2009/10/24

昼食はパン屋さんのパンとパックのサラダで済ます平日が続いていた。
せめてもの慰めに、スタバで買ったカフェラテを職場近くの公園でゆっくり飲むのが習慣になった。
その公園には鳩がたくさんいた。鳩の顔を見ているうちに、この前に観た若冲の群鶏とオーバーラップしてくる。
周囲の環境に私が同化する程度の時間が経過すると、鳩は私など存在しないような顔で、近くまで寄ってきて、砂の中に何かしら見つけては啄んでいる。
若冲の絵はシリアスに描写しているようでいて、どこかユーモラスだ、と美術館にいるときは思っていたが、鳥の顔というのは、元来ユーモラスであることに気がついた。
というか、よく観察してさえいれば、生きものというのはどんなものでもユーモラスなんじゃないか、とさえ思えてきた。
昨日対談を聞いた作家の島田氏は人間の感情というのはだいたい喜怒哀楽がそれぞれ4分の1ずつぐらい等分にあって、感情として表出するのはそのうちの一つ二つかもしれないけれども、ほかのものも奥に隠れてはいて、それぞれと戯れるすべさえ習得すれば、なんとか、生きながらえられるんじゃないか、というようなことを言っていた、ように思う。
他者に対しても、自己に対してさえも、じっと観つめつづていれば、どこかしら面白みのある部分を見つけることができ、それと戯れることができるのかもしれない。

いままで会社として使っていたらしい隣の部屋を住居用として売り出すから改装する、というので、土曜というのに朝から煩い。
なにしろ、隣室での電話の会話が理解できるほどに壁が薄いのだから困ったもので、会社だったのだけが救いだった(土日は休みだから)のだが、それもあとしばらくのことである。気が重い。
隣で壁に釘をとんとんとんと打っているのが、頭を叩かれているように響くので、おもわず、ああ、うるさーい、と叫ぶ。(もちろん薄い壁の向こうで作業している人に聞こえる程度の、声高に電話している程度の音量で。いやな隣人である)
まあ、そんなことしたって、向こうも仕事だからやめるわけもない。これが来月初旬まで続くというのだから頭が痛い。
諦めて、昼から映画館に避難する。山崎豊子原作の『沈まぬ太陽』。1時に始まって4時半に終わる長編。内容はよさそうだが小説を読む気にならないので、映画であらすじがつかめればよしとした。
最近仕事がほんとうに重いのだが、こういう巨大組織の、また人命に関わる事件に比すれば、さしたることはない、と素直に思えた。そういう意味では良い映画だった。

昨日の対談は後半ほとんど恋愛相談の質疑応答になっていて、本気で好きな相手に迫るならabsolute honestyでしょう、と語る某先生の言葉に、ほう、そんなものかしらねえ、と思ったが、先生らしいといえば先生らしいお答えではあった。
誰にでも適用できるかは、また別の話として、確かに、部屋にあるコスモスが可愛らしいなと思うのは、absolute honesty というか、full commitmentな感じ、確かに、そこがいい。

映画館から帰る。隣室も仕上げの段階に入っていると見えて、自室にペンキ塗りたての臭いがこもっている。音だけでなく通気も良いらしい。小ぶりの雨だが、窓を開けると、ずいぶん風が冷たい。10月も、もう終わりに近い。