2015/08/10

いてくれること

会社で廊下を歩いていて、後ろからきた同僚に
「猫背だね」
と言われたのが、もう4年ほど前の話。
横からならともかく、後ろから見て言われたから、
「そんなに丸いかー」
と、それなりにショックだった。
左右とも既に五十肩も経験済みだったから、
なんとかしないとね、と思って整体に通い始めたのと
ジムに通い始めたのがだいたい同じ頃。
センセイのおかげでだいぶ良くなったが、
いまだに吊皮を持つと少し肩がつっぱるし、背中もまだ少し丸い。


代休。
鷲田清一『夢のもつれ』を持って家を出る。
その鷲田さんが阪大の卒業式で述べた祝辞はたいそう名講演で、
被災地支援について語った中に、「copresence」ということがあった。
presenceは存在、co-は共同の、というような意味の接頭語。
つまり、「いてくれること」。
被災の現場で、他人のcopresenceがいかに重要な、
ポジティブな意味を持つかということだった。
それは被災地だけの話ではなくて。
よく言われるところの「安全基地」と通じるものでもある。
子供が母親のまなざしを感じながら次第に自分の行動を成しうるように。
ただその場にいてくれること。
見守ってくれること。
それがいかに人間に一歩を踏み出す、歩み続ける勇気を与えてくれるかということ。
眼施、といって、布施行の一つに挙げられるともいう。
まなざしは、ただそれだけで、ひとつの贈りもの。
享受できるひとは、
うん、それはもう、
ラッキー、としかいいようがないね。