2018/08/26

日々新た

引っ越してケーブルテレビを契約したときにレンタルしたチューナーの録画保存容量が一杯になって、新規録画できなくなった。
営業のおじさんは、相当録画したっていっぱいになりませんよと言っていたが、1年で容量に達したわけだから、まあ、相当録画したんだろう。
やむなく不要なものを削除して、保存したいものだけ分類することにした。今後は未分類の録画だけ一括削除すればいい。
分類した中で一番件数が多いジャンルは、意外にも動物、である。
動物といっても、そのほとんどは猫である。
もっといえば、岩合さんの世界ネコ歩きである。
ネコ歩きは削除できない。気にいったものは何回でも見る。
最近は、ネコ歩きに混じって、ネコメンタリーというのがお気に入りである。
養老先生と、猫のまる。先生が含蓄深いことを語り、まるがのんきな顔して寝ている。実に絵になる。昨日から通算4回目だが、見飽きない。
とはいっても横でPCで別の動画を再生したりしている。
勝手におすすめしてくれる動画は、昔はやはり猫ばかりだったが、最近、外国のダンスレッスン風景が多くなってきた。
上級者のクラスとみえて、みんなお上手。そろっているなあ、と感心する。でもなんか、そろいすぎていておもしろくない。
レッスンでも生徒さん同士でお互い踊っているところを見たりすることがあるんだけれども、もちろん、みんなそろえようとしているのだが、初心者なせいか、微妙に不揃いで、それぞれ動きに個性があって、おもしろい。
他者になんらかの価値提供する(ショーで見せるとか、視聴回数を稼ぐとか)には、やっぱり、そろってないとだめなんだろうけど。
そういう市場価値から離れたところに、何か、感じるものがある。

ふとテレビから養老先生の声が聞こえる。
現代社会で生きてると、世界は同じになっていくんですよ。それがグローバリゼーションの根本でしょ。マレーシアの田舎でも品川駅でも、スタバのコーヒーの味は同じでしょ。
もういいかげんみんな疲れてきてるんじゃないですかね。猫見るとわかる。絶対同じじゃないんですよ。日々新た。

その前に、動物は絶対音感だから、たとえば先生が猫、と言うのと、誰か別の人が猫、と言うのとでは、音が違うから同じととらえられない。言葉、理屈ではなく感覚で生きるということは、全部違う、違いの世界に生きているということ。だから日々新た、という話がある。

生きることのものさしですよ。
必要なものを手に入れて、あとは寝ている。
お互い、生きてますなあ。
やかましい理屈を言わなくても、顔を見ていればそれでいい。
(養老先生「まるのこと」より一部)

エンドロールに先生の声がかぶる。
うらやましいでしょ、それでいいんですよ生きてくの。
どっちみち、たいしてかわんねえんだから。

さて、わたしにも新たな一日が始まった。