通っているジムのレッスン風景の録音録画は厳禁である。
まあそれはプライバシーや著作権の問題があろうから、いたしかたない。
そこで必然的に、習ったことを思い出す作業が必要になってくる。
新たに習ったところは長くて1分、もっと短いことだって多いのに、思い出そうとした時にはすでに白紙、という頃もあったから、これでも進歩はした。が、それでも部分的にぽっかりと穴のあいた箇所がある。右か左か、前か後か迷ったりする。たまに手足を動かしたりして記憶よ戻ってこーい、と繰り返し音を聴く。
そのうちひらめいて、これで間違いない、と確信して翌週レッスンに出てみると、見事にカウントがずれていたりする。ある意味手前勝手に創作している。間違っているなとわかっている場合でも、やっぱり穴があいたままでは気持ちが悪いから、とりあえず思い出したものを頭の中に残しておく。
記憶が正しいときもある。たまに。
そんなときは、たいてい、声と一緒に静止画または動画が脳内で再生される。
目線はずして。さす。たん、た、た。脈絡もなく突然、声と言葉が降ってくる。
身体を動かして練習するスペースも時間も限られているから、頭の中で踊る時間のほうが多い。
そうして記憶を編集、または再構成する作業も、実際に踊るのと同じくらい好きだったりする。もうすこし再現性が高くなるとなおよいんだけれども。