2018/08/17

ごぶさたしていて

とても久しぶりに茂木先生のお話を聴きにに行く。
前職で6時半の開始に間に合うように帰れなくなって足が遠のいていた間に、新宿の住友ビルは工事でいつもの通路が通れなくなっていたり、朝カルのフロアが模様替えされていたりと様変わりしているが、先生はお変わりないように見える。
あれだけメディアでの露出が増えているのに、それほどの混雑でもないのはふしぎだ。
英語の論文を読むと謳って参加者のハードルを上げているからだろうか。ほんとはたいして読まないのだけど(笑)
今日は、どんな人に、どんな時に知性を感じるかというお題。
きっと先生のお話はどこかで読めるだろうから、聞きながら思ったこと。
高い専門性を持っていながら、そこへの階段をのぼっていこうとする非専門家とつながる手段を持っているひとにintelligenceを感じる。
専門性というのは、必ずしも何かの領域ということでもなくて、先生がコメントされていたinner logicとかdepth、または美しさ、 みたいなことでもいい。手段とは、言葉である場合が多いけど、非言語的な、そのひとが持っている空気感というか、非専門家に寄り添う気持ちの問題もあったりするのかもしれない。
先生にはたくさんのヒーローがいて(今日のお話しではマーラー、ゲーテとかジョブズとか)その人たちのことを熱く語ってくださるわけだけれど、わたしたちは、先生というフィルターを通じてそういった遠い知性を近くに感じることができる。
講義開始までの待ち時間にひさしぶりに論文を読んで、講義の間に字幕なしではさっぱり分からないBritish comedyを見て、ああ、そうだった、こんな文章をすらすら読めるようになりたくて、BBCで笑えるようになりたくて、英語を使う機会が多い業界に入ったんだったっけ。最近あまり仕事で使わないせいで、すっかりなまけていたけれど、別に仕事のために英語をやろうと思ったわけじゃなかったのを思い出した。