2009/10/05

正義

日曜の朝、「ようこそ先輩」」というテレビ番組があって、日曜美術館の前に、たまに見ることがある。
母校の学生(小学生である場合が多いように思うけれど、中学生の回もあったかしら、よく覚えていない)を相手に、先輩が現在の職業に関連することがらを講義する、という内容である。
昨日の朝は、伊勢崎賢治さんの回で、シエラレオネや東ティモールで武装解除、紛争解決に携わっていらした方だそうだった。
この手の話題には疎いので、子供向けぐらいがちょうど理解できる、と半ば自嘲気味に見始めた。

後半、ロールプレイで考えさせる授業だった。
川の上流がA国、下流がB国で隣り合っている。双方とも主に農業の国。(西から東に川が流れている)
国境に極めて近いA国領地内に水門がある。
川より少し南に、川に並行して道路があって、B国より東側には市場がある。
ある年、旱魃があって、川の水量が少なくなりました。
A国は水門を半分閉じてB国に流れていた水を自国内に流すことにしました。
B国は対抗し、道路を封鎖して、A国が農作物を輸出できなくしました。
更に旱魃がひどくなりました。
A国は水門を全部閉じ、B国は交渉にきたA国の人を人質にとりました。
さて、こうなったときに、A国のみなさんは、武力を行使しますか、どうしますか。
というような問いかけを小学生にして、議論を挟んで2回、どちらを選ぶか手を挙げさせていた、と思う。(たしか、1人の女の子が議論の後に武力を行使しないほうへ意見を変えた。)

2回目の挙手が終わった後、多数であることが正義ではない、少数派にも正義がある、
と氏は言った。
なぜか分からないけれども、その言葉がその後も残響していて、図書館で氏の本を借りてきた。
『武装解除』と『さよなら紛争』。
新書の『武装解除』から手をつけたのだが、途中から、14歳の世渡り術シリーズ『さよなら紛争』へ乗り換えて、そちらだけ読み終わった。

シングルスタンダードのない世界で、と副題のついた章には、人類共通の正義はない、だから自分にとっての正義は何かを見つめていきたい、と書いてあった。

最近、職場でチャットをしていて、policyという言葉を目にした。
XX is my policy,と彼女は言ったわけだが、それが、とても新鮮に聞こえた。
職場もまた、時にカオスと化し、少なくとも精神的には戦場となることがある。(もちろんそれはシエラレオネとは全く異なる平和ボケな戦場なわけだけれども、、)
数々の矛盾を抱える中で、自分にとって、正義、とまでは言えなくとも、何が正しいか、と
見つめる姿勢は、どこにいても、忘れてはいけないのだな、と思う。