2009/12/05

雨の六本木

夕方、雨のなか、森美術館に出かける。医学と芸術展。
人間という生きものは、気になるものを解体し、分析し、再構成するのが好きらしい。
そして、その過程を観察して記録することも。
それが人体という対象に向かうと医学になり、芸術にもなるというわけだ。
やはり人間にとって、自分自身がいちばん気になる生きものなんじゃないだろうか。
自分自身を解体すると死んでしまうから、似たようなもので妥協しているだけであって、ほんとうは自分を解体して分析したいんじゃないだろうか。
あらためて見ると、人体解剖図というのはずいぶんとたくさん描かれていて、ダヴィンチみたいに精緻なものは少ないけれど、どれも人体という興味深い対象物への、単なる好奇心を越えた執着、執念みたいなもの、また死にゆくことへの不安をも反映しているように思える。

興味を惹いたのは、昔の義手義足や車椅子の横に、最新の脳波で動く車椅子、とか、おしゃれな義足があったりすること。暗闇で緑に発光するウサギやネズミを作ってしまった映像も流されていて、こういうのを見ると、医療とアート、またはその対象物を生命とみるか作品と見るか、というような境界は曖昧になってくる。
木で作られた人工呼吸器やレントゲンには、ただ嘆息するばかり。最近、日曜ドラマのJINで、坂本龍馬の時代の頃、どうやってペニシリンを作っていたかという話があって、薬というものを手づくりしていたというあたりまえの事実を再認識するのは、ドラマとはいえ、なかなか感動だった。それに似た感慨がある。

この展示とはあまり関わりがないのだろうけれども、順路の最後にあった映像コーナーで、不平合唱団というのが流れていた。東京を含む世界のいくつかの都市で、不平不満を歌にして合唱する、という試み。人の不平を聞いてもねえ、と思いながら、少し疲れた足を休めようと座ったのだが、これが意外に面白かった。
ワルシャワ、シカゴ、シンガポール、東京と聞いた。もっとお国柄が出るものかと思っていたら、不平不満なんてものは、殆ど万国共通に理解できるものなのだね。
給料が安すぎる、とか、いい男はみんな結婚してる、とか。高速道路これ以上いりません、地下鉄どうにかしろ、道が汚い、蚊が多い、天気悪い、効率よく仕事するほど仕事が増える、芸能人だけ儲けてる、家賃高い、などなど。
そんな中で、いかにもお国柄で笑ったのはシンガポール。シンガポールの合唱団は英語の歌詞で歌っていたのだけれど、「マンダリンで喋ろうと思ったけれど、この力強いシングリッシュのどこが悪い」とか、「許可されてない広告は全部禁止」とか。
せっかくの週末なのに生理、と歌っていたどこかの国の女の子の歌を聴きながら、観客の男の子がぷっと笑っていたのも微妙に面白かったりした。
個人的には、シカゴとシンガポールが好みだったかな。
不平合唱団(東京ver. 一部)

これは各国でワークショップがなされた成果なのだそうだけど、もとからこの不平の万国共通性を表現するために、狙ってやったのかなあ。だとしたら、読みの深い作品でしたね。